残心、

橋本洋一

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「久しぶりだな、高橋」

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「それで昨日の練習、みんな最後まで動けたんだ」
「まあな。でも板崎さんが言うには、まだまだ動きに無駄があるらしいけど」

 火曜日の放課後。
 俺は鈴木と屋上で話していた。

 今日は体育館を使えないので、板崎さんの道場で稽古するのだけど、三年生の角谷先輩と飛田先輩が補習で長引いているので、ここで待っていた。終わったらスマホに連絡が来る手はずだ。

 鈴木はにこにこと笑いながら「それなら練習の手伝いに行けば良かった」と言う。

「そういえば、何の用事で来られなかったんだ?」
「ママと買い物行っていたの。最近、一緒にいられなかったから」
「親と仲が良いんだな」

 そこは男子と女子の違いかもしれない。
 鈴木は「普通にママ好きだよ」と笑顔のまま答えた。

「高橋くんも仲良くしておいたほうがいいよ。そんな身体だし」
「はっきりと言いにくいことを言うよな、お前は」
「あは。怒った?」

 別に怒ったりはしない。じめじめした嫌味ではなく、からっとした本音だからだ。

「怒らねえよ」
「ふうん。結構ずぶといんだね」
「……いや、何言われても怒らないってわけじゃねえよ?」

 鈴木との会話は、なんというか、女子と話しているのに緊張感はなかった。
 気の置けない友人のように思えてくる。

「ところで、高橋くんから見て、他の部員の人たちはどうなの?」
「あん? ……性格とかそういうことか?」
「違うよ。強いかどうかだよ」

 難しい問いだった。四人中三人が先輩で、それを評価しろと言うのだから。
 俺は「鈴木。お前はどう思っているんだ?」と逆に問う。

「素人の目から、強いのかどうか、分かるか?」
「えっと。動きはできているけど素早くないって感じかな」

 つまり、基本がなんとかできている程度ということか。

「でも角谷部長は上手いと思った。あの人だけは今の高橋くんより強いんじゃないかな」

 その意見はよく分かった。長身から繰り出される早い面は、片腕の俺では対処しきれない。
 おそらく五本やったら三本取られるだろう。弱小校とはいえ、部長をしているのだから、それ相応の実力がある。

「次に強いのは飛田先輩で、香田先輩、金井くんの順かな」
「まあ妥当な評価だ」
「でも三人は似たり寄ったりかな」

 弱いというわけではないが、平凡より少し上の実力では、強豪の黄桜高校や双葉工業には勝てない。
 もちろん、今の俺や角谷先輩でも勝てるかどうか微妙だ。

「三週間で強くなれるの?」

 鈴木が突然、核心を突くことを言ってきた。
 ハッとして見つめ返す。
 口元が結ばれていて、目も真剣だった。

「……分からねえよ。でも稽古しなくちゃ強くなれねえだろ」

 そう答えるしかなかったのは情けないが、本当にひたすら稽古を重ねるしかなかった。

「それに……鷲尾も待っているしな」
「うん? 鷲尾?」
「なんでもねえよ」

 不思議そうな顔をする鈴木。
 俺は少しその場を離れて、フェンス越しに外の景色を見た。
 右手をフェンスの網に絡ませて、思い出していた。

 中学のときは楽しかった。
 どんどん強くなる自分が誇らしかった。
 いろんな技を覚えることが嬉しかった。

 事故の後、竹刀を握れなくなったのは悲しかった。
 試しに片手で振ろうと思わなかった。
 中学の剣道部の仲間とも離れてしまった。

 でもようやく自分のやりがいが戻ってきそうだった。
 そう、思ってもいいかなと錯覚したかった――

「あ、スマホ鳴っているよ」

 鈴木の一言で現実に戻った俺は、スマホをポケットから片手で取り出す。
 角谷先輩からだった。
 どうやら補習は終わったらしい。

「行くぞ、鈴木」
「うん。分かった」


◆◇◆◇


 それから一週間。
 俺たちは稽古に打ち込んだ。
 地稽古と試合を重ねる毎日。

「最近、竹刀が軽く感じるなあ」

 嬉しそうに香田先輩が言ったが、他のみんなも同じ思いらしく、自分の成長を喜んでいた。

「あと二週間。必死で稽古をしろ」

 土曜日の稽古終わりに板崎さんが俺たちに言った。
 一日中稽古をしたので、流石にみんな疲れていた。
 そこに厳しい檄を飛ばされる。

「当初の予定通り、ここからの二週間は実戦形式の稽古をする」
「実戦形式、ですか?」

 角谷先輩の疑問に「各々に適した戦法を教えていく」と板崎さんは答えた。

「たとえば角谷。お前には上段の構えを会得してもらう」
「上段、ですか?」
「お前の長身を活かす戦法だ」

 そして「他の者にも教えていく」と言った。

「それから高橋。お前はわしと一対一で試合を重ねることになる」
「……それはどうしてですか?」

 俺に何か問題でもあるのか、それともそうしないと強くなれないのか。

「他の者に変な癖が付かぬようにだ。隻腕と戦うとそうなりやすい」
「……以前、片腕の弟子がいたんですか?」

 飛田先輩が素早く訊ねた。
 どうしてそんなことを訊くのか分からなかったが、板崎さんの顔が一瞬だけ曇ったのが見えた。

「……いたことはある」
「そうですか……」

 何故か板崎さんと飛田先輩の間に不穏な空気が漂った。
 そういえば、飛田先輩は板崎さんのことを調べていたような……

「えっと。それでは、僕たちは四人で試合をするんですか?」

 金井が重苦しい空気の中、発言した。
 板崎さんは飛田先輩から目線を外して「時折、わしも相手する」と言った。

「他の質問が無ければ、今日は帰ってゆっくり休め」

 板崎さんが道場から去った後、角谷先輩が「飛田。お前、何か知っているのか?」と詰問した。

「いや、何も知らねえ」
「嘘つけ。お前のことだから、何か隠しているに決まっている」
「だから、何も知らねえって」

 明らかに何か知っている風なリアクションだった。
 角谷先輩が追及しようとすると「もういいじゃないっすか」と香田先輩が言った。

「今日も練習でへとへとですし。そりゃあ板崎さんに興味ないわけじゃないですけど、言いたくないなら無理して聞き出すこともねえでしょ」
「…………」
「さっさと掃除して帰りましょ」

 角谷先輩はしばらく沈黙してから「……そうだな」とこれ以上訊くのをやめた。

「だが、何か問題があったらすぐに報告しろよ」
「ああ。分かっている」

 上級生のやりとりを金井がおろおろしながら見ていたので、俺が安心させるように、右手をあいつの肩に乗せる。

「雑巾がけ、しようぜ」
「は、はい。分かりました」

 鈴木はそんな俺たちを遠くから見つめていた。
 何も言わず、じっと見ていた。

 掃除を終えた俺たちは、板崎さんに挨拶して帰ろうとする。
 そのとき、玄関の前で三人が話しているのが見えた。

 一人は板崎さんでもう一人は黄桜高校の教師、三村さんだ。

「あら。久しぶりね、高橋くん」

 手を振る三村さん。
 俺はそのとき、最後の一人に気を取られて気がつかなかった。

「おい、高橋。知り合いか?」
「……黄桜高校の三村先生です」

 飛田先輩のせっつくような問いに鈴木が代わりに答えてくれた。
 すると角谷先輩の顔色が変わった。

「あの人が、きっかけだったのか……」

 そんな呟きも俺の耳には入らない。
 三村さんの隣にいたそいつも、俺を見て驚いている。

「先生。どうしてここに俺を連れてきたのか、やっと理解できましたよ」
「ええ。あなたも会いたがっていたでしょう?」
「……悪趣味ですよ」

 そいつは俺にゆっくりと近づいた。
 俺もそれに応じて前に出る。

「久しぶりだな、高橋」

 そいつは何とも言えない表情をしていた。
 懐かしいようだが、思い出したくないようだった。
 気まずいけど会いたかった気持ちで一杯のようだった。

 おそらく俺も似た表情だったと思う。
 だけど、返さなければいけないと思った。

「ああ、久しぶりだな……鷲尾」

 目の前にいるのは、中学のときの同級生で同じ剣道部だった男――鷲尾翔。
 かつての親友である。
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