邪気眼侍

橋本洋一

文字の大きさ
上 下
23 / 28

火消しの根性 其ノ肆

しおりを挟む
「わ、私は、大黒屋という、商家に勤めていた、女中でした……」
「大黒屋だと? 我が相棒よ、聞いたことはないか?」

 桐野の問いに弥助は「そういや、巾着切りの野郎のときの商家がそんな名前だったような……」とうろ覚えな記憶を言う。

「そうか……女中が何故、火付けなどした? まさか、大黒屋の命令なのか?」
「…………」
「いかに沈黙を貫いても、顔で分かる。貴様はそやつらの命令でやったのだな」

 桐野の断定的な物言いにおみよは小さく頷いた。喜平治が思わず彼女を殴りそうになるのを、弥助は「まあ待ちなって」と止めた。

「こ、こいつは! 商家に命じられて火をつけやがった! 許せねえ! ぶっ殺してやる!」
「あんたが殺さなくても、奉行所がやるさ。落ち着きな」
「だけどよ――」

 喜平治が怒りの声を上げる前に、桐野が「貴様が商家から得た報酬はなんだ?」と冷静に詰めた。

「無報酬というわけではあるまい。それにかの商家に恨みがあった……というのも違いそうだ」
「なんでてめえにそんなことが分かるんだよ! 何十人と焼き殺した女だぞ!」
「罪悪感を覚えていなければ、自殺などするものか。喜平治よ、少し黙ってくれ」

 桐野は冷静に、おみよの様子だけを見ていた。今にも涙を流しそうな、ひたひたと濡れた目。それでいてこの世全てに絶望している目だった。後悔と虚無が入り混じった印象を受ける。

「報酬、というものはもらっていません。私はただ、お父さんと会いたかっただけなんです」
「お父さん……父親と会えない事情でもあったのか?」
「はい……お父さんとは五つのときに別れました。母は物心付く前に死別したので、私に残されたのはお父さんだけだったのです」

 そこで桐野は「大黒屋が父親に会わせてやるとでも言ったのか」と真実を突き止めた。おみよは静かに頷いた。

「……てめえの家族に会うために、火を付けたのか」
「喜平治さん。こらえてくれよ。それにさ、長い間会っていない父親に一目会いたい気持ちは分かるのかい?」
「分からねえよ。少なくとも火付けの理由にはならねえと俺ぁ思う」

 弥助に対して厳しい言葉で返す喜平治。
 そうでなければ火消しとして命がけで現場に当たれないだろう。

 おみよは「そのとおり、火付けの理由にはまったくなりません」と下手人であるのに首肯した。その潔い態度に違和感を覚えたのは、これまで黙っていたさくらだった。

「ねえおみよさん。その、お父さんとは……本当に会えたの?」

 一同は一斉におみよを見つめた。
 おみよは能面のように無表情と化していた。

「お父さんの元に案内したのは、浪人の人だった。大黒屋の主人に雇われた用心棒で、会わせてやるって言われた……火付けをしたすぐ後だった……」

 怒っている喜平治さえ口を挟むことなく聞いていた。そして次の言葉で全員が察した。

「連れられたのは――墓場だった。無縁仏がたくさんある、寂しくて悲しいところだった」
「嘘でしょ……」

 さくらは口元を押さえた。
 三人の男はここで初めておみよを哀れんだ。

「浪人は言った……これがお前の父親だって……墓を指差して……私は、そこで後悔した……」

 ぽろぽろ、ぽろぼろと。おみよの目からゆっくりと涙が溢れ出ていく。
 さくらも同じく泣いていた。目の前の女性が可哀想で。愚かな行ないをしたけど、それ以上に悲しくて――

「大黒屋は理解っていたのだな……貴様の父親が既に亡くなっていることを」
「……左様でございます」

 それ以上、邪気眼侍は何も言わなかった。
 おみよを責めようとか諭そうとか、あるいは許そうとも思わなかった。
 ただそうであるように、騙された女への哀れみだけ持っていた。

「許せねえ……! 旦那、俺は許せねえよ! 人の想いを踏みにじるやり方は、絶対にしちゃあならねえんだ!」

 弥助が憤るのも無理はない。泣いているさくらも同様の気持ちだ。

「…………」

 押し黙る喜平治はおみよへの怒りと同情で頭がぐちゃぐちゃになった。あの可哀想な娘のために怒るべき相手が、その身に受ける罰よりも苦しい思いをしたと分かって――何も考えられなくなった。

 それでも喜平治は火事で全て失った女の子のために戦わなければならない。しかしその相手が哀れな女だと知った今、振り上げた拳の落としどころが見当たらなくなってしまった。

「おみよ……貴様に選択をさせてやろう……」

 しばらくして声をかけたのは桐野だった。
 弥助やさくら、そしてやり場のない怒りを抱えた喜平治を放置して、おみよだけに語りかける。

「このまま貴様を死なせてもいいと我は考えている……奉行所に捕まれば死罪、それも火あぶりに科せられる……そんな残酷な死を貴様に与えるのはあまりにも……」

 桐野の声が少しだけ震えた。
 まるで寒さに怯える子供のように、己の言葉を紡ぐのを厭う――

「しかし、それでは大黒屋は破滅しない……貴様を利用して商家に火付けしたという証拠は何もない。ただ無駄に貴様は死ぬだけだ……」
「……それでもいいんです。私は、無念のまま死ぬのが相応しいと思います」
「貴様は楽になりたいだけだ。多くの人間を焼き殺したという罪悪感から解放されたいのだ」

 桐野が何を言いたいのか、長年の相棒である弥助にも分からなかった。
 当然、さくらも喜平治も分からない。
 桐野は深呼吸して、自分の策を告げた。

「貴様を使って、大黒屋を破滅させる」
「……旦那、何をするつもりなんですか?」

 弥助はすっかりおみよに同情している。
 できることなら生きて罪を償ってほしいと考えていた。
 それができないのなら、すっぱりと死なせるべきだ。
 そんな相棒の心を知ってか、桐野は一番残酷で卑怯な作戦を言う。

「大黒屋に、おみよが命じられたときに、その証拠となるものを得ていたと嘘を言う」
「……まさか、おみよを餌にして大黒屋の者共を一網打尽するんですか?」
「そう浪人など多くないはずだから、すぐに終わるだろう」

 桐野の作戦を弥助はすんなりと聞き入れられなかった。
 決行するということは、おみよを利用するのと一緒だ。
 それは大黒屋と一緒ではないか――

「大黒屋を潰しておくべきだった。相撲賭博の件を明らかにし、もう二度と商売のできないようするべきだった」
「旦那……後悔しているんですかい? でもこんなこと予想なんてできやせん」
「理解っている。我が相棒よ……しかし、やるべきことをやっていなかったのは、後悔よりも反省する」

 桐野は喜平治に「おみよの身柄を任せてもよいな?」と頼んだ。

「なんで俺が……火付けの犯人を匿うような真似を?」
「もし我の策がしくじったとき、関わりのない貴様が奉行所で証言するのだ。今ここで聞いた全てを」
「そうしたら、そいつは火あぶりになるぜ」

 おみよの全身が小刻みに震える。
 桐野は「そうはさせない」ときっぱりと言った。

「我は人を超えし存在……策は十中八九成るだろう……」
「はん。そんな自信どこから出るんだよ」
「我が相棒、そしてさくら。ここから出るぞ。瘴気が強くなってきた……」

 桐野は素早くおみよの家から出る。
 弥助とさくらは黙って従った。

 二人きりになった火付けと火消し。
 おみよは何を話せばいいのか分からないので沈黙している。
 喜平治はため息をついた。

「しょうきって、なんなんだよ……」


◆◇◆◇


「旦那。その作戦って――」
「弥助。貴様は命を懸ける覚悟はあるか?」

 おみよの長屋から離れたところで桐野は弥助に覚悟を訊いた。
 弥助はいつになく真剣な表情の桐野を見て「もちろんあります」とすぐさま答えた。

「旦那の下男になってから覚悟はしていますよ」
「そうか……さくらよ。貴様はこの件から手を引いてくれ」

 桐野の唐突な言葉に「何を言っているのよ!」とさくらは怒鳴った。

「ここまで来て手を引けるわけないでしょ!」
「貴様は優しい女だ。これ以上関われば、貴様自身が傷つくことになる」
「そんなの、百も承知――」
「おみよは死ぬことになる」

 桐野の予言でさくらは次の言葉を発せられなかった。
 桐野は悲しげな表情のまま「頼む」とだけ言う。

「貴様には荷が重すぎる。もう関わりを持つな」
「……それは、あたしがまだ子供だから?」
「女に背負わせるのは重い……そう言っているのだ」

 さくらはじっと足元を見つめて、それから足早に去っていった。
 弥助は「よろしいんですね」と丁寧に訊ねた。
 桐野はさくらの姿が見えなくなってから答えた。

「ああ。我が邪気眼は全てを見通す……これでいいはずだ」
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

蘭癖高家

八島唯
歴史・時代
 一八世紀末、日本では浅間山が大噴火をおこし天明の大飢饉が発生する。当時の権力者田沼意次は一〇代将軍家治の急死とともに失脚し、その後松平定信が老中首座に就任する。  遠く離れたフランスでは革命の意気が揚がる。ロシアは積極的に蝦夷地への進出を進めており、遠くない未来ヨーロッパの船が日本にやってくることが予想された。  時ここに至り、老中松平定信は消極的であるとはいえ、外国への備えを画策する。  大権現家康公の秘中の秘、後に『蘭癖高家』と呼ばれる旗本を登用することを―― ※挿絵はAI作成です。

旧式戦艦はつせ

古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

忍者同心 服部文蔵

大澤伝兵衛
歴史・時代
 八代将軍徳川吉宗の時代、服部文蔵という武士がいた。  服部という名ではあるが有名な服部半蔵の血筋とは一切関係が無く、本人も忍者ではない。だが、とある事件での活躍で有名になり、江戸中から忍者と話題になり、評判を聞きつけた町奉行から同心として採用される事になる。  忍者同心の誕生である。  だが、忍者ではない文蔵が忍者と呼ばれる事を、伊賀、甲賀忍者の末裔たちが面白く思わず、事あるごとに文蔵に喧嘩を仕掛けて来る事に。  それに、江戸を騒がす数々の事件が起き、どうやら文蔵の過去と関りが……

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

本能のままに

揚羽
歴史・時代
1582年本能寺にて織田信長は明智光秀の謀反により亡くなる…はずだった もし信長が生きていたらどうなっていたのだろうか…というifストーリーです!もしよかったら見ていってください! ※更新は不定期になると思います。

出撃!特殊戦略潜水艦隊

ノデミチ
歴史・時代
海の狩人、潜水艦。 大国アメリカと短期決戦を挑む為に、連合艦隊司令山本五十六の肝入りで創設された秘匿潜水艦。 戦略潜水戦艦 伊号第500型潜水艦〜2隻。 潜水空母   伊号第400型潜水艦〜4隻。 広大な太平洋を舞台に大暴れする連合艦隊の秘密兵器。 一度書いてみたかったIF戦記物。 この機会に挑戦してみます。

処理中です...