3 / 9
治療
しおりを挟む
龍馬は人を殺さない、穏やかな男だという風潮が世間に流れているが、私からすると一笑に付す逸話だった。江戸に剣術修業で遊学するほどの剣士である龍馬に、人並み以上の闘争心が無いはずがない。
もちろん、人を殺さなかったのは事実ではあるが、その寸前まで決意したことがある。終生の師として仰いだ勝海舟などがいい例だ。だから初めて出会ったときは、何とも荒々しい男だと思ったものだ。
「そん人。迷惑かけたの。すまん」
龍馬はもう一度私に謝って、その場から去ろうとする。
その大きな背中に、少し待ってくれ、と私は声をかけた。
刀を持った武士二人を素手で倒した、しかも脱藩浪士である龍馬にだ。
「うん? どないした?」
私は腕の傷を指さして、縫ってやろうか、と問う。
龍馬は「なんじゃ。おんしは医者か?」と怪訝そうに言う。
私は簡単に頷いた。
「酔狂なお人じゃの。じゃあ頼むわ」
怪しむ様子無く、ただ当然のように頷く龍馬に、私は驚いたことを覚えている。
この男、見ず知らずの人間を信用するのか?
「あはは。これでもわしは見る目あるきに。そんにおんしは悪い人間でもなさそうじゃ」
ここで誤解してほしくないのは、龍馬が考えなしで動くような人間だと思うことだ。
計算高い男でもなかったが、それでも一応自分の中で考えているふしがあった。
生来の直感と鍛えた人を見る目で相手に全幅の信頼を持つ。
そうでなければ数々の志士たちの心は掴めない。
とりあえず、私が泊まる予定の宿屋まで行くことにした。
獄医の習性でいつでも医術道具を持っている私。
さらに言えば罪人の治療は手慣れたものだった。
「あ、そうじゃ。わし、おんしの名を聞いちょらん」
言われてみればそうだった。
私は、才谷梅太郎だ、と名乗った。
すると龍馬は目を大きく開いて「ほんまか!?」と笑った。
「わしの親戚にも才谷おるわ。これは凄いことじゃな!」
偶然にも程があると思える奇妙な一致だった。
私は面白い符合もあるものだとしか思っていなかった。
「よろしゅうな、梅太郎!」
龍馬はにっこりと笑った。
そう。彼は私のことを梅太郎と呼んでいた。
今でも龍馬が私の名を呼ぶ光景が目に浮かぶ。
もしくは耳に残っている。
先ほどまでの本降りが嘘のように止んで。
空には珍しく虹がかかっていた。
そんな日に私と龍馬は出会った。
◆◇◆◇
「あいてててっ。もうちょい優しくしてくれや」
宿屋にて私は彼の腕を縫った。
化膿止めも塗り込んでやる。これで酷くはならないだろう。
「抜糸は自分でやるきに。ありがとな」
実に惚れ惚れとする笑顔で龍馬は言う。
私は、たいしたことはしていない、と告げる。
「そんしても不思議な話もあるぜよ。獄医が脱藩浪士の治療を娑婆でするなんて」
確かに考えてみれば可笑しい話である。
私は、答えなくてもいいが、と前置きをした。
「うん? なんじゃ?」
どうして脱藩などした?
「藩にいれば思うような動きができんきに。せやから脱藩したまでじゃ」
今流行りの尊皇攘夷かと私は考えた。
しかし、情勢に疎い私でも土佐勤皇党のことは知っていた。
土佐勤皇党は武市半平太という男が中心として創られた組織で、当時は土佐を差配するほどの勢力を持っていた。おそらく土佐勤皇党に所属していたと思われる龍馬にそのことを話すと「武市とは物別れしてもうた」と寂しそうに言う。
「土佐勤皇党は土佐藩ありきの組織ぜよ。藩の意見に左右されやすい。しかし、わしはそういうのは好かん。もっと大きなくくりで志士たちを集め、藩の意向に縛られないやり方を目指すんじゃ」
何とも大きな話をする男だと私は感心した。
この時点で興味を持ち始めている。
私は次に、男たちが言っていた吉田様について訊ねた。
「ああ。吉田東洋様じゃな。まっことおかしな話で、あん人を斬ったのがわしじゃとなっちょる」
斬ってはいないのに、罪を着せられたのか?
「ああ。ま、脱藩したわしに罪を着せるのは、ありふれたことぜよ」
当人はどうでもいいと思っているらしい。
脱藩に加えて人殺しまで容疑が懸かっているのに、剛毅なことである。
「それより、おんしの話を聞かせてくれや。なにせ大坂に来ちょる? 江戸の人間が」
どうして私が江戸の人間だと分かる?
「国言葉がそうぜよ。わしは江戸に遊学したこともあるきに」
案外鋭い男だなと思いつつ、私は緒方先生に会いに来たことを告げた。
同時に大切な感染症の書物を見せる。
「へえ。あん人のことは噂で聞いちょる。えらい先生らしいな」
医聖とはあの人のことを言うのだと、私は門下生でもないのに威張って言った。
龍馬はふうんと分かったような微妙な反応をした。
さて。治療も済んだことだし、私たちはここでお別れということになる。
龍馬にさりげなく、今夜の宿は決まっているのか、と訊ねた。
「ああ、決まっちょらん。できればここで厄介になりたいんじゃが」
厚かましい男だ。
少々呆れた私だが、このまま追い出すのも忍びない。
それに龍馬の話を聞きたい自分もいた。
仕方がない、ここにいていいぞ。
「そりゃあありがたいぜよ! 助かりもうした!」
龍馬の最大の魅力は朗らかな笑顔だと思う。
何故か全てを許してしまいそうな感覚がするのだ。
まあ、そこがずるいところでもある。
こうして私と龍馬は知り合いになった。
まだ友人ではなく、一方的な借りのある関係だけど。
それでも第一印象は互いに悪いものではなかった。
もちろん、人を殺さなかったのは事実ではあるが、その寸前まで決意したことがある。終生の師として仰いだ勝海舟などがいい例だ。だから初めて出会ったときは、何とも荒々しい男だと思ったものだ。
「そん人。迷惑かけたの。すまん」
龍馬はもう一度私に謝って、その場から去ろうとする。
その大きな背中に、少し待ってくれ、と私は声をかけた。
刀を持った武士二人を素手で倒した、しかも脱藩浪士である龍馬にだ。
「うん? どないした?」
私は腕の傷を指さして、縫ってやろうか、と問う。
龍馬は「なんじゃ。おんしは医者か?」と怪訝そうに言う。
私は簡単に頷いた。
「酔狂なお人じゃの。じゃあ頼むわ」
怪しむ様子無く、ただ当然のように頷く龍馬に、私は驚いたことを覚えている。
この男、見ず知らずの人間を信用するのか?
「あはは。これでもわしは見る目あるきに。そんにおんしは悪い人間でもなさそうじゃ」
ここで誤解してほしくないのは、龍馬が考えなしで動くような人間だと思うことだ。
計算高い男でもなかったが、それでも一応自分の中で考えているふしがあった。
生来の直感と鍛えた人を見る目で相手に全幅の信頼を持つ。
そうでなければ数々の志士たちの心は掴めない。
とりあえず、私が泊まる予定の宿屋まで行くことにした。
獄医の習性でいつでも医術道具を持っている私。
さらに言えば罪人の治療は手慣れたものだった。
「あ、そうじゃ。わし、おんしの名を聞いちょらん」
言われてみればそうだった。
私は、才谷梅太郎だ、と名乗った。
すると龍馬は目を大きく開いて「ほんまか!?」と笑った。
「わしの親戚にも才谷おるわ。これは凄いことじゃな!」
偶然にも程があると思える奇妙な一致だった。
私は面白い符合もあるものだとしか思っていなかった。
「よろしゅうな、梅太郎!」
龍馬はにっこりと笑った。
そう。彼は私のことを梅太郎と呼んでいた。
今でも龍馬が私の名を呼ぶ光景が目に浮かぶ。
もしくは耳に残っている。
先ほどまでの本降りが嘘のように止んで。
空には珍しく虹がかかっていた。
そんな日に私と龍馬は出会った。
◆◇◆◇
「あいてててっ。もうちょい優しくしてくれや」
宿屋にて私は彼の腕を縫った。
化膿止めも塗り込んでやる。これで酷くはならないだろう。
「抜糸は自分でやるきに。ありがとな」
実に惚れ惚れとする笑顔で龍馬は言う。
私は、たいしたことはしていない、と告げる。
「そんしても不思議な話もあるぜよ。獄医が脱藩浪士の治療を娑婆でするなんて」
確かに考えてみれば可笑しい話である。
私は、答えなくてもいいが、と前置きをした。
「うん? なんじゃ?」
どうして脱藩などした?
「藩にいれば思うような動きができんきに。せやから脱藩したまでじゃ」
今流行りの尊皇攘夷かと私は考えた。
しかし、情勢に疎い私でも土佐勤皇党のことは知っていた。
土佐勤皇党は武市半平太という男が中心として創られた組織で、当時は土佐を差配するほどの勢力を持っていた。おそらく土佐勤皇党に所属していたと思われる龍馬にそのことを話すと「武市とは物別れしてもうた」と寂しそうに言う。
「土佐勤皇党は土佐藩ありきの組織ぜよ。藩の意見に左右されやすい。しかし、わしはそういうのは好かん。もっと大きなくくりで志士たちを集め、藩の意向に縛られないやり方を目指すんじゃ」
何とも大きな話をする男だと私は感心した。
この時点で興味を持ち始めている。
私は次に、男たちが言っていた吉田様について訊ねた。
「ああ。吉田東洋様じゃな。まっことおかしな話で、あん人を斬ったのがわしじゃとなっちょる」
斬ってはいないのに、罪を着せられたのか?
「ああ。ま、脱藩したわしに罪を着せるのは、ありふれたことぜよ」
当人はどうでもいいと思っているらしい。
脱藩に加えて人殺しまで容疑が懸かっているのに、剛毅なことである。
「それより、おんしの話を聞かせてくれや。なにせ大坂に来ちょる? 江戸の人間が」
どうして私が江戸の人間だと分かる?
「国言葉がそうぜよ。わしは江戸に遊学したこともあるきに」
案外鋭い男だなと思いつつ、私は緒方先生に会いに来たことを告げた。
同時に大切な感染症の書物を見せる。
「へえ。あん人のことは噂で聞いちょる。えらい先生らしいな」
医聖とはあの人のことを言うのだと、私は門下生でもないのに威張って言った。
龍馬はふうんと分かったような微妙な反応をした。
さて。治療も済んだことだし、私たちはここでお別れということになる。
龍馬にさりげなく、今夜の宿は決まっているのか、と訊ねた。
「ああ、決まっちょらん。できればここで厄介になりたいんじゃが」
厚かましい男だ。
少々呆れた私だが、このまま追い出すのも忍びない。
それに龍馬の話を聞きたい自分もいた。
仕方がない、ここにいていいぞ。
「そりゃあありがたいぜよ! 助かりもうした!」
龍馬の最大の魅力は朗らかな笑顔だと思う。
何故か全てを許してしまいそうな感覚がするのだ。
まあ、そこがずるいところでもある。
こうして私と龍馬は知り合いになった。
まだ友人ではなく、一方的な借りのある関係だけど。
それでも第一印象は互いに悪いものではなかった。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
壬生狼の戦姫
天羽ヒフミ
歴史・時代
──曰く、新撰組には「壬生狼の戦姫」と言われるほどの強い女性がいたと言う。
土方歳三には最期まで想いを告げられなかった許嫁がいた。名を君菊。幼馴染であり、歳三の良き理解者であった。だが彼女は喧嘩がとんでもなく強く美しい女性だった。そんな彼女にはある秘密があって──?
激動の時代、誠を貫いた新撰組の歴史と土方歳三の愛と人生、そして君菊の人生を描いたおはなし。
参考・引用文献
土方歳三 新撰組の組織者<増補新版>新撰組結成150年
図説 新撰組 横田淳
新撰組・池田屋事件顛末記 冨成博
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
江戸情話 てる吉の女観音道
藤原 てるてる
歴史・時代
この物語の主人公は、越後の百姓の倅である。
本当は跡を継いで百姓をするところ、父の後釜に邪険にされ家を出たのであった。
江戸に出て、深川で飛脚をして渡世を送っている。
歳は十九、取り柄はすけべ魂である。女体道から女観音道へ至る物語である。
慶応元年五月、あと何年かしたら明治という激動期である。
その頃は、奇妙な踊りが流行るは、辻斬りがあるはで庶民はてんやわんや。
これは、次に来る、新しい世を感じていたのではないのか。
日本の性文化が、最も乱れ咲きしていたと思われるころの話。
このてる吉は、飛脚であちこち街中をまわって、女を見ては喜んでいる。
生来の女好きではあるが、遊び狂っているうちに、ある思いに至ったのである。
女は観音様なのに、救われていない女衆が多すぎるのではないのか。
遊女たちの流した涙、流せなかった涙、声に出せない叫びを知った。
これは、なんとかならないものか。何か、出来ないかと。
……(オラが、遊女屋をやればええでねえか)
てる吉は、そう思ったのである。
生きるのに、本当に困窮しとる女から来てもらう。
歳、容姿、人となり、借金の過多、子連れなど、なんちゃない。
いつまでも、居てくれていい。みんなが付いているから。
女衆が、安寧に過ごせる場を作ろうと思った。
そこで置屋で知り合った土佐の女衒に弟子入りし、女体道のイロハを教わる。
あてがって来る闇の女らに、研がれまくられるという、ありがた修行を重ねる。
相模の国に女仕入れに行かされ、三人連れ帰り、褒美に小判を頂き元手を得る。
四ツ谷の岡場所の外れに、掘っ立て小屋みたいな置屋を作る。
なんとか四人集めて来て、さあ、これからだという時に……
てる吉は、闇に消えたのであった。
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
北武の寅 <幕末さいたま志士伝>
海野 次朗
歴史・時代
タイトルは『北武の寅』(ほくぶのとら)と読みます。
幕末の埼玉人にスポットをあてた作品です。主人公は熊谷北郊出身の吉田寅之助という青年です。他に渋沢栄一(尾高兄弟含む)、根岸友山、清水卯三郎、斎藤健次郎などが登場します。さらにベルギー系フランス人のモンブランやフランスお政、五代才助(友厚)、松木弘安(寺島宗則)、伊藤俊輔(博文)なども登場します。
根岸友山が出る関係から新選組や清河八郎の話もあります。また、渋沢栄一やモンブランが出る関係からパリ万博などパリを舞台とした場面が何回かあります。
前作の『伊藤とサトウ』と違って今作は史実重視というよりも、より「小説」に近い形になっているはずです。ただしキャラクターや時代背景はかなり重複しております。『伊藤とサトウ』でやれなかった事件を深掘りしているつもりですので、その点はご了承ください。
(※この作品は「NOVEL DAYS」「小説家になろう」「カクヨム」にも転載してます)
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
旅路ー元特攻隊員の願いと希望ー
ぽんた
歴史・時代
舞台は1940年代の日本。
軍人になる為に、学校に入学した
主人公の田中昴。
厳しい訓練、激しい戦闘、苦しい戦時中の暮らしの中で、色んな人々と出会い、別れ、彼は成長します。
そんな彼の人生を、年表を辿るように物語りにしました。
※この作品は、残酷な描写があります。
※直接的な表現は避けていますが、性的な表現があります。
※「小説家になろう」「ノベルデイズ」でも連載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる