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出産と紀州征伐

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 とても寒い日の昼頃。
 空から雹が落ちてくるような珍しい日でもあった。

「父さま。少しは落ち着いてください」
「そうだよ。みっともないよ」

 部屋中を歩き回っている僕を注意する晴太郎とかすみ。

「そう言っても……無事に産まれるかどうか不安なんだ」
「雨竜家の当主なんだから、どっしり構えてよ。ねえ、お前さま」

 かすみが昭政くんに水を向ける。かすみがはるを心配して実家に戻ってきたのについて来た彼は「まあ気持ちは分かるよ」と笑う。

「父上もそうだから。私たちの子はまだ居ないけど、多分自分もそうなるなあって思う」
「情けないなあ。一番苦しいのははるさんなんだよ?」

 それは重々分かっている。こういうとき、男はおろおろするしかない。

「ところで名前は決めたのですか? 女子なら父さまが名付けるそうですけど」

 晴太郎の問いに僕は「ああ。さっき決めた」と短く答えた。
 するとかすみが顔をしかめた。

「さっき? 前々から考えてないの?」
「いくつか候補があったけど、決めたのはさっきだ」

 気に入ってくれると嬉しいのだが、まあ男が産まれるかもしれないしな。
 そう思っていると奥の部屋から「おぎゃあおぎゃあ」と赤子の泣く声がした。

「おお! 産まれたか!」

 すぐさま僕は奥の部屋に向かう。
 後から三人もついて来た。

 産婆さんが赤子を布に包んでいる。
 その横ではるがぐったりしていた。

「はる! よくやったぞ!」

 はるの手を握ると「ああ……やったぞ……」と疲れながらも握り返してくれた。

「お前さま……元気な女の子だ……名付けてやってくれ……」
「ああ。そうだな」

 遅れてやってきた晴太郎とかすみと昭政くんは口々に「おめでとう!」と言ってくれた。

「はるさん! よく頑張ったね!」

 はるの汗を拭きながらかすみは嬉しそうに言う。

「なんだ、かすみも来ていたのか……」
「当たり前だよ! 本当に、よく頑張ったね!」

 涙目になるかすみにはるもつられて泣き出した。

「今、お風呂に入れますよ」

 産婆さんの声で赤子をじっくりと見る。しわくちゃで、猿みたいで、それでいて愛おしい子。
 僕の大切な娘だった。

「それで、父さま。名前はなんですか?」

 急かす晴太郎に僕は優しく言ってあげた。

「雹(ひょう)だ。この子は雹と名付ける」

 昭政くんは「良い名前ですね」と言ってくれた。

「父さまらしい名前ね」
「ああ。そうだなかすみ」

 二人の子もそう言ってくれた。
 雹を風呂に入れていた産婆さんが「どうぞ抱いてあげてください」と僕に手渡した。

「ありがとう。わあ。可愛いなあ!」

 僕の腕の中で寝ている雹。晴太郎たちのときも同じように思ったけど、この子を絶対に守りたいと思った。

「はる。君も抱いてあげなさい」

 僕ははるに近づいて雹を見せる。
 かすみが支えて上体を起こすはる。
 やはり母親の腕に抱かれると感じるものがあるのか、きゃっきゃっと笑い出した。

「私と、お前さまの子……可愛いな」

 すっかり母親の顔になったはる。
 とても嬉しそうだった。



「父さま。紀伊国に向かうのですか?」
「ああ。家の留守を頼む」

 雹が産まれて三日のことだった。
 具足を着込んだ僕は晴太郎が見送る中、屋敷を出ようとする。
 はると雹は寝ていて、見送りには来ない。まだ出産疲れのはるを休ませてあげようと思っていたからだ。

「慌ただしいことですね。子どもが産まれたと思ったら、人を殺しに行く。武士とは難儀なものです」
「悟ったことを言うなあ。ま、あながち間違いじゃないけどね」

 僕は晴太郎が持っていた刀を受け取る。

「おそらく長い戦になると思う」
「そうなんですか? 相手は二千と聞きますが」
「相手は雑賀衆だからね。この間の戦で塙さまを討ち取ったのも雑賀衆だ」

 晴太郎は「恐ろしい相手ですね」と言いつつ、頭を下げた。

「御武運を。父さま」
「ああ。必ず帰ってくるよ」



 雑賀衆はたったの二千の集団でしかない。しかし味方に付けば必ず勝てると謳われている。理由は一人一人の武力が凄まじいからだ。以前、秀長さんと一緒に孫市と交渉しに行ったときに出会った蛍さんと小雀くんのような凄腕が大勢居ると考えると、できることなら不戦協定でも結んでほっときたいくらいだ。
 最強の傭兵集団であり鉄砲集団の雑賀衆には多数の兵で臨むのは正解だと思う。これまで上様の判断が間違ったことなどほとんど無い。それは武田信玄や上杉謙信と違って戦術に優れているのではなく、先々まで見据えての戦略や計算が尋常ではないことの証明である。
 しかしいささかやりすぎではないかとも思ってしまう。何せ――十万の兵で二千の雑賀衆を攻めるというのは。

「いやあ。これだけの兵が居ると流石に壮観だな」

 羽柴家の陣で秀吉は嬉しそうに笑った。

「笑い事ではないよ。こんだけの兵の兵糧管理、大変なんだから」

 愚痴る僕に「だから浅野ちゃんと増田ちゃんも連れてきたんでしょ?」と半兵衛さんは言う。
 隣に居る正勝も「これからもっと多くの兵の管理しなくちゃいけないんだぜ?」と肩を叩く。

「畿内を統一したら、二十万ぐらいは軽く動員できるんじゃねえか?」

 途方も無い話だった。
 本陣には秀吉、半兵衛さん、正勝、そして僕の四人しかいない。
 羽柴の兵は上様に与えられた兵を合わせて一万五千である。

「こほん。全軍は二つに分かれて行動するわ。あたしたちは上様から山手側から攻め入るように命じられた。正直、林に隠れて伏兵されやすいし、鉄砲で狙われやすいしで嫌になるわ」

 半兵衛さんの説明に「行軍は遅くなるってことか……」と正勝は苦い顔で言う。

「そうね。できることなら焼き討ちしたいところだけど、木が多すぎて時間がかかっちゃうわね」
「では犠牲覚悟で行軍するしかないのか?」

 僕の問いに半兵衛さんは頷く。

「ま、丁寧にじっくりと伏兵がいないか探りながら行軍すれば被害は最小だけど、その分行軍が遅れて、無駄に兵糧を費やしてしまうわ」

 戦上手は守り上手でもあるみたいだ。
 さて。どうするか……

「御免! 雨竜殿に使者がいらっしゃっています!」

 陣の外から兵が大きな声で報告してきた。

「うん? 使者? 誰だい?」
「蛍、と名乗る女です。いかがしますか?」

 蛍? ……あの雑賀衆か!

「雲之介、知っているのか?」
「凄腕の雑賀衆で雑賀孫市の側近だ」

 秀吉にそう答えると「ふむ。とりあえず陣の中に入ってもらえ」と言う。

「ちょっと! 暗殺だったらどうするのよ!?」
「それはないだろう。いみじくも使者と名乗っているのだから」

 半兵衛さんが警戒するのも分かる。
 しかし僕も暗殺ではない気がした。

「大丈夫だと思う。陣の中に案内してくれ」

 しばらくして、以前会ったときよりも年齢を重ねた蛍さんが陣の中に入ってきた。
 驚くことにところどころ怪我をしていて、憔悴しきっていた。

「ど、どうしたんだ? 何かあったのか?」
「……あなた、馬鹿なの? 私が刺客だったら、危ないわよ? それなのに、心配が先なの?」

 呆れながらそう言われてしまった。

「兄弟は馬鹿じゃなくて馬鹿みたいに優しいんだ。それで、何の用だ?」
「雲之介。あなたに頼みがあるの」

 蛍はすっと平伏して、僕に懇願した。

「頭領を助けてほしい」
「……おかしな話だ。織田家に攻められているのに、織田家の者に助けを求めるとは」

 秀吉の怪訝な表情。
 しかし蛍さんは「違う」と短く否定した。

「頭領は、土橋守重に狙われている」

 土橋守重――孫市に次ぐ雑賀衆の実力者か!

「土橋から頭領を守ってほしい。そうすれば――雑賀衆は降伏してもいい」

 蛍さんの話は真実かどうか。
 とても計り知れなかった。
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