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巾着切りの恋 其ノ参
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その次の日のことである。
珍しく邪気眼侍の桐野が「徘徊でもしようではないか」と言い出した。
徘徊とは散歩のことである。
「おお、いいですね。まだ余裕ありますしね」
「悪くないわね。行きましょう」
良い陽気が続く日だったので、特に仕事が入っていない弥助と修行と評していつもいるさくらはにべもなく賛同した。
三人が並んで歩くといやでも人目を惹く。
一番目立つのは桐野だが次点には巫女服姿のさくらが入るだろう。
唯一まともな着物を着ている弥助も顔に刀傷が入った強面だから危ういと感じられる。
はっきり言えば、三人が注目されるのは当たり前のことだった。
三人は涼しやかな風と共に、流れる川に沿ってゆったりと歩く。
足元に咲く花々や小鳥たちがさえずる木々などを見て心を癒していた。
ふと目の前に茶屋があるのを見つけた弥助。「少し休んでいきましょう」と提案すると、これまた珍しいことに「ククク……いいだろう……」と桐野は頷いた。
茶屋の店員は三人を見て「いらっしゃい、ませ……」と動揺した。
「ああ、怪しい者じゃあありやせん。団子と茶を三人分ください」
「ええ……わ、分かりました……」
店員が奥に引っ込んで何やら店主と相談している。
弥助とさくらは、自分はともかく、他の二人の恰好が問題だと考えている。
無論、邪気眼侍は気にしていない。
三人並んで渋茶を飲み、団子を食べていると「隣、いいですか?」と低い声が高いところから降ってくる。三人が見上げると少し顔色が優れない、立派な体格をしている大きな力士がいた。
弥助が「あっ!?」と言ってからさくらは気づいた。
優正関である。大柄な身体と真逆に穏やかな眼をしている。
桐野はそこで、どこかで見たような眼だなとぼんやり思った。
「ああ、構わぬよ」
「ありがとうございます。すみません、団子と茶を一人前ずつ」
相撲の稽古の帰りか、はたまた三人と同じ散歩なのか、定かではないが茶屋にいることは変わらない。江戸の有名人に弥助とさくらは動揺したが邪気眼侍は違う。
力士が茶を飲んでふうっと溜息をつくの姿を見て「ククク……悩みか……」とずばっと言った。
優正は驚く素振りを見せてから、軽く笑って「分かりますか」と答えた。
「図体が大きい割に繊細な悩みでもあるのか?」
「ええまあ。このまま向こうの川に入水でもしようかと悩みました」
弥助とさくらは茶を飲みつつ、どうして桐野が普通に話せているのかと不思議に思った。
邪気眼侍だから物怖じしないのか、はたまた逆なのか……
「あなたはおかしな格好をしていますね」
「ククク……常識で我を計るな……」
「もしもの話をしていいですか?」
「いいだろう」
おそらく、優正は桐野に話して解決してもらおうとは思っていない。
ただ誰かに話したいだけだろう。
桐野が聞くと決めたこと、言ってしまえば気まぐれと重なっただけだ。
「私の親方の部屋はとても貧乏でして。傲慢な言い方ですが、私以外勝てる力士がいないんですよ」
「勝てないから貧乏であるとも言えるな」
「かもしれません。ですが、親方と弟子たちは気のいい奴ばかりで。田舎の出である私がここまで力士をやれたのは、みんなのおかげなのです」
風が静かに吹いて、ゆっくりと雲が流れていく。
「今度の決勝戦。私は負けねばなりません。大事な親方と仲間のために」
まだ意味を掴みかけている桐野は「何故だ?」と訊ねる。
「親方の借金の代わりに、八百長をすること。そういう取り決めになりました」
思いもかけない展開に、黙って聞いていた弥助とさくらは固まってしまう。
優正は渇いた笑みのまま続ける。
「親方には何度も頭を下げられました。そんな恩人の姿を見せられたらやるしかないでしょう――八百長を」
師弟の義理、というわけだろう。
したくもない八百長をしなければならないのは、力士としてつらいものがある。
しかし一番つらいのは優正の言うとおり、恩人の謝罪の姿だ。
「私が耐えればいいのです。だけど、それでは……」
「話題になっている、細雪太夫の身請けができなくなる、ということか」
「ご存じでしたか、ははは」
またもや渇いた笑みを見せた優正に「恩人と女、どちらも大事か?」と桐野は問う。
「ええまあ。そうですね」
「恩人以上に、女に惚れているのか?」
「いえ、そうではなく……すみません、言えないのです」
少しおかしな言い方に桐野は違和感を覚えた。
しかし彼は立ち上がって「貴様、我に依頼しろ」と言う。
「依頼、ですか? あなたは……?」
「万屋だ。しかしなかなかいい仕事をすると自負している」
桐野は怪しげな雰囲気を醸し出しつつ、怪訝そうな優正に宣言した。
「親方の借金を失くし、八百長の約束も破棄させる。そして貴様が優勝し、細雪太夫を身請けできる――そんな方法を我が示してやる」
天の救いか魔の誘いか。
どちらとも取れない桐野の提案を優正は――
「駄目で元々だ。ならば、お願いします!」
何かに導かれたように、邪気眼侍に依頼してしまった。
◆◇◆◇
「嫌だね。なんで俺が優正なんかのために……」
「貴様が断ることなど、百も承知だ。この邪気眼を持っていればな」
二日後、どうやって調べたのか、桐野は誠二の長屋に来ていた。その隣には相棒の弥助もいる。
「だが貴様の望みが叶うかもしれんぞ」
「望み? はん、なんだってんだ……」
聞く耳を持たない誠二に「惚れた女のために一肌脱げねえのか」と弥助が挑発する。
「聞くところによると細雪太夫は優正関のことを贔屓にしているそうじゃねえか。好いた者同士なら、太夫も幸せになれると、そうは思えねえのかい」
「……けっ。俺の器が小さいみたいに言いやがって」
「ならあんたは細雪太夫を養えるのか? 幸せにできるのか?」
弥助の畳みかける言葉に、誠二は何も答えず、拗ねてしまう。
「――細雪太夫に会わせてやると言ったらどうだ? 無論、身請けした後だが」
桐野の提案に、無言だった誠二は怪訝そうに彼を見つめる。
そして疑うように「……嘘じゃねえよな?」と確認する。
「偽りではない。そこで想いを言えばいい。我らは止めん。見守っている」
「……それで、俺に何をさせるつもりなんだ?」
心を動かされたわけではない。
ただ半ば自棄になっただけだった。
そんな誠二に邪気眼侍の桐野政明はにやりと笑う。
「ククク……深淵なる計画を用意した。貴様なら問題なく遂行できるだろう」
珍しく邪気眼侍の桐野が「徘徊でもしようではないか」と言い出した。
徘徊とは散歩のことである。
「おお、いいですね。まだ余裕ありますしね」
「悪くないわね。行きましょう」
良い陽気が続く日だったので、特に仕事が入っていない弥助と修行と評していつもいるさくらはにべもなく賛同した。
三人が並んで歩くといやでも人目を惹く。
一番目立つのは桐野だが次点には巫女服姿のさくらが入るだろう。
唯一まともな着物を着ている弥助も顔に刀傷が入った強面だから危ういと感じられる。
はっきり言えば、三人が注目されるのは当たり前のことだった。
三人は涼しやかな風と共に、流れる川に沿ってゆったりと歩く。
足元に咲く花々や小鳥たちがさえずる木々などを見て心を癒していた。
ふと目の前に茶屋があるのを見つけた弥助。「少し休んでいきましょう」と提案すると、これまた珍しいことに「ククク……いいだろう……」と桐野は頷いた。
茶屋の店員は三人を見て「いらっしゃい、ませ……」と動揺した。
「ああ、怪しい者じゃあありやせん。団子と茶を三人分ください」
「ええ……わ、分かりました……」
店員が奥に引っ込んで何やら店主と相談している。
弥助とさくらは、自分はともかく、他の二人の恰好が問題だと考えている。
無論、邪気眼侍は気にしていない。
三人並んで渋茶を飲み、団子を食べていると「隣、いいですか?」と低い声が高いところから降ってくる。三人が見上げると少し顔色が優れない、立派な体格をしている大きな力士がいた。
弥助が「あっ!?」と言ってからさくらは気づいた。
優正関である。大柄な身体と真逆に穏やかな眼をしている。
桐野はそこで、どこかで見たような眼だなとぼんやり思った。
「ああ、構わぬよ」
「ありがとうございます。すみません、団子と茶を一人前ずつ」
相撲の稽古の帰りか、はたまた三人と同じ散歩なのか、定かではないが茶屋にいることは変わらない。江戸の有名人に弥助とさくらは動揺したが邪気眼侍は違う。
力士が茶を飲んでふうっと溜息をつくの姿を見て「ククク……悩みか……」とずばっと言った。
優正は驚く素振りを見せてから、軽く笑って「分かりますか」と答えた。
「図体が大きい割に繊細な悩みでもあるのか?」
「ええまあ。このまま向こうの川に入水でもしようかと悩みました」
弥助とさくらは茶を飲みつつ、どうして桐野が普通に話せているのかと不思議に思った。
邪気眼侍だから物怖じしないのか、はたまた逆なのか……
「あなたはおかしな格好をしていますね」
「ククク……常識で我を計るな……」
「もしもの話をしていいですか?」
「いいだろう」
おそらく、優正は桐野に話して解決してもらおうとは思っていない。
ただ誰かに話したいだけだろう。
桐野が聞くと決めたこと、言ってしまえば気まぐれと重なっただけだ。
「私の親方の部屋はとても貧乏でして。傲慢な言い方ですが、私以外勝てる力士がいないんですよ」
「勝てないから貧乏であるとも言えるな」
「かもしれません。ですが、親方と弟子たちは気のいい奴ばかりで。田舎の出である私がここまで力士をやれたのは、みんなのおかげなのです」
風が静かに吹いて、ゆっくりと雲が流れていく。
「今度の決勝戦。私は負けねばなりません。大事な親方と仲間のために」
まだ意味を掴みかけている桐野は「何故だ?」と訊ねる。
「親方の借金の代わりに、八百長をすること。そういう取り決めになりました」
思いもかけない展開に、黙って聞いていた弥助とさくらは固まってしまう。
優正は渇いた笑みのまま続ける。
「親方には何度も頭を下げられました。そんな恩人の姿を見せられたらやるしかないでしょう――八百長を」
師弟の義理、というわけだろう。
したくもない八百長をしなければならないのは、力士としてつらいものがある。
しかし一番つらいのは優正の言うとおり、恩人の謝罪の姿だ。
「私が耐えればいいのです。だけど、それでは……」
「話題になっている、細雪太夫の身請けができなくなる、ということか」
「ご存じでしたか、ははは」
またもや渇いた笑みを見せた優正に「恩人と女、どちらも大事か?」と桐野は問う。
「ええまあ。そうですね」
「恩人以上に、女に惚れているのか?」
「いえ、そうではなく……すみません、言えないのです」
少しおかしな言い方に桐野は違和感を覚えた。
しかし彼は立ち上がって「貴様、我に依頼しろ」と言う。
「依頼、ですか? あなたは……?」
「万屋だ。しかしなかなかいい仕事をすると自負している」
桐野は怪しげな雰囲気を醸し出しつつ、怪訝そうな優正に宣言した。
「親方の借金を失くし、八百長の約束も破棄させる。そして貴様が優勝し、細雪太夫を身請けできる――そんな方法を我が示してやる」
天の救いか魔の誘いか。
どちらとも取れない桐野の提案を優正は――
「駄目で元々だ。ならば、お願いします!」
何かに導かれたように、邪気眼侍に依頼してしまった。
◆◇◆◇
「嫌だね。なんで俺が優正なんかのために……」
「貴様が断ることなど、百も承知だ。この邪気眼を持っていればな」
二日後、どうやって調べたのか、桐野は誠二の長屋に来ていた。その隣には相棒の弥助もいる。
「だが貴様の望みが叶うかもしれんぞ」
「望み? はん、なんだってんだ……」
聞く耳を持たない誠二に「惚れた女のために一肌脱げねえのか」と弥助が挑発する。
「聞くところによると細雪太夫は優正関のことを贔屓にしているそうじゃねえか。好いた者同士なら、太夫も幸せになれると、そうは思えねえのかい」
「……けっ。俺の器が小さいみたいに言いやがって」
「ならあんたは細雪太夫を養えるのか? 幸せにできるのか?」
弥助の畳みかける言葉に、誠二は何も答えず、拗ねてしまう。
「――細雪太夫に会わせてやると言ったらどうだ? 無論、身請けした後だが」
桐野の提案に、無言だった誠二は怪訝そうに彼を見つめる。
そして疑うように「……嘘じゃねえよな?」と確認する。
「偽りではない。そこで想いを言えばいい。我らは止めん。見守っている」
「……それで、俺に何をさせるつもりなんだ?」
心を動かされたわけではない。
ただ半ば自棄になっただけだった。
そんな誠二に邪気眼侍の桐野政明はにやりと笑う。
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