残心、

橋本洋一

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「できないじゃなくて、しないんだ」

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 屋上での一件以来、自然と鈴木を目で追っている。
 それは片想いとか一目惚れのような素敵な感情からではない。
 どんな人間か気になったからだ。
 言ってしまえば好奇心なのだろう。

 鈴木はほとんどクラスメイトと会話しない。
 必要最低限のことだけ話しているという感じだ。
 それでいて疎外されていない。

 なんというか、不思議な空気に包まれているようだった。
 話しかければ喋るし、何なら笑うこともある。
 だけど親しい友人がいるかと言えば……皆無と言っていいだろう。

 休み時間、一人で本を読んでいても。
 昼休み、一人で弁当を食べていても。
 それが当然の光景のように映っている。

 顔立ちが美人でも不細工でもない、平凡そうで特徴のない顔が、そうさせているのだろう。
 影が薄いと一言で言ってしまえば楽だが、そう言えない何か得体の知れないものを感じさせる。

 じっと鈴木を見ていると、こちらの視線に気づいたのか、本から顔を見上げる。
 少しだけ微笑んで、読書を続けた。
 そんな行動を不審に思う。

 あのときから一週間後。
 俺は再び屋上に向かった。

「あれ? 高橋くん。また来たんだ」

 教室と違って満面の笑顔の鈴木。
 俺の指摘に従って、教室から見えない角度のフェンスに背をもたれている。

「来るつもりなんて、なかったけどな」
「じゃあなんで来たの?」

 くすくす笑う鈴木に「お前、教室と違うじゃん」と言った。

「どうして、他の奴にそうやって接しないんだ?」
「そうやって?」
「その、馴れ馴れしいっていうか……」
「だって、面倒だもん」

 鈴木はどこか、達観しているような、どこか疲れた笑顔をした。
 勉強疲れに似た表情だった。

「人と関わって生きるの面倒だもん。中学でそう思った」
「……いじめでも遭ったのか?」
「あは。そう思う?」

 俺は「そんな感じはしねえな」と答えた。

「いじめられた人間は、どこか卑屈な部分があるけど、お前にはそんな感じはない」
「まあね。自慢じゃないけど、いじめられたことはないよ。でもね……」

 言いかけた鈴木だったが、結局首を横に振って「なんでもないよ」と言った。

「それで、どうしてあのとき、俺に馴れ馴れしい態度を取ったんだ?」
「ああ。それは高橋くんがクラスで孤立しているからだよ」

 孤立。それは正しい言葉だった。
 片腕を失くした俺に話しかえる優しさを持つ同級生はいない。
 何度か物を運ぶ際、手伝おうかと言われたぐらいだ。

「高橋くんだったら、私の本性をばらしたりしないよね」
「ばらす相手がいないからな」
「あは。でもさ。どうして高橋くんは人に話しかけないの? 片腕じゃ面倒なことあるでしょ?」

 あっさりと人の急所となる部分を突いてくる。
 まるで一流の剣道家――そんなことを考えるな。

「……面倒なことはあるが、それを人に押し付ける真似はしたくない」
「ふうん。それが高橋くんの建前なんだ」

 含みを持たせるようなことを言う鈴木。
 しかし嫌味が無くすっきりとした声だったから、怒ることができなかった。

「ねえ高橋くん。もしかして、スポーツとかやってた?」

 またも俺の弱い部分を突いてくる鈴木。

「どうしてそう思う?」

 何でもないように答える俺に「この前、手を握ったときなんだけど」と説明し出した。

「手にタコがあったから。それってテニスのラケットとか握ったときにできるものだよね」
「……まあな」
「なるほどね。高橋くん、スポーツマンだったんだ」

 同情するようではなく、ただ事実を述べた風な鈴木。

「ショックだね。片腕失くすなんて」
「…………」
「ちなみに、どんなスポーツやってたの?」

 どんどん踏み込んでくる鈴木に「やけに俺のこと訊いてくるじゃねえか」とやや不機嫌に答えた。

「人に興味無いんじゃないのか?」
「うん? 片腕の無い人に興味持つの当然じゃない?」
「……よくもまあ、そういうこと平気で聞けるよな」

 皮肉を言うと鈴木は思わぬ反撃をしてきた。

「だって、そういうこと聞いてほしいんじゃないの?」
「…………」
「構ってほしいって顔しているよ?」

 図星とまでは言わないが、的外れというほどでもない。
 親ともそんな会話をしてこなかった。
 同じ部活の仲間とさえも。

「誰に分かってほしいのかな? いや、それとも話したいだけのかな?」
「……お前に何が分かるんだよ」
「分からないよ。だって両腕あるもん」

 鈴木はフェンスから背を離して、ゆっくりと俺に近づく。
 俺を無力な子供のように見ている。

「片腕になったことがないし、想像もしたことないもん。ただ爪きりどうやってやるのかなってぐらいかな」
「……足で爪きりを押して切る」
「へえ! そうなんだ!」

 感心したように笑う鈴木。
 無邪気な様子に、デリケートなことを訊ねられたというのに、腹が立たない。

「ねえ。どんなスポーツしてたの?」

 鈴木はふと俺と視線を外し、同じ質問を言う。
 俺は観念して答えた。

「剣道だよ。俺は剣道やってた」
「剣道……片手でもできるんじゃないの?」
「馬鹿言え。できるわけねえだろ」

 勘違いしているようだから、俺は分かるように言い含んで説明する。

「片手で竹刀振るのと両手で振るのとじゃどっちが力要ると思う? それに剣道において右利きは左腕が重要なんだ。それを失ったらどれだけ――」
「あれ? 禁止されているからできないわけじゃないんだ」

 鈴木は俺の言葉を遮った。

「片腕でも試合に出られるなら、すればいいのに」
「だからそんな単純な――」
「素人の私でも分かるくらいのタコができてるし、相当練習したんでしょ?」

 鈴木は俺の眼前まで迫った。
 小柄な鈴木は俺を見上げて言った。

「できないじゃなくて、しないんだ」
「……なんだと?」
「ふふふ。意外と意気地がないんだね」

 今まで散々言われたが、ここに来て頭がかあっとなった。
 片腕をいじられても怒らなかったのに。
 だが必死になって自分に冷静さを強いた。
 相手は女子だ。暴力は振るえない。

「ねえ高橋くん。今日暇?」

 俺の葛藤を見透かしたように、後ろに一歩下がった鈴木。

「やることないからな。なんだ、デートの誘いか?」
「高橋くん、いい人だけどまだそんな気分じゃないかな」

 反撃を試みたが、傷ついただけだった。
 鈴木は可笑しそうにくすくす笑っている。

「私の親戚がやっているスポーツジムがあるんだけど」
「……それで?」
「ちょっと寄っていかない?」

 いきなりの提案に「なんで俺がそこに――」と言いかけたとき、鈴木は急に真面目な顔で言った。

「全然、スポーツしてないでしょ。体育の時間も見学しているし」
「…………」
「運動したほうがいいよ。そしたら気が晴れると思うから」

 運動したくないわけではない。
 むしろ部屋に引きこもっているのは退屈だ。
 さらに言えば、鈴木の態度が真剣そのものだった。

「俺にできる運動なんて……」
「いいから。行こうよ」

 俺の肩を掴んで、屋上の出口方向に反転させて、そのまま背中を押す鈴木。
 突然の強引さになすがまま、歩いてしまう。

「おいおい。親戚でもいきなり行ってもいいのか?」
「大丈夫だよ。小さなジムだから、人もあんまりいないしね」
「でも……」
「男は度胸だよ!」
「……意味が分からねえ」

 きゃっきゃと嬉しそうに鈴木は出口まで来て、俺の代わりにドアを開けた。

「高橋くんならきっと気に入ると思うよ!」
「その親戚……どんな人がやっているんだ?」
「一言で言えば筋肉馬鹿の変人かな」

 それを聞いた俺はムキムキで色黒の筋肉達磨が頭に浮かんだ。

 鈴木が何故人と関わりを持たないのか。
 そして何故俺だけに構ってくるのか。
 疑問はあったが、鈴木の親戚がやっているジムに行くことになった。
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