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誰が継ぐ?
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信行に対抗するため、信長の命で名塚砦が築かれている頃、利家は兄の利玄に連れられて、実家近くの沼で釣りをしていた。
利家はのん気なことしていられる情勢じゃないんだけどなと、釣竿のうきを見つめながら考えていた。だけど何故か、利玄の誘いを断れなかった。
彼にも理由は分からないが、利玄と語り合いたいと思ったらしい。
あんなにも苦手に思っていた、実兄と話したい。
しかし当の利玄はにこにこ笑いながら、利家と話すことなく、釣りを楽しんでいた。
未だに釣れない利家と違って、もう既に五匹の魚を釣り上げていた。
昔からこういうところが器用なんだよなと利家は感心した。
「なあ利玄兄。何か用件あるんだろ?」
元々、焦らされるのが嫌いな利家である。
我慢できずに自分から訊ねてしまう。
「用件? ああ、釣りをしたいってのは、ただの建前だ。よく気づいたな」
「馬鹿にするなよ。俺ぁ頭良くねえけどよ、そんぐらいは分かる」
「お前とは一度、腹を割って話しておきたいと思ってな」
利玄は釣竿を引き上げた。
その先には大きな魚が釣れていた。
手早く魚から釣り針を外し、餌を付けて沼に投げる。
「腹を割って話すって……どういう意味だよ」
一連の動作を見ていた利家は、終わったのを見計らって利玄に訊ねる。
利玄は「今後の前田家のことだ」と言う。
「お前、当主になっちまえよ」
「……今度は言っている意味が分からねえ」
「そのままの意味だよ。前田家の当主になれってんだ」
いつだって飄々としている利玄だったが、その言葉にはどっしりとした重みがあった。
利家は「俺は四男だぜ?」と当たり前のことを言う。
「継げるわけねえだろうが」
「……やっぱりお前はそうなんだな」
利玄は釣竿をゆっくり動かしながら利家を見ずに言う。
「四男だから継げない。お前の理由はそれなんだな」
「……言いたいことがあるなら言えよ」
「それはこっちの台詞だ。お前は――できることなら当主になりたいんだろ?」
思いもよらない言葉だった。
利家は思わず沈黙してしまう。
「お前は、元かぶき者だ。だから『ちゃんとしてねえ俺が当主になれるわけねえだろ』と言うべきだった。しかし、四男だからという理由を真っ先に述べた」
「…………」
「つまり、当主をやれる自信があるってことだ」
ごくりと生唾飲み込んだ利家。
利玄は続けて言う。
「はっきり言えば、嫡男である利久の兄貴は凡庸だ。身体も病弱だけどな。性格は悪くねえけど、長所はそのくらいだ。前田家を盛り立てる器じゃない」
「……じゃあ利玄兄が継げばいいじゃねえか」
利玄は淋しげに「俺は、そういうの駄目だ」と笑った。
「俺は昔から、飄々とした人間になりたかった。いつも冷静で、馬鹿やっている人間を嘲笑って、みんなから一歩引いたところにいる。そんな奴が格好いいと思っていた」
「…………」
「かぶき者のお前には分からねえだろうな。事実、俺のことをつかみどころのない、何を考えているのか分からない兄だって思っていただろう?」
利家は答えることができなかった。
ずばりそのとおりだったからだ。
「俺は飄々とした人間に憧れて、実際そのとおりの人間になったが――情熱を失った」
「情熱……」
「大切な誰かのために戦うには、そいつが必要だ。俺にはそれがない。そんな奴が家族を、一族を守れると思うか?」
利家はその問いに頷くことができなかった。
認めてしまえば、利玄が傷つくと思ったからだ。
「それに、俺みたいな奴は中心じゃなくて、補佐に向いているのさ」
「だったら、利久兄を支えてやればいいじゃねえか」
「いいや。俺は――お前を支えたい」
利玄は真剣な眼差しで利家に言う。
「お前が馬鹿みたいに突っ走っているのを抑える役目のほうが性に合っている」
「……どうしたんだ? いつもの利玄兄らしくねえよ」
「腹を割って話しているからな。それにお前が羨ましく思っているんだ」
飄々とした人間が、かぶき者に憧れていた。
一体誰が、そんなことを想像できただろうか?
「好き勝手に馬鹿やって。楽しく毎日過ごして。そんなお前が羨ましかった」
「…………」
「憧れはしなかったが、一度でいいから代わってみたいと思った」
弟に兄は羨望を抱いていた。
言葉にしてみれば単純なことだけど。
不出来な弟は、小器用な兄の本音に驚いた。
「お、俺は、利玄兄が……苦手だった」
「それは知っている」
「でも、嫌いじゃなかった」
利玄はそれを聞いて、目を見開いた。
弟もまた、本音を言うとは思わなかったからだ。
「利玄兄は、いつだって――俺の味方だったから」
「そりゃ、弟を助けるのは、兄の役目だからな」
「それでも、俺は嬉しかった」
利家は利玄を見ながら言う。
もはや釣りのことは頭に無かった。
「利玄兄は、俺と親父が言い争っているところを仲裁してくれた。悪戯の罰で俺が飯抜きだったときに、黙って自分の飯をくれたこともあったし、子供の頃はこうしていろいろ遊んでくれた。熱田の祭りのときは、出店でいろんなもん買ってくれた。たまに冷たいところがあったけど、最後は俺を助けてくれた」
言い終わった利家は、最後ににっこりと笑った。
「だから、利玄兄は暖かい人だよ。家族や一族だって守れる」
「…………」
「飄々とした性格でもよ、情熱ぐらい持てるさ」
利玄はじっと言ってくれた利家を見て。
それから沼の水面を見つめた。
そして――軽く笑った。
「利家……」
「なんだ? 利玄兄――」
「糸、引いているぜ」
水面を見ると、糸が激しく上下に動いている。
利家は慌てて「うおおおお!?」と喚いて釣竿を引き上げようとする。
「は、早く言えよ! いや、今言うことか!?」
「あははは。悪かったな」
なんとか釣竿を引き上げて、大物の魚を釣りあげた利家。
そんな彼に利玄は言う。
「ありがとな、利家」
利家は、初めて利玄に礼を言われたと気づいた。
だから、彼も普段は言えないことを言う。
にっこりと微笑んで言う。
「俺のほうこそ、いつも助けてくれて、ありがとうな」
かぶき者と飄々とした者。
性質がまったく違う者たちが本音を言い合った日であった。
◆◇◆◇
「いよいよ、不肖の息子、信長との戦が始まりますね」
信行の居城、末森城。
その一室で、彼らの母親、土田御前が笑っていた。
ようやく、彼女の悲願が叶いそうだったからだ。
「こちらは千七百。対する信長は七百です」
部屋にいたのは、信行の家老である柴田勝家だった。
神妙な顔で応じている彼に、土田御前はまるで少女のように微笑んだ。
「やはり、信行に付き従う者が多いそうですね」
「信行さまは、聡明なお方ですからね」
「ええ。私に似て美しい……あなたもそう思うでしょう?」
柴田にそう笑いかける土田御前。
「真面目で才能のある信行ならば、織田家をますます発展させていけます」
「ええ。そのとおりですね」
「その折には、あなたも励んでもらいますよ」
土田御前は柴田を愛おしく思っていた。
夫の信秀よりも、ずっと。
「ははっ。お任せくだされ」
柴田はじっとりと彼を見つめる土田御前の視線に合わせることなく、必要最低限の言葉で応じた。
柴田は自分が縛られていることを自覚していた。
「ふふふ。楽しみにしておりますよ」
実の兄弟が戦い、その兄が殺される。
それを実の母親が楽しみにしている。
まるで鬼子母神だと柴田は思った。
背筋が凍る思いで土田御前を見つめる。
彼女の表情は、菩薩のように穏やかに笑っているものだった。
いろいろな思惑が渦巻く中、戦が行なわれる。
多くの命が失われる戦が始まる。
得るものが少ない戦が行なわれる――
利家はのん気なことしていられる情勢じゃないんだけどなと、釣竿のうきを見つめながら考えていた。だけど何故か、利玄の誘いを断れなかった。
彼にも理由は分からないが、利玄と語り合いたいと思ったらしい。
あんなにも苦手に思っていた、実兄と話したい。
しかし当の利玄はにこにこ笑いながら、利家と話すことなく、釣りを楽しんでいた。
未だに釣れない利家と違って、もう既に五匹の魚を釣り上げていた。
昔からこういうところが器用なんだよなと利家は感心した。
「なあ利玄兄。何か用件あるんだろ?」
元々、焦らされるのが嫌いな利家である。
我慢できずに自分から訊ねてしまう。
「用件? ああ、釣りをしたいってのは、ただの建前だ。よく気づいたな」
「馬鹿にするなよ。俺ぁ頭良くねえけどよ、そんぐらいは分かる」
「お前とは一度、腹を割って話しておきたいと思ってな」
利玄は釣竿を引き上げた。
その先には大きな魚が釣れていた。
手早く魚から釣り針を外し、餌を付けて沼に投げる。
「腹を割って話すって……どういう意味だよ」
一連の動作を見ていた利家は、終わったのを見計らって利玄に訊ねる。
利玄は「今後の前田家のことだ」と言う。
「お前、当主になっちまえよ」
「……今度は言っている意味が分からねえ」
「そのままの意味だよ。前田家の当主になれってんだ」
いつだって飄々としている利玄だったが、その言葉にはどっしりとした重みがあった。
利家は「俺は四男だぜ?」と当たり前のことを言う。
「継げるわけねえだろうが」
「……やっぱりお前はそうなんだな」
利玄は釣竿をゆっくり動かしながら利家を見ずに言う。
「四男だから継げない。お前の理由はそれなんだな」
「……言いたいことがあるなら言えよ」
「それはこっちの台詞だ。お前は――できることなら当主になりたいんだろ?」
思いもよらない言葉だった。
利家は思わず沈黙してしまう。
「お前は、元かぶき者だ。だから『ちゃんとしてねえ俺が当主になれるわけねえだろ』と言うべきだった。しかし、四男だからという理由を真っ先に述べた」
「…………」
「つまり、当主をやれる自信があるってことだ」
ごくりと生唾飲み込んだ利家。
利玄は続けて言う。
「はっきり言えば、嫡男である利久の兄貴は凡庸だ。身体も病弱だけどな。性格は悪くねえけど、長所はそのくらいだ。前田家を盛り立てる器じゃない」
「……じゃあ利玄兄が継げばいいじゃねえか」
利玄は淋しげに「俺は、そういうの駄目だ」と笑った。
「俺は昔から、飄々とした人間になりたかった。いつも冷静で、馬鹿やっている人間を嘲笑って、みんなから一歩引いたところにいる。そんな奴が格好いいと思っていた」
「…………」
「かぶき者のお前には分からねえだろうな。事実、俺のことをつかみどころのない、何を考えているのか分からない兄だって思っていただろう?」
利家は答えることができなかった。
ずばりそのとおりだったからだ。
「俺は飄々とした人間に憧れて、実際そのとおりの人間になったが――情熱を失った」
「情熱……」
「大切な誰かのために戦うには、そいつが必要だ。俺にはそれがない。そんな奴が家族を、一族を守れると思うか?」
利家はその問いに頷くことができなかった。
認めてしまえば、利玄が傷つくと思ったからだ。
「それに、俺みたいな奴は中心じゃなくて、補佐に向いているのさ」
「だったら、利久兄を支えてやればいいじゃねえか」
「いいや。俺は――お前を支えたい」
利玄は真剣な眼差しで利家に言う。
「お前が馬鹿みたいに突っ走っているのを抑える役目のほうが性に合っている」
「……どうしたんだ? いつもの利玄兄らしくねえよ」
「腹を割って話しているからな。それにお前が羨ましく思っているんだ」
飄々とした人間が、かぶき者に憧れていた。
一体誰が、そんなことを想像できただろうか?
「好き勝手に馬鹿やって。楽しく毎日過ごして。そんなお前が羨ましかった」
「…………」
「憧れはしなかったが、一度でいいから代わってみたいと思った」
弟に兄は羨望を抱いていた。
言葉にしてみれば単純なことだけど。
不出来な弟は、小器用な兄の本音に驚いた。
「お、俺は、利玄兄が……苦手だった」
「それは知っている」
「でも、嫌いじゃなかった」
利玄はそれを聞いて、目を見開いた。
弟もまた、本音を言うとは思わなかったからだ。
「利玄兄は、いつだって――俺の味方だったから」
「そりゃ、弟を助けるのは、兄の役目だからな」
「それでも、俺は嬉しかった」
利家は利玄を見ながら言う。
もはや釣りのことは頭に無かった。
「利玄兄は、俺と親父が言い争っているところを仲裁してくれた。悪戯の罰で俺が飯抜きだったときに、黙って自分の飯をくれたこともあったし、子供の頃はこうしていろいろ遊んでくれた。熱田の祭りのときは、出店でいろんなもん買ってくれた。たまに冷たいところがあったけど、最後は俺を助けてくれた」
言い終わった利家は、最後ににっこりと笑った。
「だから、利玄兄は暖かい人だよ。家族や一族だって守れる」
「…………」
「飄々とした性格でもよ、情熱ぐらい持てるさ」
利玄はじっと言ってくれた利家を見て。
それから沼の水面を見つめた。
そして――軽く笑った。
「利家……」
「なんだ? 利玄兄――」
「糸、引いているぜ」
水面を見ると、糸が激しく上下に動いている。
利家は慌てて「うおおおお!?」と喚いて釣竿を引き上げようとする。
「は、早く言えよ! いや、今言うことか!?」
「あははは。悪かったな」
なんとか釣竿を引き上げて、大物の魚を釣りあげた利家。
そんな彼に利玄は言う。
「ありがとな、利家」
利家は、初めて利玄に礼を言われたと気づいた。
だから、彼も普段は言えないことを言う。
にっこりと微笑んで言う。
「俺のほうこそ、いつも助けてくれて、ありがとうな」
かぶき者と飄々とした者。
性質がまったく違う者たちが本音を言い合った日であった。
◆◇◆◇
「いよいよ、不肖の息子、信長との戦が始まりますね」
信行の居城、末森城。
その一室で、彼らの母親、土田御前が笑っていた。
ようやく、彼女の悲願が叶いそうだったからだ。
「こちらは千七百。対する信長は七百です」
部屋にいたのは、信行の家老である柴田勝家だった。
神妙な顔で応じている彼に、土田御前はまるで少女のように微笑んだ。
「やはり、信行に付き従う者が多いそうですね」
「信行さまは、聡明なお方ですからね」
「ええ。私に似て美しい……あなたもそう思うでしょう?」
柴田にそう笑いかける土田御前。
「真面目で才能のある信行ならば、織田家をますます発展させていけます」
「ええ。そのとおりですね」
「その折には、あなたも励んでもらいますよ」
土田御前は柴田を愛おしく思っていた。
夫の信秀よりも、ずっと。
「ははっ。お任せくだされ」
柴田はじっとりと彼を見つめる土田御前の視線に合わせることなく、必要最低限の言葉で応じた。
柴田は自分が縛られていることを自覚していた。
「ふふふ。楽しみにしておりますよ」
実の兄弟が戦い、その兄が殺される。
それを実の母親が楽しみにしている。
まるで鬼子母神だと柴田は思った。
背筋が凍る思いで土田御前を見つめる。
彼女の表情は、菩薩のように穏やかに笑っているものだった。
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