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助けてくれ

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 次の日の夕刻、本圀寺跡。
  僕の提案で二条城の木材や石垣として接収されてしまったので、仮御所として使われた立派な寺だったのに、今では見る影も無い。
 淋しいところになってしまった。加えて大勢の兵が死んでしまったところである。
 そして僕が初めて人を殺した場所でもある。

「ここが本圀寺か。まるで物の怪でもいそうな場所だな」

 長政の言葉どおりだった。本当に何かとり憑いているような不気味さがある。
 日が暮れ始めている。人がより付かないのは時刻のせいか、はたまた――

「ご苦労様にございます。雲之介さん、そして長政さん」

  ぬっと現れたのは一覚さんだった。黒衣が闇に溶けて恐ろしく思えた。

「一覚さん。義昭さんは――」
「近くの商家に居ますよ。さあこちらです」

 早足でその民家に向かう一覚さん。僕たちも追いかける。
 事情があるのだろう。僕も長政も聞かなかった。
 本圀寺の東にある乾物屋。裏手に回って、小さな扉を開けると離れの部屋があった。

「中にて公方さまがお待ちです。どうぞ」

 一覚さんは軒先に草鞋を置き、中に入る。僕たちも倣って入った。

「おお、雲之介。そして初めましてだな。浅井長政殿」

 部屋の上座には少しやつれた顔の義昭さんが居た。眠れていないのか、目の下の隈が酷い。

「義昭さん……大丈夫ですか?」

 無礼ながら挨拶も返さず、心配するような声をかけてしまった僕に義昭さんは軽く笑った。

「大丈夫ではないな。かなり疲れている。心労がきついな」
「義昭さん……」
「お初にお目にかかります。公方さま」

 長政が平伏した。義昭さんは「楽にしていい」と気軽に言う。

「今まで起こったことを報告してくれ。一覚、お前もしかと聞け」
「ははっ」

 僕は長政が記憶を失い、猿飛仁助として生きていたこと。敦賀の戦いのこと。一乗谷での義景の話。それらを長い時間をかけて話した。
 すっかり日が暮れてしまい、一覚さんが明かりを点けた。

「……義景の話はまことか?」
「何か気になる点でもありましたか?」

 違和感があったのだろうか?

「前にもそなたに話しただろう。久政殿を殺したのは――与一郎だと」
「与一郎? まさか、細川藤孝殿が!?」

 僕よりも早く反応したのは長政だった。
 義昭さんは深く頷いた。

「ああ。しかしだ。その話だと切腹したはずだ……」
「細川さまは本願寺を手引きした……その意味で殺したと言ったのでは?」

 義昭さんは「与一郎の性格からして、そのようなことはない」と断言した。

「義景はまだ何か隠していることがあるはずだ。問い質さなければな」
「……拙者が聞き出してみます」

 怒りに燃えた目で長政は言う。

「頼むぞ。それから一覚。そなたも雲之介たちに言わねばならぬことがあるな」
「ええ。比叡山の僧兵のことです」

 神妙な顔で一覚さんは語る。

「彼らは朝倉家の残党を匿い、京を手中にしようと企んでおります」
「なんだと!? 鎮護国家を謳う延暦寺が?」

 長政は驚いているけど、僕は納得した気分だった。子どもの頃政秀寺に居たときは悪僧がたくさんいるって聞かされた。京で商人たちと話していたときも高利貸しをしていると、あまり評判は良くなかった。

「織田殿には伝えました。いずれ何らかの交渉がされるでしょうが、覚悟はしておいてください」
「覚悟……とは?」
「僧を殺める覚悟です」

 思わず息を飲む。
 僧侶の言葉とは思えない。でもそれが現実だった。

「義昭さん。今あなたは不味い状況に居るんですか?」

 今まで感じていたことをはっきりと訊ねる。こそこそ商家の一室を借りて会わなければならないこの状況は明らかに異常だ。

「……今の足利家を仕切っているのは、与一郎だ」

 義昭さんは疲れた表情で呟く。

「家臣たちは私の命令を聞いてくれる。兵士もだ。しかし与一郎と私の意見が食い違ったときは――どうなるか分からない」
「義昭さん……」
「すまないな。愚痴を言ってしまって」

 義昭さんはにっこりと笑った。

「さあ茶を点ててくれ。あの日のようにな」

 僕は義昭さんに同情を覚えた。何とかしてあげたいと思った。



「かなり悩んだけど決めたわ。私、あなたと一緒に暮らしたい」

 夜が明けた頃に帰ると志乃が晴れやかな表情で言った。
 望外だっただけに嬉しかった。
 部屋には曲直瀬道三さん、玄朔、明里さんも居た。

「てっきり残るとばかり思ってたよ」
「雲之介と一緒に暮らしたいしね。後のことは明里に任せるわ」

 傍に控えていた明里さんは「淋しくなるわね」と本当に淋しそうに言う。

「ま、愛する旦那と暮らしたいのは分かるけどね」
「は、恥ずかしいこと言わないでよ!」

 にやにや笑う明里さんに怒る志乃。

「よし。それじゃあ今日の昼過ぎに出よう」
「えっ? 急すぎない?」
「秀吉が大名になったせいで人手が足らないんだ。新しく居城に選んだ今浜城もぼろぼろだしさ」

 僕は「輿を用意するよ」と言って、それから道三さんに頭を下げた。

「すみません。志乃を連れて行ってしまって」
「いいのですよ。志乃さんはあなたの傍にいるのが一番の幸せですから」

 快く言ってくれて安心できた。

 というわけで僕たち家族と長政は一路北近江の今浜に向かった。

「今浜ってどんなところなの?」
「うーん。何も無いところだよ。でもこれから発展すると思う」

 志乃とそんな会話をしつつ、三日後に今浜へ着いた。
 今浜城の中に僕に割り当てられた部屋がある。中に入るとお市さまが茶々と侍女と一緒に散歩していた。

「長政さま! ご無事で何よりです!」
「おお、市! 茶々!」

 すっかり子煩悩な夫の顔になる長政。

「雲之介さんもお久しぶりです」
「ええ。お元気そうで――」

 すると志乃が「雲之介、輿を担いでくれた人が――」と言いながらこっちにやって来た。

「……そちらの方は?」

 うん? お市さまの表情が堅い? 笑顔なのに堅い?

「……雲之介。その人誰?」

 うん? 志乃がちょっと恐い顔になっている?
 しばらく見つめ合う二人。気まずい空気が流れる。

「私、雲之介の『妻』の志乃って言います」

 何故か『妻』を強調させた志乃。

「私は雲之介さんの『初恋の人』、市と申します」

 要らない説明を加えるお市さま。

「あの、二人とも……」

 こういうとき、どうしていいのか分からない。
 長政を見た。さっと目を逸らした。薄情者だ。

「あはははは」
「うふふふふ」

 自然と笑い声が響く。
 背筋がゾッとする。
 誰か、助けてくれ!
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