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偉大な人
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かつての将軍、足利義昭が居城としていた二条城。
今では豊臣将軍家が京に滞在するときの宿所となっている。
この城は本能寺の変の轍を踏まないよう護衛の者や城自体の守りも強化していた。
その二条城の大広間。
豊臣家二代将軍、豊臣秀勝は驚愕する四人を前に平然としていた。
顔立ちは父の秀吉に似ず、端正な顔つきである。口髭を立派に蓄えていて、天下人らしい威厳のある恰好をしていた。纏っている着物も煌びやかな色合いで飾られている。
「伊達家は我が将軍家に忠節を尽くしている。だからこそ、蝦夷地攻略については不問とした」
将軍として決定であると、権威を込めた語気でいう秀勝。
それに納得できない光は「し、しかし!」と発言してしまった。
将軍に対し無礼な行為である。周りの家臣たちは目をむいた。
「良い。四人の直答を許す。そのほう、名をなんと申す?」
「光と申します。私は、百万石の陰謀の証拠を持っています!」
「それがどうした? 既に伊達政宗から直接説明を受けている。他大名の領地を借り入れる……大胆な発想だが先代が定めた惣無事令には叛いていない。私が直々に判断した」
今までの前提が崩れてしまう話だった。
政宗はいわゆる『政治』で話をまとめてしまったのだ。
これではどうしようもない――
「公方様ともあろうお方が、伊達政宗の虚言に騙されたのですか!」
そう言ったのは雪秀だった。
いくら直答を許されてもこれは罪に問えるほどの無礼である。
数人の家臣が立った――秀勝が「やめよ」と静かに制する。
「虚言か。傍から見ればそうかもしれんな」
「お認めになられるのであれば、尚更――」
「しかしいずれ蝦夷地は攻略せねばならぬ。日の本を豊かにするためにな」
秀勝は自らの構想を語る。
雪秀は口を噤んだ。
「広大な大地。そこに人々を入植させれば開拓が進む。そこから得られる利益は図り切れない。今の豊臣家は安定し過ぎている。それでは発展は見込めない。だから伊達家の提案は渡りに船だった」
「伊達家の計画は破綻しています。たった十年で蝦夷地を攻略できますか? 人々が住めるように開拓できますか?」
「真柄。そなたおかしなことを言う。できようができまいが、そんなこと知ったことではない」
あっさりと突き放すようなことを言う秀勝。
雪秀は動揺しながら「知ったことではない?」と繰り返した。
「ああ。伊達家が蝦夷地を攻略すれば良し。できなければ伊達家を改易し、その事業を豊臣家が引き継げばいいのだ」
冷淡と言うべき考え方だった。
しかし為政者としては当然の判断だ。
伊達家の行動に責任を持つことをせず、状況に応じて政策を決定する。
天下人ならではの発想だった。
「せやけど、伊達家の蝦夷地攻略が成功したら、どないしますねん」
ここで沈黙を貫いてきた浅井霧政が口を挟んできた。
秀勝は「どうもしないが」と返答した。
「いやいや。危ないですやんか。蝦夷地ちゅう豊かな土地を手に入れて、みちのくの大名との約定を破って、逆に惣無事令を無視して攻めたら――大乱になりませんか?」
雪秀と光、凜は息を飲んだ。
まったくその観点は抜け落ちていたからだ。
伊達政宗は戦国時代を生き抜いてきた大名である。
天下を望むのなら、そのくらいの裏切りはするだろう。
「みちのくの大乱で済んだらええですよ。せやけど九州当たりの大名抱き込んで東西を挟む反乱をしたら、今の政権はひっくり返ります」
「確かに、その可能性はある」
それでも秀勝は動揺しなかった。
彼もそれを想定しているのだろう。
「公方様はそれでも、百万石の陰謀を無視すると?」
「……政権というものは年数が経つと膿が出てくるものだ」
「その膿を抜き取るために、敢えて戦を起こすと?」
「痛みを伴わない泰平の世などありえないからな」
秀勝は四人に「私が目指しているのは、現政権の長期化だ」と語り出す。
「私の代で全ての膿と取り除き、百年二百年続く体制を創り出す。それで先代の努力に報いるというものだ。そなたたちのように目先のことだけを考えてはいない」
天下人の答えを聞いて、霧政はすっと立ち上がった。
周りの家臣たちも警戒して立ち上がる。
「話にならんわ。泰平の世を崩して創りあげるもんなんてあらへん」
場の空気が殺気立つ。
秀勝は「そなたが天下無双の男でも」と感情を出さずに言う。
「ここにいる家臣はかなりの手練れだ。槍のないそなたでは勝ち目はない」
「分かっとるわ。せやけどな、ここで戦わなあかんねん」
霧政は拳を構えた。
「ここにいる光はな。家族を殺されてここに来とんねん。雪秀くんや凜もそうや。苦労してここに来とる。そん気持ち、あんたには分かるか?」
「さぞかし無念だろうな。同情しよう」
「へえ。公方様も人の気持ち分かるんか。だったら――ほんの少しだけでも、可哀想な女の子を助けてあげようって、どうして思わんねん!」
霧政が怒鳴った瞬間、凜が後ろから彼を押さえつけた。
今にも将軍秀勝に突撃しそうだったからだ。
「放せや。俺は女を殴りとうない」
「……霧政様。お待ちください」
雪秀が冷静さを強いた声で止めた。
いや、冷静さだけではない。
重厚な覚悟を込めている。
「真柄家当主として、お願い申し上げます。どうか、光を助けてあげてください」
平伏して――雪秀は将軍に懇願した。
情に訴えるしか方法がないと彼は悟った。
「もはや私には、公方様の慈悲に縋るしかないのです」
「相模国と伊豆国を支配する、真柄家当主として恥ずかしくはないのか」
「自分でも情けないと思います。しかし――」
雪秀は顔を上げた。
決死の思いが込められている。
「公方様を信じて、懇願するしかありません」
「…………」
「蔑んでいただいても構いません」
将軍豊臣秀勝は――少し表情を崩した。
まさかここにきて同情したのかと霧政は疑った。
「そなたの父――真柄雪隆には借りがあったな」
父の名を出された雪秀。
戸惑いつつ「借り、ですか?」と問う。
「そなたの父が死んだ理由を知っているか?」
「……雨竜家当主様を庇って亡くなったと母から聞かされております」
「それは正しくない」
秀勝もまた覚悟を決めた顔になった。
過去の傷を開くのはとても痛い。
「私を守るために死んだのだ」
「な、なんですと……? い、今なんと――」
「秀晴は私を守った。そして真柄はその秀晴を守ったのだ」
秀勝は「今でも思い出す」と呟いた。
「私が策を見破っていれば。もっと護衛を従わせていれば。そなたの父は死ななかった」
「…………」
「そなたの父の原因は私にある」
そこで秀勝は天下人がしてはいけない行動に出た。
頭を下げたのだ。
誰がどう見ても謝罪の姿だった。
「く、公方様! 頭をお上げください!」
「雪秀。私は酷い男だ。恩人の息子が正しいことをしているのに、それを妨げている」
頭を上げた秀勝は「そなたは正しいことをしている」と繰り返した。
「その女性を守るために、ここまで苦労してきたのも分かった。私は将軍であるが、それ以前に一人の人間だ」
「公方様、それでは――」
「真柄家には借りがある。それに報いるために、そなたの願いを聞き入れよう」
秀勝は「これより沙汰を下す」と言う。
「伊達政宗は隠居させる。百万石の陰謀を企てた罪でな」
それから秀勝は「光。そなたは証拠を持っていると言ったな」と言う。
「え、ええ。ございます」
「どこにある?」
光は震える手で、自分の頭から櫛を取った。
知らず知らずのうちに、彼女は涙を流していた。
今までの苦労と犠牲が報われたからだ。
「この、櫛を折れば、中に書状が隠されています……」
「よく頑張ったな。褒めてつかわす」
「ううう、ぐす、うわああああん!」
秀勝のいたわりの言葉で、光は泣き出してしまった。
霧政を押さえつけていた凜は離れて、光の背中をさする。
凜の目にも涙が浮かんでいた。
「なんや。いいところ取られてもうたな」
霧政が雪秀に話しかける。
だけど彼は肩をすくめた。
「いいえ。私の父が偉大だった。ただそれだけのことです」
今では豊臣将軍家が京に滞在するときの宿所となっている。
この城は本能寺の変の轍を踏まないよう護衛の者や城自体の守りも強化していた。
その二条城の大広間。
豊臣家二代将軍、豊臣秀勝は驚愕する四人を前に平然としていた。
顔立ちは父の秀吉に似ず、端正な顔つきである。口髭を立派に蓄えていて、天下人らしい威厳のある恰好をしていた。纏っている着物も煌びやかな色合いで飾られている。
「伊達家は我が将軍家に忠節を尽くしている。だからこそ、蝦夷地攻略については不問とした」
将軍として決定であると、権威を込めた語気でいう秀勝。
それに納得できない光は「し、しかし!」と発言してしまった。
将軍に対し無礼な行為である。周りの家臣たちは目をむいた。
「良い。四人の直答を許す。そのほう、名をなんと申す?」
「光と申します。私は、百万石の陰謀の証拠を持っています!」
「それがどうした? 既に伊達政宗から直接説明を受けている。他大名の領地を借り入れる……大胆な発想だが先代が定めた惣無事令には叛いていない。私が直々に判断した」
今までの前提が崩れてしまう話だった。
政宗はいわゆる『政治』で話をまとめてしまったのだ。
これではどうしようもない――
「公方様ともあろうお方が、伊達政宗の虚言に騙されたのですか!」
そう言ったのは雪秀だった。
いくら直答を許されてもこれは罪に問えるほどの無礼である。
数人の家臣が立った――秀勝が「やめよ」と静かに制する。
「虚言か。傍から見ればそうかもしれんな」
「お認めになられるのであれば、尚更――」
「しかしいずれ蝦夷地は攻略せねばならぬ。日の本を豊かにするためにな」
秀勝は自らの構想を語る。
雪秀は口を噤んだ。
「広大な大地。そこに人々を入植させれば開拓が進む。そこから得られる利益は図り切れない。今の豊臣家は安定し過ぎている。それでは発展は見込めない。だから伊達家の提案は渡りに船だった」
「伊達家の計画は破綻しています。たった十年で蝦夷地を攻略できますか? 人々が住めるように開拓できますか?」
「真柄。そなたおかしなことを言う。できようができまいが、そんなこと知ったことではない」
あっさりと突き放すようなことを言う秀勝。
雪秀は動揺しながら「知ったことではない?」と繰り返した。
「ああ。伊達家が蝦夷地を攻略すれば良し。できなければ伊達家を改易し、その事業を豊臣家が引き継げばいいのだ」
冷淡と言うべき考え方だった。
しかし為政者としては当然の判断だ。
伊達家の行動に責任を持つことをせず、状況に応じて政策を決定する。
天下人ならではの発想だった。
「せやけど、伊達家の蝦夷地攻略が成功したら、どないしますねん」
ここで沈黙を貫いてきた浅井霧政が口を挟んできた。
秀勝は「どうもしないが」と返答した。
「いやいや。危ないですやんか。蝦夷地ちゅう豊かな土地を手に入れて、みちのくの大名との約定を破って、逆に惣無事令を無視して攻めたら――大乱になりませんか?」
雪秀と光、凜は息を飲んだ。
まったくその観点は抜け落ちていたからだ。
伊達政宗は戦国時代を生き抜いてきた大名である。
天下を望むのなら、そのくらいの裏切りはするだろう。
「みちのくの大乱で済んだらええですよ。せやけど九州当たりの大名抱き込んで東西を挟む反乱をしたら、今の政権はひっくり返ります」
「確かに、その可能性はある」
それでも秀勝は動揺しなかった。
彼もそれを想定しているのだろう。
「公方様はそれでも、百万石の陰謀を無視すると?」
「……政権というものは年数が経つと膿が出てくるものだ」
「その膿を抜き取るために、敢えて戦を起こすと?」
「痛みを伴わない泰平の世などありえないからな」
秀勝は四人に「私が目指しているのは、現政権の長期化だ」と語り出す。
「私の代で全ての膿と取り除き、百年二百年続く体制を創り出す。それで先代の努力に報いるというものだ。そなたたちのように目先のことだけを考えてはいない」
天下人の答えを聞いて、霧政はすっと立ち上がった。
周りの家臣たちも警戒して立ち上がる。
「話にならんわ。泰平の世を崩して創りあげるもんなんてあらへん」
場の空気が殺気立つ。
秀勝は「そなたが天下無双の男でも」と感情を出さずに言う。
「ここにいる家臣はかなりの手練れだ。槍のないそなたでは勝ち目はない」
「分かっとるわ。せやけどな、ここで戦わなあかんねん」
霧政は拳を構えた。
「ここにいる光はな。家族を殺されてここに来とんねん。雪秀くんや凜もそうや。苦労してここに来とる。そん気持ち、あんたには分かるか?」
「さぞかし無念だろうな。同情しよう」
「へえ。公方様も人の気持ち分かるんか。だったら――ほんの少しだけでも、可哀想な女の子を助けてあげようって、どうして思わんねん!」
霧政が怒鳴った瞬間、凜が後ろから彼を押さえつけた。
今にも将軍秀勝に突撃しそうだったからだ。
「放せや。俺は女を殴りとうない」
「……霧政様。お待ちください」
雪秀が冷静さを強いた声で止めた。
いや、冷静さだけではない。
重厚な覚悟を込めている。
「真柄家当主として、お願い申し上げます。どうか、光を助けてあげてください」
平伏して――雪秀は将軍に懇願した。
情に訴えるしか方法がないと彼は悟った。
「もはや私には、公方様の慈悲に縋るしかないのです」
「相模国と伊豆国を支配する、真柄家当主として恥ずかしくはないのか」
「自分でも情けないと思います。しかし――」
雪秀は顔を上げた。
決死の思いが込められている。
「公方様を信じて、懇願するしかありません」
「…………」
「蔑んでいただいても構いません」
将軍豊臣秀勝は――少し表情を崩した。
まさかここにきて同情したのかと霧政は疑った。
「そなたの父――真柄雪隆には借りがあったな」
父の名を出された雪秀。
戸惑いつつ「借り、ですか?」と問う。
「そなたの父が死んだ理由を知っているか?」
「……雨竜家当主様を庇って亡くなったと母から聞かされております」
「それは正しくない」
秀勝もまた覚悟を決めた顔になった。
過去の傷を開くのはとても痛い。
「私を守るために死んだのだ」
「な、なんですと……? い、今なんと――」
「秀晴は私を守った。そして真柄はその秀晴を守ったのだ」
秀勝は「今でも思い出す」と呟いた。
「私が策を見破っていれば。もっと護衛を従わせていれば。そなたの父は死ななかった」
「…………」
「そなたの父の原因は私にある」
そこで秀勝は天下人がしてはいけない行動に出た。
頭を下げたのだ。
誰がどう見ても謝罪の姿だった。
「く、公方様! 頭をお上げください!」
「雪秀。私は酷い男だ。恩人の息子が正しいことをしているのに、それを妨げている」
頭を上げた秀勝は「そなたは正しいことをしている」と繰り返した。
「その女性を守るために、ここまで苦労してきたのも分かった。私は将軍であるが、それ以前に一人の人間だ」
「公方様、それでは――」
「真柄家には借りがある。それに報いるために、そなたの願いを聞き入れよう」
秀勝は「これより沙汰を下す」と言う。
「伊達政宗は隠居させる。百万石の陰謀を企てた罪でな」
それから秀勝は「光。そなたは証拠を持っていると言ったな」と言う。
「え、ええ。ございます」
「どこにある?」
光は震える手で、自分の頭から櫛を取った。
知らず知らずのうちに、彼女は涙を流していた。
今までの苦労と犠牲が報われたからだ。
「この、櫛を折れば、中に書状が隠されています……」
「よく頑張ったな。褒めてつかわす」
「ううう、ぐす、うわああああん!」
秀勝のいたわりの言葉で、光は泣き出してしまった。
霧政を押さえつけていた凜は離れて、光の背中をさする。
凜の目にも涙が浮かんでいた。
「なんや。いいところ取られてもうたな」
霧政が雪秀に話しかける。
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