残心、

橋本洋一

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「あの子、努力したから」

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「歩、凄いじゃないか。三人も倒すなんて!」
「母さんも驚いちゃった!」

 父さんと母さんのいる観客席で、俺は二人に手放しに褒められた。
 自分でもよくやったと思ったから、素直に嬉しかった。

「なんとか勝てて良かったよ。二人も応援に来てくれてありがとう」
「……珍しいな。中学のときは応援に行くと恥ずかしがっていたじゃないか」

 鈴木もいるのにそんなことを言わないでほしい。
 俺は「少しだけ大人になっただけだ」と顔を背けた。

「高橋くん、物凄く強くなりましたよ。これからどんな相手でも倒せます!」
「えっと、君は鈴木真理ちゃんだったね。息子を手伝ってくれてありがとう」

 父さんと母さんに深く頭を下げられた鈴木は「大したことしていません」と丁重に言う。

「強くなったのは高橋くんが頑張ったからです。ほんの少しだけ、ですよ。私が手伝ったのは」
「それがありがたいんだ。剣道に反対していた私が言うのもなんだが、立ち上がるきっかけとなってくれたのは、本当に感謝しているよ」

 鈴木がいてくれたおかげで、俺はまた剣道を始められたし続けることもできた。
 俺もお礼が言いたかったけど、父さんにほとんど代弁されてしまった。

「照れくさいですって。でもまあ、そう言われると嬉しいです。ありがとうございます」

 鈴木と親が打ち解けているのを見ると、気恥ずかしさが次第に増してくる。
 俺は「もういいだろ。下に行くぞ」と鈴木を促した。

「鷲尾の試合を見逃したくない」
「まだ時間あるけど……しょうがないなあ。それでは、また後で」
「ああ。また後で」

 後でまた会うつもりなのか……弱み握られそうで嫌なんだよな。
 観客席から一階へと戻るとき、自販機の前でゆかりと久美子が話しているのを見かけた。

「おーい。ゆかり、久美子」
「あ、高橋先輩だ……ゆかり、恥ずかしがらないでよ」

 あ、そうだった。さっきのやりとりをすっかり忘れていた。
 ゆかりは照れくさそうにしながら「さっきの試合、凄かったね」と俺に言う。

「片手でもあれだけ戦えるって凄い!」
「ありがとうな。見ててくれて」

 俺が笑顔で返すと「高橋くん、その子誰?」と鈴木が不思議そうに訊ねた。
 そういえば紹介していなかったな。

「こいつは鷲尾ゆかり。名前のとおり、鷲尾の妹だよ。久美子の友人でもある」
「へえ。そうなんだ。よろしくね」
「よろしくお願いします。あなたは、クミちゃんのお姉さんですね」
「あ、知っているんだ」

 ゆかりはにこにこしながら「クミちゃんから聞いていました」と答える。
 久美子は何故かにやにやしている。

「へえ。久美子は私のこと、なんて言ってたの?」
「それは――」
「ゆかり。それは内緒だから」

 それから三人は益体のないことをぺらぺら喋り始めた。
 男子の俺にはついていけない内容だったので「先行っているよ」と断りを入れて行こうとする。

「あ、そうだ。高橋先輩。ゆかりに返事しなくていいですか?」
「返事? 何のだ?」
「さっき告白されたんじゃないですか?」

 にやにやしながら言った久美子の言葉にゆかりは顔を真っ赤にした。鈴木はぴきりと笑顔のまま固まった。
 俺は「告白じゃないだろ」と言う。

「親友の兄ってだけだ。恋愛感情とかじゃないだろう」
「へえ。私には――」
「高橋先輩の言うとおりだから! もう! クミちゃんの馬鹿!」
「ほら。本人もそう言っているんだから。鷲尾の試合も近いし。鈴木、見に行くぞ」

 俺は鈴木にそう言って体育館の中に入った。
 鈴木は無言のまま、俺の後をついて行った。

 中に入るとちょうど黄桜高校と双葉工業が整列していた。
 中堅の位置に鷲尾がいる。一年なのにレギュラーなのは少し驚きだった。あいつの実力だったらありえなくもないが……相当努力したんだな。

 双葉工業の面子は本来のレギュラーで、俺たちと戦った奴は藤田を除いて誰もいない。
 藤田は副将の位置立っていた。どうやらレギュラーから外れなかったようだ。
 ま、一回の負けで外されるわけないか。

 主審の合図で互いに礼をして、それぞれの先鋒が試合場の中央に歩み寄って剣を合わせる。

「――始め!」


◆◇◆◇


 試合が進み、中盤になってきた。
 戦況は黄桜高校のほうが有利だった。
 双葉工業は副将の藤田の番になっていたが、黄桜高校は次鋒が負けたばかりだ。

 いよいよ鷲尾の出番となる。
 俺と鈴木が固唾を飲んで見守る中、あいつは試合場で藤田と向かい合った。

 主審の合図で藤田が攻めかかる――鷲尾はそれらをさばいた。
 面や小手、胴や喉を打たれても、冷静沈着に受け流す。
 中学時代とはスタイルが違う。あいつはそんな器用な剣道ができるタイプじゃなかった。
 三村さんの教えか、それとも自分で見つけたのか……

「いりゃあああああああああ!」

 藤田が気合を入れて小手を打つ――それを見越して、鷲尾は当たらないように竹刀を振り上げて、面を打つ。
 いわゆる小手抜き面、返し技である。

「――面有り!」

 あまりに見事な技だったので、観客席から感嘆の声があがる。
 隣にいた素人であるはずの鈴木からも「……凄いね」という呟きが漏れた。

「あの藤田相手に決めるなんて、相当な実力がないとできない……」
「あの子、努力したから」

 いつの間にか、隣に黄桜高校の顧問、三村さんがいた。
 俺は「お久しぶりです」と頭を下げる。

「ええ、久しぶりね。君から見て、鷲尾くんの実力はどう?」
「……かなり強いですね」
「中学のときと比べてもかなり強くなっているわよ。その理由、分かる?」

 俺は首を横に振った。どんな思いで稽古を重ねてきたのか、俺に分かるはずがない。
 三村さんは「中学時代のあなたを目標にしているのよ」と答えた。

「中学時代、あなたは鷲尾くんに負けなかった。ま、十本やれば三本取れるでしょうけど、あの子はあなたを美化し過ぎて、今でも最強だと信じているの」
「それは、買いかぶりすぎですよ」
「私もそう思うわ。だからこそ、あなたに勝たなければいけないのよ」

 三村さんは「それがこの交流試合を開いた理由」と笑った。
 俺ではなく、鈴木が「意味が分かりません」と言う。

「どうして勝たないといけないのか。まるで私には……」
「もう二度と勝てなくなった相手に勝てないと、あの子の剣道に終わりはない。一生囚われてしまうのよ……板崎さんと一緒でね」

 板崎さんの過去、知っていたのか。
 いや弟子だから当然だな。
 事情を知らない鈴木は怪訝な顔をしている。

「それじゃあ俺に負けろって言うんですか?」
「そんなこと言わなくても、あなたは負けるわ。だって、鷲尾くんはあなたより強いんだもの」

 三村さんはそう言い残して立ち去ろうとした。
 その前に鈴木は「高橋くんは必ず勝ちます」と反論した。

「強いから勝つだなんて。剣道部の顧問なのにおかしなことを言いますね」
「……じゃあどういうことなの?」
「強くても負けることはあります。だって、勝負に絶対なんてないんですから!」

 鈴木の言っていることは理論的じゃないし、強がりにしか過ぎなかった。
 熟練者や有識者が聞けば子どもの理屈だって笑うだろう。
 でもどこか俺の心の迷いを払拭してくれる言葉だった。

「……もうすぐ試合が始まるわ。それで結果が分かる」

 その言葉どおり、鷲尾は藤田からもう一本取って。
 双葉工業の大将と戦い、二本先取――ストレート勝ちした。

 俺は鷲尾に勝って中学時代の因縁を断ち切りたい。
 鷲尾は俺に勝って囚われた考えから解放されたい。

 互いに負けられない気持ちがある。
 この日のために、稽古を重ねてきた。
 その成果を俺はあいつにぶつけたい。
 それでようやく、俺は――
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