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なつの手紙と江戸城
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『雨竜丹波守秀晴さま
お身体に変わりはないでしょうか。出陣して二ヶ月が経とうとしております。本来ならば文など必要ないと思うでしょうが、こたびの戦は長引くと思われますので、近況を報告しておきます。
私と雷次郎は息災にてございます。特に雷次郎は私と侍女を困らせるくらい、元気が有り余っております。幼かったときのあなたさまはどちらかというと大人しい子供でしたね。この間など、雷次郎は木の高いところまで昇り降りしており、見ているこちらがはらはらしてしまいました。
あの子は勉学よりも武芸が好きなようで、手習いで読み書き計算を教えてもすぐに飽きて、木刀を振っています。しかし才はあまり無いようで、下手の横好きという感じですね。
あの子は太平の世を生きる上で、民を慮る名君になってほしいのですが、親の薦めた道を素直に歩むのは、親にとっても子にとっても困難であると自覚しております。ちょうど、あなたさまが義父さまを超えようとするくらい厳しき道だと……いえ、それは言い過ぎかもしれません。
あなたさまが歩んでいる道は茨の道、修羅の道だと思われます。偉大な義父さまを超えるため、常に鍛錬を重ね、限界を超えようとする姿勢は美しくすらあります。
ただ同時に険しいことには変わりありません。私はあなたさまが歩む道を後ろでついて行くことしかできません。もしくは傍に寄り添うことしかできないのかもしれません。
私は雨竜丹波守秀晴という人を愛しております。ついて行くことに疑問はございません。しかしふと不安になることがあります。あなたさまの心が折れないかと常日頃から危惧しておるのです。
妻ごときが夫を心配するなど、笑止千万だと思うでしょう。しかし家族として一家の主を思いやることは自然な行ないかと思われます。生意気と思うでしょうが、あなたの支えになりたいのです。
無論、ご存知でしょうが、私は家族に利用された身でございます。今も実家――そう呼ぶことをお許しください――に少なくない扶持米や金子を送ってくださるあなたさまには感謝以外の言葉はありません。
だからこそ、あなたさまを支えたいのです。助けるなど偉ぶったことは言えません。救いたいなどおこがましいことは言えません。ただあなたさまの傍にいて、理解してあげることが、唯一の方法だと思っています。
何の助けにも救いにもならないと思いますが、家族に利用された哀れな女を傍に置いてくださるあなたさまは十分にお優しいと思います。私にとっては義父さま以上の優しさを普段の所作から感じ入っております。
あなたさまと出会えて、本当に良かったと思います。あなたさまに嫁いで後悔などあろうはずがありません。私は果報者でございます。実家に居た頃と比べたら雲泥の差でございます。
つい筆が長くなってしまいました。ここからは手短に記します。義母さまと雹さんが京から丹波国へ来るそうです。詳しい日程は分かりませんが、この文が届く頃にはいらっしゃると思います。お二人は義父さまを亡くして淋しい思いをなさっていると思いますので、存分におもてなししたいと思います。
また丹波国のことは任せてください。城主の代わりとして裁決しておりますが、前田玄以殿や雨竜家の吏僚たちのおかげで、何の苦労もなく政務を行なっております。今度、山上宗二殿が茶会を開いてくださるそうです。
最後に一つだけ申し上げます。私はいつまでもあなたさまをお待ちしております。どうか御武運を。なつより』
妻の手紙を読み終えて、懐に仕舞う。
まったく、できた妻を持てて幸せだな。
「殿。豊臣秀勝さまへの戦勝報告の時間です」
「うむ。分かった」
雪隆に促されて、俺は秀勝さまの陣に向かった。
駿府城を攻略し、相模国の秀勝さまの本軍と合流した俺たち雨竜家。
もちろん、徳川家と黒田家も一緒だ。
秀勝さまの本陣に入ると、既に信康殿と長政が座って待っていた。
秀勝さまも上座に居る。
「すみません。遅れました」
「いや、構わぬ。刻限よりだいぶ前だ」
少し機嫌の良いらしい秀勝さまは俺が席に着くと「その方ら、良くやってくれた」と労をねぎらった。
「駿河国は引き続き、徳川家が治めることとなる。父上からそうお達しがあった」
「ありがたき幸せにございます」
「黒田家と雨竜家も加増があるだろう。楽しみにしておけ」
俺と長政は黙って頭を下げた。
「さて。報告にあったが、家康と如水が江戸城とやらを改築しているようだな」
「……ええ。恥ずかしい限りです」
長政が頭を下げていた。本心から恥じ入っているのだろう。
「まあいい。江戸城がどの程度なのか知らんが、たいしたことはないだろう。問題は小田原城だ。流石に関東の覇者となった北条家の本城だ。力攻めは難しい」
秀勝さまのおっしゃるとおりだった。
かつて上杉謙信、武田信玄が攻め切れなかった、堅城であり名城である小田原城。
落とすのは容易いことではない。
「そこで、気長に兵糧攻めをすることにした。父上から秘策も授かったしな」
「秘策、ですか?」
「ああそうだ。父上は途方も無いことを考えなさる」
大笑いなさる秀勝さまに信康殿は「どのような秘策ですか?」と訊ねた。
「ふむ。実は徳川殿にはそれを手伝ってもらいたい。それが主命だ」
「はは。かしこまりました」
「黒田殿は前田殿や上杉殿が率いている北軍と合流して、支城の攻略をお願いしたい」
「承知しました」
それから秀勝さまは俺に言う。
「秀晴は支城を攻略しつつ、江戸城を攻めてくれ。何、丹波衆一万三千も居れば、攻め落とせるだろう」
江戸城がどのような城か分からないが、小田原城ほどではないと思ったので、俺は「承知いたしました」と頷いた。
「よし、以上だ。今日はゆっくりと休んでくれ。酒も用意した」
秀勝さまは余裕たっぷりな顔で言う。
「今日は宴会だ。駿府城攻略の祝い酒だ!」
宴会は大いに盛り上がった。
信康殿が諸将を巻き込んで変な踊りをしたり。
長政が止せばいいのに下手な歌を披露したり。
飲んで騒いではしゃいでしまった。
しばらくして解散した後、俺は秀勝さまと二人だけで飲んでいた。
「なあ秀晴。私は――考えが甘かった気がするな」
どこか上機嫌で、一見すると達観している風に思える秀勝さま。
俺は「考えが甘かった? 北条家攻めのことですか?」と居ずまいを直した。
「違う。父を超えようとすることだ」
「…………」
「私は、こたびの戦を通じて、自分の考えが甘かったことに気づいたよ」
秀勝さまは自分の本音を俺以外に語らない。
それは俺を友として見ているのが原因だ。
かなり嬉しいことだが、よく考えてみると、少し悲しい。
「つまり、超えるのではなく、別のやり方を模索するのだ」
「別のやり方……」
「二代目として、この日の本を良くしていく。それこそが私の目標であると気づいたんだ」
秀勝さまは懐から『豊国指南書』を取り出した。
父さまが書き上げた内政書だ。
「私は、これを参考にして、良き日の本を作る」
「…………」
「それができたら、何かがどうにかなりそうなんだ」
しばらく見ないうちに、性格が前向きになったと思う。
それは喜ばしいことだった。
「ええ。そうだと思います」
「……ありがとう、秀晴。お前にはいつも助けられているな」
にっこりと微笑んだその顔は。
秀吉公のような猿の笑みではなく。
秀吉公のような日輪の笑みだった。
翌日から支城を攻略しつつ、雨竜家は江戸城まで進軍する。
このときは、江戸城など大したことはないとタカをくくっていた。
しかしそれが崩れ去ったのは、江戸城を実際に見たときだった。
「……なんだ、この巨大な城は!」
目の前にそびえ立つのは。
強固で巨大な大きな城。
とても力攻めできないと思わせるような――江戸城だった。
お身体に変わりはないでしょうか。出陣して二ヶ月が経とうとしております。本来ならば文など必要ないと思うでしょうが、こたびの戦は長引くと思われますので、近況を報告しておきます。
私と雷次郎は息災にてございます。特に雷次郎は私と侍女を困らせるくらい、元気が有り余っております。幼かったときのあなたさまはどちらかというと大人しい子供でしたね。この間など、雷次郎は木の高いところまで昇り降りしており、見ているこちらがはらはらしてしまいました。
あの子は勉学よりも武芸が好きなようで、手習いで読み書き計算を教えてもすぐに飽きて、木刀を振っています。しかし才はあまり無いようで、下手の横好きという感じですね。
あの子は太平の世を生きる上で、民を慮る名君になってほしいのですが、親の薦めた道を素直に歩むのは、親にとっても子にとっても困難であると自覚しております。ちょうど、あなたさまが義父さまを超えようとするくらい厳しき道だと……いえ、それは言い過ぎかもしれません。
あなたさまが歩んでいる道は茨の道、修羅の道だと思われます。偉大な義父さまを超えるため、常に鍛錬を重ね、限界を超えようとする姿勢は美しくすらあります。
ただ同時に険しいことには変わりありません。私はあなたさまが歩む道を後ろでついて行くことしかできません。もしくは傍に寄り添うことしかできないのかもしれません。
私は雨竜丹波守秀晴という人を愛しております。ついて行くことに疑問はございません。しかしふと不安になることがあります。あなたさまの心が折れないかと常日頃から危惧しておるのです。
妻ごときが夫を心配するなど、笑止千万だと思うでしょう。しかし家族として一家の主を思いやることは自然な行ないかと思われます。生意気と思うでしょうが、あなたの支えになりたいのです。
無論、ご存知でしょうが、私は家族に利用された身でございます。今も実家――そう呼ぶことをお許しください――に少なくない扶持米や金子を送ってくださるあなたさまには感謝以外の言葉はありません。
だからこそ、あなたさまを支えたいのです。助けるなど偉ぶったことは言えません。救いたいなどおこがましいことは言えません。ただあなたさまの傍にいて、理解してあげることが、唯一の方法だと思っています。
何の助けにも救いにもならないと思いますが、家族に利用された哀れな女を傍に置いてくださるあなたさまは十分にお優しいと思います。私にとっては義父さま以上の優しさを普段の所作から感じ入っております。
あなたさまと出会えて、本当に良かったと思います。あなたさまに嫁いで後悔などあろうはずがありません。私は果報者でございます。実家に居た頃と比べたら雲泥の差でございます。
つい筆が長くなってしまいました。ここからは手短に記します。義母さまと雹さんが京から丹波国へ来るそうです。詳しい日程は分かりませんが、この文が届く頃にはいらっしゃると思います。お二人は義父さまを亡くして淋しい思いをなさっていると思いますので、存分におもてなししたいと思います。
また丹波国のことは任せてください。城主の代わりとして裁決しておりますが、前田玄以殿や雨竜家の吏僚たちのおかげで、何の苦労もなく政務を行なっております。今度、山上宗二殿が茶会を開いてくださるそうです。
最後に一つだけ申し上げます。私はいつまでもあなたさまをお待ちしております。どうか御武運を。なつより』
妻の手紙を読み終えて、懐に仕舞う。
まったく、できた妻を持てて幸せだな。
「殿。豊臣秀勝さまへの戦勝報告の時間です」
「うむ。分かった」
雪隆に促されて、俺は秀勝さまの陣に向かった。
駿府城を攻略し、相模国の秀勝さまの本軍と合流した俺たち雨竜家。
もちろん、徳川家と黒田家も一緒だ。
秀勝さまの本陣に入ると、既に信康殿と長政が座って待っていた。
秀勝さまも上座に居る。
「すみません。遅れました」
「いや、構わぬ。刻限よりだいぶ前だ」
少し機嫌の良いらしい秀勝さまは俺が席に着くと「その方ら、良くやってくれた」と労をねぎらった。
「駿河国は引き続き、徳川家が治めることとなる。父上からそうお達しがあった」
「ありがたき幸せにございます」
「黒田家と雨竜家も加増があるだろう。楽しみにしておけ」
俺と長政は黙って頭を下げた。
「さて。報告にあったが、家康と如水が江戸城とやらを改築しているようだな」
「……ええ。恥ずかしい限りです」
長政が頭を下げていた。本心から恥じ入っているのだろう。
「まあいい。江戸城がどの程度なのか知らんが、たいしたことはないだろう。問題は小田原城だ。流石に関東の覇者となった北条家の本城だ。力攻めは難しい」
秀勝さまのおっしゃるとおりだった。
かつて上杉謙信、武田信玄が攻め切れなかった、堅城であり名城である小田原城。
落とすのは容易いことではない。
「そこで、気長に兵糧攻めをすることにした。父上から秘策も授かったしな」
「秘策、ですか?」
「ああそうだ。父上は途方も無いことを考えなさる」
大笑いなさる秀勝さまに信康殿は「どのような秘策ですか?」と訊ねた。
「ふむ。実は徳川殿にはそれを手伝ってもらいたい。それが主命だ」
「はは。かしこまりました」
「黒田殿は前田殿や上杉殿が率いている北軍と合流して、支城の攻略をお願いしたい」
「承知しました」
それから秀勝さまは俺に言う。
「秀晴は支城を攻略しつつ、江戸城を攻めてくれ。何、丹波衆一万三千も居れば、攻め落とせるだろう」
江戸城がどのような城か分からないが、小田原城ほどではないと思ったので、俺は「承知いたしました」と頷いた。
「よし、以上だ。今日はゆっくりと休んでくれ。酒も用意した」
秀勝さまは余裕たっぷりな顔で言う。
「今日は宴会だ。駿府城攻略の祝い酒だ!」
宴会は大いに盛り上がった。
信康殿が諸将を巻き込んで変な踊りをしたり。
長政が止せばいいのに下手な歌を披露したり。
飲んで騒いではしゃいでしまった。
しばらくして解散した後、俺は秀勝さまと二人だけで飲んでいた。
「なあ秀晴。私は――考えが甘かった気がするな」
どこか上機嫌で、一見すると達観している風に思える秀勝さま。
俺は「考えが甘かった? 北条家攻めのことですか?」と居ずまいを直した。
「違う。父を超えようとすることだ」
「…………」
「私は、こたびの戦を通じて、自分の考えが甘かったことに気づいたよ」
秀勝さまは自分の本音を俺以外に語らない。
それは俺を友として見ているのが原因だ。
かなり嬉しいことだが、よく考えてみると、少し悲しい。
「つまり、超えるのではなく、別のやり方を模索するのだ」
「別のやり方……」
「二代目として、この日の本を良くしていく。それこそが私の目標であると気づいたんだ」
秀勝さまは懐から『豊国指南書』を取り出した。
父さまが書き上げた内政書だ。
「私は、これを参考にして、良き日の本を作る」
「…………」
「それができたら、何かがどうにかなりそうなんだ」
しばらく見ないうちに、性格が前向きになったと思う。
それは喜ばしいことだった。
「ええ。そうだと思います」
「……ありがとう、秀晴。お前にはいつも助けられているな」
にっこりと微笑んだその顔は。
秀吉公のような猿の笑みではなく。
秀吉公のような日輪の笑みだった。
翌日から支城を攻略しつつ、雨竜家は江戸城まで進軍する。
このときは、江戸城など大したことはないとタカをくくっていた。
しかしそれが崩れ去ったのは、江戸城を実際に見たときだった。
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