上 下
40 / 256

婦人の如し

しおりを挟む
 稲葉山城――かの斎藤道三が天下無双の堅城と評していた、あの稲葉山城が、たった十数名で落城した。それが軍略に疎い僕にも途方のないことだと分かった。

「ど、どうやって攻め落としたんだ?」
「分からん。詳細は不明だ。今、早馬で大殿の使者がこちらに参った」

 藤吉郎にも皆目見当がつかないみたいだ。小一郎さんと小六は一様に信じられないという顔をしていた。

「……それがもし本当ならば、竹中半兵衛という男は大したものだな」

 長政さまがぼそりと呟いた。

「雲之介。おぬしはここで休んでおれ。わしたちはこれから稲葉山城に向かう」
「えっ? 何をするつもりなんだ?」
「決まっておろうが。主命が下ったのだ。竹中半兵衛を説得して織田家に従わせろとな」

 そんなこと、できるのだろうか?
 相手は十数人で稲葉山城を攻め取った勇将。
 それがいかに藤吉郎の弁が立つからと言って、あっさりと応じるんだろうか。
 不安が顔に出ていたのか藤吉郎は僕に「そんなに心配するな」と優しく声をかけてくれた。

「敵の敵は味方という言葉もある。案外すんなりと従ってくれるかもしれん。それに悪くても精々、門前払いだろう」
「……まあそれなら安心するけど」

 そして藤吉郎は長政さまに膝をついて頼んだ。

「長政さま。雲之介をしばらく佐和山城で休ませてくだされ。何、三日で構いませんから」
「まあいいだろう。拙者たちは小谷城へ戻るが、城主の磯野には伝えておく。直経、急ぐぞ」
「ははっ。竹中半兵衛への対策ですな」
「そうだ。織田家と同盟を結んだ今、無関係とはいくまい」

 そして長政さまは遠藤直経さんの肩を借りて布団から立ち上がった。

「木下殿。そして雲之介くん。また会おうぞ」

 そう言い残して、二人は部屋から去っていった。
 長政さまが部屋を出るやいなや、平伏していた藤吉郎は立ち上がり「よし、行くぞ皆の者!」と急いで部屋から出ようとする。

「清洲で待っておるぞ、雲之介!」
「兄者、急ぐのは分かるが……雲之介くん、ゆっくりで構わないよ!」
「兄弟、土産ぐらい買ってこいよ!」

 三人は僕に向かって言ってから、そのまま部屋から出てしまった。
 残された僕は布団を被って寝る。
 身体中が痛いし、さっきまで寝ていたのに眠い。
 でも、寝れそうになかった。

「竹中半兵衛……どんな人だろう」

 軍略家でもなく、武将でもない、文官の僕でも、興奮が抑えられなかった。
 たった十数人で城を落とす。
 史記に出てくる韓信もしくは張良を想起させるような。
 あるいは三国志の諸葛亮孔明みたいだった。

「一度会ってみたいな……」

 考え続けると眠れそうになかった。
 だけど、考えるのはやめられそうになかった――



 それから三日後。僕はまだ痛んではいるけど、尾張まで帰れるくらいの体力がついたので、佐和山城を後にすることにした。
 城に居た間、磯野員昌さんには良くしてもらった。何でも長政さまがあんなに生き生きしていたのは初めて見るという。

「若君はご隠居さま――久政さまの言いなりになっているところがあってな。だからだろう、覇気が感じられなかった。しかし雨竜殿と喧嘩したおかげで険が取れた気がする」

 磯野さんは口髭を蓄えた武将らしい顔つきをしていた。そして城主であるのに関わらず、他家の陪臣の僕に頭を下げた。

「ありがとう。浅井家はこれから大きくなるだろう。そなたのおかげだ」

 長政さまも器が大きい人だったけど、磯野さんも同じくらい大きな人だった。

「お礼を言うのはこちらですよ。長政さまのおかげで、僕は前に進めます」
「そう言ってくれるか。話に聞いていたとおりの人だな」

 磯野さんと話していると自分の小ささを思い知らせるようで恥ずかしい気持ちで一杯だった。
 しかしそれは存外、悪い気分じゃなかった。

 磯野さんと城兵に見送られて、僕は佐和山城を去った。
 僕は長政さまとお市さま、二人のことを思う。
 二人がいつまでも幸せに暮らしてほしい。
 そう祈っていた。

 北近江から美濃へ入り、尾張へと向かうのが最短距離だ。当然、そうやって帰る。途中の市で志乃への土産と藤吉郎たちへの詫びの品を買う。志乃にはかんざし、藤吉郎たちには地酒だ。ついでに小一郎さんのために薬を買っておく。
 こうして一人きりで旅をするのは、何年ぶりだろうか。天気は快晴。頬に当たる風が心地良い。
 もうすぐ季節が夏となる。酷い暑さにならないといいけど。

 竹林に囲まれた街道を歩いていると、三人の旅人らしき者が立ち止まっている。
 一人がうずくまって、二人が介抱している。
 正直厄介事には巻き込まれたくないが、放っておくのも忍びない。それに一本道だからどうしても関わってしまう。
 とりあえず声をかけよう。そう思って近づく。

「もし。大丈夫ですか?」

 近づくとうずくまっているのが女性だと分かった。
 他の旅人二人がこちらを見た。
 一人は絵に描いたように平凡そうな男。
 もう一人は顔色の悪い女だった。介抱されている女性よりも青白い。
 三人とも僕と同じくらいの年齢だった。

「ああ。気分が優れないみたいで、立てないようです」
「そうですか……そういえば、さきほど薬を買ったのです。使えるものがあればお譲りします」

 僕は小一郎さんに渡すはずだった薬を見せる。

「ふうん。頭痛薬に整腸剤、それから胃薬……だいぶ苦労人なのね、あなたは」

 青白い女性が手早く薬を確認する。そして苦しそうな女性に「これ飲みなさい」と薬を取って竹筒と一緒に差し出す。

「あ、ありがとうございます……」
「もう、しっかりしなさいよね。後もうちょっとで近江に着くんだから!」
「姉上。ちささんは長旅に慣れてないのですよ!」

 どうやら平凡そうな男と青白い女は姉弟のようだ。そしておそらくちさという女性は平凡そうな男の妻かもしれない。
 それにしても、青白い女は変な感じがする。水色の小袖。髪は長く、整った顔立ち。だけど化粧が濃い。

「……何見てるのよ」

 こちらを見る視線を感じた。青白い女が怪しんでいる。
 いや、怪しんでいるのはこちらもだけど。

「いえ。何も」
「ふうん。まあいいわ。顔のできたての怪我のこととか気になるけど、あたしたちも急がなくちゃいけない――」

 そこまで言った後、急に振り返る女。見ると遥か後方から馬のいななく声が聞こえる。

「しまった! 急ぐわよ、久作!」
「姉上! ちささんが――」
「私のことは構わず、逃げてください……」

 なるほど。追われているのか。
 僕は「早く竹林に隠れて!」と指示した。

「なんとか誤魔化しますから」
「はあ? あなた、どうして――」
「信じるわよ! ちさ、久作!」

 青白い女が素早く従ってくれたおかげで三人は迫ってくる馬に乗った二人の兵士から隠れることができた。

「おい貴様。三人の男女を見なかったか?」

 馬に乗ったまま、鎧を着た兵士の一人が聞いてきた。

「三人の男女?」
「男二人に女一人だ。知らんのか?」

 男二人に女一人?
 僕はよく分からないけど「ああ。それなら半刻前にすれ違いましたよ」と嘘を吐いた。

「本当か!? どこへ向かった?」
「確か越前へ向かうと話していましたが」

 兵士たちは顔を見合わせた。

「おいどうする? 半刻前ならまだ間に合うか?」
「いや、これ以上他国に居るのは不味い。引き上げよう」

 相談しているときに気づいたけど、二人の鎧には斎藤家の家紋が入っていた。

「邪魔したな」

 そう言って二人の騎馬武者は元来た道に帰っていった。

「……もういいですよ」

 姿が見えなくなってから声をかけると、三人が出てきた。

「危なかったわ。まさか追っ手がここまで来るなんて……」

 青白い女が言ったことに疑問を覚える。
 あの兵士が探していたのは男二人に女一人じゃなかったのか?
 もしかして――

「世話をかけたわね。さあ、二人とも、もうひとふんばりよ!」
「だから姉上。ちささんは限界ですって!」

 僕は見るに見かねて「先を行ったところに宿があるから、そこまで同行しましょうか?」と訊ねた。
 すると平凡そうな男は怪しむように僕を見る。

「どういうつもりですか?」

 僕は他意がないことをどうやって示そうか悩んでいると青白い人が「別にいいじゃない」と男をなだめた。

「どうやら敵じゃなさそうだし。きっと親切で言ってるんでしょう」
「だけど姉上――」
「あなた名前は?」

 僕はほとんど反射的に「雨竜雲之介です」と答えてしまった。

「ふうん。嘘じゃないみたいね。いいわ。信用しましょう」
「……あなたのお名前を伺っても?」

 僕の問いに「言えないわね」とにっこりと笑う青白い人。
 ま、追われているのだから当然か。

「じゃあ、別の質問をしていいですか?」
「……なによ?」

 僕は率直に質問した。

「どうして男なのに、そんな格好と言葉遣いをしているんですか?」

 僕の問いに平凡そうな男が「……どうして分かったんだ?」と不思議そうに呟く。
 疑問が確信に変わった。

「馬鹿ね久作。誤魔化すことを覚えなさいよ」
「ああ! しまった!」

 青白い人――男はちさと呼ばれた女性を抱えて、そして言う。

「改めて名乗るわね。あたしの名は重治と言うわ」
「重治?」
「いえ、こっちのほうが通りが良いわね」

 重治と名乗る、女姿の、女言葉を使う、女顔の男がしたり顔で言う。

「あたし、竹中半兵衛っていうの。よろしくね」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

信長最後の五日間

石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。 その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。 信長の最後の五日間が今始まる。

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...