柳友哉のあやかし交幽録

橋本洋一

文字の大きさ
上 下
14 / 46

砂かけババア

しおりを挟む
 物事には飽きが来る。
 どんなに大事だったものでも、必ず。

 和菓子屋の朝は早い。身支度を整える前にボイラーを動かし、蒸気で小豆やらもち米やらを蒸らす。

 洗面や歯磨きを終えると、ようやく餡や餅作りができる。しかしこの餡はそのままでは使えない。砂糖や水あめを馴染ませるために、一日か二日置く。

 その日に売るものは朝に作り、焼き物などは午後に作る。乾燥や湿気ないように丁寧に包み、展示ケースに並べる。そうしてようやく一息がつける。

 私は店の窓から空を見上げる。
 すっきりしない曇りだった。そのせいか底冷えするような寒さが背筋を伝う。
 こんな天気ならいっそのこと、雨が降ればいいと思う。

「ごめんください。店主の柳さんはいらっしゃいますか?」

 からんころんとドアベルが鳴る。
 ドアを開けてやってきたのは、上品そうなおばあさんだった。
 薄紫色で黒い花が描かれている、綺麗な和服。
 髪は白と黒が混じった灰色で目元が柔和そうだった。

 若い頃は美人だったのだろうと想像できるお人だな。
 しかし常連のお客様ではない。
 そんなことを考えつつ「はい、柳は私ですが」と椅子から立ち上がった。

「これはこれは。お初にお目にかかります」

 年の割りにぴんと真っ直ぐになっている腰を折り曲げて、深く頭を下げるおばあさん。
 礼儀正しい人だ。年若い私に丁寧すぎる仕草だった。

「ええ、こちらこそ。あの、あなたは……」
「申し遅れました。私は――砂江すなえといいます」
「はあ。砂江さん……」

 砂江さんはにっこりと微笑んで言う。

すなかけババアと言えば、お分かりになりますかね」

 ――砂かけババア。某アニメのおかげで知名度のある妖怪の一つだ。
 そのイメージのせいか、こんな上品だとは思わなかった。
 それにきちんとドアから入られたのは初めてだった。

「うふふ。私はなるべく、人として生きていますので」
「妖怪ではなく、人として?」
「ええ。私はもう、疲れたのですよ」

 笑顔で疲れたという砂かけババア――いや、砂江さんはどこからどう見ても人間としか思えなかった。
 人と同じように生きる妖怪。
 それもまた、現代においては珍しくないのだろう。

「人を脅かし、人に追われる毎日に、飽きたとも言えます」
「失礼だが、あなたは一体おいくつなんですか?」
「私が生まれたのは、遥か昔のことでございます。まだ人と妖怪が互いに畏れていた頃からの」

 今はもう想像もできない。
 暗がりから妖怪が出てくると怖れていた時代は電球の開発によって無くなった。
 もう元には戻れない。

「柳さん。あなたは何かに飽いたことはありますか?」

 唐突に訊ねてきたが、私は詰まることなく「今のところはないです」と言った。

「飽くまで何かに打ち込んだことがないと、言ってしまえばそれまでですが」
「幸せなことですね」
「そう、ですか? 解釈によれば未熟とも言えますが」

 砂江さんはゆっくりと首を横に振った。
 そうしてから、ひどく羨ましそうに言う。

「人生に飽いてしまうと、その後は惰性で生きることになります」
「惰性……」
「私はもはや、妖怪として生きることは叶いません。砂を操る力も失われました」

 私は「人となってしまったのですか?」と言う。

「であるならば、あなたはいずれ……」
「人と同じように、朽ちて灰となり、土に還るでしょう」
「それに、後悔はないのですか?」

 思い切って砂江さんが答えづらそうなことを訊ねる。
 老婆は「ないと言えば嘘になりますね」と微笑んだ。

「砂時計と違って、ひっくり返しても元に戻りません」
「…………」
「そんな淋しそうな顔、しないでください」

 砂江さんは「今日は挨拶だけではなく、買い物しに来たんですよ」と可愛らしく笑った。
 淋しいのは彼女のほうなのに、元気付けられてしまった。

「私、甘いものには目がないんです。特にお饅頭が好きで」
「そうですか。なら当店自慢の美味しい饅頭を見繕いますよ」
「ええ。砂かけババアなだけに、砂糖たっぷりなものをお願いします」

 意外と上手いことを言う。
 私はおまけで一個多く包んだ。

「そういえば、人として暮らしているから、砂江という名前なんですか?」

 今までの妖怪は自身の名を言ったりしなかった。
 というより妖怪には名前などないと思っていた。

 砂江さんは饅頭の入った紙袋を持って「いえ、そうではありません」と答えた。

「妖怪にも名前はあります。しかし、名を知られると悪用されます」
「悪用? どういうことですか?」
「私は人として生きる覚悟で名乗っています。それによって妖怪の力が薄まるのですよ」
「つまり、名を知られると妖怪の力が弱まると?」
「そうです。対象は人でも妖怪でも同じ。だから妖怪同士では名を名乗りません」

 ふむ。だから種族というか、妖怪そのものの名を名乗るのか。
 しかしそう考えるとおかしなことがある。

「悪五郎や山ン本は、名前ではないのですか?」
「あれほど強大な方々は、名を呼ばれても力が落ちることはありません」
「……規格外ってことか」

 砂江さんは店を出るとき、私にこう言った。

「ですから、神野の血は数世代重ねても強いのですよ」
「…………」
「他の妖怪があなたを傷つけられないのは、それが原因です」

 守られたり、悩みの種になったり。
 厄介だな、血というものは。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

黒龍の神嫁は溺愛から逃げられない

めがねあざらし
BL
「神嫁は……お前です」 村の神嫁選びで神託が告げたのは、美しい娘ではなく青年・長(なが)だった。 戸惑いながらも黒龍の神・橡(つるばみ)に嫁ぐことになった長は、神域で不思議な日々を過ごしていく。 穏やかな橡との生活に次第に心を許し始める長だったが、ある日を境に彼の姿が消えてしまう――。 夢の中で響く声と、失われた記憶が導く、神と人の恋の物語。

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~

おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。 どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。 そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。 その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。 その結果、様々な女性に迫られることになる。 元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。 「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」 今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。

AV研は今日もハレンチ

楠富 つかさ
キャラ文芸
あなたが好きなAVはAudioVisual? それともAdultVideo? AV研はオーディオヴィジュアル研究会の略称で、音楽や動画などメディア媒体の歴史を研究する集まり……というのは建前で、実はとんでもないものを研究していて―― 薄暗い過去をちょっとショッキングなピンクで塗りつぶしていくネジの足りない群像劇、ここに開演!!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

処理中です...