残心、

橋本洋一

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「はあ、はあ。なんてじいさんだよ……」

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「そういえばさ、剣道部にマネージャーとかいないでしょ? 手伝おうか?」

 木曜日、板崎さんの道場。
 いつもの通り、二十本稽古で八本しか取れなかったことに落ち込んでいると、鈴木が自分から手伝うことを提案してきた。

「それは助かるけど、いいのか? そうなると剣道部に入部することになるが」
「そうなの? でもいいよ。ちょっとほっとけないし」
「ほっとけない? 誰が?」

 その疑問に鈴木は俺を指差す。
 当たり前のことを聞いてしまった。我ながら馬鹿なことを言ったな。

「ていうか、なんでお前、俺にそんな構うの?」
「うーん。ちょっとだけこんなことになっちゃったのは、私の責任って思っちゃうところがあって」
「あん? 意味分からねえよ」
「だって、私が高橋くんを筋トレに誘わなければ、面倒なことにならなかったし。剣道部の人たちだって、今頃楽しく剣道していたんじゃないの?」

 それは否定できないが、成り行きというところがないわけではない。
 きっかけは鈴木にあるかもだが、それを言うなら俺があの日、屋上に行かなければこんなことにはならなかった。

「考え過ぎだって。別に責任感じる必要ねえよ」
「そう言ってもらうと少し楽になるけど、やっぱり何かするよ」

 頑として譲らない鈴木。
 ま、助かるのは事実だったので「分かった。手伝ってくれ」と了承した。

「ありがとう。それじゃ、明日から頑張ろう!」

 にっこりと太陽のように笑う鈴木。
 改めて思うけど、クラスのときの鈴木とまるで違う。
 少しだけ、踏み込みたい気持ちはあったけど。
 勇み足にならないかと臆してしまった。

「そうだ。パパからの伝言預かっているんだった」
「達也さんの? なんだ?」
「前々から思っていたけど、パパのこと達也さんって呼ぶの、違和感ある」
「……それが伝言か? それともお前の感想か?」

 鈴木は「感想だよ」と言ってから伝言を言う。

「パパが昨日言ってた。『板崎さんが両手を使ったら気をつけろ』って」
「両手?」

 伝言というより忠告みたいな雰囲気だった。
 鈴木は「あれ? 違ったかな?」と首を捻った。

「確か両手だったと思うけど……」
「剣道で両手使うの当たり前だろ。俺が言うことじゃねえけど」
「それ、ブラック過ぎて笑えないよ?」

 別に笑いを誘うつもりはないが、自分の身体的障害をネタにするのは控えようと思った。

「それじゃ、板崎さんに挨拶して帰ろうか」
「ああ。板崎さん、明日から稽古しに学校来てくれるしな」

 俺は防具袋と竹刀袋を担いで立ち上がる。
 これらは板崎さんからいただいたものだ。

 あの人は恩人だと思う。
 月謝を払ってくれたり、剣道を教えてくれたり。
 でも、どういう意図で教えてくれるのかは未だに分からない。

 そこだけ少し、不思議だった。


◆◇◆◇


 翌日、金曜日。
 授業を終えて、俺は体育館に向かう。
 鈴木と一緒ではない。学校では屋上以外話しかけたことはないし、先に板崎さんを玄関まで迎えに行ってもらっていたからだ。

 体育館のドアを開けると、将野先生と四人の部員が立って話していた。
 俺が入ると会話をやめた。
 そして部長の角谷先輩が「こっち来いよ」と手招きする。
 四人とも胴着に着替えていて、俺はまだ学生服のままだった。

「お前、こいつら知らないだろう? 紹介するぜ。香田銀二と金井一馬。香田は二年で金井は一年だ」

 香田と呼ばれた二年生の先輩は赤みのかかった茶髪の癖毛で、なかなかの男前。面倒くさそうに「うっす」と軽く俺に頭を下げる。
 金井は坊主頭の真面目そうな顔つき。俺に向かって「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。

「そういえば、金井は次鋒だった気がするけど」
「ええ。僕はあのとき、次鋒をやりました」

 月山との勝負のとき戦った部員の中に、混じっていた気がした。
 そのときは大した印象は無かったが……

「僕、初心者で高校から剣道始めました」
「……まだ初めて二ヶ月経っていないのに、あれだけ動けるのか?」

 強くなかったが他の部員と同じくらいの強さだった。
 そう考えると末恐ろしいものを感じる。

「高橋さんの強さに憧れたんです! もっと強くなりたいって思いました!」

 熱を帯びた口調に俺は嬉しくなった。
 いるところにはいるものだな。

「そうか。これからよろしく頼む」
「……俺はあの場にいなかったんだけどな。それに辞める奴がいるなら一緒に辞めるつもりだった」

 面倒臭そうに香田先輩は言う。

「でも飛田先輩に辞めないでくれって言われてよ」
「そりゃそうだろ。退部届を出すの遅かったし、てめえまで辞めたら試合できねえ」

 飛田先輩が苛立ちながら言う。

「でも辞めたらぶん殴るって――」
「言ってねえよな?」

 飛田先輩が将野先生を見ながらドスの利いた声で言う。
 香田先輩はそれ以上言わなかった。
 如実に力関係が分かるやりとりだった。

「た、高橋くん。それで、教えてくれる板崎さんという方は、まだかな?」

 将野先生は目の前の脅迫事件に関わりたくないようで、すぐに話題を変えた。

「今、こっちに来ているはずです」
「……あまり学校に外部の人は入れたくなかったけどね」
「それはすみません」
「でもどうやってここに来るんだ? 案内は必要じゃないのかい?」

 俺は鈴木が案内してくれることを言おうとすると、体育館のドアが開いた。
 そこにはジャージ姿で防具袋と竹刀袋を持った板崎さんがいた。
 後ろには鈴木もいる。

「失礼。ここが稽古場ですかな」
「え、ええ。あなたが板崎さん?」
「そうです。板崎徹治といいます」

 板崎さんの下の名前、初めて聞いたな……

「そ、そうですか……よろしくお願いします」
「うむ。任されよ……高橋、早く胴着に着替えなさい」

 俺の姿を見て素早く言った板崎さん。
 俺は「その前に、紹介させてください」と言う。

「えーと。こちらが板崎さんです。俺の剣道の先生です」
「……そこの女子は?」

 飛田先輩が怪訝な表情で鈴木を指差す。
 俺が言う前に鈴木が「鈴木真理といいます」と頭を下げた。

「高橋くんの手伝いしていたんですけど、今日から剣道部の手伝いをさせていただきます」
「……マネージャーってことか?」

 飛田先輩の呟きに鈴木が「駄目ですか?」と困った顔で言う。

「どうなんだ角谷?」
「将野先生が良いって言うなら良いんじゃないか?」

 角谷先輩が将野先生に水を向けると「き、君の部活は、何かな?」と先生は聞いた。

「転部届を提出しないといけないからね」
「あ、大丈夫です。私、免除でしたので」

 そういえば、毎日屋上にいて、部活動していた記憶がなかった。
 どうやって免除になったんだろうか?

「そ、そうか。なら手続きのほうは、私がやっておく」
「ありがとうございます」
「話は済んだようですな。では高橋が着替え終わるまで、四人の実力を見ておきたい」

 板崎さんの言葉で各々動き出した。
 俺は胴着に着替えに男子更衣室へ行った。


◆◇◆◇


「ふむ。全員筋は悪くない」

 体育館に戻ると少しの間だというのに、防具を着けた四人の部員は息を切らして大の字になっていた。
 一体何をしたのかと鈴木に訊く。

「板崎さんに一本取ってみろって言われて、全員で挑んだらああなったの」
「……四対一で勝ったのか、板崎さんは」

 俺は板崎さんたちに近寄った。
 板崎さんは「早く防具を付けろ」と言う。

「ほら。倒れていないで端に寄れ」
「はあ、はあ。なんてじいさんだよ……」

 飛田先輩が息も絶え絶えになりつつ、香田先輩に肩を貸して、端へと向かう。
 角谷先輩も金井を引きずるように持っていく。
 将野先生ははらはらしながら見守っていた。

 俺が防具を付けて板崎さんと向かい合う。
 ……みんなが見ているが意識しない。

 板崎さんが「えええい!」と声を出しながら俺に面打ちしてくる。
 一歩下がって――いや、伸びてくる。突きだ!
 首を捻ってなんとか避ける。
 板崎さんはそれ以上追撃せず、俺の出方を見ている。

 俺は竹刀を長く持って、遠くから面を打つ。
 当たったと思ったら面を打たれていた。
 いわゆる相面――互いに無効打だった。
 竹刀を滑らせて短く持って、鍔競り合いから、素早く胴を打つ。
 しかしまたしても面を打たれてしまう。

 どうやっても無効にされてしまう。
 はたしてどう攻めたものか。

 竹刀を長めに持って、俺は上段に構えた。
 片手面で板崎さんを狙う――

 板崎さんが素早く間合いに入る。
 そして逆に俺の面を狙ってきた。
 両手で上段に構えていたら、面は狙えないが、俺は片手で構えている。
 面の左側はがら空きだ――

「――面」

 面を付けていても、びゅんっと竹刀がなる音がした。
 避けることはできない。
 受けても竹刀は弾き飛ばされて、打たれるだろう。
 だったら――攻撃するしかない。

「小手ぇええええ!」

 出小手を狙って竹刀を振った。
 何回も何十回も何百回も振った竹刀。
 それが吸い込まれるように小手に当たった――
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