優等生と劣等生

和希

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LASTSEASON

初出勤

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(1)

「冬夜さんそろそろ起きてください。初日から遅刻じゃまずいでしょ」
「おはよう愛莉」
「朝ごはん出来てますから、支度してきてください」

愛莉はそう言って微笑むと寝室を出ていった。
今日から社会人生活が始まる。
仕度を済ませて着替えると朝食を食べる。
勤め先の瀬川税理士事務所までは車で30分もあれば着く。
大学の時と違って朝が早い。
でも愛莉が時間を管理してくれてる。
ダイニングのテーブルで愛莉とコーヒーを飲み終わるとちょうど出勤時間になる。

「じゃあ行ってくる」
「あ、待って冬夜さん。お弁当忘れてるよ」

愛莉がテーブルに置いてあった弁当箱を持ってくる。

「ありがとう」
「あ、またネクタイ曲がってるよ。もう、しょうがないんだから」

愛莉が僕のネクタイをなおす。その際にバードキスを忘れずに。

「えへへ」
「じゃあ、行ってくる。お利口さんにしてるんだよ」
「はい。冬夜さんも気をつけてね」

そう言って僕は家を出ると車で会社に向かう。
国道をを二つまたがないといけないので渋滞するが途中ショートカットするルートは探して置いた。
会社に着くと中に入る。
社長が先に来てた。

「お、片桐君早いね。奥の部屋で待ってて」

社長に言われた通り部屋に入ってくると次から次へと社員が入ってくる。
部屋を横切るたびに挨拶をする。
その中に上原夏美もいた。
彼女も軽く会釈をして通り過ぎる。
そして定時になり朝礼が始まると僕が呼ばれた。

「今日から皆と働くことになった片桐冬夜君だ、最初は仕事に慣れてもらう。資格を取るまでは上原君のサポートに回ってもらおうと思う。上原君いいかな?」
「わかりました~」
「じゃあ、片桐君から一言挨拶を」

社長が言う。

「今日からお世話になります。若輩者ですがよろしくお願いします」

皆から拍手される。

「じゃあ、今日のスピーチは……」

朝礼の際毎日順番に一人ずつ決められたテーマで一分間スピーチをすることになっている。
その後今日の業務内容の説明があって仕事が始まる。
入社したての僕は事務の人から色々説明を受ける。
事務の人は二人いる。そのうちの一人が夏美さんだ。
社員証を受け取る。社員証が出勤簿の代わりになってるらしい。
入り口にあるカードリーダーで読み取る。
一番最初に来たときと一番最後に出る時のセキュリティのロックと解除の方法を教えてもらう。
その他昼食は各々の机で食べるか外に食べに行くかは自由らしい。
席を案内してもらう。
席にはデスクトップのPCと資料が揃えられている。
その他事務的な事を色々教えてもらうと午前中が終る。

「新入り~飯奢っちゃる。食べに行かないか?」
「お弁当持ってきてるんで、すいません」
「お弁当!?自分で作ってるんか?」
「いえ、同棲してる彼女が作ってくれるんです」
「同棲!?彼女!?」
「新入り!こっちの席来いよ一緒に食おうぜ」

上原さんに呼ばれたので席を移動する。

「どんな弁当なんだ……意外と普通なんだな!?」

上原さんは驚いてた。
きっといかにもな弁当をイメージしていたんだろう。
愛莉はそういう弁当は作らない。
夏美さんがお茶を注いでくれる。
今日は来客用の茶碗だけど自分用のコップを用意するように言われた。

「俺も夏美の愛妻弁当なんだぜ!な?夏美」

上原さんがそう言うと夏美さんは俯いてしまった。

「新入り……冬夜って呼ばせてもらう。俺の事も達彦でいいから。昼からお客さんところにあいさつ回りにいくぞ」

税理士の客は、中小零細企業が多い。客先の会社でやる仕事と事務所に戻って来てやる仕事があるという。
僕の仕事は当面は事務所でやる仕事の補佐だけど客先に顔を覚えてもらって損はないという事でついて回る。
とはいえ、繁忙期を過ぎて月次監査も終わってるのに本当に挨拶だけで終わってしまうのだけど。

「お前結構コミュ力あるな、気に入ってもらえてるしすげーな!」

そんな感じであいさつ回りも終えて。事務所に戻ると仕事を教えてもらう。
まずはソフトの使い方を覚えることから始まる。
専用の計算ソフトがあってそれの使い方を覚えなくてはならない。
一つずつ慎重に覚えていく。
そうしているうちにあっという間に定時になる。

「来月になったら忙しくなるから初めてだし楽しとけ!」

達彦さんがそういうので、定時で上がることにした。
家に帰ると愛莉が「おかえりなさい」と出迎えてくれる。

「お仕事どうでした?」と愛莉が聞いて来るので着替えながら説明する。
「来月忙しいって合宿大丈夫?」と聞いてくるから「休みは暦通りにとらせてくれるみたいだよ」と説明する。

「お仕事大変なのにお休みの日に休まなくて大丈夫なのですか?」
「お仕事も大変だけどやらなきゃいけないことがあるしね」
「な~に?」

愛莉を抱きしめる。

「お嫁さんが働きすぎて疲れてないかメンテしてあげないとな」
「ありがとう」

愛莉が作ったご飯を食べてお風呂に入るとリビングで愛莉を待つ。
片づけを終えた愛莉がお風呂から上がって冷蔵庫から飲み物を取り出し僕に渡す。

「愛莉は今日何してたの?」
「普通に家事してました」
「青い鳥には行ってないの?」
「まだ不慣れでそんな余裕なくて」
「……土日はしっかり休みとらないとな」
「どうしてですか?」
「愛莉が働き過ぎないようにチェックしないと」
「私より冬夜さんの体心配して下さい」
「どっちも大事だよ」
「はい」

22時頃寝室に入る。

「おやすみなさい」
「おやすみ」

そうし初出勤の日は終わった。

(2)

「今日から正社員として働くことになった石原君だ。みっちり鍛えてやってくれ」
「よろしくお願いします」

パチパチと拍手が聞こえる。
仕事内容もこれまで以上に大変になった。
それでもこなしていく。嫁の七光りで入社したと思われたくないから必死だった。
事件は入社して二日目に起きた。

「あ、あのちょっと石原君」

主任に呼び出された。

「何かありましたか?」

主任は黙ってファイルを渡した。
そのファイルを見た。
でたらめな数字が並んである。
これは酷い。

「君が担当していた在宅ワーカーの如月君のファイルなんだがどれも酷い出来でね……君から言ってくれないか?」
「もうしわけありません、すぐにやり直しさせます」
「それはいい、期日に間に合わないから別の者にさせている。次から気を付けるように言ってくれないか?」
「わかりました、ご迷惑をおかけしました」

オフィスを出ると如月君に電話する。

「もしもし」
「如月君!データ入力だって大事な仕事だよ。ちゃんと確認してから入力しないと!でたらめじゃないか!」
「間違いだってわかったら。そっちで直せばいいじゃないか?」
「君は仕事を請け負ってるんだよ!その自覚あるの?」
「好きでやってるんじゃない!やれって言うから仕方なくやってるだけだよ」
「こんな事続けてたら君仕事無くなっちゃうよ?しっかりしてくれないと!」
「わかったよ、次からチェックするから!」
「頼むよ、しっかりしてくれ」
「じゃあ、また」

オフィスに戻るとモニターにメモが張られてある。
恵美から連絡があったらしい。
副業とはいえ芸能事務所の社長もやっている。
そっちのことだろうか?
僕からも伝えておきたい事があるしと電話する。

「あら。望?今ちょっといいかしら?」
「いいけどどうしたの?」
「帰りにUSEに寄って欲しいんだけど?」
「そっちでも何か問題?」
「いえ、俳優と女優志望の二人の事でちょっと相談があって。それよりそっちで問題あったの?」

恵美に如月君の事を話した。

「……わかった。そっちは私に任せて頂戴。私の責任でどうにかするわ。主人に迷惑をかけるなんて許せない」
「お願いするよ。じゃあ今夜そっちに行くから」

電話を終えると今日やる分の仕事を済ませて定時になったら帰りにUSEに寄る。

「望。お疲れ様」
「ありがとう、で相談て?」
「まず紹介するわ。こちら演技指導の萩原成人さん」
「はじめまして」

萩原さんと挨拶する。

「それで?あの二人はどうなんでしょう?」
「やる気もあるし筋もいい、あれならすぐにオーディションに受かるでしょう」

それはよかった。

「だが、才能だけで突っ走ったら長続きしない。私の個人的な希望なのですが福岡の劇団に入れたい」

劇団で芝居の基礎をしっかり学ばせたい。劇団を通じて業界人に顔を覚えてもらう事も出来る。劇団の中でのコネもできる。萩原さんはそう語る。

「あの二人を原石を磨くのが最重要課題だと思います」
「うちとしても役者第一号。私も萩原さんの意見に賛成だわ。急いでデビューさせる必要はない。どう?望」
「二人の生活費用は事務所で負担?」
「そうね、バイトさせる暇があるなら稽古に打ち込ませたい」
「僕もそれでいいと思う」
「理解してもらえてありがたい。早速二人に伝えます」

そう言って萩原さんは退室していった。

「恵美、早くてどれくらい?」
「すでに小さな仕事は入ってる。CMとか」

劇団に直接オファーがあることもあるという。あの二人なら比較的早く役者デビューできるだろう。恵美はそう言う。

「それなら問題ないね」
「問題は如月君ね」

恵美が言う。
恵美が電話しても電話に出ない。だから朝倉さんに電話して今夜伺うことにした。

「何時に約束?」
「19時半には」
「そろそろ行かないと間に合わないね」

僕達は、すぐに如月君の家に向かう。
呼び鈴を鳴らすと朝倉さんが出た。

「どうぞ」

彼女は疲れてるようだ。
その理由はすぐにわかった。
部屋に入ると伊織さんが入力作業をやっていた。
当の如月君は安楽椅子に座ってテレビを見ているの。
恵美はテレビを消す。

「あなた何やってるの!?言ったはずよ彼女に作業させるのは駄目って」
「一つ一つチェックするくらいなら一からやらせた方が早いだろ!」
「あなたの仕事でしょ!」
「ちゃんとサインは僕がしてるよ!」
「それでは意味がないでしょ!」

恵美の怒りももっともだ。
これでは朝倉さんの負担を増やしてるだけだ。

「如月君、君に欠けているものは僕にでも分かるよ。それは責任感だ!」

自分でやると言ったんだから。最後まで自分で責任もってデータを渡さなければならない。

「……。わかったよ。後でやるから」
「それ今日中に送るはずのデータじゃないの?」
「一日くらい遅れたってどうってことないよ」

僕も自分の正規の仕事、芸能事務所の副業とはいえ代表取締役としての重圧、そして如月君の世話。ストレスも溜まっていた。そして爆発した

「ふざけるな!このデータを待ってる人は今も会社でずっと待ってるんだぞ!つべこべ言わずにさっさとやれ!」

恵美が驚くくらい、僕は怒鳴っていた。
その剣幕に圧されたのか如月君は作業を始めた。
彼が作業を終えるとそのデータを確認する。
そして会社に送信する。

「毎日確認しに来るから」

そう言って僕は家を出た。

「本当にご迷惑をおかけしました」

朝倉さんが玄関で頭を下げる。

「君も如月君を想うなら甘やかしたら駄目だ!」

そう言って僕達は家に帰った。
時間は22時半を過ぎてた。

「遅いし夕食はファミレスにしようか?」

恵美に言う。
恵美はなぜか落ち込んでいる。

「私のやってることは望に重荷を乗せてるだけなのかもしれない」

恵美はそう言う。

「悪いのは恵美じゃないよ」
「ありがとう。でもこれ以上望の負担を増やすわけにはいかない、新條に明日から行かせるわ」
「わかったよ」

そう言って恵美の手を握る。
それに気づいた恵美が僕の手を握り返す。
二人の顔を見ると恵美はニコッと笑う。
恵美の笑顔が曇らないように、僕も気をつけないと。
自分の言葉に責任をもたなくちゃ。
ファミレスでご飯を食べると家に帰って風呂に入ってベッドに入る。
朝起きると恵美はもうベッドからいない。
ゆっくり起き上がり着替えるとダイニングに行く。そして恵美に言う。

「おはよう恵美」
「おはよう、もう少しゆっくりしていてよかったのに」

そう言う恵美の笑顔をみて安心していた。

(3)

「いらっしゃいませ!」

私達デパートの新入社員はまとめて新人研修を受ける。
まずは挨拶の練習から。
声が小さい、自然な笑顔で、丁寧にはっきりと。
皆がしっかりできるまで何度もやり直しをさせられる。
実際にお店に出るまで一か月かみっちりと指導を受ける。
挨拶の仕方から礼儀作法を細かく指導される。
服装一つとってもきっちり指導が入る。
すっぴんで出社するなんてとんでもない。
メイクの仕方もしっかりと指導を受ける。
水曜日が定休日。
私は疲れを癒しに青い鳥に向かう。

「いらっしゃいませ。あ、神奈先輩今日は休日ですか」

咲が出迎えてくれると店に来ていた皆がこっちを見る。

今日来ているのは晶と花菜と恵美と愛莉。

「その分だとみっちりしごかれているようね」

恵美がそう言って笑う。

「まあな、皆はどうだ?」
「ここか、主人の仕事ぶりを見にいってるくらいね」

晶は退屈そうだ。

「私と愛莉は家事の息抜きにここに寄ってるだけ」

花菜が言うと愛莉もうなずく

「私も余程何かない限りここにいるわね」

恵美が言う。

「神奈はどうなの?」
「一つ一つ細かくてストレスがたまらねーよ」

愛莉が聞くと答えた。

「神奈ちゃん週末は大丈夫?一応皆仕事があるから土曜日の夜からって設定したけど」
「まあ、次の日の仕事に差し支えないようにしとくよ」

多分渡辺班の花見の事だろう?

「皆大変なんですね」

咲が言う。

「まあ、それで給料もらってるからな」

ましてや最初の一か月は仕事をしてないに等しい。それで給料もらうんだから文句言える立場じゃない。

「愛莉はちゃんとトーヤに相手してもらえてるか?」
「冬夜さんに心配かけてるみたいで。今日も冬夜さんにたまには青い鳥でもいって息抜きしておいでって」
「ってことはトーヤも愛莉の相手してる余裕ないのか?」
「ううん、私が心配するくらい私に構ってくれてる」

愛莉は羨ましいな。

「残業は無いの?」

花菜が愛莉に聞いていた。

「うん、連休明けまでは暇だからって定時で帰ってくる」

真っ直ぐ帰ってきてくれる優しい人だよって愛莉は言う。
愛莉とトーヤは上手くいってるらしい。

「誠君はどうなの?」

恵美が聞いてきた。

「今アウェーに行ってる。今夜の試合に出るらしい」
「もう試合に起用されるの!?すごいじゃない!」
「まあ、上手くやってるみたいだな」
「北村さんは新生活どうなの?」

愛莉が北村さんにきいていた。

「やらなきゃいけないことが増えて同棲なんてしなきゃよかったと思ってます」
「栗林君は手伝ってくれないの?」
「手伝ってくれますよ。料理は私の担当ですけど、掃除とかは担当してくれてますね」

好き嫌いが激しいから自分が担当した方が楽なのだという。

「皆上手くやっているようで安心だわ」

晶が言う。

「晶は上手くやれてないの?」

愛莉が晶に聞いた。

「善君は苦戦してるようね。社長なんだからどしっと構えてたらいいのに」

新卒で社長になるってのも凄い大変なんだろうな。

「でも皆不満が無いみたいで安心したわ」
「不満言ってる暇もないのかも」

恵美が言うと花菜が返す。
亜依や穂乃果も大変みたいだしな。

「私のところは駄目ね……私のやったことが裏目に出たみたい」

恵美が言う。
その話は女子会グルで読んだ。

「あれは如月が100%悪いから恵美が気にする事じゃねーよ」
「でも怒鳴りつける望なんて初めて見たから動揺しちゃって」

石原も強くなったんだな。

「そう言う話、花見の席でゆっくりしたいね」

愛莉が言う。

「そういや、今年の新人はどうなんだ?」

私が咲に聞いていた。

「特にめぼしいのはいないみたいね。ただ咲良から聞いたんだけど私立大にすっごい生意気な奴がいるって言ってた」
「そう言う奴の方が鍛えがいがあるわね。男性?女性」
「女性だそうです。可愛いのを売りに調子に乗ってる生意気な奴って言ってた。サークルの勧誘合戦がはじまってるとか」
「へえ、なるほどね。それは教育し甲斐があるわね」

恵美と咲が話している。

「あ、そろそろ私帰らないと。夕飯の準備しないと」
「え?もうそんな時間?私も買い物しなきゃ」
「じゃあ、私たちはそろそろ失礼するわ」

私を残して皆帰っていった。
みんな帰りを待つ相手がいるんだな。

「神奈先輩は寂しかったりするんですか?」
「そんな事考える余裕も無いよ」

咲が聞いてくると私はそう返す。
とはいえ、私も一人でいてもしょうがないな。

「私も帰るわ。ご馳走様」
「はい、ありがとうございました」

あれだけ賑やかだった青い鳥も今は閑散としている。
昔が懐かし感じる。
掛け替えのない4年間だった。
店を出ると家に帰る。
家に帰るとご飯を食べてテレビをつける。
ピッチを駆けまわる誠が映されている。
一人で主人の応援をしていた。

(4)

勤務してから三日目。達彦さんに渡されたデータを入力していた。
15時になるとチャイムがなる。15分の休憩時間だ。
スマホが鳴る。
夏美さんからだ。夏美さんまだ僕の電話番号もっていたんだね。
て、事は僕の事は覚えてる?

「コーヒーとお茶どっちがいいですか?」

彼女はしゃべれない。メッセージで意思の疎通をする。

「コーヒーでいいよ」

彼女に伝えると、彼女はにこりと笑って給湯室に行く。
そして机に置かれるコーヒーの入ったマグカップ。
今日は皆で払っていて受付と事務員と社長くらいしかいない。

「ただいまー!」

達彦さんが帰って来た。

「冬夜どうだ!仕事は進んでるか?」
「言われた分は今日中にはなんとか」
「呑み込み早いな!でもゆっくりでいいから正確に仕上げてくれ!ミスなんてあったら大問題だからな」
「気を付けてます」
「ならいい!金曜日の夜は遅くなるって言っとけよ!花見兼お前の歓迎会だ。喜べ!フグだぞフグ!」

繁華街のフグ料理屋を予約したらしい。それ花見になってるのか?

「細かいことはいいんだよ!」

そう言って僕の背中を叩く。
幹事は達彦さんがやってるらしい。「次からはお前がやるんだからな!」と一言あった。

「ところで夏美とは仲良くやってるか?あいつ結構引っ込み思案だからお前から話しかけてやってくれ。中学の時の友達だったんだろ?」

え?

「聞いたぜ!お前夏美の告白断ったんだって!?彼女が既にいるからって」

どうして知ってるんだ?

「ああ、夏美の病気の事は話したよな。家の中で俺と夏美の家族にだけは喋れるんだよ!」

夏美さんを見る、夏美さんは困っているようだった。

酷いよ冬夜君。

あの言葉が蘇る。

「まあ、かといって人の嫁に手を出したら容赦しねーからな!ってどうした冬夜?顔色悪いぞ」
「すいません、ちょっとお手洗い行ってきます」
「ああ、なんか変なもん食ったか?」

強烈な吐き気がする。
鏡に映る自分を見て落ち着きを取り戻す。
お手洗いを出ると夏美さんが待っていた。
ハンカチを差し出す。

「大丈夫、ありがとう」
「ごめんなさい、主人いつもあの調子だから」

その時言えば良かったのに言えなかった。

「あの時はごめん」

たった一言が言えなかった。
その代わり彼女の一言が突き刺さる。

「あの時の事なら私もう気にしてないから。事故だよね?」

初めて自分の心を見透かされてる気がした。
事故で片づけていいんだろうか?

「あの……」

僕が言おうとした時達彦さんが来た。

「冬夜大丈夫か?っておい。なんだよ!いい雰囲気つくってるじゃん!言っただろ人の嫁に手を出すなって。お前の彼女に言いつけるぞ!!」

達彦さんはそう言って笑っていた。

「そんなんじゃないです」
「そうか、まあ半分冗談だからそんなに真に受けるなよ」

達彦さんが言う。
結局僕はこの日も何も言えずに仕事を終えて家に帰る。

「おかえりなさい、お疲れ様です」

愛莉が出迎えてくれる。

「どうかしましたか?顔色悪いですよ?」
「なんでもないよ、今日は夕食なにかな?」
「パスタとスープにしました。冬夜さんコンソメスープ大丈夫ですよね?」
「大丈夫だよ」
「今日青い鳥に行ってきました。神奈も大変みたい」
「そうか……」
「でね、誠君が今夜試合に出るんですって。一緒に応援してあげませんか?」
「いきなり試合か、すごいな。応援してあげないとな」
「ですね」

愛莉はいつも通りだった。
夕飯を食べた後片づけが終るとお互い風呂に入ってリビングで試合を見てる。
テレビがそう映してるだけかもしれないけど誠のプレイを追いかけている。
追いかけてるだけで試合の展開はよく分からない。
頭では別の事を考えていた。

「あ、誠君がシュート決めましたよ」

隣で愛莉がはしゃいでる。
試合はその1点が決め手となって地元チームが勝った。
初出場で初勝利か。注目を浴びるだろうな。
試合が終わると愛莉はテレビを消す。

「冬夜さん寝室に行きましょう?」
「ああ……」

愛莉と寝室に移動して寝室のテレビをつける。
愛莉はベッドに腰掛けると僕に隣に座るように言う。
僕が座ると愛莉は僕を抱きしめる。

「今日会社で何かあったの?帰ってからずっと様子が変ですよ?」

愛莉に今日あったことを話した。
愛莉はじっと話を聞いていた。
そしてくすっと笑った。

「夏美さんの言う通りかもしれませんね。冬夜さんが気にし過ぎなのかもしれません」

本当にそうなのだろうか?

「泣きながら僕達は来る、笑いながら僕達は行く。冬夜さんがいつか話してくれた言葉です。いつまでも気にしてもしょうがない笑いながら先を行こうって」

愛莉はにこりと笑ってそう言った。

「夏美さんも幸せになれたのだから、次は冬夜さんが幸せになる番です。それでお互い幸せ。それでいいじゃないですか?」
「……そうかもしれないね」
「そうですよ」
「ありがとう、愛莉」
「疲れた夫を元気づけるのも妻の務めですから」

笑顔でいる愛莉を強く抱きしめる。
いつまでも悔やんでいてもしょうがないか。
話題を変えよう。愛莉を不安にさせるだけだ。

「……金曜日は夕食いらないから。歓迎会と花見でフグを食べに行くんだ」
「ふぐ、いいですね。私も作っても1人分だし、外食してきてもいいですか?」
「行っておいで」
「飲み過ぎないでくださいね。土曜日も花見だから」
「愛莉のメンテは日曜日にするから」
「翌日の仕事に差し支えませんか?」
「両立するって言ったろ?平気だよ」
「ならいいんですけど……でも……」

どうした?

「花見なのにフグっておかしいですね」
「愛莉もそう思った?」
「ええ」

愛莉の頭を撫でてやる。

「そろそろ寝ようか?」
「……はい?」

僕達は眠りにつく。
そして新しい一日の朝をむかえる。
そうやって愛莉との暮らしを紡いでいく。
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