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暴走と殺意

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 織田家の武将、佐久間と丹羽、藤吉郎による箕作城攻めは困難を極めていた。防備が固まっている和田山城より攻め落とすのは容易いのだか、それでも堅城であることには変わりない。日中、絶え間なく攻め続けているだけれど、一向に落とせる気配がない。

 そんな折、利家率いる赤母衣の軍勢が到着したのは夕暮れのことだった。見ると藤吉郎の兵は皆疲れていて、怪我人も多かった。佐久間と丹羽の兵たちも似たように疲労困憊していた。

「城方はまだまだ意気軒昂で、とてもじゃないが、すぐには落とせないだろうな」

 隣に馬首を並べている佐脇良之は眉を潜めながら、筆頭である利家に言う。遠目からでも分かるほど、城内の炊飯の煙が上がっている。兵糧はまだまだありそうだ。

「藤吉郎と合流しよう。まずは戦った感想でも聞こうや」
「相変わらず、のん気だな」
「味方がこんなに疲れているんだ。敵も相当疲れている。だったら討って出やしないだろうよ」

 佐脇も同じ考えだったのか、特に否定せずに「そりゃそうだ」と頷いた。

「おお! 利家! 到着を待っていたぞ!」

 本陣に利家と毛利新介、佐脇が入ると喜色満面で藤吉郎は出迎えた。
 利家は「なんだ。まるで大勢の援軍が来たかのようだな」と軽口を叩いた。実際は二千しかいない。

「早めに落とす予定が、意外と手こずっていてな。そこに織田家最強の赤母衣衆がやってきたら喜ぶに決まっておろう! しかも猛将である前田利家もいるのだ!」
「口が上手いな。ま、乗せられてやるよ。そんで、現状は?」

 利家の問いに「城方も案外頑張っておる。落とすには後二日はかかるだろう」と藤吉郎は肩を竦めて答えた。

「殿の目論見では一日で落ちるはずだった。しかし、敵もなかなかやる」
「そうか。なら俺たちが助けてやろう」
「かたじけない。まずは行軍の疲れを取ってくれ」

 兵の休息を勧めた藤吉郎。利家は言葉通りにしようとした。すると「夜襲をかけましょう」と陣の中に入りながら、藤吉郎の軍師、竹中半兵衛が青白い顔で言う。

「半兵衛、どういう意味だ?」
「敵は我が軍が夜襲をかけるなどと思っておりません。ならば疲れの少ない赤母衣衆の方々に夜襲していただく存じます」
「ふむう……悪くないが……」

 藤吉郎が躊躇したのは援軍として来た利家たちに、そこまでやらせていいのかと悩んだからだ。別に手柄を取られることを躊躇ったわけではない。それに戦に参加していないとはいえ、行軍の疲れを癒せてない彼らに戦わせるのも申し訳ないと感じた。

「なんだ藤吉郎。俺たちを侮っているのか? さっさと落としてやるよ」

 利家は気持ちよく了承した。藤吉郎は悩んでいた自分が恥ずかしくなった。
 前田利家という男の度量の深さをまだ分かっていなかったらしい。

「そうか。ならば頼む。佐久間様や丹羽様にはそれがしのほうから言っておく。加えてそれがしの隊から蜂須賀小六も参戦させよう」
「おう。夜が明ける前には落としてやるぜ」

 利家たちは藤吉郎の陣から立ち去った。するとすぐに「本当にいいのか? 利家さん」と佐脇が苦言を呈した。

「何がだ? 夜襲をかけることか?」
「そうじゃねえ。あんたより格下だった木下殿がどんどん出世していくことだ」

 それは佐脇だけではなく、新介も感じていたことだ。
 小者や馬屋番だった頃を知っている身としてはあまり面白くない話だった。
 しかし利家はどうでもいいらしく「出世する奴はできる奴なんだよ」と言う。

「俺は構わねえ……けどよ、周りの嫉妬であいつが孤立するようなら、気を付けたほうがいいよな」
「それも俺が言いたかったことじゃねえ。なんつーか、お人よしって言うより、自分の進退に無関心だよな」
「おいおい、赤母衣衆の筆頭って立場は、そんなに軽いのか?」

 思わぬ利家の返しに佐脇は「軽くはねえけどよ……」と口ごもった。
 そこに新介が「これは嫉妬とかではないけど」と口を挟んだ。

「俺はお前と藤吉郎の仲が良いことを知っているし、二人が信頼し合っているのも分かる。だから、あいつが暴走しちまったとき、止められるのはお前しかいないと思う」
「……あいつは暴走なんかしねえよ」
「そうか? お前は昔から、人を信用し過ぎる。人を好きになり過ぎるんだ。成政のことだって、最終的に好きになっていただろう?」

 否定できないことを突き付けられた利家は、何か反論しようとして、結局何も言えないことに気づいて「うるせえ」と呟くしかできなかった。

 藤吉郎が暴走したとき、自分はあいつに何かしてやれるのだろうか?
 夜襲をかける直前まで、利家はそれを考えてしまった。


◆◇◆◇


 赤母衣衆の夜襲はいとも容易く箕作城を落とせた。
 城兵たちが逃げ出したのを見て利家は満足そうに「これで殿の作戦も成功するな」と笑った。

 実際、その通りだった。箕作城が落ちたことで観音寺城に籠っていた六角家当主、六角承禎は城を放棄して逃げ出した。加えて織田家の本軍が支城を次々と落とし、南近江国は織田家の領地となった。

 利家たちは信長に仔細を報告するため、一度本陣に戻った。
 信長は上機嫌に「よくやった」と手放しに褒めた。

「流石、我が精鋭の赤母衣衆だな」
「ありがたきお言葉、感謝いたします」
「これで京への道が開かれた。我らを邪魔する者はおらん――」

 信長がそこまで言うと「それはどうですかね……」と信長の隣にいた武将が笑った。
 利家はそこで初めてその陰気な武将の存在に気づく。

 目の下の隈が凄く、頬もこけている。枯れ木のように痩せていて、顔色が真っ青を通り越して白い。美青年と言ってもおかしくないが、不気味な雰囲気で台無しになっている。
 一言で評すれば――陰気な男だ。

「機内には三好家の勢力が残っていますから……」
「分かっている。だからこそ、義弟殿には活躍してもらいたい」
「あるいは、寝首を掻くかもしれないですけど……」

 ふふふと陰険な笑みを見せる武将に、利家はなんだこいつ頭がおかしいのかと思った。
 その視線に気づいた信長が「ああ。紹介が遅れたな」と言う。

「俺の義弟――浅井長政だ」

 聞いていた噂では律義者で出来人で、立派な大名だった。
 それがなんだか……怪しげな空気を醸している。

「ふふ。よろしくお願いしますよ……」
「はあ……お願いいたします」

 信長はにやにや笑いながら「この義弟はな」と紹介を続ける。

「この俺の首を取りたいと初対面で言ってきた」
「なっ――」
「面白い男だ」

 利家は信長の言っていることを図りかねていた。
 長政のほうを見ると「本当に思っていますよ……」と言う。

「義兄殿は英雄だ。その英雄の首を取れたら……ふふふ……」
「ま、そんな機会など与えんがな」

 和やかに笑っている信長。
 利家は二人の心境が分からない。
 殺したいと願う者と受け入れる者。
 訳が分からなかった。

「それでは、私はこれにて……」

 長政が去っていった後、利家は「どうして許しているんですか?」と問う。
 信長は「面白い男だからだ」と即答する。

「それにあいつはなかなか優秀だ。俺の右腕になってくれるだろうよ」
「……俺は危ういと思いますが」
「今まで、明確に俺を殺そうとした者はいなかった」

 信長はそれが面白くて仕方がなかった。

「信勝のことを思い出すよ」
「殿……」
「歪んでいるとは思うがな。長政の殺意は、あれの愛情表現でもあるのだ」

 利家は理解できなかった。
 しかし理解できようができまいが、京への道は開かれた。
 いよいよ、将軍を奉じて、上洛を行なうのだ。
 それは利家の不安など関係なく、行なわれる――
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