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「労咳――ですな。もはや完治は無理でしょう」
京、施薬院の一室。
目の前の年老いた医者――曲直瀬道三は悲しげに僕に告げた。
「……父さまが、労咳? 嘘、ですよね? 道三さん!」
秀晴は信じられないという顔で、道三さんに詰め寄った。
しかし道三さんは「嘘など言いません」と首を横に振る。
「紛れも無く、労咳の症状です。しかもかなり進行している。永くて五年と言ったところでしょう」
五年――僕に残された時間は、たった五年。
秀晴はがっくりと肩を落として、それから道三さんに食ってかかった。
「道三さん! なんとかしてください! あなたは名医でしょう!?」
「……大恩あるお方に、あまり告げたくはなかった。しかし、真実を告げなければならなかった」
「そんなことを訊いているんじゃない! 治してくださいよ!」
秀晴が今にも道三さんに掴みかかろうとしたので「秀晴。もういい」と制した。
「しかし、父さま!」
「五年。それ以上延ばすことはできますか?」
自分の死を宣告されて、取り乱さない僕はおかしいのだと思う。
でもどこか冷静に受け入れている自分は正常だとも感じている。
それは自分の身体だから分かっていた――ではない。
いつか来ると分かっていたから、受け入れられた。
「いえ。無理でしょう」
「かなり苦しみますか?」
「ええ。末期に近づけば近づくほど、苦しみます」
「……まあそうだろうな」
傍目からは無感情に思えるようなやりとりに秀晴は何も言えなくなった。
「道三さん。五年間、僕の身体を診てくれますか?」
「……本来ならそうしたいが、この老体には難しい。だから一人前となった玄朔に任せたい。何、あやつなら苦しみを和らげることはできます」
僕は微笑みながら「しばらく、秀晴と二人きりにしてもらえませんか」と道三さんに頼んだ。
黙って出て行く道三さんを見送って、僕は強張った顔の秀晴に告げる。
「聞いていたな。僕は五年後に死ぬ」
そう言った瞬間、秀晴は大切な物を壊されたような、悲しげな顔をした。
「雨竜家のことは、お前に任せる」
「…………」
「家督も渡して隠居しないとな。ああ、秀吉にも言わないと」
「……どうして、父さまは、冷静なんですか?」
秀晴の目から一筋の涙が流れた。
僕が、自分の父親が、死ぬのが悲しいようだった。
「冷静、か。いや、十分取り乱しているよ」
「そんな風には見えないですが」
「医者に死ぬと言われても、あまり現実感がない。でも死を受け入れている」
「…………」
「そういう心境だよ」
背筋を伸ばしながら「もう少し、秀晴にはいろいろ経験させてから家督を譲るつもりだった」と言う。
「まだ丹波一国は重過ぎるからね」
「……俺は若輩者ですから」
「いや、僕が同じ歳に大名になれと言われたら断っていたよ。その点は申し訳ないと思う」
僕は「秀晴。先に丹波国に帰ってくれ」と言った。
「大坂城で秀吉に隠居すると言ってくる。ついでに正勝の兄さんにも会っておこうかな」
「……はるさんや雹には、俺から告げましょうか?」
首を横に振って「僕から言う」と断った。
「家臣たちにも直接伝える。そのときに雨竜家の家督をお前に継がせる。だからそれまでの間は自由に過ごしなさい」
これは僕なりの気遣いだった。大名になればやりたくないこともやらねばならないから。
秀晴は涙を拭って「かすみには手紙で知らせますよ」と断りを入れた。
「最後に、一つだけ聞かせてください」
「なんだい?」
「父さまは――無念じゃないですか?」
秀晴は僕の本音を聞きたいようだった。
「もう少しで天下を統一して、太平の世となるのに、その夢の途中で死ぬのは――」
「五年もあれば、秀吉は天下統一できるよ」
「しかし、太平の世を楽しめずに、死ぬなんて、後悔しませんか?」
秀晴は勘違いしているようだった。だから訂正する。
「確かに僕は太平の世のために、戦ったり働いたり、主君をお助けしたりした。でも、それを僕の子孫が楽しめるのなら、それでいいと思っている」
秀晴は今度こそ何も言えなくなった。
僕は五年後に死ぬ人間とは思えないような明るい表情で笑った。
「夢半ばで死ぬ? そんなことに無念や後悔があるはずがない。だってその夢は、秀吉やお前が現実にしてくれるんだ。それが僕が死んでも、続いてくれる。こんな嬉しいことはないよ」
大坂城の大広間。
安土城よりも大きく、黄金色に輝く外観は、まさに天下無双の城であることは間違いない。
そんな城の内部で、にこにこと笑っている秀吉と向かい合う。
傍には家老である正勝も居る。ちょうど用事が僕の来訪と重なったらしい。
「雲之介! こたびの働き、見事である!」
「ありがたき幸せ」
「それで、何の用だ? 褒美を催促しに来たのか?」
冗談というかからかう口調の秀吉。
「それは兄弟らしくないな。大名になって欲が出てきたのか?」
珍しく正勝も冗談を言ってきた。
僕は軽く笑って「そんなんじゃないよ」と答えた。
「二人に少し話しておかないといけないことがあって。小姓を下がらせてくれ」
二人は顔を見合わせた。秀吉は「皆の者、下がれ」と命じた。
広い空間に三人だけになった。
僕はふうっと深呼吸した。
「雲之介。何か重要な話か?」
「まさか毛利家や長宗我部家の情報でも掴んだのか?」
長い付き合いだから僕が真剣で深刻な話をするのだと勘付いたようだ。
「ああ。秀吉――いや、殿」
秀吉は目を丸くした。殿なんて呼んだことなかったから。
「雨竜雲之介秀昭。隠居いたします」
秀吉は口をあんぐりと開けた。
正勝は目を見開いた。
「お前、兄弟、何言って――」
「つきましては、家督を我が息子、雨竜秀晴に渡すことを許可していただきたい」
正勝の言葉を無視して一気に、一息で言った。
「く、雲之介……? 何か、不満でもあるのか……?」
秀吉は立ち上がって、僕の元へと近づく。
「ああ、丹波一国だけでは不満か。そうか、では丹後国をやろう。それが不足ならば山城国もやろうぞ。それならば十分だろう――」
「領地の不満で隠居するわけではありません」
秀吉は「敬語をやめろ!」と怒鳴った。
かなり取り乱している。
「わしに何か不満でもあるのか!」
「そんなことはない。最高の主君だよ、秀吉は」
「じゃあ何故――」
僕はあっさりと告げた。
「もうすぐ、僕は死ぬんだ」
その言葉を秀吉と正勝は一瞬だけ理解できず――次の刹那、冗談ではなく事実だと悟った。
「医者に五年後に死ぬって言われたよ。それが限界だって」
正勝は震えた声で「ど、どんな病だ?」と訊ねた。
「労咳。半兵衛さんと同じだね」
秀吉はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「別に今死ぬわけじゃないよ。五年間は裏方として、秀吉を支える。でも――」
僕は自分が本当に笑えているか、心配だった。
「もう表舞台には立てない」
正勝は「馬鹿野郎が」とそっぽを向いて毒づいた。
「つらいなら笑うなよ。もっと悲しそうな顔をしろ」
「あはは。まだ受け入れてないのかもしれないね」
「……殿を見ろよ」
言われるまま僕は秀吉を見た。
溢れ出す涙。拭うこともせず、僕のことを見つめていた。
そして――泣きながら怒り出した。
「馬鹿者! これからおぬしの力が必要だと言うのに、死んでどうする!」
「だからまだ死なないって。そうだな、後五年で天下統一してくれ」
僕が軽く言うと「そんな簡単に言うな!」と怒鳴る秀吉。
「できるわけが――」
「できる。羽柴秀吉という男なら、必ずできる」
僕は秀吉に近づいて、その手を取った。
「頼む……じゃないな、託したよ、秀吉」
涙を流したまま、秀吉は僕の手を握る。
「……ああ、必ず天下統一をしてみせる」
こういうとき秀吉は嘘を吐かない。
長年の付き合いでよく分かっていた。
京、施薬院の一室。
目の前の年老いた医者――曲直瀬道三は悲しげに僕に告げた。
「……父さまが、労咳? 嘘、ですよね? 道三さん!」
秀晴は信じられないという顔で、道三さんに詰め寄った。
しかし道三さんは「嘘など言いません」と首を横に振る。
「紛れも無く、労咳の症状です。しかもかなり進行している。永くて五年と言ったところでしょう」
五年――僕に残された時間は、たった五年。
秀晴はがっくりと肩を落として、それから道三さんに食ってかかった。
「道三さん! なんとかしてください! あなたは名医でしょう!?」
「……大恩あるお方に、あまり告げたくはなかった。しかし、真実を告げなければならなかった」
「そんなことを訊いているんじゃない! 治してくださいよ!」
秀晴が今にも道三さんに掴みかかろうとしたので「秀晴。もういい」と制した。
「しかし、父さま!」
「五年。それ以上延ばすことはできますか?」
自分の死を宣告されて、取り乱さない僕はおかしいのだと思う。
でもどこか冷静に受け入れている自分は正常だとも感じている。
それは自分の身体だから分かっていた――ではない。
いつか来ると分かっていたから、受け入れられた。
「いえ。無理でしょう」
「かなり苦しみますか?」
「ええ。末期に近づけば近づくほど、苦しみます」
「……まあそうだろうな」
傍目からは無感情に思えるようなやりとりに秀晴は何も言えなくなった。
「道三さん。五年間、僕の身体を診てくれますか?」
「……本来ならそうしたいが、この老体には難しい。だから一人前となった玄朔に任せたい。何、あやつなら苦しみを和らげることはできます」
僕は微笑みながら「しばらく、秀晴と二人きりにしてもらえませんか」と道三さんに頼んだ。
黙って出て行く道三さんを見送って、僕は強張った顔の秀晴に告げる。
「聞いていたな。僕は五年後に死ぬ」
そう言った瞬間、秀晴は大切な物を壊されたような、悲しげな顔をした。
「雨竜家のことは、お前に任せる」
「…………」
「家督も渡して隠居しないとな。ああ、秀吉にも言わないと」
「……どうして、父さまは、冷静なんですか?」
秀晴の目から一筋の涙が流れた。
僕が、自分の父親が、死ぬのが悲しいようだった。
「冷静、か。いや、十分取り乱しているよ」
「そんな風には見えないですが」
「医者に死ぬと言われても、あまり現実感がない。でも死を受け入れている」
「…………」
「そういう心境だよ」
背筋を伸ばしながら「もう少し、秀晴にはいろいろ経験させてから家督を譲るつもりだった」と言う。
「まだ丹波一国は重過ぎるからね」
「……俺は若輩者ですから」
「いや、僕が同じ歳に大名になれと言われたら断っていたよ。その点は申し訳ないと思う」
僕は「秀晴。先に丹波国に帰ってくれ」と言った。
「大坂城で秀吉に隠居すると言ってくる。ついでに正勝の兄さんにも会っておこうかな」
「……はるさんや雹には、俺から告げましょうか?」
首を横に振って「僕から言う」と断った。
「家臣たちにも直接伝える。そのときに雨竜家の家督をお前に継がせる。だからそれまでの間は自由に過ごしなさい」
これは僕なりの気遣いだった。大名になればやりたくないこともやらねばならないから。
秀晴は涙を拭って「かすみには手紙で知らせますよ」と断りを入れた。
「最後に、一つだけ聞かせてください」
「なんだい?」
「父さまは――無念じゃないですか?」
秀晴は僕の本音を聞きたいようだった。
「もう少しで天下を統一して、太平の世となるのに、その夢の途中で死ぬのは――」
「五年もあれば、秀吉は天下統一できるよ」
「しかし、太平の世を楽しめずに、死ぬなんて、後悔しませんか?」
秀晴は勘違いしているようだった。だから訂正する。
「確かに僕は太平の世のために、戦ったり働いたり、主君をお助けしたりした。でも、それを僕の子孫が楽しめるのなら、それでいいと思っている」
秀晴は今度こそ何も言えなくなった。
僕は五年後に死ぬ人間とは思えないような明るい表情で笑った。
「夢半ばで死ぬ? そんなことに無念や後悔があるはずがない。だってその夢は、秀吉やお前が現実にしてくれるんだ。それが僕が死んでも、続いてくれる。こんな嬉しいことはないよ」
大坂城の大広間。
安土城よりも大きく、黄金色に輝く外観は、まさに天下無双の城であることは間違いない。
そんな城の内部で、にこにこと笑っている秀吉と向かい合う。
傍には家老である正勝も居る。ちょうど用事が僕の来訪と重なったらしい。
「雲之介! こたびの働き、見事である!」
「ありがたき幸せ」
「それで、何の用だ? 褒美を催促しに来たのか?」
冗談というかからかう口調の秀吉。
「それは兄弟らしくないな。大名になって欲が出てきたのか?」
珍しく正勝も冗談を言ってきた。
僕は軽く笑って「そんなんじゃないよ」と答えた。
「二人に少し話しておかないといけないことがあって。小姓を下がらせてくれ」
二人は顔を見合わせた。秀吉は「皆の者、下がれ」と命じた。
広い空間に三人だけになった。
僕はふうっと深呼吸した。
「雲之介。何か重要な話か?」
「まさか毛利家や長宗我部家の情報でも掴んだのか?」
長い付き合いだから僕が真剣で深刻な話をするのだと勘付いたようだ。
「ああ。秀吉――いや、殿」
秀吉は目を丸くした。殿なんて呼んだことなかったから。
「雨竜雲之介秀昭。隠居いたします」
秀吉は口をあんぐりと開けた。
正勝は目を見開いた。
「お前、兄弟、何言って――」
「つきましては、家督を我が息子、雨竜秀晴に渡すことを許可していただきたい」
正勝の言葉を無視して一気に、一息で言った。
「く、雲之介……? 何か、不満でもあるのか……?」
秀吉は立ち上がって、僕の元へと近づく。
「ああ、丹波一国だけでは不満か。そうか、では丹後国をやろう。それが不足ならば山城国もやろうぞ。それならば十分だろう――」
「領地の不満で隠居するわけではありません」
秀吉は「敬語をやめろ!」と怒鳴った。
かなり取り乱している。
「わしに何か不満でもあるのか!」
「そんなことはない。最高の主君だよ、秀吉は」
「じゃあ何故――」
僕はあっさりと告げた。
「もうすぐ、僕は死ぬんだ」
その言葉を秀吉と正勝は一瞬だけ理解できず――次の刹那、冗談ではなく事実だと悟った。
「医者に五年後に死ぬって言われたよ。それが限界だって」
正勝は震えた声で「ど、どんな病だ?」と訊ねた。
「労咳。半兵衛さんと同じだね」
秀吉はへなへなとその場に崩れ落ちた。
「別に今死ぬわけじゃないよ。五年間は裏方として、秀吉を支える。でも――」
僕は自分が本当に笑えているか、心配だった。
「もう表舞台には立てない」
正勝は「馬鹿野郎が」とそっぽを向いて毒づいた。
「つらいなら笑うなよ。もっと悲しそうな顔をしろ」
「あはは。まだ受け入れてないのかもしれないね」
「……殿を見ろよ」
言われるまま僕は秀吉を見た。
溢れ出す涙。拭うこともせず、僕のことを見つめていた。
そして――泣きながら怒り出した。
「馬鹿者! これからおぬしの力が必要だと言うのに、死んでどうする!」
「だからまだ死なないって。そうだな、後五年で天下統一してくれ」
僕が軽く言うと「そんな簡単に言うな!」と怒鳴る秀吉。
「できるわけが――」
「できる。羽柴秀吉という男なら、必ずできる」
僕は秀吉に近づいて、その手を取った。
「頼む……じゃないな、託したよ、秀吉」
涙を流したまま、秀吉は僕の手を握る。
「……ああ、必ず天下統一をしてみせる」
こういうとき秀吉は嘘を吐かない。
長年の付き合いでよく分かっていた。
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毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
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