龍馬と梅太郎 ~二人で一人の坂本龍馬~

橋本洋一

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教訓

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 父の腰痛はさほど酷いものではなかった。湿布でも貼っておけば治るものだろう。そう診断した私は、思いつきで行動しないでください、と苦言を呈した。

「そんなことを言ってもだな。俺が書いたのはお前の友人のことを聞いたからだ」

 龍馬のことを聞いて?
 私の微妙な反応と対照的に、龍馬は「どういうことですきに?」と興味深そうに訊ねる。
 父は「お前が坂本殿を連れてくるのは、なんとなく分かっていた」とまるで神官の宣託のように言う。

「勝殿はお勤めで忙しいお方だ。おそらく今も城にて会議でもしているのだろう。律儀なお前は勝殿の屋敷に泊まることはしない。ならば坂本殿を連れて、きっとここに来ることは予想できる」

 おそらくとかきっととか。曖昧な文言が含まれるのは気にかかったが、それでも当たっているので何も言えない。
 父が得意そうな顔をしているので、龍馬は「へえ。凄いお方じゃ」と見事に騙されてしまった。
 私は、父が予想を外すのを何度も見ているので、これは十回に一回がたまたま当たっただけだと気づいていた。

「だから俺は、坂本殿に書を書いて渡そうとしたのだ」

 疑わしいことを言う父に、どんなことを書いたのですか、と私は訊ねた。
 飲んだくれでも腕のいい医師である父。教養も私よりあるので気になった。
 龍馬も身を乗り出して「是非見せてほしいぜよ」と頼み込む。

「ふっふっふ。いいだろう。俺が書いたのはこれだ。おーい、持ってきてくれ!」

 父が大声で呼ぶ。当然、腰に響いて父が悶絶しているところに、母がやってきた。
 既に乾いているのだろう。丁寧に巻いてある紙を母は父の代わりに広げた。
 そこには、『一期一会いちごいちえ』と達筆な字で書かれていた。

「一期一会か。意味は分かりますが、どうしてこれを?」

 確かご縁を大事にせよ、という意味だった気がする。
 私もどうして父がこれを書いたのか判然としない。
 すると父は腰を撫でつつ「今は動乱の世だ」と至極真剣な顔で言う。

「元々は茶道の言葉らしい。人との縁を大事にする、という意味だけではない。人は一度限りしか会えないと思い、その一度を大切にせよという意味もある。だからこそ、坂本殿や梅太郎に必要な言葉だ」

 そう聞いても得心した気分にならない。
 龍馬も同様らしく「詳しく教えてください」と不思議そうに言う。

「医師である俺が言うのは、あまり相応しいとは思えないが、人はあっさりと死ぬぞ」

 医師である父から出た壮絶な言葉に、私も龍馬も息を飲んで何も言えなかった。
 父は続けて「人は病や寿命以外でも死ぬ」と言う。

「斬られても死ぬ。殴られても死ぬ。矢や鉄砲で撃ち抜かれても死ぬ。そんな弱くて儚い人間がこの世を差配している。ならば動乱の世では、要人はあっさりと殺されてしまうだろう」

 私や龍馬を脅かすつもりではなく、ただ事実であるように淡々という父。
 いつになく真剣な眼差しだった。しらふでもこうはならない。

「だからこそ、友人として出会った縁を大事にせよ。特に坂本殿は肝に銘じたほうがいい。自分が見込んだ男が亡くなることを恐れよ。それ以上に人との出会いを大事にするんだ。この『一期一会』の意味を噛み締めて、これから行動したほうがいい」
「はい。才谷殿のおっしゃるどおりですきに」

 年長者からの教訓と受け取ったのか、龍馬は深く頷いた。
 私は父からいろいろな話を聞いてきた。それは説教だったり、与太話だったり。
 だけど龍馬と一緒にいたこの場での話は、今までの話よりも深く感じ入った。
 そして父は不敵に笑った。

「坂本殿。梅太郎と友人でいてくれてありがとうよ」

 いきなりの感謝の礼に、どうしたんですか父上、と私は首を傾げた。
 父は笑いながら続けた。

「俺は今までいろんな人間を医師として診てきた。だから人間の大きさがある程度分かる。だから坂本殿は大きな人間になるぞ。間違いない、この俺が言っているのだから」

 この段階では龍馬は何も成していない。
 それどころか脱藩の罪で終われている罪人である。
 そんな彼を父は高く評価した。酔いが覚めているのかどうか、私には分からなかった。

「いやあ。そないなこと言われたら照れるじゃが」

 父の言葉を龍馬は素直に受け取った。
 だけど今、この文を綴っている身としては、少しだけ悲しい気分になる。
 私は龍馬が大人物であることを認める。
 維新の三傑を超える大英雄だってことも認めよう。
 
 しかし、私は。
 ほんの少しで良かったから。
 龍馬が長生きしてくれたらと思っている。


◆◇◆◇


 そのまま龍馬は私の実家に泊まった。
 そして朝食を二人で食べた後、少し散歩でも行こうかとどちらとも誘うでも無しに出かけた。
 他愛のない会話をしていると「おおい、坂本殿!」と呼びかける声がした。

 正面からの呼びかけだった。その男は四角い角ばった顔をしていた。目はぎらぎらと鋭く、全身が虎のように鍛え上げられているのが、武芸を習わぬ私にも伝わった。やけに口の大きくて着ている着物は少し古びれていた。

「うん? ああ、おんしか。久しぶりじゃのう。元気にしよったか?」
「ええ。元気にしておりました。まあ道場は相変わらずですが」

 知り合いなのか? と私は龍馬に訊ねる。

「ああ。梅太郎は知らんでもおかしくないの。だけど、こん方の剣術は凄まじいぜよ」
北辰ほくしん一刀流いっとうりゅうで鳴らした坂本殿には負けますよ」

 その男は肩をぐるりと回して「名乗らせてください」と丁寧に言う。

天然てんねん理心流りしんりゅう宗家そうけ、四代目の近藤勇こんどういさみと申します」

 天然理心流? 失礼ですが、どちらの流派ですか?

「あはは。田舎剣術ですから知らなくても無理はありません」
「じゃがさっきも言うたが、まっこと腕の立つ御仁ぜよ」

 私はどうもよく分からなかったので、はあ、そうですか、としか言えなかった。
 しかし私はこの近藤勇と深く関わりを持つことになる。
 それはこの江戸ではなく、京の都でのことだった。
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