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第一幕【壬生浪士組】

第9話信長、大坂に行く

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 結果として信長は『浪士目付役ろうしめつけやく』という役職に就いた。
 地位としては副長の下、副長助勤と同等、平隊士よりも上になる。
 具体的な職務は壬生浪士組の内部監査ないぶかんさだが、それは水戸派には適用されない。
 あくまでも試衛館派のみである。

 実のところ、信長の就任は叶ったのだけれど、局中法度きょくちゅうはっとについては待ったがかけられた。
 芹沢が「まだ隊士が十分集まってねえのに、こんな厳しい法度を設けたら不味いだろ」と珍しくまともなことを言いだしたのだ。

 会津あいづ藩預かりの立場であるが、知名度はさほどない。
 さらに言えば具体的な手柄や功績も無かった。
 そんな状態で縛りを作るのはあまり上策とは言えない。

 無論、芹沢は金策をするなという一文が気にかかっていたから反対したのだった。
 局中法度という名称から自分にも適用されると分かっていた。
 常日頃から酒と女に溺れていても、流石に水戸派を率いる男である。その点抜かりはなかった。

「ではこうしましょう。三か月時間を設けて、隊士が百人となったら法度を適用させるのは?」

 そう提案したのは山南だった。
 人数不足を理由とした芹沢も十分揃えば反対できない。
 現に「ああ。それなら俺に異存ねえよ」と芹沢は言うしかなかった。

 というわけで当初の予定と異なり、芹沢たち水戸派を排除するのは延期となった。
 土方は舌打ちしたい気持ちだったが、信長は逆にゆっくりできると思った。
 問題の先送りだが、時間が経てば問題自体無くなる可能性が出てくるのを信長は武田信玄や上杉謙信の死で知っていた。
 だから信長はゆったりと毎日を過ごせると思っていた――のだが。

「大坂に向かうだと? 壬生浪士組は京の市中を見廻るのではなかったのか?」
「それがですね。大坂町奉行所おおさかまちぶぎょうしょから不逞浪士の取り締まりをお願いされているんですよ」

 沖田の話を縁側で寝ていた信長は興味深そうに「ほう。頼りにされているのか」と笑った。

「ま、体よく利用されていると言い換えてもいいですけどね」
「仕事がないよりマシではないか。それに大坂で活躍すれば隊士も増えるかもしれん」
「宣伝ってわけですか」
「それも兼ねているのだろうよ」

 信長は起き上がって「お前も行くのか?」と問う。

「ええ。他にも芹沢さん、山南さん、永倉さん、斉藤さん、平山さんと野口さん。あとは島田しまださんです。島田さんは知っていますよね?」
「ああ。やたらとでかい大男だったな。何を食ったらあれだけ大きくなるのか……ふふふ」

 ふいに思い出し笑いをした信長に「何か面白いことでもあったんですか?」と笑顔の沖田。

「いや。弥助のことを思い出しただけだ……よし、儂も行こう」
「ノブさんも行くんですか?」
「なんだ。誘うつもりで話したのではないのか?」

 沖田は「まあ半分はそうですけど」と白い歯を見せた。

「でも土方さんの許可が出ますかね?」
「山南に言えばよかろう。あやつなら承諾するはずだ」

 信長は背伸びをして「大坂はあまり良い思い出がないな」と眠たげに言う。

「えっと、本願寺ほんがんじでしたっけ? 山南さんに聞きましたよ」
「ああ。あのときは……見ろ、脚を撃たれた」

 はかまをめくって脚を見せる。
 そこには銃弾の跡が痛々しく残っていた。
 沖田は「痛そうですね」と顔を歪ませた。

「しかも腹立たしいことに助けに行ったのは……キンカン頭を助けるためだった」
「……それはちょっと、嫌ですね」

 過去を思い出して苛立つ信長に「今の大坂は楽しいところですよ」と明るく沖田は言った。

「美味しいもの、たくさんありますし。天下の台所って言うんですよ」
「であるか。楽しみだな」

 沖田との話を終えた後、信長は山南に「儂も行くぞ」と伝えた。
 山南は少々困ったが、まあ一人増えてもいいだろうと判断し、同行を認めた。


◆◇◆◇


 大坂に着いた一行はまず二手に分かれた。
 大坂町奉行所に挨拶をしに行く芹沢たちと、大坂の豪商ごうしょうに挨拶しに行く山南たちだった。
 とは言っても、威圧感を与えないように商家に向かうのは三人程度にすることとなった。

 向かうのは山南と斉藤、そして信長だった。
 大坂の豪商の名を聞いてそっちに向かうと言い出したのだ。
 てっきり沖田と共に行動すると思っていた山南は戸惑ったが、自分が一緒にいれば問題は起こさないだろうと考え、受け入れたのだった。

「まさか、壬生浪士組の方だったとは。驚きですね」

 店に入り主人の鴻池善右衛門が出てくると、信長の顔を見て驚いた。
 信長は「儂を覚えていたのか」とにこやかに返す。

「信長さん、知り合いだったんですか?」
「おぬしらと出会う前に、草履をくれたのだ」

 山南に説明する信長。
 斉藤は黙ったまま、奇縁だなと考えた。

「あのときは助かった。改めて礼を申す」
「いえいえ。壬生浪士組の方を助けられて光栄です」

 実のところ、鴻池善右衛門は壬生浪士組のことが好きだった。
 芹沢はともかく、近藤たちに魅力を感じていたのだ。
 また商人の勘なのか、いつか大きなことをすると予想もしていた。

「であるか。儂は今、壬生浪士組で厄介になっている。何か困ったことがあればすぐに言え。大坂であろうとも飛んできてやる」
「ありがたいですね。私も何か困り事があれば協力させていただきます」

 信長は「困り事か……」としばし考えて、懐から短銃を取り出した。

「おお。最新式の短銃ですね」
「一目で見抜くとは素晴らしい」
「どこで手に入れましたか?」
「坂本龍馬という男から貰ったのだ」

 信長は「困り事はこれだ。弾薬が切れてしまった」と言う。

「補充しようにも売っているところがない。だがおぬしなら仕入れられると思ってな」
「ええ。直接取り扱ってはおりませんが、仕入れ先は知っております」
「そうか。ならば弾薬を買いたい」

 鴻池はしばし信長を見て「失礼ですが、本当に織田信長という名前ですか?」と訊ねた。
 山南と斉藤は信長がどう答えるのか黙って見守っている。

「ああ。元服げんぷくしてからずっとそうだ」
「ちなみに、元服前は?」
吉法師きちほうしだ」

 鴻池は相当勉強して演じていると判断した。
 しかし、商人の勘と言えばいいのか、どことなく本物のようにも思えた。
 そんな馬鹿なことはないが、そう思えてしまう魅力があった。

「分かりました。弾薬は月に一度、壬生村に届けさせます」
「悪いな。それでいくらだ?」
「お代は結構でございます」

 信長は怪訝な顔になる。
 商人が何の利益なしに高値の弾薬を譲り渡すわけがない。
 しかし彼が何か言う前に鴻池は「その代わりと言っては何ですが」と切り出す。

「時折、大坂にいらしてくだされば。京の他にも不逞浪士がたくさんおりますゆえ」
「その程度なら軽いものよ。なあ山南」

 すると山南は「かしこまりました」と頷いた。
 弾薬のこともあるが、鴻池は大切な支援者だからだ。
 なるべくお願い事は聞き入れておきたい。

「すぐに弾薬を持ってこさせます。少々お待ちください」
「あい分かった。山南、斉藤。おぬしらも待つか?」

 山南は「私は芹沢局長と合流しなければなりません」と言った。

「斉藤くん。信長さんの案内を任せてもいいかな?」
「……承知」

 斉藤が頷くのを見て信長は「であるか」と言う。
 信長は鴻池の店の者が用意した茶を啜りながら待つ。
 斉藤はその隣に座っている。

「……弾薬なら後でもいいのではないか?」

 信長は斉藤に「待つのは嫌いか?」と笑いながら問う。

「いや……」
「いつ何時、何が起こるか分からんからな。用心は必要だ」
「よく分からない……」
「ならば、刀を持たずに外を出歩けるか?」
「…………」

 斉藤は問いに答えずそっぽを向いた。
 なんだこやつ、不愛想だなと信長は思ったが言葉にしなかった。
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