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山ン本五郎左衛門
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宿命からは逃げられない。
身体から血を抜けないように。
和菓子についてのあれこれ。
和菓子は生菓子と干菓子、半生菓子に分かれる。
それらは含まれる水分量の違いで分類されるため、火を通した焼き菓子であっても生菓子と見なされる場合がある。
また、製法で餅物、蒸し物、流し物、焼き物、練り物、あん物、岡物、打ち物、押し物、掛け物、揚げ物、飴物と分類されるが、それは後述する。
このように、和菓子は一口で言っても多種多様に存在する。加えて季節や時候に合わせて商品を変えなければいけない。
それでいて、お客様に満足してもらえるように真心をもって作らなければならない。
茶道の精神に一期一会がある。その気持ちを忘れずに、一人一人に合ったものを提供していくことが重要ではないだろうか――
私はノートを閉じた。
母が大切に持っていた、父のノート。
今は私が引き継いでいる。
「よう。おめえさんが神野の子孫か」
その妖怪は悪五郎と同じように、唐突に訪れた。
からからに晴れた日で良かったとほっとする。
雨女が来ない日で良かったと心底安心する。
その妖怪は三十代半ばで、黒衣を纏った、百九十以上ありそうな高身長だった。
整った顔立ちをしているが、どうも作り物という印象が強かった。
私はそのとき、椅子に座っていたのでさらに妖怪が大きく感じられた。
威圧感が物凄くて、子泣きジジイが畏れる気持ちがよく分かる気がした。
しかしどうやらこちらを害するつもりはないようだ。
勇敢にも管狐が私を守ろうと竹筒から出てきたが、手で制した。
「あなたは……妖怪、ですよね?」
「妖怪じゃあねえよ。魔王って呼びな。一応格上だからよう」
魔王と名乗った男は、いつの間にか出現させた奢侈《しゃし》な椅子に腰掛けた。
足元を見ると裸足で、奇妙なことに水かきが大きかった。
「山ン本五郎左衛門。知ってるよな?」
以前、悪五郎を調べたときにその名があったことを思い出す。
遥か昔、悪五郎と競い合った、魔王。
「そんな大物が、どうして私に?」
「神野の馬鹿野郎はいつもそうなんだが、説明不足なんだよな。だから俺様が苦労する」
溜息を吐きつつ、山ン本は私を哀れむように見つめた。
そんな目をされる覚えはないのだが……
「和菓子、いかがですか?」
「あん? いや結構だ。ありがとよ」
ううむ。今日は自信作だったのだが。
山ン本はずばっと私に用件だけ言う。
「おめえさんはいずれ、地獄巡りをするんだよ」
「はあ……地獄巡り……?」
「ぴんと来てねえようだが、要は地獄に落ちるってことだ」
そんな。地獄に落ちるだなんて。
嘘をついたり友人と喧嘩して傷つけたりしたことはあるが、地獄に落とされるほどの悪事を働いたことはない。
「まあ顔が蒼白になるのは当然だな。でもよ、おめえさんが悪いから落ちるんじゃねえんだよ」
「……どういうことですか?」
「神野の血のせいだ」
山ン本は私の顔近くまで指を近づけた。
たじろぐ私を無視して、はっきりと言う。
「おめえさんはいずれ、妖怪になる」
「…………」
「薄くて強い、魔王の血のせいでな。それを防ぐために、地獄巡りをしなくちゃ駄目なんだ」
要領が得ないが、妖怪にならないために地獄巡りとやらをしなくてはいけないのか。
心臓の鼓動が早くなる――
「おめえさんには同情するぜえ。何せ、地獄巡りは相当きついからよ」
「そうですよね……」
「おめえさんの母親、すみれもやったぜ。あいつもかなり苦しんだ」
「……山ン本さん。私はいつ、地獄巡りをしなくちゃいけないんですか?」
一応、諸々の準備はしておかないといけなかった。
店のこととか、私自身の進退とか。
山ン本は「焦ることはねえよ」と笑った。
「おめえさんには選択肢がある。地獄巡りをするかしないかは、てめえで判断しろ」
「でも、しなかったら、妖怪になるんですよね?」
それでは選択肢など無いに等しい。
山ン本は「妖怪になるのは嫌か?」と嘲笑った。
「今まで出会った妖怪は、いい奴がほとんどだっただろう?」
「…………」
「人間を辞めたほうが幸せになるかもしれねえぞ?」
私は今まで出会った妖怪たちを思い出す。
話が通じる者が多かったが、中にはよく分からない者もいた。
しかしそれは人間も同じではないか?
人間の中には悪意で人を傷つける者もいる。
かつて満天沼の河童が言ったように、人は見たいものしか見ない。
では妖怪はどうなんだろうか?
見たくは無いものから目を逸らさないのだろうか?
「それでは、俺は帰る。地獄巡りの一ヶ月前にまた来るからな」
「もうお帰りですか?」
山ン本は私に「逃げようと思うなよ」と釘を刺した。
「自分の宿命からは、逃げられない。それを重々承知しておけ」
そう言い残して、すうっと消えてしまった。
自分の呼吸が荒くなるのを感じる――
私には、分からないことだらけだった。
どうして悪五郎は私に妖怪を引き合わせるのだろうか。
どうして誰も何も教えてくれなかったのか。
管狐がきゅうんと私の頬に自分の頬を擦り付ける。
慰めてくれているのだろうが、今の私には余裕が無い。
地獄巡りの詳細は分からない。
私はどうすればいいのか。
自分でも理解できなかった。
身体から血を抜けないように。
和菓子についてのあれこれ。
和菓子は生菓子と干菓子、半生菓子に分かれる。
それらは含まれる水分量の違いで分類されるため、火を通した焼き菓子であっても生菓子と見なされる場合がある。
また、製法で餅物、蒸し物、流し物、焼き物、練り物、あん物、岡物、打ち物、押し物、掛け物、揚げ物、飴物と分類されるが、それは後述する。
このように、和菓子は一口で言っても多種多様に存在する。加えて季節や時候に合わせて商品を変えなければいけない。
それでいて、お客様に満足してもらえるように真心をもって作らなければならない。
茶道の精神に一期一会がある。その気持ちを忘れずに、一人一人に合ったものを提供していくことが重要ではないだろうか――
私はノートを閉じた。
母が大切に持っていた、父のノート。
今は私が引き継いでいる。
「よう。おめえさんが神野の子孫か」
その妖怪は悪五郎と同じように、唐突に訪れた。
からからに晴れた日で良かったとほっとする。
雨女が来ない日で良かったと心底安心する。
その妖怪は三十代半ばで、黒衣を纏った、百九十以上ありそうな高身長だった。
整った顔立ちをしているが、どうも作り物という印象が強かった。
私はそのとき、椅子に座っていたのでさらに妖怪が大きく感じられた。
威圧感が物凄くて、子泣きジジイが畏れる気持ちがよく分かる気がした。
しかしどうやらこちらを害するつもりはないようだ。
勇敢にも管狐が私を守ろうと竹筒から出てきたが、手で制した。
「あなたは……妖怪、ですよね?」
「妖怪じゃあねえよ。魔王って呼びな。一応格上だからよう」
魔王と名乗った男は、いつの間にか出現させた奢侈《しゃし》な椅子に腰掛けた。
足元を見ると裸足で、奇妙なことに水かきが大きかった。
「山ン本五郎左衛門。知ってるよな?」
以前、悪五郎を調べたときにその名があったことを思い出す。
遥か昔、悪五郎と競い合った、魔王。
「そんな大物が、どうして私に?」
「神野の馬鹿野郎はいつもそうなんだが、説明不足なんだよな。だから俺様が苦労する」
溜息を吐きつつ、山ン本は私を哀れむように見つめた。
そんな目をされる覚えはないのだが……
「和菓子、いかがですか?」
「あん? いや結構だ。ありがとよ」
ううむ。今日は自信作だったのだが。
山ン本はずばっと私に用件だけ言う。
「おめえさんはいずれ、地獄巡りをするんだよ」
「はあ……地獄巡り……?」
「ぴんと来てねえようだが、要は地獄に落ちるってことだ」
そんな。地獄に落ちるだなんて。
嘘をついたり友人と喧嘩して傷つけたりしたことはあるが、地獄に落とされるほどの悪事を働いたことはない。
「まあ顔が蒼白になるのは当然だな。でもよ、おめえさんが悪いから落ちるんじゃねえんだよ」
「……どういうことですか?」
「神野の血のせいだ」
山ン本は私の顔近くまで指を近づけた。
たじろぐ私を無視して、はっきりと言う。
「おめえさんはいずれ、妖怪になる」
「…………」
「薄くて強い、魔王の血のせいでな。それを防ぐために、地獄巡りをしなくちゃ駄目なんだ」
要領が得ないが、妖怪にならないために地獄巡りとやらをしなくてはいけないのか。
心臓の鼓動が早くなる――
「おめえさんには同情するぜえ。何せ、地獄巡りは相当きついからよ」
「そうですよね……」
「おめえさんの母親、すみれもやったぜ。あいつもかなり苦しんだ」
「……山ン本さん。私はいつ、地獄巡りをしなくちゃいけないんですか?」
一応、諸々の準備はしておかないといけなかった。
店のこととか、私自身の進退とか。
山ン本は「焦ることはねえよ」と笑った。
「おめえさんには選択肢がある。地獄巡りをするかしないかは、てめえで判断しろ」
「でも、しなかったら、妖怪になるんですよね?」
それでは選択肢など無いに等しい。
山ン本は「妖怪になるのは嫌か?」と嘲笑った。
「今まで出会った妖怪は、いい奴がほとんどだっただろう?」
「…………」
「人間を辞めたほうが幸せになるかもしれねえぞ?」
私は今まで出会った妖怪たちを思い出す。
話が通じる者が多かったが、中にはよく分からない者もいた。
しかしそれは人間も同じではないか?
人間の中には悪意で人を傷つける者もいる。
かつて満天沼の河童が言ったように、人は見たいものしか見ない。
では妖怪はどうなんだろうか?
見たくは無いものから目を逸らさないのだろうか?
「それでは、俺は帰る。地獄巡りの一ヶ月前にまた来るからな」
「もうお帰りですか?」
山ン本は私に「逃げようと思うなよ」と釘を刺した。
「自分の宿命からは、逃げられない。それを重々承知しておけ」
そう言い残して、すうっと消えてしまった。
自分の呼吸が荒くなるのを感じる――
私には、分からないことだらけだった。
どうして悪五郎は私に妖怪を引き合わせるのだろうか。
どうして誰も何も教えてくれなかったのか。
管狐がきゅうんと私の頬に自分の頬を擦り付ける。
慰めてくれているのだろうが、今の私には余裕が無い。
地獄巡りの詳細は分からない。
私はどうすればいいのか。
自分でも理解できなかった。
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