上 下
13 / 256

出立前夜

しおりを挟む
 政秀寺にて、久しぶりに信行さまと会った。
 あの日以来の再会だった。
 寺の本堂で正座をして、向かい合った。

「ずいぶんとさっぱりしましたね。信行さま」
「やめておくれ。もう私は信行でも『さま』を付けられる身分でもない」

 法衣を身に纏い、頭を丸めてしまった信行さま。
 元が美男子だから服装も髪型も似合っているというか似合い過ぎている。
 まるで元々僧侶だったみたいだ。

「傷はすっかり癒えたみたいだな」
「ええ。信行さま――えっと、まだ法名を聞いてないのですが」

 すると信行さまは「ああ。そうだったな」と微笑みながら手を合わせた。

「行雲(ぎょううん)という」
「ぎょううん……」
「禅の教えで行雲流水という言葉があってな。雲は留まることなく行き、水は留まることなく流れる。転じて苦難や悲しみも留まることはない。そんな意味もある」

 なるほど。とても良い法名だと素直に思った。

「信行の行とおぬしの雲を合わせた、というこじつけもできるしな」

 茶化すように信行さま――行雲さまは言う。

「それはとても光栄ですね」
「おぬしには命を助けられたな。ありがとう」
「僕じゃなくて藤吉郎のおかげです。もっと言うならお市さまがきっかけですし」
「それでも、ありがとう」

 にこりと優しく微笑む行雲さまを見ていると、本当に徳の高い高僧のように思える。なんだか憑き物が取れたような感じもする。

「それと申し訳ないが、いずれ私の息子の坊丸も織田家の一家臣として仕えることになる。面倒を見てやってくれ」
「分かりました。確か織田家の庶流の津田を名乗られる予定でしたね」
「ああ。兄上が約束してくださった」

 そういえば柴田さまが養育するらしい。武芸のことは柴田さまから学べるから、それ以外のことを教えてあげよう。

「それではお暇いたします」
「ああ。忙しいのに訪ねてくれてすまなかったな」
「いえ。実を言うと大殿に呼ばれていまして」

 行雲さまは「兄上に?」と不思議そうな顔をした。

「何の用事だろう? ああ、もしかすると褒美がもらえるかもしれないな」
「それはないでしょう。藤吉郎ももらってないのですから」
「ならば直臣に昇格か?」

 直臣、つまり直属の家来になるということで、それはとても名誉なことだろう。
 でも――

「もしそれだったら丁重にお断りします」
「何故だ? おぬしなら上手くやれそうだが」
「僕は藤吉郎の家来ですから」

 藤吉郎のおかげで織田家に仕えられて、こうして何事も無く暮らせているのだ。
 その恩をまだ返していないのに、直臣にはなれない。

「藤吉郎か……」

 行雲さまはしばし考えて、結局何も言わずに「それでは達者でな」と言った。
 少しだけ気になったけど、僕は「それではおさらばです」と本堂から立ち去った。
 行雲さまが言いかけたこと。
 そのことは清洲城に着いた頃にはすっかり頭から消え去っていた。



「雲之介。お前は堺に行ったことはあるか?」

 大広間で大殿が僕に訊ねた。大殿のほかに柴田さまと丹羽さまが居た。そしてどこかで見たような人が一人居た。大殿よりも年上で、柴田さまと同い年のような侍。

「いえ。ございませぬ」

 もしかしたら記憶を失くす以前に行ったことがあるかもしれないけど、覚えてないので行ってないのも同然だった。

「そうか。まあ良かろう。雲之介、お前に命ずる。源五郎のお供として堺に向かえ」

 僕は訳の分からぬままに平伏して「ははっ。慎んでお受けいたします」と応える。

「うむ。良き返事ぞ」

 大殿は満足そうに頷く。

「しかし大殿。堺で僕は源五郎さまのお供として、何をすればよいのですか?」

 藤吉郎から言われたことは、まず命じられたら受けて、それから分からぬことを問うだった。
 まず分かっていることは大殿の弟君に源五郎さまが居ること。確かお市さまと同年に生まれたと聞いている。側室の子らしい。
 それ以外はまったく分からなかった。

「目的は源五郎に茶の湯を学ばせることよ」
「はあ。茶の湯ですか?」

 茶の湯のことは聞いたことがあった。
 なんでも京や堺で盛んに行なわれているものだ。

「そうだ。俺も嗜んでいるが、きちんと習っていない。ゆえに源五郎に習わせて、茶の湯とはいかなるものかを学ばなければならん」
「茶の湯を……」
「俺は近い将来、茶の湯は重要な道具となると睨んでいる。鉄砲と同じくな」

 よく分からないけど大殿が断言したのだから、そのとおりだろう。

「千宗易なる僧に渡りを付けている。堺にてそやつを訪ねよ。ついでにお前も習ってこい」
「えっ? よろしいのですか?」
「許す。源五郎だけでは不安でもある。あやつは気まぐれだからな」

 僕は深く頭を下げた。

「かしこまりました」
「それから堺までの道中は可成と共に行け」

 すると柴田さまと同い年くらいの侍が頭を下げた。
 もしかすると、この方は森可成さまだろうか?
 織田家で武勇の誉れ高い、森可成さま。
 大殿と似た雰囲気の美男子だった。もしも大殿がお年を召されたらこんな感じになるんだろう。そう思うような人だった。

「大殿。源五郎さまの護衛、お任せくだされ」

 森さまは大声で言った。

「よし。出立は明日とする。準備は怠るなよ」

 大殿が柴田さまと丹羽さまと一緒に立ち去った後、森さまは僕に向かって言った。

「線の細い子供だな。よし、道中でいろいろ教えてやろう!」

 少しだけ、不安になった。



「堺で茶の湯修行か。頑張って励めよ」

 藤吉郎は羨ましそうな顔で言う。
 出立の晩。僕は藤吉郎の部屋で食事をしていた。
 何故かいつもよりも豪勢な料理が並んでいて、とても美味しい。

「茶の湯なんか習って、どうするんだろうな」
「決まっておろうが。政治に利用するのだ」

 藤吉郎は簡単に言ったけど僕にはピンと来なかった。

「どういうこと?」
「そうだな。まあ茶は庶民でも飲んでいるし、闘茶など賭け事にも使われていたが、それら下賎なものと線引きしたのが、村田とか言う人物らしい。以来、公家や京や堺の商人の間で流行っている。ま、やんごとなきお方の文化でもある」
「うん。それで?」
「尾張を統一した大殿は次に狙うのは美濃だが、その先に目指すものはなんだ?」

 僕は少し考えて「天下を治めること?」と答えた。

「そうだな。この場合の天下とは京、あるいは畿内のことだ」
「うん。そうだね……あ、上洛ってことか」
「上洛するということはやんごとなきお方たちと関わるということだ」

 だんだんと分かってきた。

「じゃあそのやんごとなきお方との交流を深めるために茶の湯を習う必要があるのか」
「おっ。察しがよくなってきたな。茶の湯を知らぬ大名は田舎者扱いされる。だから否応なく習う必要があるのだ」

 藤吉郎は賢いなあと尊敬の眼差しで見つめると「これは丹羽さまの受け売りだがな」と顔を背けた。
 黙っていればいいのに。意外と正直者だった。

「だから一門の源五郎さまに習わせるのか。でも僕も習っていいのかな」
「いいんじゃないか? 一応わしに大殿が話を通してきたしな」
「うん? 家来の家来だからいちいち許可なんているのか?」
「当たり前だ。そもそも陪臣に命令などできぬわ」

 呆れたように言う藤吉郎。

「でも茶の湯を習えば、役に立つってことだな」
「そうだな。大殿のために――」
「違うよ。藤吉郎のためだよ」

 僕のこの一言に藤吉郎はきょとんとした。

「だって僕は藤吉郎の家来なんだから。それに信行さま――じゃなかった、行雲さまを助けてくれた恩もあるし」
「……恥ずかしいことを恥ずかしげなく言うものだな。おぬしは」

 ぽりぽりと頬をかく藤吉郎。

「まあよい。明日出立だったな。遅れぬように気をつけよ」
「うん……それにしても今日の料理は美味しいな」

 とても藤吉郎が作ったものとは思えない。
 すると何故か嬉しそうな顔をした藤吉郎。

「ふふふ。これはおなごが作ってくれたのよ」
「おなご? 誰だよ?」
「浅野長勝さまの養女、ねね殿よ」

 しまりのないにやけ顔で自慢が始まった。

「気立ての良いおなごよ。歳は若いが、数年後には美女になるだろう。しかもわしを好いておる」
「珍しいね」
「……珍しいとはどういう意味だ?」
「えっ? えっと、その、気立てが良くて美しいって人は珍しいから」

 藤吉郎は「そうだろうなあ」と頷いた。
 なんとか誤魔化せたみたいだ。

「おぬしが懸想しているお市さまもお美しいがな。ねね殿もそれなりに美しい」
「懸想なんてしてないよ」
「ふふふ。何を照れておるのだ? 好意はおなごに示さないと意味がないぞ」

 そんな会話をしつつ、夜は更けていった。
 ねね殿に会うのは、僕が織田家に帰ってきてからだった。
 それはちょうど一年後のことになる――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

和ませ屋仇討ち始末

志波 連
歴史・時代
山名藩家老家次男の三沢新之助が学問所から戻ると、屋敷が異様な雰囲気に包まれていた。 門の近くにいた新之助をいち早く見つけ出した安藤久秀に手を引かれ、納戸の裏を通り台所から屋内へ入っる。 久秀に手を引かれ庭の見える納戸に入った新之助の目に飛び込んだのは、今まさに切腹しようとしている父長政の姿だった。 父が正座している筵の横には変わり果てた長兄の姿がある。 「目に焼き付けてください」 久秀の声に頷いた新之助だったが、介錯の刀が振り下ろされると同時に気を失ってしまった。 新之助が意識を取り戻したのは、城下から二番目の宿場町にある旅籠だった。 「江戸に向かいます」 同行するのは三沢家剣術指南役だった安藤久秀と、新之助付き侍女咲良のみ。 父と兄の死の真相を探り、その無念を晴らす旅が始まった。 他サイトでも掲載しています 表紙は写真ACより引用しています R15は保険です

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

天竜川で逢いましょう 起きたら関ヶ原の戦い直前の石田三成になっていた 。そもそも現代人が生首とか無理なので平和な世の中を作ろうと思います。

岩 大志
歴史・時代
ごくありふれた高校教師津久見裕太は、ひょんなことから頭を打ち、気を失う。 けたたましい轟音に気付き目を覚ますと多数の軍旗。 髭もじゃの男に「いよいよですな。」と、言われ混乱する津久見。 戦国時代の大きな分かれ道のド真ん中に転生した津久見はどうするのか!?

武田義信は謀略で天下取りを始めるようです ~信玄「今川攻めを命じたはずの義信が、勝手に徳川を攻めてるんだが???」~

田島はる
歴史・時代
桶狭間の戦いで今川義元が戦死すると、武田家は外交方針の転換を余儀なくされた。 今川との婚姻を破棄して駿河侵攻を主張する信玄に、義信は待ったをかけた。 義信「此度の侵攻、それがしにお任せください!」 領地を貰うとすぐさま侵攻を始める義信。しかし、信玄の思惑とは別に義信が攻めたのは徳川領、三河だった。 信玄「ちょっ、なにやってるの!?!?!?」 信玄の意に反して、突如始まった対徳川戦。義信は持ち前の奇策と野蛮さで織田・徳川の討伐に乗り出すのだった。 かくして、武田義信の敵討ちが幕を開けるのだった。

信長最後の五日間

石川 武義
歴史・時代
天下統一を目前にしていた信長は、1582年本能寺で明智光秀の謀反により自刃する。 その時、信長の家臣はどのような行動をしたのだろう。 信長の最後の五日間が今始まる。

7番目のシャルル、狂った王国にうまれて【少年期編完結】

しんの(C.Clarté)
歴史・時代
15世紀、狂王と淫妃の間に生まれた10番目の子が王位を継ぐとは誰も予想しなかった。兄王子の連続死で、不遇な王子は14歳で王太子となり、没落する王国を背負って死と血にまみれた運命をたどる。「恩人ジャンヌ・ダルクを見捨てた暗愚」と貶される一方で、「建国以来、戦乱の絶えなかった王国にはじめて平和と正義と秩序をもたらした名君」と評価されるフランス王シャルル七世の少年時代の物語。 歴史に残された記述と、筆者が受け継いだ記憶をもとに脚色したフィクションです。 【カクヨムコン7中間選考通過】【アルファポリス第7回歴史・時代小説大賞、読者投票4位】【講談社レジェンド賞最終選考作】 ※表紙絵は離雨RIU(@re_hirame)様からいただいたファンアートを使わせていただいてます。 ※重複投稿しています。 カクヨム:https://kakuyomu.jp/works/16816927859447599614 小説家になろう:https://ncode.syosetu.com/n9199ey/

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

処理中です...