上 下
239 / 256

達人同士の戦い

しおりを挟む
 僕は雪隆くんに本多忠勝との一騎打ちの許可を出した。
 徳川四天王と称される本多忠勝と不世出の達人である真柄雪隆の勝負――これは一見するとかなり魅力的に思える戦いだが、はっきり言って勝負は着いていた。

 もはや徳川家には戦意は無く、ひたすら城へ逃げるしかない。そんな中、数千の軍勢で数万の敵を食い止めるなどできるわけがない。ましてや大将が先頭に立つなんて、昔の大陸の武将ではないのだから。
 そして雪隆くんが危ういとき――負けそうになれば僕は躊躇無く家来に命じて弓矢や鉄砲で狙い撃ちする。いくら武の才があろうとも、避けようもない攻撃には対処できないだろう。つまり、一騎打ちの勝負に限れば本多忠勝には敗北しかないのだ。

 だけど、相手は百戦錬磨の本多忠勝。
 主君を逃がすという一点に置いては――負けを認めない男だ。
 それだけは決して諦めないだろう。

「お前とこうして向かい合うのは、三方ヶ原のとき以来だな」

 たった一人で自分に挑む雪隆くんを、まるで眩しいものでも見るように、本多忠勝は目を細めた。
 雪隆くんはそれに対して「あのときは俺は負けた」と言って野太刀を抜く。そして――鞘を捨てた。
 二人とも馬に乗って睨み合っている。

「だが俺は負けない。今度こそ勝つ」
「ふん。以前とは目が違うな」

 本多忠勝は感心しているらしい。目の前に居る武将――雪隆くんを高く評価している。

「俺は復讐のために、あんたに挑んだ。でも今は違う。雨竜家家老として、この戦に勝つために戦う。俺の背には我が主君だけじゃなくて、雨竜家全部が預けられている」
「覚悟あり、というわけだな」

 雪隆くんは黙って頷いた。

「それを言うのなら、俺も徳川家を背負っている。その重さは決してひけを取らない」

 そこで本多忠勝はにこりと笑った。
 不敵に笑ったわけではなく、まるで愛おしいものを見るような笑みだった。

「長く生きているが、心躍るような戦いは二度目だ」
「初めてはいつだ?」
「お前の父親と戦ったときだよ」

 本多忠勝は蜻蛉切を構え直した。
 雪隆くんは応じて野太刀を握り直す。

「さあて。始めるとするか」
「ああ、そうだな」

 二人は同時に切り替えた。
 戦闘のみ考える思考に――
 周りの兵は二人が放つ気迫に押されかけていた。

「徳川家家老、本多平八郎忠勝。いざ参る」
「雨竜家家老、真柄雪之丞雪隆。推して参る」

 ほぼ同時に馬を走らせた――双方の得物の間合いはやや雪隆くんが劣るが、その分小回りが利く。最初に仕掛けたのは雪隆くんだった。すれ違った瞬間、喉笛を狙って野太刀を突き出す。しかし本多忠勝は首を横に逸らすことで皮一枚切るだけで済んだ。その際、本多忠勝の鹿の角飾りが特徴的な兜を刀が貫き、持ち主から奪ってしまった。
 後手に回ってしまった本多忠勝だったが首を捻りながらも繰り出した槍は雪隆くんの左脇腹に当たり――鈍い音を立てた。おそらくあばらが折れた音だ。
 それが高速ですれ違った際に起こった出来事だった。本来なら目で追えない速度だったが、何故か一部始終がゆっくりと流れた。第三者の目線だからか、それとも達人同士の気迫がそうさせているのか、判然としない。

「ほう。なかなかやるではないか。俺に傷を負わせたのはお前が初めてだ」

 兜のない本多忠勝は首に手を当てて、傷が浅いことを確認する。
 一方、あばらがやられているはずの雪隆くんは、野太刀から兜を取りつつ「今度は首を取る」と余裕を見せた。
 おそらく興奮状態だから痛みはないはずだけど、深手であることは相違ない。馬首を操りながらもどことなく様子がおかしい。

「さて。次で決めるか」

 本多忠勝は槍を振り回しながら言う。

「……望むところだ」

 雪隆くんも応じるように刀を構えた。
 再び馬を向かい合わせて――二人は突撃した。
 今度は本多忠勝が仕掛けた。突くと見せかけた動き――牽制を入れつつ横薙ぎで雪隆くんの首の骨を折らんとする。
 雪隆くんは読んでいた――いや、初めから攻撃を受けて反撃しようと考えていたのだろう。横薙ぎを刀で受け流して――ふらついたが持ち直した――交差ぎみに本多忠勝の頭を突いた。
 これもまた紙一重で避ける本多忠勝。今回は傷を負っていない。

 馬が駆け抜け終わると、またもや向かい合う。
 周りの兵たちはどよめいた。敵味方関係なく、武の達人同士が繰り出す技に圧倒されていた。

「以前よりも腕が上がっているな。危うく貫かれるところだった」

 手放しに本多忠勝が褒めると雪隆くんは「当たり前だ」と短く答えた。

「あんたに負けてから、毎日、鍛え続けた」
「なるほどな。では今度こそ決めようか」

 本多忠勝はようやく身体が温まったと言わんばかりに言う。

「行くぞ、真柄雪隆!」
「来い、本多忠勝!」

 三度目となる突撃。互いに限界と己の技量を超えた一撃を繰り出そうとする。
 ほぼ同時に攻撃を仕掛けた――牽制や受け流しといった小細工なしの真っ向勝負。
 まさに乾坤一撃! 

「――むう」

 本多忠勝が眉をひそめた――理由は額から血が流れて目に入ったからだ。
 先ほどの雪隆くんの攻撃で切れていたのだろう。それが風を切るほどの速度で動いたものだから、傷口が開いて血が吹き出たのだ。
 それが致命的だった。あるいは致命傷だった。

「だらああああ!」

 雪隆くんが叫びながら、本多忠勝が咄嗟に繰り出した槍の一撃を避け、がら空きになった胴を――斬った。
 本多忠勝は落馬し、そのまま動かなくなる。
 兵たちは歓声を上げた。意味不明の叫び声を上げながら、自分と周りの者と声の大きさを張り合った。中には興奮のあまり失神している者も居た。

「見事! 雪隆くん、見事だ!」

 僕は雪隆くんに近づく。彼は馬から下りて、その場に座り込んでいる。

「大丈夫か? あばらが――」
「ええ、折れています。それより本多忠勝は?」

 雪隆くんが立ち上がろうとするので、僕が肩を貸して支えてあげた。

「野太刀。腰が伸びてしまっていました。おそらく……」
「分かった。雪隆くんには悪いけど、捕虜にする。いいね?」

 雪隆くんは「もう首を取る気力はないですよ」と疲れた笑みを見せた。
 本多忠勝は気絶していた。いくら腰が伸びていたとはいえ、相当な威力のはずなのに。とりあえず動けぬようにして手当を受けさせた。知らない仲ではないし、今後の交渉で有利になるかもしれなかった。

 その後、本多忠勝が率いていた兵たちは潔く降伏した。僕が降伏した者は斬らぬと言ったからだ。行なわれた一騎打ちのおかげでもあるけど。こうして無駄な血を流さずに済んだ。
 徳川家康は戦場からの退却に成功した。三河国ではなく、遠江国の浜松城へと帰還したのだ。つまり篭城を選んだということになる。

 戦が終わって、僕は信吉くんに何度も頭を下げられた。別にあなたのせいではないと繰り返し言ったのだけど。
 それから秀吉と少しだけ話す機会があった。

「おぬしは危険な橋ばかり渡るなあ」

 呆れたような、それでいて面白がっている声だった。
 僕は「秀吉の作戦のせいだろう?」と皮肉を交えて笑った。

「それを言われてしまったら立つ瀬はないが……これより交渉に入る」
「戦に勝ったんだから向こうは要求を飲むかもしれない……そうだね」
「おぬしと三成に任すつもりだ」

 詳しい要求は以下のとおりだった。
 徳川家の従属。
 甲斐国と信濃国の割譲。
 徳川家康は隠居し、世良田二郎三郎が徳川家に復して継ぐこと。
 細々した要求はあるけど、主だったのはこの三つだった。

 さて。徳川家康は要求を飲むか否か。
 これは徳川家の力を削ぐだけではなく、徳川家康が天下を諦めるのかということでもあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

信長最後の五日間

石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。 その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。 信長の最後の五日間が今始まる。

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...