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引導を渡す
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鳥取城へ出陣する前のことだった。
「悪いけど、もう私はあなたについていけないわ」
深夜のことである。なつめが僕の枕元で暇を告げてきたのだ。
初めは夢かと思ったが、どうやら現実であると分かると「理由を訊いていいかな?」と問う。
なつめは――泣いていたように思える。暗くて判然としなかったけど、長い付き合いだから分かってしまう。
「あなたのせいで、故郷が滅んだ。理由なんてそれだけで十分でしょ」
「……そうか」
僕は布団から起きようとして――首元に忍び刀が添えられているのに気づく。
「このまま掻っ切ってしまっても――私は構わないのよ」
「……やりたければすればいいよ」
はったりでも根拠のない度胸でもなかった。
それだけのことをしてしまったのだと自分でも思っていたからだ。
伊賀が滅んだのは、二週間前だった。そのことを僕は文で知った。
なつめを紹介した百地丹波殿も死んだと聞かされた。
僕は――心苦しかった。
自分が引き起こした戦だから。
復讐のために行なったことだから。
良秀の無念を晴らしたつもりだったけど、結局は己のための私怨だったのだ。
だから、この場でなつめに殺されても良かったのだ。
雨竜家には元服した秀晴が居る。
それに僕がここで死んでも、太平の世が遅れるわけがない。
織田家の天下は揺ぎ無いものになっている。
だから、ここで死んでも、僕は構わない――
「……ふ、ふふふ。殺さないわよ」
なつめはすっと刀を下ろした。
「あなたを殺しても――伊賀は甦らない」
「……そうだろうね」
「でも、あなたの傍には居たくない。今までの恩と故郷の恨みで頭がおかしくなっちゃうから」
なつめは「自分に郷愁の念があるとは思わなかったわ」と軽く笑った。
「逆に恩義とか。そういうのないと思い込んでいた。あなたが伊賀を滅ぼすって聞いて、嫌ってほど思い知らされた。あーあ、自分でもがっかりだわ」
なつめは最後に「弟のこと、引き取っていい?」と僕に訊く。
「好きにすればいい。それと――銭に困ったらここに行きなさい」
布団から出て、前もって用意しておいた書状を、箱から取り出した。
それをなつめに手渡す。
「……なによこれ」
「京の商人の角倉への紹介状だよ。そこで女中でも忍びでも、好きなように生きればいい」
「……いつから用意していたの?」
「さあね。弟さんのことも頼んである」
馬揃えのときに用意しておいた書状をなつめに握らせる。
「僕が言えた義理じゃないけど、幸せになっておくれ。穏やかに何事も無く生きておくれ。もし恨みが忘れられないのなら、僕を殺しに来なさい」
なつめは僕をじっと睨んで――書状を受け取って、何も言わずに去っていった。
ああ、これでもう会うことはないんだな。
少しだけ残念だった――
「秀晴。初陣だけど、今回の戦はあまり活躍できないと思っておいてくれ」
翌日。息子と家臣を連れて鳥取城へ出陣した。
僕は秀晴と馬を並べながら、鳥取城に向かう道中話していた。
秀晴は「どうしてですか?」と少し不満そうだった。
「これでも槍働きはできます」
「いや、今回の戦はそういうんじゃないんだ」
「……どういう意味ですか?」
すると一緒の部隊に居た雪隆くんが「若。今回の戦は兵糧攻めだ」と言い難いことを言う。
「兵糧攻め? ああ、確かにそれならあまり戦働きはしませんね」
「それに先行する正勝や清正たちが大物見を兼ねて村々を焼いているしね」
秀晴は「領民を鳥取城に追い込んで兵糧を減らすんですか?」と的確に言う。
「ああそうだ」
「それならすぐに降伏してきそうですね」
笑う秀晴。そんな甘いものではないことを僕と雪隆くんは知っているが、何も言わなかった。
直に分かることだから。
鳥取城の眼前に着くと、まず包囲のための柵を作り、陸路だけではなく海路も封鎖できるように兵を配置する。総勢二万の大軍勢。対して鳥取城は領民合わせて三千ほど。しかもあらかじめ因幡国の兵糧は僕たちによって買い占められているので、城内にはほとんど残されていない。
初陣の秀晴はやることのない戦に不満そうだったが、二ヶ月もするとこの戦の本質を理解するようになる。
遠目からもどんどんやせ細っていく城兵と領民が分かる。兵糧を節約しているのだろう。恨めしそうにこちらを見つめる視線にはゾッとする。
三ヶ月後。どうやら兵糧が無くなったようだ。
「父さま……あ、あれ……」
秀晴が震える手で指差すのは、飢えた城兵と領民が、死体に群がっている光景だった。
「何を、しているのですか?」
「……お前が想像していることだよ」
秀晴は口元を押さえて、吐き気を堪えていた。
雪隆くんと島はそんな秀晴を哀れむように見ていた。
頼廉は鳥取城に向けて「南無阿弥陀仏」と唱えている。
「父さま! もう耐えられません! どうして敵は降伏しないんですか!」
「……援軍が来れば、この緊迫した状況を打破できるからな」
「そ、それはありえないでしょう! 包囲が完璧だと、分からないはずがない!」
秀晴は「殿のところへ行きましょう!」と僕の肩を掴んだ。
「進言するんです! いっそのこと、力攻めすれば――」
「勝てるだろうね。でもこちらにも損害が出る」
「だったら――」
僕は秀晴の手を掴んだ。
「これは分かっていたことだ。この戦のために一年前から兵糧を買い占めて、領民を追いやって兵糧の消費を増やして、彼らを飢えさせて――殺すんだ」
「汚い! あまりにも汚すぎる!」
逆に秀晴は僕の手を掴んだ。
「そこまでして、勝たないといけないんですか!?」
「ああ、勝たないといけないんだ!」
僕は――きっぱりと秀晴に引導を渡した。
「戦が正々堂々としたものなら、百年間も親兄弟が争う戦なんて起きない! 軍略も必要ないだろう! そもそも城なんて存在しなくてもいい! いいか、味方が死なないことの意義を考えろ! 二万という軍勢をそのまま次の戦に使えることの利点を考えろ! これから僕たちは広大な毛利領を攻略していかなければいけないんだ! それを子どもの我が侭で損害を与えるような戦に切り替えるなんて、できるわけがない!」
秀晴はしばらく僕の顔を見つめていて、それから泣き出してしまった。
「これが、戦なんですか? 俺たちがやっていることは、正しいのですか?」
か細い声で言う秀晴の肩に雪隆くんが手を置いた。
「若。これが戦だ。悲しくて苦しくて、軍記に描かれなくて、英雄がいないのが、現実の戦なんだ」
鳥取城の渇え殺し。そう呼ばれることになる鳥取城攻めは、城主の吉川経家の切腹で終結した。
開放された城兵と領民に兵糧が配られた。しかしせっかく助かった者の半数は飯の食いすぎで死んでしまった。粥にすれば良かったと秀吉はこぼした。
領民たちは僕たちを大層恨んでいた。自分の子と他人の子を交換して生き残ったと恨み言を言う者も居た。
なんとも後味の悪い終わり方だが、この戦以降、秀吉に従う者が増えたのは事実である。
さらに言えば、傘下の宇喜多家を合わせて、秀吉の支配下にある国は五つとなり、織田家家中で最も領土を持つ大名となった。
秀晴は戦の終わりまでずっと見続けていた。
まるで自分の罪を自覚するように。
ずっと見続けていた。
ご飯を食べ続けて死んだ者が現れたときは涙して。
言われた恨み言を黙って受け止めていた。
そんな息子に気にするなとは言えなかった。
それで気が済むのなら、それで良いんだと思う。
全てが終わった後、流石に疲れた様子の秀吉に茶を振舞う。
「悪かったな。嫌な戦だっただろう」
「いや。そんなことないよ」
僕の言葉に秀吉は笑った。
「相変わらず、おぬしは変わらないな」
僕は秀吉が好む赤茶碗を前に出す。
僕はこう答えた。
「いいや。僕は変わったよ」
「悪いけど、もう私はあなたについていけないわ」
深夜のことである。なつめが僕の枕元で暇を告げてきたのだ。
初めは夢かと思ったが、どうやら現実であると分かると「理由を訊いていいかな?」と問う。
なつめは――泣いていたように思える。暗くて判然としなかったけど、長い付き合いだから分かってしまう。
「あなたのせいで、故郷が滅んだ。理由なんてそれだけで十分でしょ」
「……そうか」
僕は布団から起きようとして――首元に忍び刀が添えられているのに気づく。
「このまま掻っ切ってしまっても――私は構わないのよ」
「……やりたければすればいいよ」
はったりでも根拠のない度胸でもなかった。
それだけのことをしてしまったのだと自分でも思っていたからだ。
伊賀が滅んだのは、二週間前だった。そのことを僕は文で知った。
なつめを紹介した百地丹波殿も死んだと聞かされた。
僕は――心苦しかった。
自分が引き起こした戦だから。
復讐のために行なったことだから。
良秀の無念を晴らしたつもりだったけど、結局は己のための私怨だったのだ。
だから、この場でなつめに殺されても良かったのだ。
雨竜家には元服した秀晴が居る。
それに僕がここで死んでも、太平の世が遅れるわけがない。
織田家の天下は揺ぎ無いものになっている。
だから、ここで死んでも、僕は構わない――
「……ふ、ふふふ。殺さないわよ」
なつめはすっと刀を下ろした。
「あなたを殺しても――伊賀は甦らない」
「……そうだろうね」
「でも、あなたの傍には居たくない。今までの恩と故郷の恨みで頭がおかしくなっちゃうから」
なつめは「自分に郷愁の念があるとは思わなかったわ」と軽く笑った。
「逆に恩義とか。そういうのないと思い込んでいた。あなたが伊賀を滅ぼすって聞いて、嫌ってほど思い知らされた。あーあ、自分でもがっかりだわ」
なつめは最後に「弟のこと、引き取っていい?」と僕に訊く。
「好きにすればいい。それと――銭に困ったらここに行きなさい」
布団から出て、前もって用意しておいた書状を、箱から取り出した。
それをなつめに手渡す。
「……なによこれ」
「京の商人の角倉への紹介状だよ。そこで女中でも忍びでも、好きなように生きればいい」
「……いつから用意していたの?」
「さあね。弟さんのことも頼んである」
馬揃えのときに用意しておいた書状をなつめに握らせる。
「僕が言えた義理じゃないけど、幸せになっておくれ。穏やかに何事も無く生きておくれ。もし恨みが忘れられないのなら、僕を殺しに来なさい」
なつめは僕をじっと睨んで――書状を受け取って、何も言わずに去っていった。
ああ、これでもう会うことはないんだな。
少しだけ残念だった――
「秀晴。初陣だけど、今回の戦はあまり活躍できないと思っておいてくれ」
翌日。息子と家臣を連れて鳥取城へ出陣した。
僕は秀晴と馬を並べながら、鳥取城に向かう道中話していた。
秀晴は「どうしてですか?」と少し不満そうだった。
「これでも槍働きはできます」
「いや、今回の戦はそういうんじゃないんだ」
「……どういう意味ですか?」
すると一緒の部隊に居た雪隆くんが「若。今回の戦は兵糧攻めだ」と言い難いことを言う。
「兵糧攻め? ああ、確かにそれならあまり戦働きはしませんね」
「それに先行する正勝や清正たちが大物見を兼ねて村々を焼いているしね」
秀晴は「領民を鳥取城に追い込んで兵糧を減らすんですか?」と的確に言う。
「ああそうだ」
「それならすぐに降伏してきそうですね」
笑う秀晴。そんな甘いものではないことを僕と雪隆くんは知っているが、何も言わなかった。
直に分かることだから。
鳥取城の眼前に着くと、まず包囲のための柵を作り、陸路だけではなく海路も封鎖できるように兵を配置する。総勢二万の大軍勢。対して鳥取城は領民合わせて三千ほど。しかもあらかじめ因幡国の兵糧は僕たちによって買い占められているので、城内にはほとんど残されていない。
初陣の秀晴はやることのない戦に不満そうだったが、二ヶ月もするとこの戦の本質を理解するようになる。
遠目からもどんどんやせ細っていく城兵と領民が分かる。兵糧を節約しているのだろう。恨めしそうにこちらを見つめる視線にはゾッとする。
三ヶ月後。どうやら兵糧が無くなったようだ。
「父さま……あ、あれ……」
秀晴が震える手で指差すのは、飢えた城兵と領民が、死体に群がっている光景だった。
「何を、しているのですか?」
「……お前が想像していることだよ」
秀晴は口元を押さえて、吐き気を堪えていた。
雪隆くんと島はそんな秀晴を哀れむように見ていた。
頼廉は鳥取城に向けて「南無阿弥陀仏」と唱えている。
「父さま! もう耐えられません! どうして敵は降伏しないんですか!」
「……援軍が来れば、この緊迫した状況を打破できるからな」
「そ、それはありえないでしょう! 包囲が完璧だと、分からないはずがない!」
秀晴は「殿のところへ行きましょう!」と僕の肩を掴んだ。
「進言するんです! いっそのこと、力攻めすれば――」
「勝てるだろうね。でもこちらにも損害が出る」
「だったら――」
僕は秀晴の手を掴んだ。
「これは分かっていたことだ。この戦のために一年前から兵糧を買い占めて、領民を追いやって兵糧の消費を増やして、彼らを飢えさせて――殺すんだ」
「汚い! あまりにも汚すぎる!」
逆に秀晴は僕の手を掴んだ。
「そこまでして、勝たないといけないんですか!?」
「ああ、勝たないといけないんだ!」
僕は――きっぱりと秀晴に引導を渡した。
「戦が正々堂々としたものなら、百年間も親兄弟が争う戦なんて起きない! 軍略も必要ないだろう! そもそも城なんて存在しなくてもいい! いいか、味方が死なないことの意義を考えろ! 二万という軍勢をそのまま次の戦に使えることの利点を考えろ! これから僕たちは広大な毛利領を攻略していかなければいけないんだ! それを子どもの我が侭で損害を与えるような戦に切り替えるなんて、できるわけがない!」
秀晴はしばらく僕の顔を見つめていて、それから泣き出してしまった。
「これが、戦なんですか? 俺たちがやっていることは、正しいのですか?」
か細い声で言う秀晴の肩に雪隆くんが手を置いた。
「若。これが戦だ。悲しくて苦しくて、軍記に描かれなくて、英雄がいないのが、現実の戦なんだ」
鳥取城の渇え殺し。そう呼ばれることになる鳥取城攻めは、城主の吉川経家の切腹で終結した。
開放された城兵と領民に兵糧が配られた。しかしせっかく助かった者の半数は飯の食いすぎで死んでしまった。粥にすれば良かったと秀吉はこぼした。
領民たちは僕たちを大層恨んでいた。自分の子と他人の子を交換して生き残ったと恨み言を言う者も居た。
なんとも後味の悪い終わり方だが、この戦以降、秀吉に従う者が増えたのは事実である。
さらに言えば、傘下の宇喜多家を合わせて、秀吉の支配下にある国は五つとなり、織田家家中で最も領土を持つ大名となった。
秀晴は戦の終わりまでずっと見続けていた。
まるで自分の罪を自覚するように。
ずっと見続けていた。
ご飯を食べ続けて死んだ者が現れたときは涙して。
言われた恨み言を黙って受け止めていた。
そんな息子に気にするなとは言えなかった。
それで気が済むのなら、それで良いんだと思う。
全てが終わった後、流石に疲れた様子の秀吉に茶を振舞う。
「悪かったな。嫌な戦だっただろう」
「いや。そんなことないよ」
僕の言葉に秀吉は笑った。
「相変わらず、おぬしは変わらないな」
僕は秀吉が好む赤茶碗を前に出す。
僕はこう答えた。
「いいや。僕は変わったよ」
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