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三人の訪問者
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成政はまず、堺の商人と交渉して銭を融通してもらおうと決めた。
伊賀の忍びとの交渉も重要だが、三河国の岡崎を発展させるには何よりも多くの銭が必要だった。優先順位を考えれば妥当だと彼は考えた。
「お前さま。三人の方が、お会いしたいとのこと」
「三人の方? どういうことだ?」
堺に出立する前日の夜。荷物を整理しているときに成政の妻である、はるが心配そうな顔で夫に伝えた。
成政は「どなたか分かるか?」と冷静に訊ねる。
「それぞれ別用で来られているようです。一人は本多忠勝様。一人は服部正成様。もう一人は本多正信様です」
「ふむ……では三人に事情を聞いてから、各々話すとしよう。客間に案内してくれ」
成政は主君の元康から特別に屋敷を下賜されていた。他国の者である成政は当然、自分の家が無い。さらに言えば他の三河武士と同じ区域で暮らすのは危険だと思われた。何が騒動になるのか、分からないからだ。
しかし元康が大きな屋敷を用意したせいで、三河武士の反感を買うことになってしまったのは痛かった。嫌われ者になるのは仕方ないと思うが、憎まれ役になるのは御免だった。
三人の訪問者を客間に案内させて、時間を置いてから成政は向かう。彼はよく分からない組み合わせだなと考えていた。未来知識から忠勝は武将、服部は元忍者、正信は吏僚であると知っていた。共通項と言えば、松平家の武士であることだが、なかなかどうして珍しい。
「お待たせしました。堺への出立の準備がありましたので」
成政が客間に入る。
左から忠勝、服部、正信の順に座っている。
忠勝は試合のときに見ているが、今は他の二人と同じ略装をしていた。質実剛健な雰囲気を醸し出しており、本当に自分よりも若いのかと疑ってしまう。
真ん中にいる服部はたおやかな笑顔をしている。年相応に見えて、気安く接しられる優し気な男の印象が強い。理不尽なことで怒ったりしないと思わせる穏やかさがあった。
そして最後の一人である正信。成政は彼に見覚えがあった。桶狭間が終わって、大樹寺で元康と会う前、大勢いる三河武士の中で、膝を負傷していて、こちらに好意的な笑みを見せていたのを覚えている。その膝は治っていないらしく、正座をしていなかった。
「…………」
「こんな夜更けにすみませんねえ。いやあ、俺も別の日にしようか悩んだんですけど、必要かなって、これが」
忠勝が話さないので、服部が口を開いた。
印象通り気さくで軽い感じだなと思いつつ、成政は服部から差し出された書状を受け取った。
「これは紹介状ですか?」
「ああ。百地丹波という忍び頭に渡せばいいですよ。きっと忍びを派遣してくれます」
「ありがとうございます。わざわざ自ら届けてくださり……」
「いいえ。遅くなったのは俺のせいですから。それにこうして、美味しいお茶も飲めましたし」
三人の前にはお茶がそれぞれ出されていた。服部の茶碗は空で、正信は半分ほど飲まれ、忠勝は手をつけていない。
「それはなにより。して、他の御ふた方は? 聞かれては不味いことなら場を改めますが」
「私はこの場でも構いません。忠勝殿は?」
素早く答えた正信に対し、忠勝は「……構わぬ」と小声で答えた。
成政は「では正信殿から」と促した。
「恥を承知で言いますが、私は殿と成政殿の会話を盗み聞きしておりました」
「……潔いですね。むしろ清々しさすら感じます」
「あなたの考えた三河木綿の大量生産策、見事でした。三河木綿だけではなく、他の産業でも上手くいきそうです」
正信の誉め言葉に成政はやや警戒した。何の下心なく他人を誉めることなどありはしないのだ。
その予感は的中し、正信は「私にも一枚かませていただきたく存じます」と言う。
「つまり、協力してくださるということですか?」
「好意的な見方をしてくださるんですね。ええ、そのとおりです」
「それは素直に嬉しい。是非協力してください」
話の展開が早すぎて、意外に思った正信は「即断とは驚きですね」と言ってしまった。
「私が他の家臣に頼まれて妨害しに来たとは思わないんですか?」
「いや。それはないでしょう」
成政はここで正信に自身の力を見せつけようと思った。彼に信頼されるには、尊敬されなければならない。それも武力ではなく――知力だ。
「私の内政策の利益が分かるなら、妨害するよりやったほうが松平家のためになる。殿に忠誠を誓う三河武士なら妨害しない。また理解できないものを人は邪魔しようとは思わない。ましてや協力するふりなどして関わらせない」
「…………」
「言葉で反対するかもしれないけど、それが関の山だ――そう思いませんか?」
正信は沈黙を保っていたが、隣の服部は「ひゃあ。すげえ頭回るんですねえ」と驚嘆の声をあげた。
「さしずめ、協力することで殿のお褒めをいただくのが目的でしょう」
「……恐れ入りました。侮っていたつもりはありませんが、そこまで見抜かれるとは」
「いえいえ。しかし私も本多正信殿にご助力願いたいと思いましてね」
成政は「おそらく三河武士の中で算術に長けているのはあなただ」と言う。
「他の家臣は手慣れてないでしょう」
「否定はしません。三河武士は槍働きが上手ですから。しかし私は見てのとおりですから」
膝を指し示す正信。武将としては活躍できないだろうと成政は分かった。
だからこそ、自分にできること――この場合は成政に協力すること――を模索しているのだろう。
次に成政は「それで、忠勝殿は何用で来られた?」と問う。
「他の二人とは異なる用件だと思いますが」
「……俺は一度も負けたことが無かった」
忠勝は静かに語りだす。無口であるのに聞きやすく、自然と耳に入る話し方だった。
「俺の攻撃が、一度も当たらなかった。おそらく俺より強き者と、戦ったのだろう」
「まあ否定はしませんね」
「あなたの強さの秘訣を知りたい」
成政は知ってどうするという言葉が出そうになったが、忠勝の表情を見て単純に強くなりたいのだろうと悟った。そういえば、元康が利家と似ていると言っていたのを思い出した。なるほど、無口で冷静に見えるだけで、本当は熱い男なのだろう。
「鍛錬を積むことだ。自分よりも強い者や自分とは異なる強さを持つ者。そういう相手と戦い続ける。それしか強くなる方法はない」
「…………」
「思うに、忠勝殿は負けた経験がないのだろう。だから――私に勝てなかったのだ」
忠勝は「……負けた経験?」と首を傾げた。
成政はこの若者に教えてあげないといけないなと思った。
「どうして自分が負けたのか。こうすれば勝てたのではないか。そうやって考えることは無意味ではない。忠勝殿、あなたは勝利よりも敗北をたくさん知るべきです。百回負けることで、不利な戦場で生き残る方法を見出せるでしょう」
成政は続けて「もしあなたが敗北を知りたいのなら」と言う。
「私があなたの鍛錬に付き合おう。それがここに来た目的ではないですか?」
「…………」
忠勝は無言で、無表情のまま、成政を見つめた。
それから、頭を少しだけ下げる。
「……どうか、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「ああ、任せてください」
このやりとりを見ていた服部は「文武両道ってこういう人を指すんだなあ」と笑った。
「すげえ人が松平家に入りましたね」
「まったくですね」
正信が同意したところで、今度は成政が問う。
「唐突ですが、お三方は松平家をどうしたいと思いますか?」
まず服部が答えた。
「そりゃあ、日の本に名を轟かす、大大名にしたいですよ」
次に正信が答えた。
「私は日の本一の豊かな国にしたいです」
最後に忠勝は答えた。
「……考えたことが無い」
成政は三人の答えに頷いてから自身の考えを述べた。
「私は、松平元康様に、天下を取らせたい」
「お、大きく出ましたね……」
「正信殿、できないと思いますか?」
正信は答えることができなかった。
あまりに成政の表情が真剣そのものだったから。
「私は、本気ですよ」
成政はいつか利家が池に岩を投げ込んだときを思い出した。
波紋だけではない、大きな変革を起こさなければならないと感じていた。
伊賀の忍びとの交渉も重要だが、三河国の岡崎を発展させるには何よりも多くの銭が必要だった。優先順位を考えれば妥当だと彼は考えた。
「お前さま。三人の方が、お会いしたいとのこと」
「三人の方? どういうことだ?」
堺に出立する前日の夜。荷物を整理しているときに成政の妻である、はるが心配そうな顔で夫に伝えた。
成政は「どなたか分かるか?」と冷静に訊ねる。
「それぞれ別用で来られているようです。一人は本多忠勝様。一人は服部正成様。もう一人は本多正信様です」
「ふむ……では三人に事情を聞いてから、各々話すとしよう。客間に案内してくれ」
成政は主君の元康から特別に屋敷を下賜されていた。他国の者である成政は当然、自分の家が無い。さらに言えば他の三河武士と同じ区域で暮らすのは危険だと思われた。何が騒動になるのか、分からないからだ。
しかし元康が大きな屋敷を用意したせいで、三河武士の反感を買うことになってしまったのは痛かった。嫌われ者になるのは仕方ないと思うが、憎まれ役になるのは御免だった。
三人の訪問者を客間に案内させて、時間を置いてから成政は向かう。彼はよく分からない組み合わせだなと考えていた。未来知識から忠勝は武将、服部は元忍者、正信は吏僚であると知っていた。共通項と言えば、松平家の武士であることだが、なかなかどうして珍しい。
「お待たせしました。堺への出立の準備がありましたので」
成政が客間に入る。
左から忠勝、服部、正信の順に座っている。
忠勝は試合のときに見ているが、今は他の二人と同じ略装をしていた。質実剛健な雰囲気を醸し出しており、本当に自分よりも若いのかと疑ってしまう。
真ん中にいる服部はたおやかな笑顔をしている。年相応に見えて、気安く接しられる優し気な男の印象が強い。理不尽なことで怒ったりしないと思わせる穏やかさがあった。
そして最後の一人である正信。成政は彼に見覚えがあった。桶狭間が終わって、大樹寺で元康と会う前、大勢いる三河武士の中で、膝を負傷していて、こちらに好意的な笑みを見せていたのを覚えている。その膝は治っていないらしく、正座をしていなかった。
「…………」
「こんな夜更けにすみませんねえ。いやあ、俺も別の日にしようか悩んだんですけど、必要かなって、これが」
忠勝が話さないので、服部が口を開いた。
印象通り気さくで軽い感じだなと思いつつ、成政は服部から差し出された書状を受け取った。
「これは紹介状ですか?」
「ああ。百地丹波という忍び頭に渡せばいいですよ。きっと忍びを派遣してくれます」
「ありがとうございます。わざわざ自ら届けてくださり……」
「いいえ。遅くなったのは俺のせいですから。それにこうして、美味しいお茶も飲めましたし」
三人の前にはお茶がそれぞれ出されていた。服部の茶碗は空で、正信は半分ほど飲まれ、忠勝は手をつけていない。
「それはなにより。して、他の御ふた方は? 聞かれては不味いことなら場を改めますが」
「私はこの場でも構いません。忠勝殿は?」
素早く答えた正信に対し、忠勝は「……構わぬ」と小声で答えた。
成政は「では正信殿から」と促した。
「恥を承知で言いますが、私は殿と成政殿の会話を盗み聞きしておりました」
「……潔いですね。むしろ清々しさすら感じます」
「あなたの考えた三河木綿の大量生産策、見事でした。三河木綿だけではなく、他の産業でも上手くいきそうです」
正信の誉め言葉に成政はやや警戒した。何の下心なく他人を誉めることなどありはしないのだ。
その予感は的中し、正信は「私にも一枚かませていただきたく存じます」と言う。
「つまり、協力してくださるということですか?」
「好意的な見方をしてくださるんですね。ええ、そのとおりです」
「それは素直に嬉しい。是非協力してください」
話の展開が早すぎて、意外に思った正信は「即断とは驚きですね」と言ってしまった。
「私が他の家臣に頼まれて妨害しに来たとは思わないんですか?」
「いや。それはないでしょう」
成政はここで正信に自身の力を見せつけようと思った。彼に信頼されるには、尊敬されなければならない。それも武力ではなく――知力だ。
「私の内政策の利益が分かるなら、妨害するよりやったほうが松平家のためになる。殿に忠誠を誓う三河武士なら妨害しない。また理解できないものを人は邪魔しようとは思わない。ましてや協力するふりなどして関わらせない」
「…………」
「言葉で反対するかもしれないけど、それが関の山だ――そう思いませんか?」
正信は沈黙を保っていたが、隣の服部は「ひゃあ。すげえ頭回るんですねえ」と驚嘆の声をあげた。
「さしずめ、協力することで殿のお褒めをいただくのが目的でしょう」
「……恐れ入りました。侮っていたつもりはありませんが、そこまで見抜かれるとは」
「いえいえ。しかし私も本多正信殿にご助力願いたいと思いましてね」
成政は「おそらく三河武士の中で算術に長けているのはあなただ」と言う。
「他の家臣は手慣れてないでしょう」
「否定はしません。三河武士は槍働きが上手ですから。しかし私は見てのとおりですから」
膝を指し示す正信。武将としては活躍できないだろうと成政は分かった。
だからこそ、自分にできること――この場合は成政に協力すること――を模索しているのだろう。
次に成政は「それで、忠勝殿は何用で来られた?」と問う。
「他の二人とは異なる用件だと思いますが」
「……俺は一度も負けたことが無かった」
忠勝は静かに語りだす。無口であるのに聞きやすく、自然と耳に入る話し方だった。
「俺の攻撃が、一度も当たらなかった。おそらく俺より強き者と、戦ったのだろう」
「まあ否定はしませんね」
「あなたの強さの秘訣を知りたい」
成政は知ってどうするという言葉が出そうになったが、忠勝の表情を見て単純に強くなりたいのだろうと悟った。そういえば、元康が利家と似ていると言っていたのを思い出した。なるほど、無口で冷静に見えるだけで、本当は熱い男なのだろう。
「鍛錬を積むことだ。自分よりも強い者や自分とは異なる強さを持つ者。そういう相手と戦い続ける。それしか強くなる方法はない」
「…………」
「思うに、忠勝殿は負けた経験がないのだろう。だから――私に勝てなかったのだ」
忠勝は「……負けた経験?」と首を傾げた。
成政はこの若者に教えてあげないといけないなと思った。
「どうして自分が負けたのか。こうすれば勝てたのではないか。そうやって考えることは無意味ではない。忠勝殿、あなたは勝利よりも敗北をたくさん知るべきです。百回負けることで、不利な戦場で生き残る方法を見出せるでしょう」
成政は続けて「もしあなたが敗北を知りたいのなら」と言う。
「私があなたの鍛錬に付き合おう。それがここに来た目的ではないですか?」
「…………」
忠勝は無言で、無表情のまま、成政を見つめた。
それから、頭を少しだけ下げる。
「……どうか、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
「ああ、任せてください」
このやりとりを見ていた服部は「文武両道ってこういう人を指すんだなあ」と笑った。
「すげえ人が松平家に入りましたね」
「まったくですね」
正信が同意したところで、今度は成政が問う。
「唐突ですが、お三方は松平家をどうしたいと思いますか?」
まず服部が答えた。
「そりゃあ、日の本に名を轟かす、大大名にしたいですよ」
次に正信が答えた。
「私は日の本一の豊かな国にしたいです」
最後に忠勝は答えた。
「……考えたことが無い」
成政は三人の答えに頷いてから自身の考えを述べた。
「私は、松平元康様に、天下を取らせたい」
「お、大きく出ましたね……」
「正信殿、できないと思いますか?」
正信は答えることができなかった。
あまりに成政の表情が真剣そのものだったから。
「私は、本気ですよ」
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