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男の意地
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斎藤家の軍勢に襲われることなく、僕たちは佐和山城に無事辿り着くことができた。だけど安心はできない。浅井家と対立する南近江の六角家、そして織田家を敵視する朝倉家の介入があるかもしれない――いや、それは考えすぎか。
酒の吞みすぎと寝不足で頭が混乱しているせいもある。神経が過敏になりすぎている。
「いたた……よく雲之介くんは平気だね……一番吞んでたんじゃないか?」
小一郎さんが頭を抱えている。二日酔いで頭痛がするらしい。
「酒に強いみたいで、二日酔いにはならない体質らしいです」
「そうか……羨ましいな……」
別に小一郎さんが弱いわけではない。むしろ並以上に吞める人だ。
おかしいのは異常に強い僕と藤吉郎と小六だろう。
「もうすぐ、佐和山城に入城だな、兄弟」
馬に乗りながら僕に話しかける小六。小一郎さんは馬の揺れで吐きそうだったので、徒歩だったけど、僕たちは馬に乗っている。
「下手な考えは起こさないと思うが、気をしっかり持てよ」
「分かってるさ」
そんな会話をしつつ、入城した。
そういえばと思い出す。一廉の武将であれば、城を見るたびにどう攻めるか、自然と考えるものだと藤吉郎が言っていた。僕は一廉の武将ではないので、意識的に考える。佐和山城は堅固な城で、篭城向きの城だなと素人ながら思った。でも攻め方は分からない。
「木下殿。あれなるは我が主君、浅井長政さまだ」
藤吉郎の隣に並んでいた遠藤直経さんが自慢げに言う。
見ると鎧姿の若武者が馬に乗って数百の兵の先頭に居る。
外見は少々太っている。兜をしているので、顔はよく見えない。
でもこうして屋敷ではなくわざわざ外で待ってくれたのは誠実な気がする。
近づくと長政さまは馬から降りてこっちにやってくる。僕たちも馬を降りた。
「織田家の木下藤吉郎殿だな。拙者、浅井長政と申す」
「ははっ。そのとおりでございます」
「お役目ご苦労だった。婚礼の儀を執り行う。貴殿も参加なされ」
藤吉郎は頭を下げて「かしこまりました」と短く答えた。
僕は胸が張り裂けそうな思いだった。
いよいよ、お市さまが婚姻する。
納得したはずなのに、お市さまも分かってくださったのに。
どうして――
「そちらの方々も参加なさるか?」
長政さまが兜を脱いだ。
顔はとても端整で格好良かった。
「この者共では参加するに身分が軽すぎます。わしだけ参加することにいたします」
優しいな、藤吉郎は。
婚礼の儀なんて、僕は見たくない。その気持ちを分かってくれるなんて。
「左様か。ならば部屋を用意させるから、そこで休まれよ。それと織田家の兵にも酒を振舞おう。直経、手はずを整えてくれ」
「はは。御意に」
気遣いのある大名だなと思う。器量人という噂は正しかったようだ。
これなら――お市さまも幸せになるだろう。
そうやって心に蓋をすることにした。
屋敷の一室で、頭痛に悩まされている小一郎さんの看病をしながら、僕は小六と話していた。
「あの長政っていう殿様、良い人だな」
「ああ。小一郎さんの具合が悪いって分かって、こうして薬と布団まで用意してくれた」
京で高名な医師から処方された頭痛薬を譲ってくれたのだ。
「ああ……本当に助かったよ……」
「小一郎さん、顔色良くなっていますね」
さっきまで死にそうだったのに、すっかり良くなっている。
この分だと横になっていれば治るかもしれない。
「もっと欲しいんだけどね。兄者と居ると頭痛が酷いから」
「それは精神的な問題じゃねえのか?」
小六の言葉に思わず噴き出しそうになった。
まあ小一郎さんは補佐役だし、いろいろと妬まれやすい藤吉郎の折衝役でもあるから、気苦労が絶えないんだろう。
「おっ。笑ったな」
「あ、ごめん。つい」
「いいんだ兄弟。久しぶりに笑ったところが見えて、安心したぜ」
小六の言葉にハッとした。
そういえば、この務めを行なってから、一度も笑っていなかったっけ。
「ああ、そうだな――」
小六に何か言おうとしたとき――
「ごめん。入るぞ」
藤吉郎の声がした。そして僕の背後の障子が開く。
「うん? 早かったな――」
小六の言葉が止まった。なんだと思って振り向く。
そこには藤吉郎の他に――浅井長政が居た。
鎧具足ではない。袴に羽織という婚礼衣装だった。
驚く僕たちを余所に長政さまは「雨竜雲之介殿はそなたか?」と僕に訊ねた。
「は、はい。僕ですが……」
「そうか。ならば拙者はそなたと戦わなければいけないな」
戦う? どういうことだろうか。
意味が分からずに呆然としていると、長政さまは僕にずかずかと近づき。
思いっきり――頬を殴った。
「ぐはっ!」
勢い余って隣の部屋を仕切る襖に当たり、壊してしまう。
「兄弟! てめえ、何しやがる!」
「待て、小六殿!」
小六が思わず立ち上がり長政さまに詰め寄ろうとしたのを小一郎さんが止めた。
「……理由を、聞かせてください」
僕はよろよろと立ち上がり、長政さまに訊ねた。
「どうして、殴ったのですか?」
「……お市が不憫だったからだ」
長政さまは指を鳴らしながら――答えてくれた。
「好いていた男が居たのに、拙者のところに嫁入りしなければいけないこと。戦国の習いとはいえ、可哀想だ」
「…………」
「だが、もっと可哀想だったのは、惚れた男があまりにも女々しく、度胸のないことだった」
それを聞いた僕は思わず「……なんだと?」と言ってしまう。
大名である長政さまに――言ってしまった。
「相思相愛に関わらず、別の女と祝言を挙げ、なおかつお市の気持ちを無碍にした」
「…………」
「本当に愛しているのなら、何故奪わないのだ?」
「……黙れ」
「何故みすみす拙者と婚姻させることを許した?」
「……うるさい」
「情けない男だ。こんな男にお市は何故惚れた? まったく理解できぬ――」
「あんたに何が分かるんだよ!」
僕は、無礼を承知で、長政さまに詰め寄った。
「僕だってお市さまと一緒になりたかったよ! 愛していたさ、恋していたさ! でも無理なんだよ! 大名のあんたには分からねえよ! 身分が違うんだ! 家柄が違うんだよ! 主従を越えて結婚なんてできるわけねえだろ! 僕だって、本当は嫌だ! なんで好いた人が別の男に嫁ぐのを許すんだよ! 許せるわけねえだろ! でも仕方ねえんだよ!」
大声で怒鳴りながら、僕はやっともやもやしていたのが無くなっていくのを感じた。
そうだ。言いたい奴にやっと言えたんだ。
怒りややるせなさを――発散できたんだ。
「僕が一緒になってもお市さまを幸せにできないんだよ! ただの陪臣の足軽組頭がよ、一国のお姫さまを幸せなんてできるわけねえだろ! 分かるか、この苦しみが! 分からねえだろ! だったら口挟んでんじゃねえよ!」
そこまで言って、僕は言葉を止めた。怒りで何も言えなくなったのだ。
はあはあと僕の息遣いだけが、部屋を響かせる。
そして――ハッと気づいた。
目の前に居る長政さまは――僕の怒りを受け止めていた。
受け流すことなく、かといって跳ね返すわけでもなく。
ただ受け止めていた。
「だったら、戦うしかないな」
長政さまが拳を作って、僕と相対した。
「た、戦う……?」
「拙者は、殴りたいのではない。しかし殴られるわけにもいかん。拙者には貴殿を殴る資格も殴られる資格もある。だから――戦うのだ」
長政さまはさらに言った。
「どうした? 憎い恋敵がここにいるぞ? 殴ってこい。そして――戦え」
その言葉を聞いた僕は――嬉しさのあまり、笑った。
「あんたって人は、本当に器量人だな」
僕も同じく、拳を作った。
静まり返る部屋。
「ではご両人。準備は整ったようだな」
藤吉郎が僕たちの間に立つ。
「いざ尋常に――始め!」
その言葉を合図に――始まった。
僕の拳が、長政さまの左頬を殴り。
長政さまの拳が、僕の左頬を殴った。
よろめいたけど、向こうもよろめいている。
「うおおおおおおおおおおおお!」
僕と長政さまは咆哮をあげた。
そこからは――乱打戦だった。
互いに足を止めての、殴り合い。
殴って殴って殴って。
口から血を吐き、骨が砕けそうなくらい、激しく打ち合った。
「殿! 何しているのですか!?」
遠藤直経さま、浅井家の家臣たちが驚いて止めようとするが、藤吉郎と小六が止めてくれた。
まったく、僕は良い主君と兄弟を持ったものだ!
そのうち掴み合いになり、馬乗りになったりなられたりして、互いが疲労困憊になり始めたとき――
「何をしているんですか!?」
僕たちは動きを止めた。
何故なら、白無垢姿のお市さまが、泣きそうな顔で、こっちを見ていたからだ。
「どうして殴り合うのですか!? やめてください!」
その言葉に対して――
「……断り、ます」
「ああ、無理、だな」
二人して――拒絶する。
「そんな、どうして――」
「まだ、決着がついてません……」
「そうだ、まだだ……」
よろよろと立ち上がり、僕たちは何度目か分からないけど、また拳を構えた。
「互いに、もう限界だな……」
「ああ。そうですね……」
それでも、戦うことをやめない。
いや、やめることができない。
自分のためではない。
相手のために、やめない。
「これで、終わりだ……!」
長政さまが大きく拳を振り上げる。
僕も同様に振り上げた。
ごきりと嫌な音が、屋敷に響く。
同時に、互いの顔に、拳が当たった。
ふらりと倒れる、僕と長政さま。
「あ、相打ちで、決着か?」
小六の声。
そんな決着は――許せない!
「う、うおおおおおおお!」
自分でも信じられない大声を上げて、立ち上がった。
おぼつかない、脚で。
ふらふらしながらも。
誰の手も借りずに、立ち上がった。
長政さまは――立ち上がらない。
「はあ、はあ……長政さま……」
「拙者の、負けか……」
僕は藤吉郎を見た。
藤吉郎は――迷わず、宣言した。
「この勝負――雲之介の勝利!」
はは。やった。
だけど、限界だった。
どたんと倒れる、僕。
「――雲之介さん!」
お市さまが、僕に駆け寄ろうとする――
「駄目だ! 来るな!」
お市さまの身体が止まった。
初めて、お市さまを怒鳴ってしまった。
「雲之介、さん……?」
「あなたが向かうのは、そっちだ……」
指差したのは、大の字で倒れている、長政さま。
お市さまの目から、どっと涙が溢れた。
「ああ! なんて優しいんですか!」
優しい? そうじゃない。
本当に優しいのは、長政さまで。
僕はただ臆病で優柔不断なだけだ。
「し、幸せに、お市さま……」
そこで意識を失った。
失う前、切腹だなとぼんやり思った。
でも何故か満足感で満たされていて――
とても、嬉しかった。
酒の吞みすぎと寝不足で頭が混乱しているせいもある。神経が過敏になりすぎている。
「いたた……よく雲之介くんは平気だね……一番吞んでたんじゃないか?」
小一郎さんが頭を抱えている。二日酔いで頭痛がするらしい。
「酒に強いみたいで、二日酔いにはならない体質らしいです」
「そうか……羨ましいな……」
別に小一郎さんが弱いわけではない。むしろ並以上に吞める人だ。
おかしいのは異常に強い僕と藤吉郎と小六だろう。
「もうすぐ、佐和山城に入城だな、兄弟」
馬に乗りながら僕に話しかける小六。小一郎さんは馬の揺れで吐きそうだったので、徒歩だったけど、僕たちは馬に乗っている。
「下手な考えは起こさないと思うが、気をしっかり持てよ」
「分かってるさ」
そんな会話をしつつ、入城した。
そういえばと思い出す。一廉の武将であれば、城を見るたびにどう攻めるか、自然と考えるものだと藤吉郎が言っていた。僕は一廉の武将ではないので、意識的に考える。佐和山城は堅固な城で、篭城向きの城だなと素人ながら思った。でも攻め方は分からない。
「木下殿。あれなるは我が主君、浅井長政さまだ」
藤吉郎の隣に並んでいた遠藤直経さんが自慢げに言う。
見ると鎧姿の若武者が馬に乗って数百の兵の先頭に居る。
外見は少々太っている。兜をしているので、顔はよく見えない。
でもこうして屋敷ではなくわざわざ外で待ってくれたのは誠実な気がする。
近づくと長政さまは馬から降りてこっちにやってくる。僕たちも馬を降りた。
「織田家の木下藤吉郎殿だな。拙者、浅井長政と申す」
「ははっ。そのとおりでございます」
「お役目ご苦労だった。婚礼の儀を執り行う。貴殿も参加なされ」
藤吉郎は頭を下げて「かしこまりました」と短く答えた。
僕は胸が張り裂けそうな思いだった。
いよいよ、お市さまが婚姻する。
納得したはずなのに、お市さまも分かってくださったのに。
どうして――
「そちらの方々も参加なさるか?」
長政さまが兜を脱いだ。
顔はとても端整で格好良かった。
「この者共では参加するに身分が軽すぎます。わしだけ参加することにいたします」
優しいな、藤吉郎は。
婚礼の儀なんて、僕は見たくない。その気持ちを分かってくれるなんて。
「左様か。ならば部屋を用意させるから、そこで休まれよ。それと織田家の兵にも酒を振舞おう。直経、手はずを整えてくれ」
「はは。御意に」
気遣いのある大名だなと思う。器量人という噂は正しかったようだ。
これなら――お市さまも幸せになるだろう。
そうやって心に蓋をすることにした。
屋敷の一室で、頭痛に悩まされている小一郎さんの看病をしながら、僕は小六と話していた。
「あの長政っていう殿様、良い人だな」
「ああ。小一郎さんの具合が悪いって分かって、こうして薬と布団まで用意してくれた」
京で高名な医師から処方された頭痛薬を譲ってくれたのだ。
「ああ……本当に助かったよ……」
「小一郎さん、顔色良くなっていますね」
さっきまで死にそうだったのに、すっかり良くなっている。
この分だと横になっていれば治るかもしれない。
「もっと欲しいんだけどね。兄者と居ると頭痛が酷いから」
「それは精神的な問題じゃねえのか?」
小六の言葉に思わず噴き出しそうになった。
まあ小一郎さんは補佐役だし、いろいろと妬まれやすい藤吉郎の折衝役でもあるから、気苦労が絶えないんだろう。
「おっ。笑ったな」
「あ、ごめん。つい」
「いいんだ兄弟。久しぶりに笑ったところが見えて、安心したぜ」
小六の言葉にハッとした。
そういえば、この務めを行なってから、一度も笑っていなかったっけ。
「ああ、そうだな――」
小六に何か言おうとしたとき――
「ごめん。入るぞ」
藤吉郎の声がした。そして僕の背後の障子が開く。
「うん? 早かったな――」
小六の言葉が止まった。なんだと思って振り向く。
そこには藤吉郎の他に――浅井長政が居た。
鎧具足ではない。袴に羽織という婚礼衣装だった。
驚く僕たちを余所に長政さまは「雨竜雲之介殿はそなたか?」と僕に訊ねた。
「は、はい。僕ですが……」
「そうか。ならば拙者はそなたと戦わなければいけないな」
戦う? どういうことだろうか。
意味が分からずに呆然としていると、長政さまは僕にずかずかと近づき。
思いっきり――頬を殴った。
「ぐはっ!」
勢い余って隣の部屋を仕切る襖に当たり、壊してしまう。
「兄弟! てめえ、何しやがる!」
「待て、小六殿!」
小六が思わず立ち上がり長政さまに詰め寄ろうとしたのを小一郎さんが止めた。
「……理由を、聞かせてください」
僕はよろよろと立ち上がり、長政さまに訊ねた。
「どうして、殴ったのですか?」
「……お市が不憫だったからだ」
長政さまは指を鳴らしながら――答えてくれた。
「好いていた男が居たのに、拙者のところに嫁入りしなければいけないこと。戦国の習いとはいえ、可哀想だ」
「…………」
「だが、もっと可哀想だったのは、惚れた男があまりにも女々しく、度胸のないことだった」
それを聞いた僕は思わず「……なんだと?」と言ってしまう。
大名である長政さまに――言ってしまった。
「相思相愛に関わらず、別の女と祝言を挙げ、なおかつお市の気持ちを無碍にした」
「…………」
「本当に愛しているのなら、何故奪わないのだ?」
「……黙れ」
「何故みすみす拙者と婚姻させることを許した?」
「……うるさい」
「情けない男だ。こんな男にお市は何故惚れた? まったく理解できぬ――」
「あんたに何が分かるんだよ!」
僕は、無礼を承知で、長政さまに詰め寄った。
「僕だってお市さまと一緒になりたかったよ! 愛していたさ、恋していたさ! でも無理なんだよ! 大名のあんたには分からねえよ! 身分が違うんだ! 家柄が違うんだよ! 主従を越えて結婚なんてできるわけねえだろ! 僕だって、本当は嫌だ! なんで好いた人が別の男に嫁ぐのを許すんだよ! 許せるわけねえだろ! でも仕方ねえんだよ!」
大声で怒鳴りながら、僕はやっともやもやしていたのが無くなっていくのを感じた。
そうだ。言いたい奴にやっと言えたんだ。
怒りややるせなさを――発散できたんだ。
「僕が一緒になってもお市さまを幸せにできないんだよ! ただの陪臣の足軽組頭がよ、一国のお姫さまを幸せなんてできるわけねえだろ! 分かるか、この苦しみが! 分からねえだろ! だったら口挟んでんじゃねえよ!」
そこまで言って、僕は言葉を止めた。怒りで何も言えなくなったのだ。
はあはあと僕の息遣いだけが、部屋を響かせる。
そして――ハッと気づいた。
目の前に居る長政さまは――僕の怒りを受け止めていた。
受け流すことなく、かといって跳ね返すわけでもなく。
ただ受け止めていた。
「だったら、戦うしかないな」
長政さまが拳を作って、僕と相対した。
「た、戦う……?」
「拙者は、殴りたいのではない。しかし殴られるわけにもいかん。拙者には貴殿を殴る資格も殴られる資格もある。だから――戦うのだ」
長政さまはさらに言った。
「どうした? 憎い恋敵がここにいるぞ? 殴ってこい。そして――戦え」
その言葉を聞いた僕は――嬉しさのあまり、笑った。
「あんたって人は、本当に器量人だな」
僕も同じく、拳を作った。
静まり返る部屋。
「ではご両人。準備は整ったようだな」
藤吉郎が僕たちの間に立つ。
「いざ尋常に――始め!」
その言葉を合図に――始まった。
僕の拳が、長政さまの左頬を殴り。
長政さまの拳が、僕の左頬を殴った。
よろめいたけど、向こうもよろめいている。
「うおおおおおおおおおおおお!」
僕と長政さまは咆哮をあげた。
そこからは――乱打戦だった。
互いに足を止めての、殴り合い。
殴って殴って殴って。
口から血を吐き、骨が砕けそうなくらい、激しく打ち合った。
「殿! 何しているのですか!?」
遠藤直経さま、浅井家の家臣たちが驚いて止めようとするが、藤吉郎と小六が止めてくれた。
まったく、僕は良い主君と兄弟を持ったものだ!
そのうち掴み合いになり、馬乗りになったりなられたりして、互いが疲労困憊になり始めたとき――
「何をしているんですか!?」
僕たちは動きを止めた。
何故なら、白無垢姿のお市さまが、泣きそうな顔で、こっちを見ていたからだ。
「どうして殴り合うのですか!? やめてください!」
その言葉に対して――
「……断り、ます」
「ああ、無理、だな」
二人して――拒絶する。
「そんな、どうして――」
「まだ、決着がついてません……」
「そうだ、まだだ……」
よろよろと立ち上がり、僕たちは何度目か分からないけど、また拳を構えた。
「互いに、もう限界だな……」
「ああ。そうですね……」
それでも、戦うことをやめない。
いや、やめることができない。
自分のためではない。
相手のために、やめない。
「これで、終わりだ……!」
長政さまが大きく拳を振り上げる。
僕も同様に振り上げた。
ごきりと嫌な音が、屋敷に響く。
同時に、互いの顔に、拳が当たった。
ふらりと倒れる、僕と長政さま。
「あ、相打ちで、決着か?」
小六の声。
そんな決着は――許せない!
「う、うおおおおおおお!」
自分でも信じられない大声を上げて、立ち上がった。
おぼつかない、脚で。
ふらふらしながらも。
誰の手も借りずに、立ち上がった。
長政さまは――立ち上がらない。
「はあ、はあ……長政さま……」
「拙者の、負けか……」
僕は藤吉郎を見た。
藤吉郎は――迷わず、宣言した。
「この勝負――雲之介の勝利!」
はは。やった。
だけど、限界だった。
どたんと倒れる、僕。
「――雲之介さん!」
お市さまが、僕に駆け寄ろうとする――
「駄目だ! 来るな!」
お市さまの身体が止まった。
初めて、お市さまを怒鳴ってしまった。
「雲之介、さん……?」
「あなたが向かうのは、そっちだ……」
指差したのは、大の字で倒れている、長政さま。
お市さまの目から、どっと涙が溢れた。
「ああ! なんて優しいんですか!」
優しい? そうじゃない。
本当に優しいのは、長政さまで。
僕はただ臆病で優柔不断なだけだ。
「し、幸せに、お市さま……」
そこで意識を失った。
失う前、切腹だなとぼんやり思った。
でも何故か満足感で満たされていて――
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