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急所を突かれる
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駿府城の包囲は一ヶ月ほど続いた。
その間、何もせずに漫然と兵糧攻めをしていたわけではない。
半月前に忍び衆のなつめと丈吉からこんな提案があった。
「駿府城の兵糧庫、今なら焼き払えるわよ」
「確実に成功できます」
駿府城の内部情報は信康殿を通じて把握している。
だから焼き払うことは可能だと二人は言った。
「そうか。しかしそうなると、忍び衆は全員無事で居られるか?」
「何人かは死ぬでしょうね。でも、捕らえられることはないわ」
「それは――自害するからか?」
俺は自然と険しい顔になっていたらしい。
なつめに「そんな顔しないの」と困った顔で笑われた。
「忍びは決死の覚悟で任務に臨みます。ただそれだけのことです」
「……分かった。やってくれ」
即断したのは、深く考えたら決断できないと思ったからだ。
なつめと丈吉は黙って頷いた。
結果として、駿府城の兵糧は忍び衆三人の犠牲で焼き払われた。
その者たちの残された家族は、手厚く保護するとなつめと丈吉に約束した。
それしか俺にできることはなかった。
そういう経緯で一ヶ月が過ぎた頃。
城兵が打って出ることも無くなり、いよいよ落ちると思われたときに使者を出した。
使者は信康殿の家臣だ。元々同じ仲間だった間柄なら、説得も上手く行くだろうと思っていたのだが――断られてしまったらしい。
「頑固な三河衆だねえ。流石と言うべきか、呆れたと言うべきか」
信康殿は困り果てていた。
彼も内心、元家臣と戦いたくないのだろう。
とりあえず、俺は雪隆と島を連れて、長政と信康殿と話し合うことにした。
長政は栗山善助と母里太兵衛、信康殿は石川数正と本多正信を伴っていた。
「兵糧はほぼ尽きました。このまま包囲を続ければ、いずれ開城するでしょう」
栗山が現在の状況を説明する。
すると「でも兄貴。時間かけられないんだろう?」と母里が言う。
「早く小田原攻めに加勢しなけりゃいけねえ」
「分かっている。殿も同じ考えだ」
栗山の言葉に長政は頷いた。
「もう少し包囲を続けて、弱ったところで力攻めすれば、確実に勝てるでしょうな」
石川の容赦ない言葉に「ちょっと待ってくれ」と信康殿が待ったをかけた。
「それは駄目だ。できるなら殺したくない」
「……情け、というわけではないですよね?」
本多正信の確認に「ああ。そうだ」と信康殿は答えた。
「父上と如水殿の考えが知りたい。酒井や大久保なら知っているだろう」
「しかし、素直に言いますかね? 彼らは……」
石川が言い終わる前に「それは説得するしかない」と信康殿は断言した。
「降伏の条件は将兵の命を保証と徳川家に帰参すること。そうすれば、父上たちの狙いを白状させられる」
それで上手く行くだろうか?
酒井や大久保にとっては良い条件だが、何か引っかかる。
「それで、問題は誰が交渉するかだが……」
長政の言うとおりだ。
信康殿の家臣で成功しなかったのだ。
他家の者で上手くいけるだろうか?
それ相応の地位の者でなければ――
「……俺がやろう」
俺の申し出に全員が驚いたようだった。
特に雪隆の反応が凄かった。
「殿を危険な目に遭わせるのは、反対です!」
まるで合戦でしんがりを俺がやるとでも言っているのを止める気迫だった。
「私も反対かな。危険もそうだけどさ」
信康殿もやんわり反対している。
長政も無言で反対を表した。
「しかし誰かがやらないとな。それにこちらの覚悟を示さないと、向こうも納得しないだろう」
「…………」
「大丈夫。危険がないようにするから」
全員、納得がいっていない顔をするので、俺は和ませるために言った。
「父さま――ご隠居も伊勢長島や本願寺で同じことをした。そして成功している――」
「殿。それは間違っています」
言い終わる前に、否定された。
言った者はそれまで黙っていた島だった。
「間違っている? ご隠居はその二つの戦で交渉したのでは――」
「そうではありません。殿の考えが間違っていると言っているのです」
足元が崩れる感覚がした。
島が、俺のことをよく知っている島が、そんなことを言うとは思わなかった。
「あなたはご隠居さまに囚われています」
「囚われている……」
「ええ、そうです。この際だからはっきり言いましょう」
島は姿勢を正して、直言――諫言をした。
「ご隠居さまは確かに偉大なお方でした。しかしそれに圧力を感じる必要はありません。一見して、殿はご隠居さまに押しつぶされそうになっております」
「な、何を――」
「あなたを俺はずっと見てきた。ご隠居さまから丹波国を継ぐ前からずっと。幼少の頃からです。だから殿が苦しむのも分かります。俺は雨竜雲之介秀昭という男を知っているから」
島ははっきりと「申し上げます!」と大声で言った。
「雨竜雲之介という男は! 俺が仕えていたあの人は! 殿を押し潰すことを望んでなんかいません!」
その言葉は、俺の心の弱いところに突き刺さった。
急所を突かれたと言ってもいい。
痛くて苦しくて、泣きたいくらい、つらい一言だった。
だから――
「……お前に、何が分かるんだ」
俺の心の余裕は無くなって――
「お前なんかに、何が分かるんだよ!」
――激怒した。
「…………」
「お前なんかに何が分かるんだよ! 父さまは素浪人から一国の太守になった! 豊臣秀吉公の天下を助けた! 古今東西の内政官の中でも随一だった! そんな父を持つ苦労を、お前は分かるのか! ふざけるなよ!」
島は何も言わない。
ただ俺をじっと見つめている。
その目が――気に食わなかった。
「俺は凡人だよ! 何もできない、ただのちっぽけな人間だ! それでも父さまを超えなきゃいけないんだよ! 誰も失望させたくないんだよ! 誰からも侮られたくないんだよ! 認められたいんだよ! なんでそれが分からないんだよ!」
気づけば、刀を抜こうとして――羽交い絞めされた。
「殿! 抑えてください!」
「放せ、雪隆!」
雪隆の力には敵わないと知っていても、目の前ですまし顔している島が気に入らなかった。
まるで俺の思いを受け止めようとしているようで、嫌だった。
「こいつを――」
「それ以上はいけません!」
そのとき、ぱあんと頬を叩かれた。
長政だった。それですうっと頭に上った血が冷めていく。
「なが、まさ……」
「……交渉は私とお前でやる」
長政は険しい顔で俺に言う。
「頭を冷やせ。それに、島が言ったことは――正しい」
「…………」
「お前の苦しみなど、お前にしか分からん。というより知ったことではない。だがな、自分のことを思いやって、言いたくも無いことを言ってくれる家臣は得がたいものだぞ」
俺は、ゆっくりと島を見た。
奴は射抜くように俺を見つめている。
「……悪かった、島。許せ」
俺の言葉に、島は深く頭を下げた。
「処分は何なりと受けますゆえ」
「そんなこと、言わないでくれ。ますます俺が惨めになる」
数日後、俺と長政は駿府城の守将、酒井忠次と大久保忠世と話をした。
「分かり申した。その条件、受けます」
酒井があっさりと受けたのには拍子抜けした。
「本当に良いのか?」
「ええ。我らは殿に『一ヶ月時を稼げ』と命じられた」
「なら徳川家の交渉に何故応じなかった?」
「それは矜持の問題です」
酒井は自分たちを冷遇した者たちに降るのは、癪に障ると言った。
なんと言うか、頑固者らしい物言いだった。
「酒井殿、大久保殿。一つお聞きしたい」
長政が降将の二人に訊ねる。
「家康殿と父上の狙いを教えてもらいたい」
「いや、そこまでは知らぬ。何が狙いなのか、まったくの不明だ」
「そうですか……」
酒井の答えを聞いて、あからさまにがっかりした長政。
すると大久保が「ただ一つ言えることがある」と言った。
「御ふた方は計画のため、戦のために強固で巨大な城を築いたと言う。そのために足りない一ヶ月の刻を稼げと我らに言った」
「……強固で巨大な城?」
「ああ。かつて太田道灌が築いた城を改修――いや、改築したのだ」
大久保は俺たちに告げた。
「その名は――江戸城と言う」
その間、何もせずに漫然と兵糧攻めをしていたわけではない。
半月前に忍び衆のなつめと丈吉からこんな提案があった。
「駿府城の兵糧庫、今なら焼き払えるわよ」
「確実に成功できます」
駿府城の内部情報は信康殿を通じて把握している。
だから焼き払うことは可能だと二人は言った。
「そうか。しかしそうなると、忍び衆は全員無事で居られるか?」
「何人かは死ぬでしょうね。でも、捕らえられることはないわ」
「それは――自害するからか?」
俺は自然と険しい顔になっていたらしい。
なつめに「そんな顔しないの」と困った顔で笑われた。
「忍びは決死の覚悟で任務に臨みます。ただそれだけのことです」
「……分かった。やってくれ」
即断したのは、深く考えたら決断できないと思ったからだ。
なつめと丈吉は黙って頷いた。
結果として、駿府城の兵糧は忍び衆三人の犠牲で焼き払われた。
その者たちの残された家族は、手厚く保護するとなつめと丈吉に約束した。
それしか俺にできることはなかった。
そういう経緯で一ヶ月が過ぎた頃。
城兵が打って出ることも無くなり、いよいよ落ちると思われたときに使者を出した。
使者は信康殿の家臣だ。元々同じ仲間だった間柄なら、説得も上手く行くだろうと思っていたのだが――断られてしまったらしい。
「頑固な三河衆だねえ。流石と言うべきか、呆れたと言うべきか」
信康殿は困り果てていた。
彼も内心、元家臣と戦いたくないのだろう。
とりあえず、俺は雪隆と島を連れて、長政と信康殿と話し合うことにした。
長政は栗山善助と母里太兵衛、信康殿は石川数正と本多正信を伴っていた。
「兵糧はほぼ尽きました。このまま包囲を続ければ、いずれ開城するでしょう」
栗山が現在の状況を説明する。
すると「でも兄貴。時間かけられないんだろう?」と母里が言う。
「早く小田原攻めに加勢しなけりゃいけねえ」
「分かっている。殿も同じ考えだ」
栗山の言葉に長政は頷いた。
「もう少し包囲を続けて、弱ったところで力攻めすれば、確実に勝てるでしょうな」
石川の容赦ない言葉に「ちょっと待ってくれ」と信康殿が待ったをかけた。
「それは駄目だ。できるなら殺したくない」
「……情け、というわけではないですよね?」
本多正信の確認に「ああ。そうだ」と信康殿は答えた。
「父上と如水殿の考えが知りたい。酒井や大久保なら知っているだろう」
「しかし、素直に言いますかね? 彼らは……」
石川が言い終わる前に「それは説得するしかない」と信康殿は断言した。
「降伏の条件は将兵の命を保証と徳川家に帰参すること。そうすれば、父上たちの狙いを白状させられる」
それで上手く行くだろうか?
酒井や大久保にとっては良い条件だが、何か引っかかる。
「それで、問題は誰が交渉するかだが……」
長政の言うとおりだ。
信康殿の家臣で成功しなかったのだ。
他家の者で上手くいけるだろうか?
それ相応の地位の者でなければ――
「……俺がやろう」
俺の申し出に全員が驚いたようだった。
特に雪隆の反応が凄かった。
「殿を危険な目に遭わせるのは、反対です!」
まるで合戦でしんがりを俺がやるとでも言っているのを止める気迫だった。
「私も反対かな。危険もそうだけどさ」
信康殿もやんわり反対している。
長政も無言で反対を表した。
「しかし誰かがやらないとな。それにこちらの覚悟を示さないと、向こうも納得しないだろう」
「…………」
「大丈夫。危険がないようにするから」
全員、納得がいっていない顔をするので、俺は和ませるために言った。
「父さま――ご隠居も伊勢長島や本願寺で同じことをした。そして成功している――」
「殿。それは間違っています」
言い終わる前に、否定された。
言った者はそれまで黙っていた島だった。
「間違っている? ご隠居はその二つの戦で交渉したのでは――」
「そうではありません。殿の考えが間違っていると言っているのです」
足元が崩れる感覚がした。
島が、俺のことをよく知っている島が、そんなことを言うとは思わなかった。
「あなたはご隠居さまに囚われています」
「囚われている……」
「ええ、そうです。この際だからはっきり言いましょう」
島は姿勢を正して、直言――諫言をした。
「ご隠居さまは確かに偉大なお方でした。しかしそれに圧力を感じる必要はありません。一見して、殿はご隠居さまに押しつぶされそうになっております」
「な、何を――」
「あなたを俺はずっと見てきた。ご隠居さまから丹波国を継ぐ前からずっと。幼少の頃からです。だから殿が苦しむのも分かります。俺は雨竜雲之介秀昭という男を知っているから」
島ははっきりと「申し上げます!」と大声で言った。
「雨竜雲之介という男は! 俺が仕えていたあの人は! 殿を押し潰すことを望んでなんかいません!」
その言葉は、俺の心の弱いところに突き刺さった。
急所を突かれたと言ってもいい。
痛くて苦しくて、泣きたいくらい、つらい一言だった。
だから――
「……お前に、何が分かるんだ」
俺の心の余裕は無くなって――
「お前なんかに、何が分かるんだよ!」
――激怒した。
「…………」
「お前なんかに何が分かるんだよ! 父さまは素浪人から一国の太守になった! 豊臣秀吉公の天下を助けた! 古今東西の内政官の中でも随一だった! そんな父を持つ苦労を、お前は分かるのか! ふざけるなよ!」
島は何も言わない。
ただ俺をじっと見つめている。
その目が――気に食わなかった。
「俺は凡人だよ! 何もできない、ただのちっぽけな人間だ! それでも父さまを超えなきゃいけないんだよ! 誰も失望させたくないんだよ! 誰からも侮られたくないんだよ! 認められたいんだよ! なんでそれが分からないんだよ!」
気づけば、刀を抜こうとして――羽交い絞めされた。
「殿! 抑えてください!」
「放せ、雪隆!」
雪隆の力には敵わないと知っていても、目の前ですまし顔している島が気に入らなかった。
まるで俺の思いを受け止めようとしているようで、嫌だった。
「こいつを――」
「それ以上はいけません!」
そのとき、ぱあんと頬を叩かれた。
長政だった。それですうっと頭に上った血が冷めていく。
「なが、まさ……」
「……交渉は私とお前でやる」
長政は険しい顔で俺に言う。
「頭を冷やせ。それに、島が言ったことは――正しい」
「…………」
「お前の苦しみなど、お前にしか分からん。というより知ったことではない。だがな、自分のことを思いやって、言いたくも無いことを言ってくれる家臣は得がたいものだぞ」
俺は、ゆっくりと島を見た。
奴は射抜くように俺を見つめている。
「……悪かった、島。許せ」
俺の言葉に、島は深く頭を下げた。
「処分は何なりと受けますゆえ」
「そんなこと、言わないでくれ。ますます俺が惨めになる」
数日後、俺と長政は駿府城の守将、酒井忠次と大久保忠世と話をした。
「分かり申した。その条件、受けます」
酒井があっさりと受けたのには拍子抜けした。
「本当に良いのか?」
「ええ。我らは殿に『一ヶ月時を稼げ』と命じられた」
「なら徳川家の交渉に何故応じなかった?」
「それは矜持の問題です」
酒井は自分たちを冷遇した者たちに降るのは、癪に障ると言った。
なんと言うか、頑固者らしい物言いだった。
「酒井殿、大久保殿。一つお聞きしたい」
長政が降将の二人に訊ねる。
「家康殿と父上の狙いを教えてもらいたい」
「いや、そこまでは知らぬ。何が狙いなのか、まったくの不明だ」
「そうですか……」
酒井の答えを聞いて、あからさまにがっかりした長政。
すると大久保が「ただ一つ言えることがある」と言った。
「御ふた方は計画のため、戦のために強固で巨大な城を築いたと言う。そのために足りない一ヶ月の刻を稼げと我らに言った」
「……強固で巨大な城?」
「ああ。かつて太田道灌が築いた城を改修――いや、改築したのだ」
大久保は俺たちに告げた。
「その名は――江戸城と言う」
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