上 下
2 / 10

大坂城にて

しおりを挟む
 北条家討伐――小田原征伐と評されることとなる大戦を前に、大坂城に赴く必要があった。
 どれだけの兵を出すのか、兵糧は誰が管理するのか、武具馬具の運搬はどうするのか。それらの綿密な打ち合わせ――軍議をする必要があったからだ。
 豊臣家傘下の大名たちが一同に介する場なので、一応心して臨まなければならない。

 俺は雪隆と弥助を伴って、大坂城に向かった。
 丹波国と大坂城のある摂津国はそう遠くない。
 だから軍議が行なわれる前に余裕を持って大坂城に到着できた。

 俺は大坂城の城下町にある雨竜家の屋敷――秀吉公から賜った屋敷だ――に泊まり、それから、大坂城近くにある父さまの墓参りをした。寺の住職は公方さまも時々いらしておりますと話していた。

 父さまの墓は遺言どおり三つある。
 一つは大坂城の近く、一つは丹波国、そしてもう一つは京だ。
 墓参りしやすいようにと父さまの配慮がなされている。

 寺の住職に日頃の世話のお礼を言う。もちろん謝礼も弾んだ。
 墓の前で俺と雪隆、弥助が手を合わせて祈る。
 どうか、武運を授けてください――

「なんだ。お前もここに居たのか」

 その声に振り返ると、かつて子飼いとして父さまに教育されていた加藤清正殿が、水桶を持って立っていた。
 伴の者が彼の周りに居るが、全員屈強な男たちだった。
 俺は姿勢を正して、頭を下げた。雪隆と弥助も同様だ。

「加藤殿。これは奇遇ですね」
「そうだな。ま、俺は墓参りというより、戦勝祈願だけどな」
「加藤殿も、小田原征伐に参加するのですか?」
「当たり前だ……と言いたいところだが、いろいろ経緯があってな。本来は兵だけ出兵する予定だったのだが、きな臭い噂を聞いたんだ」

 きな臭い噂か。それはいったいなんだろうか?」

「お聞かせいただけますか?」
「決まったことではないので言えぬ。醜聞は口に出したくないし、信じたくはなかった」
「信じたくなかったということは、信じているということですね」

 俺の返しに加藤殿は顔を曇らせた。

「そのとおりだ。だがな、俺の立場からでは詳しい話は言えない」
「そうですか……」
「一つ、お前に訊ねたいことがある」

 加藤殿は側近たちに「席を外してくれ」と命じた。
 俺も雪隆と弥助に目配せした。
 二人は黙って指示に従った。

 二人きりになった俺と加藤殿。
 しばしの沈黙が続いた後、口を開いたのは加藤殿だった。

「お前は、雲之介さんのこと、好きだったのか?」
「……それが聞きたいことですか?」
「ああ。俺にとっては大事なことだ」

 俺は少し考えてから「好きですよ」と答えた。

「父さまはお優しい人でしたから。この俺にも当然優しかったです」
「ではどうして超えようと思っているんだ?」
「質問は一つだけ、ではなかったんですか?」

 加藤殿は軽く笑って「そういう言い回し、雲之介さんみたいだな」と言う。

「やっぱり親子だな」
「父さまの血が入っていますから。似るのは当然ですよ」
「でも、お前は雲之介さんにはなれないよ」

 加藤殿のはっきりとした断言に何も言えなくなる。
 続けて加藤殿は「だって、親子でも全然違うじゃねえか」と肩を竦めた。

「雲之介さんみたいになろうと思ったら、かなり苦しむぜ」
「それは重々承知していますよ。別になろうとは思っていません」
「でも、超えようとしている」
「さっきから、何が言いたいんですか?」

 多少苛立ってしまった口調になったのは否めない。
 何が言いたいのか、雲を掴むような会話だったからだ。

「よく分かんねえよ俺だって。多分、雲之介さんに恩義があるから、お前に構ってしまうんだろうな」

 加藤殿も自分の気持ちがよく分からないみたいだった。
 だからどうしても曖昧な言い方になってしまったんだろう。

「まあ俺のほうが年長だからな。なんかあったら頼れ」

 それだけ一方的に言って、加藤殿は去っていった。
 後に残された俺は、改めて父さまの墓に向き合った。

「父さま。あなたは――」

 その後の言葉は続かなかった。



 大坂城に登城すると、城の廊下で久方ぶりとなる面々と出会った。
 石田殿と大谷殿だった。
 大谷殿は病に冒されたと聞いていたが、小康状態になった様子だった。

「雨竜殿。雲之介さんの葬式に行かれず、申し訳なかった」

 顔に包帯を巻いている大谷殿はそう言って頭を下げた。
 俺は「気になさらないでください」と返した。

「大谷殿が父さまの墓参りしたのは知っておりますから」
「それが、私のけじめだと思ったからな」
「あはは。大げさですよ」

 大谷殿の隣に居た石田殿は「真面目なところは美徳だと思うがな」と親友に苦言を呈した。

「真面目すぎるのは良くないぞ」
「それはお前にも言えるのではないか? 三成」
「むう。自覚はしている。だからお前に忠告したんだ」
「それはありがとうな」

 二人は子飼いの中でも特に仲がいい。
 しばらく話していると後ろから「おーい! 雨竜殿!」と大声がした。

「なんだ。福島殿か」
「なんだとはなんだ! 雲之介さんの葬儀以来ではないか!」

 福島殿は俺の肩を組んで「今回の戦、物凄い規模になるらしいぞ」と笑った。

「そりゃあ、相手は関八州を牛耳る北条家ですから」
「前代未聞の大戦になることは確実だな!」

 がっはっはと笑う福島殿に「戦が終わった後が大変だ」と石田殿がぼやく。

「関東を誰が治めるのか。それが重要だ」
「そんなこと、終わった後に考えればいい!」
「そう単純なことではない!」

 石田殿と福島殿が話し合う姿は、年下の俺が言うのもなんだが、見ていて微笑ましかった。

「そういえば、昭政は?」
「ああ。昭政殿は先に大広間に居るはずです」

 大谷殿の問いに答えると「こたびの戦、どのくらいの兵力で臨むと思われる?」とさらに問われた。

「おそらく十万ほどではないでしょうか? 北条家は八万の軍勢ですし、兵糧のことも考えるとそのくらいだと思われます」
「そうか。私もそう思う」

 納得した大谷殿は、それから喧々諤々となった話し合いを止めようとする。
 それが終わったら皆で大広間に行くか――



「二十万の軍勢で臨む」

 大坂城の大広間。
 そう宣言したのは、征夷大将軍であり太政大臣でも在らされる、豊臣秀吉公である。
 どよめく諸侯の中、秀吉公は続けた。

「御門からの勅書も頂いた。大義名分はこちらにある。北条家を討伐し、そのままの勢いでみちのくも制覇すれば、太平の世となる」

 静かだが威厳の篭もった声。
 諸侯の声は、まったく聞こえなくなった。

「それでは各軍の軍役を述べる。第一軍は徳川信康が――」

 秀吉公が説明する中、俺の名前が呼ばれたのは第六軍だった。

「雨竜丹波守秀晴には第六軍を任せる。良いな?」
「かしこまりました。慎んでお受けいたします」

 東海道から攻め上る本軍の第六軍を任されるとは。
 覚悟して臨まなければならない。

 その後、雨竜家からは一万五千の軍勢を出すことが決定した。
 子飼いや有力大名の名前が挙がる中、最後に秀吉公は皆に告げた。

「なお今回の総大将は、秀勝に任すことにする」

 その言葉に諸侯は驚いた様子だった。
 俺は父さまの葬儀のときに知っていたので、大して驚かなかった。

「……何か、不満はあるか?」

 秀吉公が不満そうな顔をしている。
 賛同する者があまり居なかったからだ。
 秀吉公の近くに座っている秀勝さまはなんだか不安そうだった。

「いえ、不満などございません」

 真っ先に俺が応じると、秀吉公はにかっと猿のように笑った。

「おおそうか。雨竜家は秀勝の総大将に賛成するのか!」
「ええ。もちろんです。秀勝さまなら十二分に総大将を勤め上げられるでしょう」

 秀吉公は「うむ。そのとおりだ!」と大笑いなさった。
 諸侯の中には納得できない者が居るようだが、反論はないようだった。

 秀勝さまは俺に少しだけ頭を下げた。
 俺はにっこりと微笑んだ。



「軍議のときは、真っ先に賛同してくれて、ありがたかった」
「いえ。秀勝さまの味方になるのは当然ですから」

 その夜、秀勝さまと酒を酌み交わしていた。
 二人きりの空間で近くには護衛の者しか居ない。
 場所は大坂城の一室だった。

 秀勝さまとはこれまた久しぶりに会うが、天下人の後継者として相応しい威厳を備えてきたと思った。

「こうしていると思い出しますね。秀勝さまが丹波国にいらしていたときを」
「ああ。懐かしいな。あの頃は楽しかった」
「今は楽しくないのですか?」

 俺の問いに秀勝さまは「婚約者の茶々のことで悩んでいる」と正直に言った。

「茶々殿ですか? 仲が悪いのですか?」
「いやそうではない。あの人は愛が深すぎる。恐ろしいほどに」

 なんだが分からないが、母さまとお市さまが冷たく言い争っている光景が浮かんできた。

「どうした? 顔色が悪いぞ?」
「よく分かりませんが幼少期の思い出が甦りまして……」
「そ、そうか……」
「まあ、悪いよりは良いと判断しましょう」

 俺の言葉に秀勝さまは「そうだな」と微笑した。

「なあ秀晴。お前はこの戦で己の父を超えられるか?」

 秀勝さまの問いに「いえ、分かりません」と首を振った。

「でも超えたいと願っております」
「そうか。そうだよな。超えたいと思わなかったら、超えられないよな」

 盃の酒を一気に煽った秀勝さま。
 それから俺に「いろいろ至らぬところがあるかもしれん」と言った。

「なんとか支えてくれぬか」

 秀勝さまの盃に酒を注ぎながら俺は頷いた。

「ええ。もちろんですよ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

猿の内政官の息子

橋本洋一
歴史・時代
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~ の後日談です。雲之介が死んで葬儀を執り行う雨竜秀晴が主人公です。全三話です

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

猿の内政官の孫 ~雷次郎伝説~

橋本洋一
歴史・時代
※猿の内政官シリーズの続きです。 天下泰平となった日の本。その雨竜家の跡継ぎ、雨竜秀成は江戸の町を遊び歩いていた。人呼んで『日の本一の遊び人』雷次郎。しかし彼はある日、とある少女と出会う。それによって『百万石の陰謀』に巻き込まれることとなる――

母の城 ~若き日の信長とその母・土田御前をめぐる物語

くまいくまきち
歴史・時代
愛知県名古屋市千種区にある末森城跡。戦国末期、この地に築かれた城には信長の母・土田御前が弟・勘十郎とともに住まいしていた。信長にとってこの末森城は「母の城」であった。

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

漆黒の碁盤

渡岳
歴史・時代
正倉院の宝物の一つに木画紫檀棊局という碁盤がある。史実を探ると信長がこの碁盤を借用したという記録が残っている。果して信長はこの碁盤をどのように用いたのか。同時代を生き、本因坊家の始祖である算砂の視点で物語が展開する。

陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――

黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。  一般には武田勝頼と記されることが多い。  ……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。  信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。  つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。  一介の後見人の立場でしかない。  織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。  ……これは、そんな悲運の名将のお話である。 【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵 【注意】……武田贔屓のお話です。  所説あります。  あくまでも一つのお話としてお楽しみください。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

処理中です...