上 下
146 / 256

人との出会い

しおりを挟む
 長浜城の謁見の間。
 僕は珍しい客人を茶を点ててもてなしていた。

「うむ。やはり雨竜殿の点てる茶は美味しいな」

 天下の大悪人、松永久秀である。彼は満足そうに僕の点てた茶を飲んでいる。

「なかなかのお手前、見事である」
「その言葉を聞けて、嬉しく思います」

 家臣たち――特に恨み骨髄の島は会うべきではないと猛抗議してきたけど、僕は訪ねてきたのだから会うべきだと反対を押し切った。まあ僕を幻術で操ろうとした危険人物に違いないけど――

「ふふふ。やはり度胸がおありだ。わしと二人きりで会ってくれるとは」

 正直、この老人に対して、どんな感情を持てば良いのか分からない。
 恐怖――ではない。
 嫌悪――とも違う。
 尊敬――間違いだ。
 強いて言うのなら、理解不能の四文字が相応しい。人をあっさりと裏切ったり殺したりできるなんて、僕には想像できない。
 そう。理解できないのだ――

「それで、ご用とは?」
「特に用はない。家督を息子の久通に譲ってな。暇で仕方がない」
「……僕はこれでも忙しいのですが」
「知っている。留守居役なのだろう?」

 ふざけているのか真面目なのか、まったく理解できない。

「しばらく会わないうちに、いろいろな変化が貴殿にあったそうだな」
「ええ。かなりありましたね」
「伊勢長島を落とした褒美に、織田家の一門衆になったそうじゃないか。まさか本圀寺で会った少年がそこまで出世するとはな」
「松永殿は大和国の四分の三を支配する大名ではないですか。それと比べたら大した出世ではないです」
「ふふふ。畿内を手中にしていた身からすると落ちぶれたものよ。それに既に隠居している」

 皮肉……ではないな。松永は何の後悔もしていないみたいだ。

「松永殿。あなたに訊きたいことがある」
「なんだ? なんでも訊いてみよ」

 僕は天下の大悪人に問う。
 猿の内政官は松永に問う。

「どうして人は争うんだ?」
「…………」
「自分の大事なものを守るためか? それとも他人のものを奪うためか?」

 松永は――にっこりと微笑んだ。まるで好々爺のように。

「その答えは一つではない。自分の大事なものを守るためであったり、他人のものを奪うためであったりする。自分の権力を高めるためかもしれん。落ちぶれるのが嫌なだけかもしれん。ただ単に殺し合いが好きなだけかもしれん。答えなど――元より求めることは徒労かもしれぬ」

 悪人にしては正論だと思った。
 しかし聞きたい答えではなかった。

「では、松永殿はどうして戦うんだ?」
「それは簡単よ。己がどこまで上り詰められるか、天下に証明するためだ」

 上り詰められるか? 天下に証明?

「わしは立派な出自とは言えぬ。しかしそんなわしでも大和の国主になれた。畿内を差配することができた。天下にわしという人間が居たことを証明できたのだ」
「つまり、それが松永殿の野心と野望の原動力だったのか?」
「ふふふ。そんなわけなかろう。初めは違う。わしは一心不乱に出世するため、必死で戦った。しかし三好家の重臣となったとき、こう思ってしまったのだ」

 松永は手を大きく広げて笑った。

「ああ、こんな簡単に夢は叶ってしまうのか、とな」
「夢……」
「そう。夢だった。偉くなって誰も彼も見返してやるというあまり美しくない夢だ。しかしだ、夢は覚めるもの。そしてまた別の夢を見るようになる。それが人生だ」

 松永が何を言っているのかは分かる。要は現状に満足できない人間なんだ。だから果てしない夢を追う。夢を現実のものとするために、戦い続けている。
 だからこの老人はいずれ謀反を起こす。果てしない夢という名の野心を叶えるために。

「逆に問うが、貴殿は何故、羽柴筑前守に従い続ける? 陪臣に甘んじているのだ?」
「それは……秀吉が好きだからだ」

 躊躇することなく答えた。
 それが当然だと思っていたからだ。

「ほう。筑前守が好きと?」
「ああ。僕は武士の出ではない。松永殿と同じ、出自がよろしくない。幼い頃は死体から武具を引き剥がして売って生計を立てていた、卑しい人間にすぎなかった。そんな僕に道を開かせてくれた大恩人なんだ、秀吉は」

 松永は興味深そうに笑った。存外爽やかな笑みだった。

「ではもし、会っていたのがわしだったら従っていたか?」
「従っていただろうね。そうだな……松永殿は筒井攻めのとき、僕に幻術を使って思考と思想を変えようとした。もしかしたら僕はその状態になってしまってたのかもしれない」
「あっさりと認めるのだな。なるほど、筑前守は運がいい」
「運が良いだけじゃないよ」

 僕はあっさりと否定した。
 松永は眉をひそめた。

「では、どういうことだ?」
「松永殿に問うけど、何の才覚も見せなかった幼い頃の僕を――あなたは拾うか?」

 その言葉に松永は何も言えなくなった。

「きちんと面倒を見て、仕事も与えて、家族との安らぎを与えられたか?」
「……認識を改めよう。筑前守はお人よしだったのだな」
「ええ。とびっきりのね。僕は常日頃から優しいと言われるけど――秀吉は本当にお人よしなんだ」

 それが今でも秀吉に従っている理由。そして織田家の陪臣で居る理由なんだ。

「しかしだ。そんな筑前守も越前では酷いことをしているではないか」
「それは聞いているよ。今、越前は一向宗にとって地獄だろうね」

 大虐殺が行なわれていると聞いている。いわゆる根切りだ。
 しかし僕には止める権利もなければ権限もない。

「それについては何か意見はないか?」
「……慈悲を与えるのは伊勢長島だけで十分だよ」

 本当は叫びたくなるくらい嫌だった。
 人を殺すことは本当に嫌だ。
 まるで殺されるために、死ぬために生きているようなものじゃないか。

「貴殿の考えていることは表情で分かる。戦国乱世で生きるには優しすぎる男だな」
「…………」
「そういえば、前妻が延暦寺の僧兵に殺されたと聞く」
「……よく知っているね」
「延暦寺の焼き討ちは貴殿にとって復讐だった。そう捉えても構わぬか?」

 黙って頷くと「それが戦乱の本質よ」と松永は笑った。

「一笑に付すような愚かしい理由で、人は狂気に陥る」
「…………」
「前妻殿がどういう経緯で死んだのかは知らん。だが出会ったことを後悔していないか? 嫌な殺しと復讐をしてしまったのだぞ?」

 にやにや笑う松永に「それこそ一笑に付すというものだ」と言う。

「僕は志乃と出会って、後悔したことはない。人と人との出会いはそんな単純なものではない」
「……ほう。聞かせてもらおうか」
「人と出会い、関わり、そして別れることは決して良いことばかりではなく、悪いこともあるだろう。しかし、そこに喜びがないとは思えない。僕は志乃と一緒に居て幸せだった」

 そうだ。未だに遺髪を持っていることもその理由だ。

「二人で過ごした日々や子どもたちが生まれて四人になった嬉しさは、かけがえのないものだ。確かに死別したことは悲しいさ。不幸かもしれない。だけど――」

 僕は松永の目を見据えて言う。

「人と人との出会いは、なかったことにはならないんだ」

 そう。決してそうはならない。

「志乃は料理を作ってくれた。とても美味しくてたまらなかった。志乃は僕が危険な目に遭うと悲しんでくれた。申し訳ないほどに泣いてくれた。志乃は僕を怒ってくれた。ご飯抜きや一言も口を利いてくれないときは流石に困ったけど」

 様々な思い出がある。語りきれないほどの思い出が心にある。

「志乃と出会ったことはなかったことにはならないし、志乃は確かに居たことは決して覆らないんだ。志乃は僕の妻だった。それは絶対に忘れない。だから志乃は今でも僕の中で生きている」

 それを聞いた松永は笑みを止めて、それから吐き捨てるように言う。

「くだらん。死んだ人間は死んだままだ。生き続けるなど幻想に過ぎん」

 松永とは相容れないのは分かっていたが、ここまで異なると清々しい。

「いずれ貴殿も手に入れるぞ。わしは狙ったものは手に入れたくなるのだ」
「こんな僕を所望とはね……褒め言葉として受け取っておこう」

 そして最後に松永は言う。

「貴殿はわしの想像もつかないほど、高みに行くだろう。それが羨ましくあるな」



 松永が帰って、僕は彼のことを考える。
 やはり恐怖も嫌悪も尊敬もできない。
 理解できない魔のような存在だ。

「雲之介さん、大丈夫か?」
「殿、何かされたのか?」

 雪隆くんと島が心配そうに僕を見た。
 安心させるように僕は微笑んだ。

「ああ。平気だよ。幻術は使われなかったようだ」

 その次の日、越前攻めの戦果が報告された。
 一向宗門徒が五万人殺されて。
 越前は織田家のものとなった――
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

猿の内政官の息子 ~小田原征伐~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~という作品の外伝です。猿の内政官の息子の続編です。全十話です。 猿の内政官の息子、雨竜秀晴はある日、豊臣家から出兵命令を受けた。出陣先は関東。惣無事令を破った北条家討伐のための戦である。秀晴はこの戦で父である雲之介を超えられると信じていた。その戦の中でいろいろな『親子』の関係を知る。これは『親子の絆』の物語であり、『固執からの解放』の物語である。

猿の内政官の息子

橋本洋一
歴史・時代
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~ の後日談です。雲之介が死んで葬儀を執り行う雨竜秀晴が主人公です。全三話です

猿の内政官の孫 ~雷次郎伝説~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官シリーズの続きです。 天下泰平となった日の本。その雨竜家の跡継ぎ、雨竜秀成は江戸の町を遊び歩いていた。人呼んで『日の本一の遊び人』雷次郎。しかし彼はある日、とある少女と出会う。それによって『百万石の陰謀』に巻き込まれることとなる――

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

いや、婿を選べって言われても。むしろ俺が立候補したいんだが。

SHO
歴史・時代
時は戦国末期。小田原北条氏が豊臣秀吉に敗れ、新たに徳川家康が関八州へ国替えとなった頃のお話。 伊豆国の離れ小島に、弥五郎という一人の身寄りのない少年がおりました。その少年は名刀ばかりを打つ事で有名な刀匠に拾われ、弟子として厳しく、それは厳しく、途轍もなく厳しく育てられました。 そんな少年も齢十五になりまして、師匠より独立するよう言い渡され、島を追い出されてしまいます。 さて、この先の少年の運命やいかに? 剣術、そして恋が融合した痛快エンタメ時代劇、今開幕にございます! *この作品に出てくる人物は、一部実在した人物やエピソードをモチーフにしていますが、モチーフにしているだけで史実とは異なります。空想時代活劇ですから! *この作品はノベルアップ+様に掲載中の、「いや、婿を選定しろって言われても。だが断る!」を改題、改稿を経たものです。

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

処理中です...