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不器用な武士

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 さて、六角家攻めが決まったところで今の織田家ととりまく情勢を整理しよう。
 東は松平家、いや三河を統一した段階で姓を改め徳川家になった盟友が遠江を攻め始めた。それと同時に武田家も駿河に侵攻している。だいぶ前に親今川家だった嫡男義信を切腹させてから露骨に軍備を拡張している。

 この二家とは同盟を結んでいる。しかし徳川家はともかく武田家は信用ならないと個人的に思っている。桶狭間で武田は忍びを使って織田家を支援していた。つまり同盟者であっても裏切る可能性が高いということだ。現に今川義元は落命している。
 西には同盟を結んでいる浅井家が居る。一先ずは安泰だ――とは言えない。浅井家のもう一つの同盟相手、朝倉家は織田家を敵視している。この三者の関係が変にこじれなければいいが、はたして大丈夫だろうか?

 まあそんな状況だけど、今回の六角家攻めは六万の軍勢で臨むらしい。美濃を制した今、動員できる人数は大幅に上がっていた。しかも大殿は上洛の障害にならないように、北伊勢を治める滝川一益さまに一万の援軍を送り、南伊勢の北畠家を攻めさせる予定でもある。

 二方面攻撃で必要な兵糧の準備、雇う兵に払う給金の計算、武具馬具の調達等の下準備にてんやわんやになった勘定方の僕と同僚だった。忙しい日々が続く中、僕は大殿が新たな印章を用いたことを知る
 ――天下布武である。
 これは義昭さんを助けて天下、つまり畿内に将軍家の政権を樹立するという意味だ。
 この頃、大殿は義昭さんと話しこんでいた。新しい政治の仕組み、どうやって足利家の政権を維持するか。それらを義昭さんは僕に嬉しそうに話す。

「信長殿は素晴らしいお方だ。本当は彼が将軍をやるべきだけどな」

 義昭さんは話の締めにそう言った。
 あまり言ってはいけない言葉だった。
 でも嬉しい言葉でもあった。

「雲之介、決して無理しないでね? あなた弱いんだから」

 
 美濃、岐阜城城下に建てられた僕の屋敷の前。
 臨月を迎える志乃が出陣前に心配そうな表情で言う。

「大丈夫だよ。これでも足軽大将になったんだから、最前線で戦わないよ」

 優しく髪を撫でる。くすぐったそうな顔を見せる志乃。
 その後ろには志乃の両親の弥平さんとお福さんが居た。娘の出産が心配で尾張の雨竜村から美濃まで駆けつけてくれたのだ。

「雲之介くん。御武運を祈っているよ」
「なるべく怪我をせずに帰ってきてください」

 義理の両親の言葉に僕は頷いた。
 そして――志乃に言う。

「もしかしたら出産の後に帰るかもしれない。大変なときに立ち会えなくてごめん」
「いいのよ。無事に帰ってきて」

 三人と別れて、岐阜城に向かう。
 秀吉たちと合流して、柴田さまを筆頭とする家臣団、そして六万の軍勢と共に北近江の佐和山城に向かった。一緒に六角家攻めする浅井家と軍議をするためだ。

「まあ実際はお市さまに会いたいのだろうよ」
「大殿がそんな理由で立ち寄るかな?」

 馬上で秀吉と話すと「あのお方は意外と身内に甘い」と大笑いした。

「まあそれが大殿の魅力でもあるがな」

 それもそうだと思った。

「そういえば明智殿はいずこに居られる?」
「うん? 前方に居るけど……」

 何故か明智さまを探す秀吉。

「いや。わしの杞憂でなければいいが、明智殿は底が見えぬ感じがしてな」
「そうなのか? 文武両道に優れたお人だと思うけど」
「半兵衛は大殿を狂気の人と評したようだが、わしから見れば明智殿のほうが……まあ今話すことではないな」

 会話を打ち切る秀吉。
 なんだろう。胸がざわつくような。

「おっ。佐和山城が見えたぞ。懐かしいな。あそこでおぬしは長政さまと殴り合ったのだったな」
「よく切腹にならなかったよな……」
「流石の器量人だな。長政さまは」

 それで片付けて良いものだろうか?

 佐和山城に着くと浅井長政さまとその家臣たちが出迎えてくれた。
 長政さまは嬉しそうに「義兄殿、久しいですな!」と歓迎してくれた。
 しかし家臣たちの中には反織田派も居るらしい。緊張感が漂っていた。

「おお、義弟殿。久しいですな。元気そうで何より。お市は?」
「ええ。城内に居ます。お会いになりますか?」
「そうさせてもらおう」

 もしかしたらお市さまに会えるかもと思ったけど、結局は会えなかった。まあ大名の妻になられたお方だから、仕方ないと言えばそれまでだけど。
 長政さまと大殿はその後、互いの家臣を交えながら酒を吞み交わした。
 大殿は下戸なのであまり吞めない。だから僕がお茶を点てて酒の代わりに飲ませた。

「雲之介殿も元気そうで何よりだ」
「長政さまはますます壮健になられたようで」

 僕たちの挨拶に大殿は不思議そうに「お前たちは仲が良いのだな」と言ってきた。
 不味いな。あのことが発覚したら、切腹かもしれない。

「婚礼の儀で世話になったのです。感謝しているのですよ」
「おお。そうであったか。雲之介、褒めてつかわす」

 僕は平伏して「ありがたき御言葉」と言った。冷や汗が凄かった。

「そういえば先代の久政殿は? 一度挨拶せねばならぬと――」

 大殿がそう言いかけると長政さまが「いえ。しなくてよろしいです」と断った。

「というよりお会いにならぬほうが……」
「何故だ? 妹の義理の父なのだから――」

 そのとき、大広間の扉が開いた。
 皆が注目した先には長政さまによく似た壮年の男性が居た。
 立派な口髭をたくわえている。目元が少々悪いけど、嫌な感じはしない。


「貴様が信長か。ふん。顔は良いが中身はどうかな?」

 織田家家臣たちは唖然とした。

「父上! 義兄殿になんてことを!」

 父上? ああ、この人が先代の久政さまか。
 久政さまはどかどか大殿に近づく。
 そして目の前に座り、空の盃になみなみと酒を注ぐ。

「吞め」
「……すまないが俺は下戸でして」
「いいから吞め。貴様の腹の内を見せてみよ」

 大殿はしばらく久政さまを見つめて、盃を取って一気に飲み干した。

「良い吞みっぷりだな。ほら、もう一杯」
「父上! 義兄殿は下戸だと――」
「黙れ! わしはこの男を見定めなければならん!」

 久政さまの大声に応じるように大殿は再び飲み干した。すっかり顔が赤くなってしまっている。
 久政さまが三度注ごうとする。
 それを――大殿は制した。

「先代も吞まれよ……」
「おう。吞むぞ」

 ふらふらになっている大殿に応じるように、自分で注いだ盃を一気に飲み干した。
 そして続けてもう一杯注いで、それも飲み干す。

「わしは貴様のことが嫌いだ」

 久政さまの唐突な言葉に誰も反応できなかった。

「同盟も反対していた。しかし長政がどうしてもと言うものだから承諾してやったのだ」
「…………」
「しかし実際に顔を見合わせても、好く要素が見当たらぬわ。どうして道三が貴様を気に入ったのか、理解できぬ」

 大殿は「よくまあ、言えるものだな……」と呟く。

「同盟者で息子の義理の兄に、暴言を吐くとは……」
「ふん。その息子が甘いから、わしが貴様の価値を見極めなければならぬのだ」

 久政さまはじっと大殿を見つめる。

「貴様と朝倉殿、どちらを支持するか。それを見極めることも重要なのだ」
「……それで、俺は朝倉より劣るのか?」
「さあな。だがこれだけは言っておく」

 久政さまは盃に酒を注いだ。

「貴様のことを好きになることはない。それだけは断言する」

 道理が通っていない。ただのわがままじゃないか。
 よく大殿は怒らずに……いや酔って思考が回らないんだろう。
 だけど、大殿は――予想もしないことを言った。

「俺は、はっきり物を言う人間が、好きだ」
「……なんだと?」
「朝倉との義理を、大事にする、そして、織田家に侮られないように、悪者になる、先代殿。俺は、もっとあなたと語り合いたいぞ……」

 限界が訪れたようで、大殿はそのまま寝てしまった。
 控えていた柴田さまが近習に介抱するように指示した。

「こやつ、わしの魂胆を見抜いただと?」
「父上。これが義兄、織田信長殿です」

 久政さまはしばらく倒れた大殿を見続けて、そしてこう言い放った。

「やはり、こやつは好きになれん!」

 朝倉への義理のために大殿に挑んだ久政さま。
 不器用な武士の生き方を見ているようで。
 僕は不思議と嫌いになれなかった。
 


 翌日。織田家と浅井家の軍勢は六角家へと攻め入る。
 軍議で大殿は秀吉に命じた。

「最前線の和田山城を放置して、箕作城を攻めよ」
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