残心、

橋本洋一

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「特にお前、駄目だよ高橋」

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 結局、鈴木が登校したのは金曜日になってからだった。
 教室であいつの姿を見たときは嬉しかったけど、明らかにどこか無理しているのは分かった。声をかけようかと思ったが、教室だと目立ってしまうのでやめた。きっと鈴木も望んでいないだろうから。

 昼休みに弁当を持って俺は屋上に行った。多分いるだろうなと思って屋上のドアを開けると、案の定、鈴木が膝を抱えて座っていた。俺は努めて感情を出さずに「久しぶりだな」と言って傍に寄る。

「……高橋くん。どうしてここに?」
「今日は天気がいいからな。屋上で食おうと思ったんだ」
「ふうん。そうなんだ」
「ちゃんと飯食っているのか? すげえ顔色悪いぜ」

 真っ青とまでは言わないけど、元気が無さそうな雰囲気がある。
 鈴木は「あまり食欲がないの」と小さく零した。

「昼ご飯も食べていないのか?」
「お腹空いてないし、いいかなって」
「……これやるよ」

 そう言って差し出したのは、母さんが握ってくれたおにぎりだ。片手でも食べやすいように小さく握ってくれている。
 鈴木は不思議そうな顔でおにぎりを見つめて「いいよ。高橋くん食べて」と笑った。その笑みが大切なおもちゃを壊された子供の泣き顔のように見えた。

「いいから食えよ。まさか他人が握ったおにぎりが食えないタイプか?」
「そうじゃないけど……」
「お前にやるから。好きなときに食え」

 無理矢理押し付けてから、自分のおにぎりと弁当を食べ始める。
 おにぎりとフォークを交互に持ち替えながら、俺は鈴木の言葉を待った。
 何か言いたい雰囲気も感じ取れたから。

「やっぱり駄目だね、私。この前高橋くんに慰められたのに、調子取り戻せないよ」
「普通はそうだ。親が離婚したらな」
「……剣道部の様子はどう?」

 俺は「みんな強くなっている」と近況を話し出す。

「角谷先輩や飛田先輩は数段強くなっているし、香田先輩や金井もだいぶ強くなった。これなら黄桜高校や双葉工業にも勝てそうだ」
「ふうん。そうなんだ……」
「でも、みんなお前のこと心配している」

 鈴木は「えっ? 嘘でしょ?」と俺の言ったことを疑っていた。
 俺は「嘘じゃねえよ」と鈴木の驚いた顔を見つめる。

「嘘なんか言うもんか。特に香田先輩なんて淋しがっていたぜ」
「もしかして、みんなに話した?」
「話さねえよ。話せるわけねえだろう? 純粋に心配しているんだよ」
「どうして? 私、部員でも選手でもないのに――」

 俺は「馬鹿野郎」と鈴木に笑って見せた。
 そんなことも気づかないのか、こいつは。

「大切な仲間だからだよ」
「…………」
「お前は嫌かもしれないけど、俺たちとの間には、その、絆ってやつがあるんだよ」

 途中で照れくさくなってしまって、言いよどんでしまったけど。
 俺たちには確かな絆があった。

「俺の世話以外に、他の部員のサポートもしただろう? スポドリ作ったり、疲れたときはケアしてくれたり」
「マネージャーだからね。当たり前だよ……」
「その当たり前のことが、嬉しかったんだよ。剣道はただでさえきついスポーツだからな」

 だからこそ、厳しい視線を持つ飛田先輩でも鈴木のことを悪く言ったことはなかった。
 それは鈴木を信頼していたからだ。角谷先輩だって鈴木がいないと困ると言っていた。

「……あは。まるで青春みたいだね」
「青春に決まっているだろう? 俺たち高校生なんだから」
「ねえ、高橋くん。私――」

 鈴木はようやく、いつもの飄々とした笑顔に戻った。
 これで離婚に踏ん切りが着いたとは思わないけど、少しだけ元気が出たようだった。

「――みんなを支えたいと思う」
「ああ。そうしてくれ」
「もちろん、高橋くんのことも支えるよ! 任せて!」
「それもありがたいな。助かるよ」

 鈴木の腹からきゅうと可愛らしい音がした。
 俺と鈴木は顔を見合わせて――大笑いした。

「あははは。よく分からないけど、お腹空いちゃった」
「ほれ。おにぎり食え」
「うん! いただきます!」

 鈴木はおにぎりをゆっくり食べ始めた。

「美味しい……久しぶりに、作ってもらったご飯食べたかも……」
「ちょっと安心するよな。特におにぎりとか」
「そうだね。高橋くんのママの愛情が詰まっているからね!」
「恥ずかしいこと言うな」

 鈴木はにこにこしている。
 俺は苦笑して、空を見上げる。
 真っ青の中に、雲が一つ、浮かんでいた。


◆◇◆◇


 久しぶりに部活に来た鈴木は「休んでてすみませんでした」と頭を下げた。
 角谷先輩は「何かあったのか?」と優しく訊ねた。

「怪我とか病気とかじゃないよな?」
「えっと……家庭の事情で、休んでいたんです」
「家庭の事情? ……俺たちにできることはあるか?」

 何の迷い無く言った角谷先輩。いつもなら止める飛田先輩も「遠慮なく言えよ」と言ってくれた。香田先輩も金井も同意するように頷く。
 そんな彼らに鈴木は目を丸くして。
 それから満面の笑顔になって言う。

「もう大丈夫です。高橋くんが解決してくれました」
「はあ!? 高橋、お前いいとこ持っていくなよ!」

 香田先輩が俺の肩に手を回してじゃれてきた。
 もがきながら「いいとこってなんですか!」と振り払おうとする。

「俺はただ、鈴木と話しただけですよ!」
「ざけんなよ。何鈴木ちゃんと話したんだ?」
「内緒です! てかいい加減放してください!」

 俺たちを無視して角谷先輩が「ま、解決したならそれでいい」と鈴木に笑いかけた。

「鈴木さんがいないとみんなの士気が下がっちまう。復帰して良かったよ」
「あは。そう言われて嬉しいです」
「これからも俺たちと高橋を支えてやってくれ」

 なんで俺と自分たちを分けたんだと思っていると「どうして高橋くんを分けたんですか?」と同じことを思った鈴木が訊ねた。
 角谷先輩は目を丸くして「そりゃあそうだろ?」と答える。

「だってお前たち――付き合っているんじゃないのか?」

 体育館の中がシーンと静まり返った。
 水を打ったようとはまさにこのことだった。

「……おい高橋。どういうことだ?」

 香田先輩が恐い顔で俺を見る。掴んでいた力も徐々に強くなる。
 金井は「そうだったんですか?」と角谷先輩に訊ねる。

「そうじゃないのか? なあ飛田?」
「……もしそうだとしても、今言うことじゃねえよな?」

 俺は香田先輩から無理矢理離れて「付き合っていないですよ!」と叫んだ。
 このとき、鈴木の顔は見られなかった。恥ずかしいからだ。

「鈴木はただ、俺を手伝ってくれているだけで……」
「そ、そうだったのか。すまん」

 角谷先輩が頭を下げる。
 飛田先輩が「なんていうか、角谷もお前も、駄目だなあ」と言った。

「特にお前、駄目だよ高橋」
「何が駄目なんですか?」
「鈴木の顔、見てみろよ」

 気恥ずかしいが鈴木の顔を見る――鈴木は珍しく、顔を真っ赤にしていた。はっきりと言ってしまえば、照れていた。

「……鈴木?」
「い、いや、その、付き合ってないですし。全然、気になってなんかないです……」

 今まで見たことのない反応。
 呆気に囚われている中、香田先輩が「てめえこの野郎……」と俺に迫って来る。
 何がなんだか分からなかったけど、とりあえず香田先輩から逃げる。

「おいこら! 待て高橋! 先輩命令だぞ!」
「高橋、止まらなくていいぞ。部長命令だ」
「はい! そうします!」

 明日に練習試合があるのにも関わらず、俺たち市立睡蓮高校の剣道部は馬鹿騒ぎをしていた。
 鬼の形相で追いかける香田先輩から逃げながら、その様子を照れて見ている鈴木の顔が見えた。
 鈴木が元気になって良かった。
 これで晴れて、剣道部全員で練習試合に臨めることになった――
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