43 / 256
とんでもない主命
しおりを挟む
お市さまが輿入れして、三ヶ月経った。
突然、行雲さまが清洲城にやってきて、僕の仕事場にふらりと顔を出した。なんでも大殿に呼ばれたという。しかし大殿は美濃攻めの軍議をしていて、待たされていた。だからだろう、話し相手に僕を選んだのだ。
正直話したいことが山ほどあったので、良い機会だった。仕事は同僚に任せて行雲さまと一緒に茶室に向かった。
茶室で茶を点てて、行雲さまに差し出す。流石に作法を心得ていて、出家した身でありながらも優雅に飲み干した。
「雲之介――いや、雨竜殿と言ったほうがいいか?」
「雲之介でいいですよ。行雲さま」
「私は僧でおぬしは武士だ。弁えなければ」
「それでも雲之介で大丈夫です」
茶碗を僕に返す行雲さま。そしてしばらく黙ってしまう。僕は手入れをしながら言葉を待った。
「浅井長政殿のことを聞かせてくれ」
僕は行雲さまに全てを話した。器量人であることも喧嘩したことも、そして約束してくれたことも。
話し終えると感慨深そうに頷いた。
「そうか。お市は良き夫に恵まれたな」
「ええ。本当にそう思います」
行雲さまは「おぬしは苦しい思いをしたな」と率直に言ってくれた。
誤魔化すことなく、真っ直ぐに。
「ええ。苦しくて悲しくて、胸が張り裂けそうでした」
「よく業に打ち勝ったな。素晴らしい」
手放しに褒められて少しだけ照れくさかった。
僕が行雲さまに近況を訊ねようとしたときだった。
がらりと障子が開いた。
「うん? なんだ雲と行兄じゃないか。何してるんだ?」
長益さまだった。僕が姿勢を正して頭を下げると「そんな仰々しくするな」と笑われた。
「源五郎――いや長益か」
「ああ。行兄、元気そうだな」
「おぬし、大きくなったな。だが女癖が悪いと聞く。気をつけろよ」
「なんだ、兄上みたいなことを言わないでくれ」
そういえば二人が会話しているのは見たことなかったな。
なんだか兄弟の会話だ。
「そうだ。兄上が二人を探していたぞ。俺と一緒に来るようにと」
「私と雲之介とおぬし? 一体何の用だ?」
僕たちは顔を見合わせるけど、見当がまったくつかない。
まあ主命であるから、行くしかないだろう。
そういうことで僕たち三人は評定の間に向かった。
「行兄の坊主頭はいつ見ても笑えるな」
「うるさいな。そんなこと言って、長益もいずれ出家するかもしれんぞ?」
「あっはっは。やだね。そしたら女遊びができなくなる。俺は一生! 僧にはならないね!」
なんか長益様がいずれ出家しそうな会話だった。
評定の間には誰も居なかった。とりあえず行雲さまが真ん中で右に長益さま、左に僕が座った。
襖が開いて出てきたのは藤吉郎だった。
「藤吉郎! どうしてここに?」
「うん? 雲之介……ああ、そうだった。おぬしの話題が出たのだった」
藤吉郎は行雲さまと長益さまにお辞儀して、僕たちに向かって言う。
「雲之介と行雲さまと長益さまに命令が下されます。本来は美濃三人衆の調略の打ち合わせだったのですが……」
そして藤吉郎は「とんでもない命令です」と小声で言った。
「ほう。どんな命令だ? 木藤(きふじ)」
「き、木藤? いや、わしからは言えませぬ。大殿から――」
長益さまの問いに藤吉郎が濁すような答えを言ったとき、再び襖が開いて大殿と森可成さまが入ってきた。
僕たちは平伏して大殿の言葉を待つ。
「面を上げよ。ではさっそくだが、お前たち三人と可成にやってもらいたいことがある」
行雲さまが代表して「なんでございましょう」と言う。
「まだ市井の噂が尾張まで広まっていないので、この場に居る者は知らぬと思うが、京の都でとんでもないことが起きた」
京の都? なんだろうか……
「十三代将軍、足利義輝公を知っているな」
全員が頷いた。
大殿は何の感情を込めずに言う。
「三好三人衆と松永久通に御所を襲われて、弑逆された」
誰も驚きのあまり反応できなかった。
世情に疎い僕でさえ、驚くしかできなかったのだ。
行雲さまと長益さま、二人は驚き過ぎて動揺している。
「ま、真にございますか……?」
「行雲、冗談でそのようなことは言わない」
いち早く冷静になったのは、意外にも長益さまだった。
「それで、兄上はどうするつもりなんだ? まさか逆賊を討つつもりなのか?」
その言葉に「まだ時期尚早だ」と短く答える大殿。
「しかし大義名分は手に入れたい。いずれ上洛するためにな」
「……どういうおつもりですか?」
行雲さまの問いに大殿はあっさりと答えた。
「決まっておろう。足利家の正統を継ぐ方を保護するのだ」
足利家の正統を継ぐ……?
「雲之介。長益から聞いたが、興福寺に居られる覚慶殿と親しいそうだな」
「ええ。一度しかお会いしたことはありませんが……」
「そのお方は将軍の弟君だ」
大殿の意図が分かりかけてきた。
そして次の言葉で確信に変わる。
それはとんでもない主命だった。
「興福寺に行って、覚慶殿を連れて参れ。今ならまだ間に合う」
突然、行雲さまが清洲城にやってきて、僕の仕事場にふらりと顔を出した。なんでも大殿に呼ばれたという。しかし大殿は美濃攻めの軍議をしていて、待たされていた。だからだろう、話し相手に僕を選んだのだ。
正直話したいことが山ほどあったので、良い機会だった。仕事は同僚に任せて行雲さまと一緒に茶室に向かった。
茶室で茶を点てて、行雲さまに差し出す。流石に作法を心得ていて、出家した身でありながらも優雅に飲み干した。
「雲之介――いや、雨竜殿と言ったほうがいいか?」
「雲之介でいいですよ。行雲さま」
「私は僧でおぬしは武士だ。弁えなければ」
「それでも雲之介で大丈夫です」
茶碗を僕に返す行雲さま。そしてしばらく黙ってしまう。僕は手入れをしながら言葉を待った。
「浅井長政殿のことを聞かせてくれ」
僕は行雲さまに全てを話した。器量人であることも喧嘩したことも、そして約束してくれたことも。
話し終えると感慨深そうに頷いた。
「そうか。お市は良き夫に恵まれたな」
「ええ。本当にそう思います」
行雲さまは「おぬしは苦しい思いをしたな」と率直に言ってくれた。
誤魔化すことなく、真っ直ぐに。
「ええ。苦しくて悲しくて、胸が張り裂けそうでした」
「よく業に打ち勝ったな。素晴らしい」
手放しに褒められて少しだけ照れくさかった。
僕が行雲さまに近況を訊ねようとしたときだった。
がらりと障子が開いた。
「うん? なんだ雲と行兄じゃないか。何してるんだ?」
長益さまだった。僕が姿勢を正して頭を下げると「そんな仰々しくするな」と笑われた。
「源五郎――いや長益か」
「ああ。行兄、元気そうだな」
「おぬし、大きくなったな。だが女癖が悪いと聞く。気をつけろよ」
「なんだ、兄上みたいなことを言わないでくれ」
そういえば二人が会話しているのは見たことなかったな。
なんだか兄弟の会話だ。
「そうだ。兄上が二人を探していたぞ。俺と一緒に来るようにと」
「私と雲之介とおぬし? 一体何の用だ?」
僕たちは顔を見合わせるけど、見当がまったくつかない。
まあ主命であるから、行くしかないだろう。
そういうことで僕たち三人は評定の間に向かった。
「行兄の坊主頭はいつ見ても笑えるな」
「うるさいな。そんなこと言って、長益もいずれ出家するかもしれんぞ?」
「あっはっは。やだね。そしたら女遊びができなくなる。俺は一生! 僧にはならないね!」
なんか長益様がいずれ出家しそうな会話だった。
評定の間には誰も居なかった。とりあえず行雲さまが真ん中で右に長益さま、左に僕が座った。
襖が開いて出てきたのは藤吉郎だった。
「藤吉郎! どうしてここに?」
「うん? 雲之介……ああ、そうだった。おぬしの話題が出たのだった」
藤吉郎は行雲さまと長益さまにお辞儀して、僕たちに向かって言う。
「雲之介と行雲さまと長益さまに命令が下されます。本来は美濃三人衆の調略の打ち合わせだったのですが……」
そして藤吉郎は「とんでもない命令です」と小声で言った。
「ほう。どんな命令だ? 木藤(きふじ)」
「き、木藤? いや、わしからは言えませぬ。大殿から――」
長益さまの問いに藤吉郎が濁すような答えを言ったとき、再び襖が開いて大殿と森可成さまが入ってきた。
僕たちは平伏して大殿の言葉を待つ。
「面を上げよ。ではさっそくだが、お前たち三人と可成にやってもらいたいことがある」
行雲さまが代表して「なんでございましょう」と言う。
「まだ市井の噂が尾張まで広まっていないので、この場に居る者は知らぬと思うが、京の都でとんでもないことが起きた」
京の都? なんだろうか……
「十三代将軍、足利義輝公を知っているな」
全員が頷いた。
大殿は何の感情を込めずに言う。
「三好三人衆と松永久通に御所を襲われて、弑逆された」
誰も驚きのあまり反応できなかった。
世情に疎い僕でさえ、驚くしかできなかったのだ。
行雲さまと長益さま、二人は驚き過ぎて動揺している。
「ま、真にございますか……?」
「行雲、冗談でそのようなことは言わない」
いち早く冷静になったのは、意外にも長益さまだった。
「それで、兄上はどうするつもりなんだ? まさか逆賊を討つつもりなのか?」
その言葉に「まだ時期尚早だ」と短く答える大殿。
「しかし大義名分は手に入れたい。いずれ上洛するためにな」
「……どういうおつもりですか?」
行雲さまの問いに大殿はあっさりと答えた。
「決まっておろう。足利家の正統を継ぐ方を保護するのだ」
足利家の正統を継ぐ……?
「雲之介。長益から聞いたが、興福寺に居られる覚慶殿と親しいそうだな」
「ええ。一度しかお会いしたことはありませんが……」
「そのお方は将軍の弟君だ」
大殿の意図が分かりかけてきた。
そして次の言葉で確信に変わる。
それはとんでもない主命だった。
「興福寺に行って、覚慶殿を連れて参れ。今ならまだ間に合う」
0
お気に入りに追加
212
あなたにおすすめの小説
GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲
俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。
今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。
「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」
その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。
当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!?
姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。
共に
第8回歴史時代小説参加しました!
和ませ屋仇討ち始末
志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。
門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。
久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。
父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。
「目に焼き付けてください」
久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。
新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。
「江戸に向かいます」
同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。
父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。
他サイトでも掲載しています
表紙は写真ACより引用しています
R15は保険です
鋼鉄の咆哮は北限の焦土に響く -旭川の戦い1947―
中七七三
歴史・時代
1947年11月ーー
北海道に配備された4式中戦車の高初速75ミリ砲が咆哮した。
500馬力に迫る空冷ジーゼルエンジンが唸りを上げ、30トンを超える鋼の怪物を疾駆させていた。
目指すは、ソビエトに支配された旭川ーー
そして、撃破され、戦車豪にはまった敵戦車のT-34の鹵獲。
断末魔の大日本帝国は本土決戦、決号作戦を発動した。
広島に向かったB-29「エノラゲイ」は広島上空で撃墜された。
日本軍が電波諜報解析により、不振な動きをするB-29情報を掴んでいたこと。
そして、原爆開発情報が幸運にも結びつき、全力迎撃を行った結果だった。
アメリカ大統領ハリー・S・トルーマンは、日本本土への原爆投下作戦の実施を断念。
大日本帝国、本土進攻作戦を決断する。
同時に、日ソ中立条約を破ったソビエトは、強大な軍を北の大地に突き立てた。
北海道侵攻作戦ーー
ソビエト軍の北海道侵攻は留萌、旭川、帯広を結ぶラインまで進んでいた。
そして、札幌侵攻を目指すソビエト軍に対し、旭川奪還の作戦を発動する大日本帝国陸軍。
北海道の住民は函館への避難し、本土に向かっていたが、その進捗は良くはなかった。
本土と北海道を結ぶ津軽海峡はすでに米軍の機雷封鎖により航行が困難な海域となっていた。
いやーー
今の大日本帝国に航行が困難でない海域など存在しなかった。
多くの艦艇を失った大日本帝国海軍はそれでも、避難民救出のための艦艇を北海道に派遣する。
ソビエトに支配された旭川への反撃による、札幌防衛ーー
それは時間かせひにすぎないものであったかもしれない。
しかし、焦土の戦場で兵士たちはその意味を問うこともなく戦う。
「この歴史が幻想であったとしても、この世界で俺たちは戦い、死ぬんだよ―ー」
ありえたかもしれない太平洋戦争「本土決戦」を扱った作品です。
雪風工廠(プラモ練習中)様
「旭川の戦い1947」よりインスピレーションを得まして書いた作品です。
https://twitter.com/Yukikaze_1939_/status/989083719716757504
天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。
岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。
けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。
髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。
戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~
田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。
今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。
義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」
領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。
信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」
信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。
かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。
信長最後の五日間
石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。
その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。
信長の最後の五日間が今始まる。
7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】
しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。
歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。
【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】
※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。
※重複投稿しています。
カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614
小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる