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孫の顔を見るために

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 信孝さまを攻める全ての準備が整った。信雄さまを総大将に祭り上げ、稲葉や森長可くんを寝返らせて、柴田さまが援軍に来れない冬を狙い澄まして、僕たち羽柴家は岐阜城に出陣した。
 僕は丹波国の軍勢五千を率いた。雪隆くんと島、秀晴の二人を従わせて、秀吉の軍五万と合流する。今や大国の主となった秀吉はこれだけの人数を動員できるようになっている。

 北近江国の浅井家は背後の守りを固めてもらっている。長政は織田家の後見人だから直接織田家と戦うのは体面が悪かった。途中、城に立ち寄ったけど、自分の分まで頑張れと激励をもらう。お市さまも武運を祈りますと言ってくれた。
 それから、浅井家に嫁いだかすみにも会おうとしたけど、体調が悪いと言われた。

「体調が悪い? 病気でもしているのですか?」

 お市さまに問うと「違いますよ」と嬉しそうに言った。

「むしろ喜ばしいことです――懐妊しました」

 その言葉に何も言えず――次に僕が思ったのは喜びだった。

「そうか! そうですか! やった! かすみ、よくやった!」

 まるで子どものようにはしゃぐ僕をお市さまは微笑ましいものを見るように笑った。
 僕は長政と何やら話していた秀晴にそのことを伝えると「まさか、かすみが……」と目を細めた。

「いよいよ父さまも祖父になるのですね」
「うん。まあいい歳だからな。秀晴、そろそろお前も婚姻したらどうだ?」
「相手が居れば良いのですが」

 ふむ。今度秀吉に相談しよう。

 嬉しい報告を受けつつ、進軍を再開する雨竜家。美濃国の大垣城で秀吉と合流した。
 秀吉は「信孝さまは馬鹿ではない」ときっぱりと軍議のときに言った。

「戦力差を冷静に測れるお方だ。それに城を枕に死ぬようなお方でもない。降伏してくるだろうよ」

 人を見る目のある秀吉らしい言葉だった。長可くんたち歴戦の武将がこちらに降っている情報は向こうにも入っているから、そのとおりになるんだろう。

「問題は柴田殿だが……上杉と先に盟約を結べた。流石に二家は相手にできぬからな」

 用意周到な秀吉らしい。いや、盟友を作るのは上様のやり方かもしれない。
 軍議が早々に終わって、僕は秀吉と秀長さんの二人と一緒に話していた。正勝や官兵衛、若い将たちは自分の陣に戻っていた。気を使ってくれたのだろう。

「何か相談事か? 丹波国は順調に治まっているようだが」
「あ、いや。そういうことじゃないんだ」

 秀吉は秀長さんに酒を注がれながら怪訝そうにした。

「ではなんだ?」
「僕の息子の秀晴のことなんだけど、あの歳で妻が居ないのは問題だと思ってね」

 秀長さんは「私も独り者だけどね」と笑った。
 しまった。配慮が足らなかったか。

「すみません。そんなつもりでは……」
「私は兄者の面倒を見ていたからね。なかなか機会に恵まれなかった」
「……すまんな、秀長」

 苦笑いをする秀吉。
 秀長さんは「それで、秀晴くんの嫁のことだけど」と話を戻した。

「実は公家から縁談を薦められているんだ」
「公家? どういうことですか?」
「やんごとなきお方はどうも懐が淋しいらしい」

 回りくどい言い方だが、要は雨竜家に援助してもらいたいようだ。
 政略結婚はあまり好ましくないけど……

「おぬしは我が子石松丸の婚姻を勝手に決めたではないか。自分だけ嫌がるのは道理に合わないのではないか?」
「……それを言われると困るな」

 僕は頬を掻きつつ「分かった。秀晴と相談してみる」と応じた。

「縁談は……秀長さんに任せていいですか?」
「ああ、任せてくれ」

 秀長さんが快く頷くのを見て「おぬし、仕事が多いだろう?」と心配そうに声をかけた。

「大丈夫なのか?」
「雲之介くんに頼まれたからな。断るなんてできない」
「……わしの頼みごとは簡単には頷かんではないか」
「兄者の頼みごとはしっかりきっちり聞かんと裏があるからな」
「信頼が雲泥の差だな。雲之介なだけに」

 秀吉がつまらないことを言ってから「しかしどうして今頃になって嫁探しなんだ?」と僕に問う。

「うん? ああ、しまった。今言うけど、かすみが懐妊したんだ」
「なんと! 早く言わないか!」
「おめでとう、雲之介くん」

 僕は「ありがとうございます」と礼を言ってから真剣な顔で言う。

「まさかこの歳で祖父になるとはなあ」
「月日が経つのは早いものだ。洞窟でおぬしに会ったことが昨日のように思い出す」
「私も家臣に誘われたときのことを思い出すよ。あのとき兄者は変な踊りを踊っていた」

 懐かしい話は夜が更けるまで続いた。



 信孝さまが降伏したのは年末だった。岐阜城と三法師さまを秀吉に明け渡した。それとは別に人質も差し出す。やはり時勢の見えないお人ではなかった。
 しかし時勢が見えない人というのは案外近くに居るようで、なんと伊勢国の滝川さまが年明けに兵を挙げた。つまり秀吉に叛いたのだ。
 はっきり言って愚かな行為だった。兵を挙げるなら信孝さまが降伏していない間に挙げるべきだし、それ以後であれば雪解けの春を待って挙げるべきだった。何故、周りに味方が居ない時期に兵を挙げるのか……まったくもって意味不明である。

「織田家重臣と言われた滝川さまも、お歳のせいで耄碌してしまったのか、それとも上様が亡くなって精彩を欠くようになったのか……」

 伊勢国に行く道中、漏らした僕の呟きに、隣に居た雪隆くんが「両方でしょう」と答えた。

「関東管領に命じられたのが、あの方の絶頂期だったのでしょう。もはや後は下るだけ……引導を渡しましょう」
「ああ、そうだね」

 優れたものが次第に衰えていく。
 なんだか悲しくなるな。

 だが、腐っても織田家の重臣で歴戦の将である滝川さまは羽柴家の攻勢に抵抗した。城の守りを固めていて、なかなか落ちなかった。
 そうこうしていると、雪解けの春がやってきた。
 あの織田家随一の猛将、柴田勝家さまが北近江国を攻めてくる――
 衰えた滝川さまと違って、あの方は戦を知り尽くしている。油断ならない相手だ。

 雨竜家は北近江国に向かった。浅井家と合流して柴田家に対抗するためだ。
 無論、羽柴家の軍勢も来ていた。
 軍議の場で官兵衛は砦を多く作ることを提案した。

「うけけけ。羽柴家は砦造りに慣れているんだ。そいつを生かさない手はねえ」

 三木城や鳥取城、備中高松城で多くの砦を築いた経験がここでも生きた。
 砦があることでやすやすと攻められない。つまり進軍を防ぐことができる。
 だが柴田さまもそれを重々承知していた。
 物見の報告だと、柴田さまも砦を次々と築いているようだった。
 いわゆる膠着状態が続く――

「地の利は柴田殿にあるな……」

 秀吉は周辺の地図を見ながら言う。
 諸将も覗き込んでいる。

「無理攻めしたら、負けるのはこっちだぜ? どうするよ、官兵衛」

 正勝が訊ねると官兵衛は「ひっひっひ。手は考えてあるぜ」と不気味な笑みを浮かべた。

「俺の思惑通り、あの方が挙兵してくれれば、勝機がある。うへへへ」
「思惑? あの方? どういうことだ?」

 秀長さんが訊ねると「信孝さまだよ。あひゃひゃ」と官兵衛は言う。

「信孝さま? ……人質を差し出したあの方が動くとは思えんが」

 秀吉の言葉に「今しか好機がないと信孝さまが思えば動く」と真面目に官兵衛は言う。

「あれは野心家の二代目にありがちな性格をしている。自分が動けば柴田さまと挟み撃ちができる。それに気づかない馬鹿じゃねえ」
「ふむ。それで信孝さまが動いたらどうするのだ?」
「……大返しをする」

 大返し……
 官兵衛は地図を指し示しながら説明する。

「まず、殿が二万の兵を率いて大垣城まで行って待機する。すると手薄になった砦や本陣を狙いに柴田家は動く。動いたら殿はこの戦場まで大返しして柴田家の軍勢を討つ」
「なるほど……」

 正勝は「その間、敵の攻撃を防ぐのは誰だ?」と問う。

「まあ策を出したのは俺だからな。当然俺は残る」
「それなら僕も残ろう」

 手を挙げると諸将は一斉に僕を見る。

「僕には経験があるからね」
「おいおい。兄弟が残るなら俺も残るしかねえな」

 正勝がそう言って笑いながら肩を叩いた。

「じゃあ私も残ろう。これで十分だな」

 秀長さんも残ってくれるらしい。
 秀吉は「危うい策だが、大丈夫か?」と皆に訊ねる。
 官兵衛は「虎穴に入らないと虎子は得られねえ」と言う。

「安心してくれ。少なくとも中国の大返しより危険は少ねえ」
「……ならば、信孝さまが動くのを待つか」

 こうして策が決まった。
 三日後に信孝さまが動いたことで、策を実行することになった。
 今度の大返しも成功すれば良いのだけど。
 しかしそうしないと孫の顔が見られない――
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