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辞世の句

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 夢か現か分からない、長い眠りから目覚めた気分だった。
 僕の枕元にはると雹、そして玄朔が居た。三人とも安心した顔で僕を見つめている。

「今日は、いつかな?」

 かすれた声だった。
 僕の問いにすかさずはるが「師走の五日だ」と答えた。

「そうか……二ヶ月ぐらい寝ていたのか」
「……いえ。意識はありましたけど、覚えていないようですね」

 玄朔は唇を噛み締めながら「無念です」と答えた。

「五年は寿命を保てると思っていました。しかし、俺が未熟なせいで……」
「なるほど……僕はもうすぐ死ぬのか……」

 胸が痛い。内側から針が刺すような痛みが呼吸と共に襲う。
 もう永くないと分かってしまった。
 歳が越せるかどうか、微妙だった。

「何を弱気なことを! お前さまらしくない!」

 はるの目に涙が溢れ出ている。
 雹も悲しげに僕を見ている。

 僕も頑張りたい気持ちがあった。
 だけど、もう僕には時間が残されていない。
 自分の身体だから、分かる。

「最後に一つだけ、我が侭言っていいかな」
「……一つだけじゃなくて、いくらでも言っていいぞ」

 はるが泣きながら僕に微笑む。

「秀吉に、会いたい……」

 秀吉。
 僕の主君。
 そして僕の恩人。
 本当は呼ぶつもりはなかったけど――最期に会いたい。

「でも、忙しいんだろうなあ……」

 そう言って目を閉じた。
 考えること自体、億劫になっていた。



『雲之介。もう終わりなの?』
「うん? ああ、志乃か」
『よく分かったわね。いえ、分からないけどそうであってほしいのね』
「そうだね。他に半兵衛さんとか正勝とか頼廉とか山中殿とか。あるいは上様と話したいけど、一番話したかったのは志乃だから」
『ふうん。私、結構愛されていたのね』
「今でも愛しているよ」
『お市さんとはるさんはどうなのよ』
「お市さまもはるも愛しているよ。というより、愛に序列なんておかしな話だと思う」
『へえ。その心は?』
「だって志乃もお市さまもはるも一人の人間なんだ。同じじゃない。だからそれぞれを愛していても、それぞれを阻害することはないだろう?」
『会わないうちに屁理屈が上手くなったじゃない。羽柴さまの影響? それとも黒田官兵衛とかいう軍師のせい?』
「あはは。そんなんじゃないよ」
『笑って誤魔化さないでよ。まったく』
「それで志乃。迎えに来たってことかな?」
『死者が生者を迎えに来るわけないじゃない。あなたがこちらに来るのよ』
「そうか。じゃあまだ時間はあるね」
『戻っても苦しむと思うわ。それでもあなたは帰るのね』
「もうちょっとだけ待ってほしい。淋しい思いをさせてごめん」
『……こっちに来たら精一杯甘えさせてもらうわ』
「あ、そうだ。志乃に訊きたいことや話したいことが山ほどあったんだった」
『なあに? 話せることなら話すわよ』
「志乃は、幸せだった?」
『当たり前でしょ? 幸せだったわ』
「本当に? だって、最期は――」
『晴太郎は悪くないわよ。悪いのはあの生草坊主。それに施薬院をやりたいって言ったのは私だしね』
「そうか。それは良かった」
『ねえ。雲之介は幸せだった?』
「僕? うん。志乃と一緒になれて幸せだったよ」
『それは嬉しいけど、私が訊きたいのは生涯を通して幸せだったのかってことよ』
「…………」
『幼い頃に母親と祖父に殺されかけて、記憶を失くしたまま放浪して、いろんな傷を負いながら生きて、前妻の私が死んで、父親の真実を知って、大変な思いをして大名になったと思ったら病に倒れて、五年もつはずが物凄く短い期間で――苦しんで死ぬ。それでも幸せ?』
「…………」
『意地悪なこと聞いちゃったかしら? でも――ああ、時間ね』

 僕の身体が下に落ちていく。

『その答え、こっちに来るときに教えてね』



 目が覚めた。
 なんだか酷く懐かしい人と会話していた気分だった。

「ようやっと、目が覚めたか」

 その声に首をゆっくりと振る。僕の隣で胡坐をかいているのは――秀吉だった。

「どうして、ここに?」
「おぬしが呼んだからであろう。しかし運が良かったな。今日でわしは大坂に帰る予定だったのだ」

 秀吉はいつもの猿のような日輪の笑みを浮かべた。

「雲之介。おぬしはもうすぐ死ぬな」
「分かるんだ。流石だね……」
「辞世の句は考えてあるか?」

 そういえば、考えていなかった。

「おぬしのことだから忘れていたと思っていたぞ」
「あはは……それも流石だね……」
「さあ今考えろ。筆と紙があるから、書き残してやる」
「秀吉は字が下手だから、きちんと伝わるか不安だ」
「せっかくの親切を無碍にするな。さあ言え」

 言えと言われてもすぐには思いつかない。
 だから僕は「秀吉と話したい」と我が侭を言った。

「話しているうちに思いつくかもしれないし」
「……まあ良かろう。何を話す?」

 僕は久しぶりに満面の笑みになれた。

 僕たちは語り合った。
 出会ったときから今に至るまで。
 何者か分からなかった僕と何者でもない秀吉との思い出は語っても語り尽くせない。
 時には笑って。
 時にははしゃいで。
 落ち込んだり泣いたりもして。
 秀吉の心境を知って驚いたり。
 今まで話さなかったことを僕から告白してみたり。

 楽しい時間だった。
 本当に――楽しかった。

「さてと。わしはそろそろ行くぞ」

 秀吉はそう言って腰を上げた。

「辞世の句、できたか?」
「ああ、できたよ」
「そうか。言ってみろ」

 僕はすうっと深呼吸して――このとき不思議と痛みは無かった――辞世の句を言う。

「日輪と 共に歩みし 雲なれど 夢幻の ごとく消え行く」

 自分の生涯を振り返った辞世の句。
 正直上手いとは思えないけど。
 それでも僕の思いを込めている。

 秀吉はあくまでも無感情で辞世の句を書こうとした。
 けれど――

「…………」

 秀吉の頬を伝う大粒の涙が紙に落ちて、文字を滲ませた。
 左手で拭っても抑えても、何度も何度も流れ落ちる。

「秀吉……」
「――っ! この際、はっきりと言っておくぞ!」

 筆を放り出して、泣きっ面のまま、秀吉は喚いた。

「どうしておぬしが先に死ぬのだ! どうしてわしを残して死ぬ!」
「…………」
「ああ、淋しい。淋しい……! それ以上に悔しい!」

 僕だって、淋しくて悔しい。
 それ以上に――悲しかった。

「ごめんな秀吉」
「…………」
「僕、秀吉に会えて良かったよ」

 秀吉は泣きながら僕を見つめる。

「嘘じゃないよ。もしあのとき、ついて行かなかったら、野垂れ死にしてたと思う」

 だから、僕は。
 恩人である秀吉に伝えたい。

「僕は秀吉の家臣で居て、秀吉と共に生きられて、秀吉に惜しまれて――本当に幸せだよ」
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