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病床にて驚愕

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 吉川元春殿が納得してくれたおかげで、毛利家は従属――いや、臣従した。
 臣従した理由は、僕に進言による。この交渉によって、彼らの領土は長門国と周防国のみとなったことをあまりに思ったのだ。

「せめて、彼らの本拠地である安芸国だけは、接収しないでほしい」

 毛利方の三人も驚いたけど、秀吉は「おぬしの助言ならば聞き入れよう」と理由も聞かずに受け入れてくれた。もしかすると、僕にそう言わせるために呼び出したのかもしれない。本当に抜け目のない主君だった。

「かたじけない! この御恩は末代まで忘れぬ!」

 輝元殿は僕の手を取って何度も礼を述べた。
 計算や打算がなかったわけではない。これで毛利家は羽柴家と雨竜家に恩ができたからだ。でも第一に思ったのは、吉川殿が僕の優しさの意味を気づかせてくれたことだ。
 当の吉川殿は不思議そうに僕を見ていたけど。

 役目が終わった僕は、そのまま丹波国へ戻ろうとしたけど、それは叶わなかった。
 体調が悪化したからだ。
 息苦しくて何度も血痰を吐いた。
 このまま死んでしまうのではないかと思ったが、玄朔や大坂城に居た医者のおかげで、なんとか一命はとりとめた。
 だけど、丹波国までの移動は耐えられそうにないとの判断で、大坂城の城下町にある武家屋敷でしばらく休養することにした。

「雲之介。遊びに来たぞ」

 そう言って病床の僕を訪ねてきてくれたのは、御伽衆になっていた義昭さんだった。

「ほれ。甲州で作られているぶどうとやらを持ってきたぞ」
「いつもすみません」

 義昭さんはどこから仕入れてくるのか分からないけど、遠くの地方の果物や銘菓をお見舞い品として僕にくれた。
 義昭さんは僕がもうすぐ死ぬことを知っているはずだけど、そんな話題は出さなかった。昔の思い出話や何気ない会話などをしてくれる。

「そういえば、そなたの息子の秀晴、四国で大活躍したぞ」

 何度目かの訪問で義昭さんがりんごを切りつつ話してくれた。案外器用なようで、するすると途切れることなく皮を剥いている。

「そうですか。僕に似ず、素晴らしい戦功を挙げたんですね」
「何を言うか。そなた、巷の噂を知らんのか? 今や息子と合わせて戦上手と評されている」
「市井の噂というものは、捻じ曲げられるものですね」
「変事の大返しのしんがりはそれほど世間に衝撃を与えたのだ」

 よく分からないが僕は武人としての評価が高いらしい。

「それからそうだな。羽柴殿が将軍になるぞ」
「本当ですか!? それはめでたいですね!」
「私の養子となり、将軍となる予定だ。それから官位も高くなる」
「この前、従三位の権大納言になったばかりじゃないですか」
「ああ。しかし元公方の私が言うべきことではないが、征夷大将軍というのは官位が低い。朝廷を掌握するには、それなりの位が必要だ」

 紛いなりにも公家の血が入っている僕だけど、名ばかりの地位に何の意味があるのか、よく分からなかった。

「だがそれによって問題も起こっている。武家が官位を叙任されることで、公家の官位が足りなくなるのだ」
「席が足らなくなるってことですね。僕は咳が多すぎるけど」
「……笑えないぞ」

 不謹慎な冗談に対して極寒の目をされたので、慌てて僕は義昭さんに訊ねる。

「官位自体を増やすとか、任命する人数を増やすことはできますか?」
「前者は散位ならば増やせるが、基本的に無理だろう。後者のほうは可能性があるが」

 もうちょっとで何か閃きそうだ。

「公家と武家が、同じ官位を取り合っているのが問題なんですよね?」
「そうだ。官位には限りがあるからな」
「では、武家と公家を分けて任命するのはいかがですか?」

 義昭さんは怪訝な表情で「分けて任命する?」と繰り返した。

「そうです。ごほごほ、たとえば、さっき秀吉が従三位に任じられましたけど、それを武家と公家で分けるんです」
「つまり、武家の従三位と公家の従三位で分ければ、双方から任命できると」

 義昭さんは「前代未聞だが、羽柴殿に提案してみるのも悪くないな」と呟く。

「良き提案だ。流石、雲之介だな」
「ありがとうございます」

 しばらくして、僕の提案は秀吉の元に入ったようだった。
 朝廷側との話し合いはすんなりと進み――武家が官位を独占するのは公家も避けたいのだろう――翌年には公家と武家では官位を分けることが決まった。
 武家官位、と名付けられたらしい。

 義昭さんの他には、織田長益さまや師匠の千宗易さま、後は数回、秀長さんが見舞いに来てくれた。しかし一向に移動に耐えられる身体には戻らなかった。

 死を宣告されて、だいたい二年が経って。
 残りの寿命が三年近くになりつつあるとき。
 秀吉が僕が休んでいる屋敷を訪れた。

「久しぶりだね、秀吉。布団の上から失礼するよ」
「ああ。久しぶりだ」

 とは言っても、なんだかんだ言って秀吉は一ヶ月前にも僕の元に訪れていた。

「この前、朝廷から新しい姓を頂いたらしいね」
「まあな。足利秀吉では新しくなった世を表せぬと、御門(みかど)が仰せになられてな」

 秀吉はにっこりと笑って告げた。

「豊臣という名を賜った。つまり――わしは豊臣秀吉だ」
「豊臣、秀吉……」

 あの雨の日に出会った秀吉――藤吉郎が、ここまで上りつめたのか。
 そう考えると感慨深い。

「まあ、それはそれとして。実は大問題があってな」
「御門から新しい姓を賜ることより大問題なことあるのか?」

 ここに来て座ったときから、どことなくそわそわしていると思っていたが、一体なんだろうか?

「秀長が大和国の大名になったのは知っているか?」
「もちろん知っている。この前挨拶に来てくれた」
「それでだな。秀長の奴、正室を迎えることになったのだ」
「……あの秀長さんが?」

 本来なら喜ばしいことだけど、何故か怪訝に思ってしまう。
 あの歳まで正室を迎えなかった人がどうして?

「実は今日、この屋敷に来ることになっている」
「……ちょっと待て。話が見えない」

 唐突にそんなことを言われたら対応できない。
 出迎える準備すらできていない。

「えっと、秀吉は秀長さんが迎える正室を紹介されるのが嫌なのか?」
「そうではない。なんといえばいいのか……弟の嫁に、その、なんだ」
「ああ、弟の嫁に会うのに、どういう風に迎えればいいのか分からないのか」
「そうだ……」

 本当に秀吉は天下人なのかなと思いつつ「意気地なしか」と呟く僕。

「あの秀長が連れてくるのだぞ? きっと変な女に決まっている」
「秀吉は秀長さんをどんな風に思っているんだ? そんなわけないだろう」
「豊臣家で随一の常識人だぞ? それにわしらのような変人が好きでなかったら、ここまでついて来ないだろう?」
「わしらって、僕を同じくくりに入れるなよ……」

 僕は面倒になったので「分かったよ。一緒に居てあげるよ」と言う。

「その代わり、よっぽど変な人でなければ、受け入れてあげなよ?」
「ううむ。それは分かっているが……」

 そのとき、ちょうど秀長さんが来たことを侍女が知らせに来た。
 秀長さんはいつになく幸せそうな顔をして僕の部屋にやってきた。

「やあやあ兄者! 雲之介くん! 人生とは楽しいものだな!」
「き、貴様! 秀長ではないな! 偽物だろう!」

 秀吉が思わず刀に手をかけようとするのを「やめるんだ!」と制した。

「わ、わしの弟は、いつも苦労ばかりしていて、つらそうな顔をしているのだ! 貴様は変装した忍びだろう!」
「……秀長さん。僕は秀吉のことを殴る権利があなたにあると思う」
「あっはっはっは。それは言われずとも思っているよ! しかし、私の人生はばら色だ!」

 壊れているのか狂っているのか分からない豊臣兄弟のどっちに苦言を呈せばいいのか分からないが、とりあえず秀長さんに「奥方を紹介してくださいよ」と言う。

「奥方だなんて、恥ずかしいこと言わないでくれよ!」
「いい加減にしないと、この弱った身でも殴りますよ」
「あっはっはっは。分かったよ。連れてくる」

 秀長さんはご機嫌そうに言いながら、その場を出て行った。

「なあ雲之介。よっぽどな女を連れてきたら、どうする?」
「そんなこと知らないよ。兄弟で話し合えばいいだろう?」

 いやまさか秀長さんに限って、よっぽどな女を正室に迎え入れようとは思わないだろう。

「待たせた。では入りなさい」
「はい……」

 鈴を転がせた声。
 入ってきたのはおとなしそうで優しげで美しい女性だった。

「ひ、秀長、お前、正気なのか……?」

 秀吉が腰を抜かしている。
 僕も心臓の鼓動が高鳴っている。

「正気? よく分からないけど、紹介するよ」

 秀長さんはその女性の名を言った。

「彼女は興俊尼(きょうしゅんに)という。大和国の法華寺の尼僧だ」

 そう。明らかに彼女は――尼僧の姿をしていて、つまり秀長さんは、尼僧を正室に迎えようとしているだった。

 おいおい、秀吉。
 秀長さん、働きすぎて、頭おかしくなったぞ?
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