柳友哉のあやかし交幽録

橋本洋一

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レヴィアタン

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 同情は人を殺す。しかし、人を生かすのも同情がきっかけである。

 華麗かつ荘厳な城内の装飾品を通り過ぎ、ルキフェルは一つの扉を指差した。
 何の変哲の無い扉なのだが、何故か私の体内の血が騒ぐ感覚がした。
 熱くなるというより、冷たく凍えていくような――

「この扉を通る者は一切の希望を捨てよ、だな」
「ダンテの神曲じゃないですか」
「ほう。よく知っていたな」

 有名な文言だったので覚えていただけだった。
 それに地獄の魔王が言うと、余計に恐ろしさが増す。
 ルキフェルは「開けてみろ」と私に言う。

「この先に、君の最後の試練がある」
「……最後の、試練」
「あるいは、一族の最後の試練と言うべきかな」

 重圧を感じさせる言葉だった。
 私は扉の取っ手を掴んだ。

「覚悟はできているか。まあ当然だな」
「そんな大層なことを考えていませんよ」

 和菓子職人として、やるべきことをする。
 ただそれだけだ。特別なことをするわけではない。

 扉を開けると、そこは水辺だった。
 正面を横に流れている川のせせらぎが優しい。地面には小さな花が咲いている。
 まるで三途の川のような――いや、あれとまるで違う。さんさんと太陽が輝いていて、澄んだ空気が肺を満たす。ずっとここに居たいと思わせる光景だった。

「えーん、えーん……」

 川に向かって泣いている、小さな女の子が見えた。
 座り込んで何が悲しいのか分からないけど、ひたすらに泣き続けていた。
 後ろを振り返ると、ルキフェルが腕組みをしてにやにやしている。

「あの子は誰なんですか?」
「神が創りし最強の生物、レヴィアタンだよ」

 あっさりと正体を明かすルキフェル。
 レヴィアタンの名はゲームや漫画で聞いたことがある。
 世界を覆うほどの巨大な水獣だったような……

「あの子が、レヴィアタン……」
「意外だろう? ま、あれはレヴィアタンの一部に過ぎないのだがね」

 ルキフェルは「本体から分かれた分霊だよ」と説明し出した。

「最強の生物ゆえに、自身の弱さをなるべく無くそうとする。だが弱さの無い者など居ない。だから弱い部分を分霊として切り離したんだ」
「よく分かりませんが、あの子はレヴィアタンの弱点ですか?」
「それを言うなら、欠点と言うべきだな。あれを殺しても、レヴィアタンを殺すことはできない。また新たな弱さが分霊として生まれるだけさ」

 私は「ならなんで、ここで泣いているんですか?」と問う。

「そりゃ、閉じ込められているからだよ。あれが居なくなってもさほど影響はないが、一時的に弱さが本体に宿る。それは避けたいんだろうな」
「あの子は、ずっとここに一人きりで、泣いているんですか?」
「分霊だから死んだりしない。ずっと孤独で生きていく」

 哀れに思うのは、私が甘いからだろうか?
 いや、誰だってそう思うに決まっている。

 私はレヴィアタンに近づいた。ルキフェルは止めなかった。
 泣いている彼女に「やあ。初めまして」と声をかけた。

 女の子は青いワンピースに金髪、目は青色で綺麗な顔立ちをしていた。
 美少女と言ってもいい。

「くすん。だあれ、あなたは……」
「私は、柳友哉。良かったらこれ食べてみるかい?」

 取り出したのは梅ヶ枝餅だった。簡単に言えば餡子入りの焼餅である。
 そういえば、レヴィアタンは嫉妬を司るという。そんな彼女に焼餅を渡すのは運命を感じる。

「ありがとう……えっ? 美味しい!」

 まるでこんなに美味しいものを食べたことが無いというリアクションだった。
 その事実に、私の胸が酷く痛んだ。

 夢中で食べている彼女を見守ると、少しずつ同情が芽生えてくる。
 そして私にある考えが浮かんできた。

「ねえ。君はずっとここに居たいのかい?」

 私の問いに彼女は「ううん。居たくない」と首を横に振った。

「でもここに居なきゃいけないって、ママが言っていたの」

 ママとはおそらく本体のことだろう。
 私は「もしよければ、ここから出ない?」と彼女に言う。

「私が面倒を看る。和菓子を毎日食べさせてあげるし、学校にも行かせてあげる」
「よく、分からないけど、楽しそう……」
「君が選んでくれたら、私は全力で守るよ」

 彼女は俯いて黙り込んで、そして決断した。

「私、外に出てみたい! ここに居たくない!」

 私は手を差し伸べた。
 彼女は私の手を取った――

「――お待ちなさい! 何を勝手なことをしているのですか!」

 晴れていた空が急に曇り、雷鳴轟く酷いどしゃ降りとなった。
 私は女の子を庇いつつ「誰だ!」と大声で喚いた。

 正面を流れる川から、何者かが這い出てきた。
 いや、何者というより化け物だった。

 高層ビルより大きな水獣が現れたのだ――

「そんな人間の誘惑に負けるなんて――ママは許しませんよ!」

 水獣の顔は、図鑑や映画に出てくる恐竜そのものだった。
 首長竜をより凶暴にした化け物だ。

「ママ……」
「あれは、つまり、レヴィアタンか……!」

 レヴィアタンは口を大きく開けて「人間! その子から離れなさい!」と叫んだ。

「食い殺してやる!」

 鋭い牙が私に迫ってくる。
 神野の血も効かないようだ。
 私は抵抗もできず、そのときが来るのを待つしかなかった――
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