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怪しく燃える
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炎は四日間燃え続けた。
比叡山中の寺院は全て灰塵と化し、後に残されたのは骸のみ。
特筆すべきは根本中堂に置かれていた、開山七百年以上に渡り灯され続けた、不滅の法灯も消えて無くなってしまったことだろう。
死臭と肉を焼く臭いが比叡山を包み、殺戮を終え、冷静さを取り戻した兵士たちは、あまりの臭いに吐いてしまう。
地獄は終わらない。おそらく比叡山が復興するのは、遠い未来になるだろう。
僕は――戦後処理に追われていた。
延暦寺の財産の押収、死体の処理と供養、兵士の報酬の分配。
やるべきことがたくさんあった。
でも忙しいほうが、変に考えずに済む。
「雲之介、少しいいか?」
二条城、執務の間。
算盤を弾いていると、秀吉がやってきた。
村井さんなどの織田家吏僚と混ざって仕事をしていたのだが、何の用だろうか?
周りが頭を下げる中、秀吉は「志乃の墓に案内してくれ」と言う。
「いいけど……どういう風の吹きまわしだ?」
「一度拝んでおかんとな。志乃にはいろいろ迷惑をかけられたが、それ以上に世話になった。主に雲之介のな」
茶目っ気たっぷりに言われたけど、秀吉も無理をしているのだと分かった。
「……あまり寝てないだろう、秀吉」
「お、やはり分かるか?」
「僕も同じ気持ちだから」
おそらく罪悪感で一杯なんだろう。
戦で人を殺すのはある程度許容できる。
兵士を処断するのも、罪人を処刑するのも、まだ平気だ。
だけど、僧侶を殺すのは――
「しばらくすれば寝られるだろうよ。それより早く立て。正勝も行くと言っている」
「今、仕事で忙しいのだけど」
「そこの者たち、雲之介の仕事を少し手伝ってくれ。ほれ、銭をやるから」
吏僚たちに仕事を押し付けて、二条城の外に出る。
途中、正勝と合流する。だけど兄弟は何も言わなかった。
ただ、黙って僕の肩に手を置いた。
京の外れにある墓地に着く。五日ぶりだった。空は澄み切っていて、比叡山と比べ物にならないくらい空気が綺麗だった。
「ほう。立派なものを立ててもらったじゃないか」
秀吉は感心するように溜息を吐いた。
「銭は持っていたから。なるべく安らかに眠ってほしいと思って」
墓に近づくと、石壇に何かあることに気づく。
百合の花束と文のようだ。
「兄弟の家臣の誰かか?」
正勝の言葉に僕は首を振る。
「いいや。そんな話は聞いていない」
「とりあえず、文を読んでみろ」
秀吉の言葉に従って、文を開く。
『うつせみと 思ひし時に たづさへて 吾が二人見し
走出(わしりで)の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝の
春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど
頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背きしえねば
蜻火(かぎろひ)の 燃ゆる荒野に しろたへの あまひれ隠り
鳥じもの 朝たちいまして 入日なす 隠りにしかば
我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに
取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち
我妹子と 二人吾が寝し 枕付く 妻屋のうちに
昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
大鳥の 羽易(はかひ)の山に 吾が恋ふる 妹はいますと
人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき
うつせみと 思ひし妹が かぎろひの ほのかにだにも 見えぬ思へ』
達筆な字で書かれている。しみじみとした心に響く歌。
「これは……万葉集だな」
僕の言葉に二人は顔を見合わせた。
こほんと咳払いして、正勝が訊ねる。
「生憎、俺はその手の教養が無くてな。どんな内容なんだ?」
「作者は忘れたが、確か妻の死を悼む歌だった気がする」
「ほう。なかなか気の利いた供え物ではないか」
のん気な秀吉はほっといて、誰が置いたのか考える。
そして、答えは一人に絞られた。
「僕は、向かい合わないといけないのかもしれないね」
秀吉は「何を言っているのか分からんが」と言いながら、それでも理解を示してくれた。
「おぬしがそう思うのなら、そうなのだろうよ」
「……うん。そうだね」
まずは居場所を見つけなければいけない。
なつめの居る宿に向かおう。
深夜。ほとんどのものが寝静まった頃、僕は本圀寺跡に一人居た。
一晩でも待とうと思った。それでも来なければ諦めるつもりだ。
足掻くことはない。
足元に置いた蝋燭の炎が怪しげに揺れる。
しばらくして、正門から一人の男がやってきた。
編み笠を被っている。腰には刀を携えている。身なりは武士だ。
「来てくれるとは、思いませんでした」
「――来ると思っていたのだろう? そうでなければ待つ必要はない」
渋みのある声。会わないうちに随分歳を重ねたらしい。
僕は「来るほうに賭けていただけです」と返す。
「来ない可能性もありました。でも望みがあるのなら、そうするでしょう?」
「……まあな」
編み笠を取って、正体を現す。
「久しぶりだな。雲之介くん」
「ええ。お久しぶりです。細川さま」
そう。目の前に居るのは、元足利家家老の細川藤孝さまだ。
今は、織田家の武将で勝龍寺城を任されている。
「君も良い忍びを持っているな。私の居場所をすぐに見つけるとは」
「ええ。腕の良い忍びですよ。少々値が張りますが」
「それで、どうしてここに呼び出したんだ?」
僕は「単刀直入に言います」とはっきり告げた。
「もう足利家の再興を諦めてください」
「…………」
「あなたでしょう? 比叡山延暦寺を動かしたのは」
細川さまは「私は反対だった」と静かに呟いた。
「だが結果的に私の仕業になってしまったな」
「……どうしてそのようなことを?」
細川さまはあくまでも冷静だった。
冷静に――僕の心を抉る。
「怒らないのか? 妻の死の原因となった私に」
「……ええ。全てを聞かないとね」
それを聞いた細川さまは納得したように語り出す。
「義昭公から聞いていると思うが――私と組んでいた近衛前久は足利家を滅ぼすことに執心だった。しかし次第に目的が変わってね。義昭公を殺すことに執着し出した。公家というのは度し難い。私はいつか彼を殺すつもりだったが、機会がなかった。そのうちに義昭公は隠居なされた」
細川さまはそこでふっと呼吸をした。いやもしかしたら笑ったのかもしれない。
「絶望したよ。足利家のために生きて尽くしたのに、あんまりだと思った。しかしどう足掻いても復位は難しかった。呆然としているときに、比叡山を動かしたのだ。二条兼良は」
「……何故ですか?」
「理由など知らんが、推測はできる。義昭公を京に誘き寄せるためかもしれん。もしくは責任を感じさせて自害に追い込むことだったのかもしれん。あるいは織田家を滅ぼして義昭公の居場所を無くすためかもしれん」
どれもこれも幼稚な考えだ。およそ公家とは思えない。
「私は――止めなかったよ。止めようと思えばできたのにも関わらずにだ」
「…………」
「それくらい自暴自棄になっていたのだろうな。だが――後悔するとは思わなかった」
僕は「比叡山の僧兵が死んだことですか?」と訊ねる。
細川さまは首を振った。そして僕を指差す。
「君の奥方の死だよ」
「……えっ?」
「私は、君の奥方を知っているんだ――」
蝋燭の炎が揺れる。
風が強くなってきたようだ。
まるで良くないものを引き寄せるように。
比叡山中の寺院は全て灰塵と化し、後に残されたのは骸のみ。
特筆すべきは根本中堂に置かれていた、開山七百年以上に渡り灯され続けた、不滅の法灯も消えて無くなってしまったことだろう。
死臭と肉を焼く臭いが比叡山を包み、殺戮を終え、冷静さを取り戻した兵士たちは、あまりの臭いに吐いてしまう。
地獄は終わらない。おそらく比叡山が復興するのは、遠い未来になるだろう。
僕は――戦後処理に追われていた。
延暦寺の財産の押収、死体の処理と供養、兵士の報酬の分配。
やるべきことがたくさんあった。
でも忙しいほうが、変に考えずに済む。
「雲之介、少しいいか?」
二条城、執務の間。
算盤を弾いていると、秀吉がやってきた。
村井さんなどの織田家吏僚と混ざって仕事をしていたのだが、何の用だろうか?
周りが頭を下げる中、秀吉は「志乃の墓に案内してくれ」と言う。
「いいけど……どういう風の吹きまわしだ?」
「一度拝んでおかんとな。志乃にはいろいろ迷惑をかけられたが、それ以上に世話になった。主に雲之介のな」
茶目っ気たっぷりに言われたけど、秀吉も無理をしているのだと分かった。
「……あまり寝てないだろう、秀吉」
「お、やはり分かるか?」
「僕も同じ気持ちだから」
おそらく罪悪感で一杯なんだろう。
戦で人を殺すのはある程度許容できる。
兵士を処断するのも、罪人を処刑するのも、まだ平気だ。
だけど、僧侶を殺すのは――
「しばらくすれば寝られるだろうよ。それより早く立て。正勝も行くと言っている」
「今、仕事で忙しいのだけど」
「そこの者たち、雲之介の仕事を少し手伝ってくれ。ほれ、銭をやるから」
吏僚たちに仕事を押し付けて、二条城の外に出る。
途中、正勝と合流する。だけど兄弟は何も言わなかった。
ただ、黙って僕の肩に手を置いた。
京の外れにある墓地に着く。五日ぶりだった。空は澄み切っていて、比叡山と比べ物にならないくらい空気が綺麗だった。
「ほう。立派なものを立ててもらったじゃないか」
秀吉は感心するように溜息を吐いた。
「銭は持っていたから。なるべく安らかに眠ってほしいと思って」
墓に近づくと、石壇に何かあることに気づく。
百合の花束と文のようだ。
「兄弟の家臣の誰かか?」
正勝の言葉に僕は首を振る。
「いいや。そんな話は聞いていない」
「とりあえず、文を読んでみろ」
秀吉の言葉に従って、文を開く。
『うつせみと 思ひし時に たづさへて 吾が二人見し
走出(わしりで)の 堤に立てる 槻(つき)の木の こちごちの枝の
春の葉の 茂きがごとく 思へりし 妹にはあれど
頼めりし 子らにはあれど 世間(よのなか)を 背きしえねば
蜻火(かぎろひ)の 燃ゆる荒野に しろたへの あまひれ隠り
鳥じもの 朝たちいまして 入日なす 隠りにしかば
我妹子が 形見に置ける 若き児の 乞ひ泣くごとに
取り与ふ 物しなければ 男じもの 脇ばさみ持ち
我妹子と 二人吾が寝し 枕付く 妻屋のうちに
昼はも うらさび暮らし 夜はも 息づき明かし
嘆けども せむすべ知らに 恋ふれども 逢ふよしをなみ
大鳥の 羽易(はかひ)の山に 吾が恋ふる 妹はいますと
人の言へば 岩根さくみて なづみ来し よけくもぞなき
うつせみと 思ひし妹が かぎろひの ほのかにだにも 見えぬ思へ』
達筆な字で書かれている。しみじみとした心に響く歌。
「これは……万葉集だな」
僕の言葉に二人は顔を見合わせた。
こほんと咳払いして、正勝が訊ねる。
「生憎、俺はその手の教養が無くてな。どんな内容なんだ?」
「作者は忘れたが、確か妻の死を悼む歌だった気がする」
「ほう。なかなか気の利いた供え物ではないか」
のん気な秀吉はほっといて、誰が置いたのか考える。
そして、答えは一人に絞られた。
「僕は、向かい合わないといけないのかもしれないね」
秀吉は「何を言っているのか分からんが」と言いながら、それでも理解を示してくれた。
「おぬしがそう思うのなら、そうなのだろうよ」
「……うん。そうだね」
まずは居場所を見つけなければいけない。
なつめの居る宿に向かおう。
深夜。ほとんどのものが寝静まった頃、僕は本圀寺跡に一人居た。
一晩でも待とうと思った。それでも来なければ諦めるつもりだ。
足掻くことはない。
足元に置いた蝋燭の炎が怪しげに揺れる。
しばらくして、正門から一人の男がやってきた。
編み笠を被っている。腰には刀を携えている。身なりは武士だ。
「来てくれるとは、思いませんでした」
「――来ると思っていたのだろう? そうでなければ待つ必要はない」
渋みのある声。会わないうちに随分歳を重ねたらしい。
僕は「来るほうに賭けていただけです」と返す。
「来ない可能性もありました。でも望みがあるのなら、そうするでしょう?」
「……まあな」
編み笠を取って、正体を現す。
「久しぶりだな。雲之介くん」
「ええ。お久しぶりです。細川さま」
そう。目の前に居るのは、元足利家家老の細川藤孝さまだ。
今は、織田家の武将で勝龍寺城を任されている。
「君も良い忍びを持っているな。私の居場所をすぐに見つけるとは」
「ええ。腕の良い忍びですよ。少々値が張りますが」
「それで、どうしてここに呼び出したんだ?」
僕は「単刀直入に言います」とはっきり告げた。
「もう足利家の再興を諦めてください」
「…………」
「あなたでしょう? 比叡山延暦寺を動かしたのは」
細川さまは「私は反対だった」と静かに呟いた。
「だが結果的に私の仕業になってしまったな」
「……どうしてそのようなことを?」
細川さまはあくまでも冷静だった。
冷静に――僕の心を抉る。
「怒らないのか? 妻の死の原因となった私に」
「……ええ。全てを聞かないとね」
それを聞いた細川さまは納得したように語り出す。
「義昭公から聞いていると思うが――私と組んでいた近衛前久は足利家を滅ぼすことに執心だった。しかし次第に目的が変わってね。義昭公を殺すことに執着し出した。公家というのは度し難い。私はいつか彼を殺すつもりだったが、機会がなかった。そのうちに義昭公は隠居なされた」
細川さまはそこでふっと呼吸をした。いやもしかしたら笑ったのかもしれない。
「絶望したよ。足利家のために生きて尽くしたのに、あんまりだと思った。しかしどう足掻いても復位は難しかった。呆然としているときに、比叡山を動かしたのだ。二条兼良は」
「……何故ですか?」
「理由など知らんが、推測はできる。義昭公を京に誘き寄せるためかもしれん。もしくは責任を感じさせて自害に追い込むことだったのかもしれん。あるいは織田家を滅ぼして義昭公の居場所を無くすためかもしれん」
どれもこれも幼稚な考えだ。およそ公家とは思えない。
「私は――止めなかったよ。止めようと思えばできたのにも関わらずにだ」
「…………」
「それくらい自暴自棄になっていたのだろうな。だが――後悔するとは思わなかった」
僕は「比叡山の僧兵が死んだことですか?」と訊ねる。
細川さまは首を振った。そして僕を指差す。
「君の奥方の死だよ」
「……えっ?」
「私は、君の奥方を知っているんだ――」
蝋燭の炎が揺れる。
風が強くなってきたようだ。
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