上 下
247 / 256

ようやく気づいた優しさの真価

しおりを挟む
 体調が少しだけ回復したので、大坂城に向かう。
 はるは最後まで心配していたけど、行かなければならなかった。
 死にゆく身でも――いや、だからこそ、秀吉の役に立ちたかった。

 揺れる輿に少々気持ち悪くなったけど、休み休み向かうことで、期日には間に合った。
 傍には弥助もついてくれた。僕の面倒や護衛をしてくれる。側近だから当たり前だけど、それでも感謝している。

 大坂城に着くと、出迎えてくれたのは加藤清正と福島正則だった。二人は感情を押し殺した顔で僕に頭を下げた。

「久しぶりだね。本当に立派になった」
「雨竜さん……」

 清正が泣きそうな声だったから「泣くな。これから羽柴家を支える武将になるんだろう」と叱った。

「でも、あんたの顔、真っ青だぜ。今にも……」
「まあ今にも死にそうだね」

 正則の指摘に僕は笑って返した。

「咳も酷いし息を吸うにも吐くにもつらい」
「だったら、どうして笑っていられるんだよ……」

 清正がとうとう泣き出してしまった。
 正則は堪えている。

「もう僕はつらいからと言って泣いたり憤ったりするのをやめたんだ」
「…………」
「そんなことをしても、僕の病が治るわけないしね」

 そのとき、柔らかい風が吹いた。
 僕たちを包み込むような、優しいものだった。

「さあ。秀吉の元へ案内しておくれ」



 秀吉は謁見の間に居るらしい。
 弥助を廊下に控えさせて、僕は襖を開けた。
 そこには秀吉だけではなく、毛利家の者が居た。
 一番前には一人の若者と二人の中年。おそらく彼らが……

「……雲之介。遅かったな」

 僕のほうをちょっと見て、それから秀吉は三人を手で指し示しながら紹介した。

「毛利輝元殿と吉川元春殿、そして小早川隆景殿だ」

 毛利輝元……確かあの毛利元就の嫡孫だと聞く。口髭を蓄えているが、他の二人と異なって、どこかおどおどしている。敵地に居るのだから仕方ないのだけど。
 吉川元春は強面の男で目を瞑っている。顔中に刻まれた皺や傷は歴戦の将の貫禄を出すことだけを手伝っている。
 小早川隆景は意外にもがっちりとした体格だった。兄弟なのだから当たり前だが、吉川殿と似ている。少々知的な雰囲気はある。そういえば、半兵衛さんと官兵衛が問答したとき、その名が出ていた気がする。

「雨竜雲之介秀昭といいます。お初にお目にかかります」

 咳をしながら頭を下げると「身体の具合が悪そうですが」と牽制するように小早川殿は言う。

「若くして隠居した理由は病ですか?」
「その問いは疑問ではなく確認のようですね」

 僕は胡坐で座った。

「失礼。もう正座では座れないので」
「…………」
「それで、毛利家の当主とその重鎮たちが来た理由は? 外交僧の安国寺恵瓊殿が羽柴家と交渉をしていると思ったが」

 秀吉に訊ねると「毛利家は従属を願い出た」と答えた。

「なるほど。それは喜ばしい」
「問題はその条件なのだが、どうしても毛利家が納得しないのだ」

 溜息を吐く秀吉に「その条件とは?」と咳をしつつ訊いた。

「周防国と長門国以外の領土の割譲。加えて吉川家の当主、吉川元春殿の隠居だ」

 それは大きく出たな……
 毛利家の本拠地である安芸国も接収するなんて。

「俺の隠居はともかく、領土の大幅な割譲は認められない」

 吉川殿が恐ろしく低い声で恫喝するような響きで言う。

「毛利家がどれだけの血を流して、ここまで領土を広げたのか……」
「ならば戦しかない。それはお分かりでしょう、兄上」

 小早川殿が吉川殿をなだめた。

「…………」
「何度も言いますが、あのとき和議を破って羽柴家を攻めたのは間違いでした」

 慎重な軍師……なるほど、官兵衛が評していたとおりだ。
 もしも、小早川殿も協力して追撃したら、僕は持ち堪えられなかっただろう。秀吉だって危うかった。
 賢いが決断できずに損するような人だろう。

「もし飲めなければ、朝敵として征伐するしかない。長宗我部家と同じくな」

 秀吉は最後通牒を告げた。
 明らかに輝元殿は動揺している。

「お、叔父上たち。ここは従うしか……」

 吉川殿は情けないと言わんばかりに首を振った。

「要求を受け入れれば、毛利家がどうなるのか、分かるだろう!」
「し、しかし――」
「兄上! 元凶となったあなたが言えることですか!」

 毛利元就の教え、三本の矢は仲が悪かった兄弟を諌めるためだと言うが……

「ごほごほ。秀吉。こちらとしては譲歩できないよね」

 僕は秀吉に確認をすると「ああ、そうだ」と頷かれた。

「吉川殿と話し合いたい」

 思わぬ言葉に吉川殿は目を剥いた。

「話し合う、だと?」

 吉川殿の呟き。
 秀吉の悲しげな表情。
 それらを一心に受けて、僕は言う。

「別室を使わせてもらう。吉川殿、いいでしょうか?」



 別室で敵愾心を露わにする吉川殿と僕は向かい合った。

「何を言っても、無駄だぞ。説得など通じん」
「まあ説得は無理でしょうね」

 僕は「下間頼廉という男を知っていますか?」と訊ねる。

「いや。知らん」
「では山中幸盛殿は知っているでしょう? あなた方に散々煮え湯を飲ませた男です」

 吉川殿は「俺の追撃で命を落としたことは知っている」と答えた。
 おそらく僕の意図が分からないのだろう。

「下間頼廉も、あなたの追撃で死にました。僕の大事な家臣です。山中殿も僕の友人でした」
「それがどうした? 今は戦国乱世、よくあることだ」
「そのよくあることを無くそうと、秀吉は頑張っています」

 僕の返しに吉川殿は「綺麗事だ」と吐き捨てた。

「ええ。綺麗事です。もしも太平の世が訪れても、人は人を殺すでしょう。物を盗んだり、暴力を振るったりするでしょう。女子供に悲しいことをする者も居る」
「…………」
「でも、戦国乱世よりは数を減らすことができる」

 表情を変えずに僕だけを見つめている吉川殿。

「吉川殿は、戦が好きですか?」
「……必要だから戦っているだけだ」
「なるほど。僕ははっきり言って、戦は嫌いです」

 人の心を動かすには、自分の気持ちを伝えなければいけない。
 正直に、真っ直ぐに、優しさをもって。
 ――なんだ。僕の優しさは役立つんじゃないか。
 今更だけど、そう思えるようになった。

「人なんて殺さずに居られれば、それで良いんです」
「だから、それを綺麗事だと言っている!」

 思いっきり畳を殴りつける吉川殿。

「人は殺し殺される! 大昔から変わっていない!」
「そうですね。それこそが真実です。だから、僕たちは変わるべきなんです」
「なんだと……?」
「殺し殺されることが不変? そんなものはまやかしです。人は変われるんです」

 僕は吉川殿に告げる。

「僕は――頼廉と山中殿の死を無駄にしない。彼らの死によって、僕は生きている。残り少ないけど、それでも生きている」

 今この場に居ることは、彼らのおかげだ。

「僕はあなたを説得するのではなく、納得してもらうためにここに居る」
「……何を馬鹿なことを言っている?」
「一つ例え話をしましょう。あなたの前には二人の男が居る。一人は満たされた世界に居るが、醜く太っている。もう一人は悪徳に塗れた世界だが、高潔で逞しい。あなたならどちらを選ぶ?」

 吉川殿は無言のまま、僕を睨んでいた。額から汗が滲んでいる。

「あなたは後者の男を選びますね?」

 答えなかったので、指摘した。

「……悪徳に塗れた世界で、高潔に居られるか!」

 吉川殿は吼えるように怒鳴った。
 僕はすかさず返した。

「だが、あなたはその者たちを――頼廉と山中殿を殺した!」

 吉川殿は――顔を歪ませた。

「まだ分かりませんか!? あなたがこれからしようとしていることは、高潔で逞しい者たちを多く殺すことなのです! 主君のため、故郷のため、家族のために戦う者を多く無駄死にさせるような戦に巻き込もうとしている! いや、してきた! それを終わらせるために、秀吉は戦では無く、交渉によって終わらそうと考えている!」

 吉川殿は何も言わず、ただ僕の顔を見つめていた。

「お願いします。どうか、秀吉に従ってください」
「……羽柴家が栄えるためではないのか?」
「否定しません。しかし羽柴家だけが栄えるのではなく、羽柴家を中心に、日の本を盛り立てようとしています」

 それから僕たちは何も言わずに、互いの顔を見合わせた。
 そして――疲れたように大きく溜息を吐いたのは、吉川殿だった。

「優れた内政官と聞いていたが、恵瓊以上の外交上手だな」
「……僕はただ、あなたの心に訴えただけです。答えを出したのは、吉川殿自身ですよ」

 吉川殿は表情を崩した。
 どうやら笑ったらしい。

「俺も焼きが回ったな。雨竜殿を信じてみようと思ってしまった」
「……吉川殿!」
「俺は、あんたの言うことに従うよ」

 そうして――僕に向かって平伏した。

「すまなかった。あんたの家臣と友人を殺してしまって」

 こうして、毛利家の従属が決まった。
 毛利家家中からは不満が出ると思うが、それは彼らの問題である。
 彼らのことは彼らに任せよう。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

鋼鉄の咆哮は北限の焦土に響く -旭川の戦い1947―

中七七三
歴史・時代
1947年11月ーー 北海道に配備された4式中戦車の高初速75ミリ砲が咆哮した。 500馬力に迫る空冷ジーゼルエンジンが唸りを上げ、30トンを超える鋼の怪物を疾駆させていた。 目指すは、ソビエトに支配された旭川ーー そして、撃破され、戦車豪にはまった敵戦車のT-34の鹵獲。 断末魔の大日本帝国は本土決戦、決号作戦を発動した。 広島に向かったB-29「エノラゲイ」は広島上空で撃墜された。 日本軍が電波諜報解析により、不振な動きをするB-29情報を掴んでいたこと。 そして、原爆開発情報が幸運にも結びつき、全力迎撃を行った結果だった。 アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンは、日本本土への原爆投下作戦の実施を断念。 大日本帝国、本土進攻作戦を決断する。 同時に、日ソ中立条約を破ったソビエトは、強大な軍を北の大地に突き立てた。 北海道侵攻作戦ーー ソビエト軍の北海道侵攻は留萌、旭川、帯広を結ぶラインまで進んでいた。 そして、札幌侵攻を目指すソビエト軍に対し、旭川奪還の作戦を発動する大日本帝国陸軍。 北海道の住民は函館への避難し、本土に向かっていたが、その進捗は良くはなかった。 本土と北海道を結ぶ津軽海峡はすでに米軍の機雷封鎖により航行が困難な海域となっていた。 いやーー 今の大日本帝国に航行が困難でない海域など存在しなかった。 多くの艦艇を失った大日本帝国海軍はそれでも、避難民救出のための艦艇を北海道に派遣する。 ソビエトに支配された旭川への反撃による、札幌防衛ーー それは時間かせひにすぎないものであったかもしれない。 しかし、焦土の戦場で兵士たちはその意味を問うこともなく戦う。 「この歴史が幻想であったとしても、この世界で俺たちは戦い、死ぬんだよ―ー」 ありえたかもしれない太平洋戦争「本土決戦」を扱った作品です。 雪風工廠(プラモ練習中)様 「旭川の戦い1947」よりインスピレーションを得まして書いた作品です。 https://twitter.com/Yukikaze_1939_/status/989083719716757504

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

信長最後の五日間

石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。 その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。 信長の最後の五日間が今始まる。

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

処理中です...