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晴太郎の元服

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 半兵衛さんの死からしばらくして、東播磨国の大名である別所長治は降伏した。篭もっていた三木城は織田家に開け渡されて、別所は切腹した。
 それと前後して、小寺家は主君と家臣が城を捨てて逃げてしまった。正直、官兵衛――仲間となったのだから官兵衛と呼ぶ――が悲惨な目に遭った原因となった彼らに意趣返ししたい気持ちがないわけではないが、官兵衛の策略で逃亡したらしいので、部外者である僕がどうこう言うことではないだろう。

 それよりも小寺家が滅びたおかげで、ようやく播磨国が統一できたことを喜ぶべきだ。本当に喜ばしい。
 それに良いことは続くというのは本当らしく、雨竜家にとって嬉しいことがあった。
 晴太郎の元服である。仲が良い松寿丸が生きていたと知り、喪に服して控えていたのをやめ、元服を行なうことになった。同時に長浜城に居る若い将も播磨国に来る。半兵衛さんが死んでしまって、人手不足となってしまったこともある。

 さて。その前に諸々決めておかねばならぬことがあった。
 播磨国における本拠地の決定である。
 その評定には、若い将を除く羽柴家が参加した。

「兄者。私は三木城が良いと思う」

 さっそく発言したのは、但馬国を平定し、有子山城の城主となった秀長さんだった。
 秀吉も「わしも同じ意見だ」と頷いた。

「しかし、新たな軍師である官兵衛は姫路城が良いと言っている。その理由を聞こうか」

 秀吉は官兵衛を促す。
 官兵衛は「ひひひ。そんなに気を使わなくていいぜ、御ふた方」と不気味に笑う。髪を失い、片足も不自由になった彼だが、頭脳はますます冴え渡っている。

「おそらく、俺に気を使って言ってくれたのはありがたいけどよ。三木城だと東に寄りすぎてるからなあ。播磨国を治めるのも、毛利家に攻め込むのも不便だろ?」
「だけどよ。そしたらてめえの城はどうするんだ?」

 正勝が腕組みしながら問うと「そんなもん、代わりの城くれればいいぜ。ひひ」と官兵衛は答えた。

「遠慮すんなよ。俺は殿に全てを懸けるつもりだぜ」
「……分かった。おぬしがそう言うのなら、姫路城を本拠地としよう。雲之介、代わりの城は何が良いと思う?」

 僕は地図を見ながら「国府山に新しい城を建ててみてはどうだろうか?」と言う。

「姫路城と近く、海から攻め込まれたときにすぐに知らせることができる」
「ほうほう。新しい城を……」
「それに黒田家は知行が一万石増えて、二万石となった。その辺の領地の代官は小寺家の家臣だったから、譲る手間も省ける」

 それを聞いた官兵衛は「あはは。そこで構わないぜえ」と笑った。

「姫路城も増築するんだろ? 時間はありそうだしな」
「官兵衛が良いのなら構わぬか。皆もそれで良いな?」

 僕たちは頷いた。

「それから、前にも決めていたが、但馬国の統治は秀長に任せる。副将に長政を付ける。依存ないな?」

 長政は「誠心誠意、務めます」と頭を下げた。

「本来なら、長政にも城を任せたいのだが……」
「お気になさらず。秀長殿は羽柴家家臣筆頭。その補佐に付けていただくだけでも、身に余る光栄です」

 本来なら上様の妹婿なのだから、それ相当の地位に就いていいはずだが。
 頑なに秀吉の家臣であろうとするのだから、頭が下がる。

「これにて、評定を終わりとする。雲之介、早く長浜城へ向かえ。嫡男の元服なのだろう?」
「ああ。ありがとう」
「まさか、あの子どもが元服するとはなあ」

 羽柴家のみんなは晴太郎のことを赤子の頃から知っているので、感慨深くなっている。

「半兵衛さんにも晴太郎の立派な姿を見せてあげたかったけどね」
「そうだな。それで、兄弟。諱は決めたのか?」

 正勝が何気なく訊ねる。
 僕は「義昭さんが決めてくれるらしいよ」と言う。

「約束してたからね。烏帽子親をしてくれるって」



 長浜城に帰ると、明日、元服が執り行われると聞かされた。
 はるが元服を盛大にやろうと準備をしてるので、屋敷に入れなかった。主人なのに……
 仕方ないので、僕は長浜に建てられた義昭さんの屋敷にお邪魔することにした。

「おお、来たな雲之介。だいぶ久しぶりだな」
「ご無沙汰しております」

 義昭さんには烏帽子親をしてもらうだけではなく、名付け親にもなってもらうので、頭が上がらない。
 嬉しそうに招き入れてくれた義昭さん。僕たちは肴をつまみに酒を酌み返すことにした。

「しかし、太平の世がもうすぐ近づいてくるな。聞いたか? あの本願寺が降伏するそうだ」
「本当ですか? どうやってですか?」

 まさかあの佐久間さまが成し遂げたとは思えなかったので訊ねると「朝廷の仲介だ」と義昭さんは杯を空にして言う。

「流石の教如も従わざるを得ない。加賀本願寺も滅んでしまったからな」
「なるほど……これで石山の要地が手に入ったんですね」
「ああ。何でも津田信澄に任せるとのこと」

 義昭さんの顔が赤い。酔い潰れてほしくはないが……

「飲み過ぎは禁物ですよ。明日は僕の息子のハレの舞台ですから」
「分かっている。それより、そなただ」

 義昭さんは肴をつまみながら、何気なく言う。

「伊賀攻めを進言したそうだな。優しいそなたにしては珍しいな」
「…………」
「何か、あったのか?」

 僕は苦い顔をしながら「気づくんですね。やっぱり」と酒を飲む。

「僕の産みの親への復讐ですよ」
「ほう。詳しく聞かせてもらおうか」
「あんまり気持ちの良い話じゃないですけどね――」

 夕陽が沈み、月夜になるまで、僕はゆっくりと話した。
 全てを話し終えると、義昭さんは「そなたは優しいな」と軽く笑った。

「優しい? 僕がですか?」
「散々言われ慣れているだろうに、どうして意外な顔をする?」
「この話を聞いて、優しいと言われると思いませんでした」
「記憶がないのに、両親の復讐をする。それも自分を殺そうとした母親とそのきっかけとなった父親の復讐だ。それを優しいと言わずになんと評する?」

 僕は――何も言えなかった。
 月が次第に雲に隠れていく。
 明かりを灯していないので、義昭さんの表情が見れない。

「それにだ。自分のような人間を増やさないために、伊賀の里を滅ぼすのだろう?」
「……どうして、それを?」
「私は、そなたが子どものときからの友人なのだぞ? 手に取るように分かる」

 ざああと風が流れる。
 雲の切れ間から、月明かりが差して――

「だから、泣くな」

 やっぱり駄目だね。
 決めたことを後悔するなんて。
 僕は、どうやら非情になりきれないようだ。

「伊賀攻めはもはや取り消せない。本願寺が滅んだ以上、畿内の独立勢力は認められない」
「……分かっています」

 義昭さんは空になった僕の杯に酒を注ぐ。
 そしてにっこりと笑った。

「そんな顔をするな。明日は、そなたにとって大事な日だぞ」
「……それも、分かっています」

 いつの間にか、月がはっきりと見えた。
 少しだけ欠けた新円に近い月。
 まるで僕たちを見守っているようで。
 それでいて、微笑んでいるようだった――



 翌日。
 晴太郎が正装して、僕たちの前に出てきた。
 この場に居るのは、はると雹。そして双子の兄妹であるかすみ。それから若い将の面々。ねねさまも居る。
 義昭さんが烏帽子親となり、そして諱が告げられた。

「そなたの父、雨竜雲之介秀昭の『秀』、そして晴太郎の『晴』を合わせて、今日から『雨竜秀晴』と名乗るがいい」
「雨竜、秀晴……」

 晴太郎――秀晴は確かめるように何度も口に出して、そしてきりりと真面目な顔で応じた。

「慎んで、拝領いたします」
「うむ。では私からそなたに言っておこう」

 義昭さんはこの場に居る者にも聞こえるように言う。

「そなたの父を見習うのは大事だが、そなたの父のように生きることはない」
「…………」
「父に学ぶのは良いが、倣うことだけはするな。超えてゆけ」

 短い言葉だけど、秀晴には伝わったようだった。
 僕も同じ気持ちだった。
 僕のようにならなくていい。
 秀晴なりの人生を歩めばいい。
 願わくば、幸せになってほしい――
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