猿の内政官の孫 ~雷次郎伝説~

橋本洋一

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兄さん

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 遠州灘を一望できる海岸沿いの街道を、雷次郎と勝康は歩いていた。
 速度は勝康に合わせているが、雷次郎に迷惑をかけないよう、かの若君は必死で歩みを急いだ。

 そのけなげな姿に無理をするなとは言えない雷次郎。辺りを警戒しつつ「勝康は得意な得物があるのか?」と話しかけた。

「得意な、得物ですか……剣術は一応習っていますが、下手の横好きですね……」
「ふうん。ま、仕方ないな」
「雷次郎殿は、私ぐらいの年には強かったんですか?」

 雷次郎は「強いってほど強いわけじゃない」と彼にしては謙虚な物言いをした。
 どこから話そうかと考えてから、雷次郎は過去の話をした。

「小さい頃に京の吉岡道場で稽古して、そこからは自己流で剣を修めた。いや、修めたって程度じゃねえな。人並みに振れるってだけだ」
「自己流、ですか。それは凄い」
「凄いって言えば雪秀のほうだな。あいつ剣術を習っていなかったのに、俺より強かった」

 勝康は信じられないという顔で「冗談でしょう?」と問い返した。
 雷次郎は空を見上げた。数日前の雨が嘘みたいに晴れ上がっていた。

「名将、真柄雪隆の息子だからな。血筋だと思うぜ。初めて出会ったときは……そりゃあ酷い目にあった」
「酷い目?」
「あいつの父親の最期、知っているよな?」

 勝康は黙ってしまう。
 会ったことのない祖父の命令で命を落としたと聞いているからだ。

「お前さんが責任を感じる謂れはない。俺が言いたいのは、あいつは……荒れていた。荒んでいたと言い換えてもいい。とにかく、父親がいないことをいたく気に病んでいた。だから俺との初対面で、いきなり殴りかかってきた」
「主家の後継ぎを……雷次郎殿は、許したんですか?」
「有楽斎様に教育された後だったし、気持ちがよく分かったから。だけど、あいつは望んでいなかった……」

 雷次郎は言葉を切って、切なげに海を見た。
 青く、どこまでも続いていく海。
 勝康は急かすことなく、雷次郎を待った。

「本当は殴り合い……いや、触れ合いを求めていた。人との関わりを求めていたんだ。それに気づいた俺は、とりあえずあいつを簀巻きにして川に流した後、逆さ吊りにして説教してやった」
「はあ。それは……ええええ!? いきなり何しているんですか!?」

 勝康が大声で驚くのは無理もない。
 雷次郎は「解放したら『もう逆らいません』って泣かれてしまった」と笑った。

「まだ有楽斎様の教育が終わっていなかった時期の話だ」
「……教育前はどんな子供だったんですか?」
「お前さんよりタチが悪かった。それだけ言っておこう」

 そんな会話をしながら街道を歩く――不意に雷次郎が止まった。
 勝康は遅れて気づく――目の前に迫る五人の忍びに。

 周りに遮蔽物はなく、堂々と正面から挑んでくるしかない。
 雷次郎はわざとそのような道を選んでいた。
 そうすれば黒脛巾組も襲ってこないだろうと踏んでいた。

 しかし手段も場所も選ばないとは思わなかった。
 相当、雪秀と凜にしてやられているなと雷次郎は刀を構えながら考えた。

「勝康。俺から離れるなよ」
「は、はい……」

 黒脛巾組が関わっていると聞かされていたが、実際に襲撃されると震えが止まらなくなる勝康。
 扇状に雷次郎に迫る黒脛巾組の忍びたち。
 忍び刀や鎖鎌、苦無を各々構えている。

「こりゃあ不味いな……」

 雷次郎は遮蔽物のないこの場で襲われるのを不味いと考えた。
 多数対一の場合は周りの環境を利用するのが定石である。
 それが不可能となると――

 一人の忍びが棒手裏剣を放つ――雷次郎は即座に反応して打ち落とす。
 だがその行為は雷次郎の怒りを買った。
 狙いが雷次郎ではなく――勝康だったからだ。

「躊躇なく、子供を狙うか……!」

 怒りに任せて忍びたちと戦うほど、雷次郎は愚かではない。
 しかし勝康を狙われながら、自身を守りつつ、忍びたちを『無力化させる』のは難しい。
 この期に及んでも、命を奪わない信条を守るつもりらしい。

 じりじりと忍びたちが迫ってくる。
 勝康が息を飲むのを感じる。
 どうする――

「きゃはは。絶体絶命やんなあ――雷次郎くん」

 その男は海岸のほうからやってきた。
 深緑に紅色で朱雀があしらわれている着物。
 背丈は雷次郎より少しだけ大きい。
 中肉中背で髪を月代ではなく、ざんぎりにしている。

 蒼い長槍を肩に担いで、赤い短槍を腰に差している。それらには穂鞘が付けられていた。
 顔は頬がこけていて目がギラギラとしている。
 勝康は雷次郎殿に似ているなとぼんやり思った。

「……出所を狙っていたのか? 俺らの窮地のときを狙いすまして」

 雷次郎が安心した顔と声になる。
 二槍の男は「当たり前やんか」と笑った。

「そっちのほうが劇的やろ? てかめっちゃ危ないやんかこの状況。なあ、雷次郎くん。助けてほしいか?」
「ああ。助けてほしいね――浅井の兄さん」

 浅井、という名と二槍を持つ姿で、忍びたちは動揺する。
 勝康も「まさか……」と息を飲む。

「天下に名を轟かす、二槍遣いの――」
「お。君も知っとるか。ならご挨拶しとこ」

 長槍を振りまわして、格好良く構える二槍の男。
 まるで歌舞伎の役者のように見得を切る。

「槍天下一の二槍遣い、浅井霧政とは俺のことや!」

 忍びたちは顔を見合わせて、二人が霧政に襲い掛かる。
 鎖鎌を持った忍びが鎖をぶんぶん回して、分銅を投げつける――霧政は横に避けた。
 そこに苦無が二つ投げられた。しかし槍で打ち払ってしまう。

「行くでえ――嵐雲」

 長槍の真ん中を持った霧政は忍びに近づき、横薙ぎを放つ。
 忍びたちとの間合いは遠い――と彼らが思うのと同時に、横腹に槍先が当たる。
 二人は後ろに吹き飛んだ。もしも穂鞘がついていなければ即死だった。

 いつの間にか真ん中に持っていたはずの手が、槍の石突を握っていた。
 横薙ぎにした瞬間、握った手を緩めて、石突まで滑らせてから握り直したのだ。

「きゃはは。大したことないなあ」

 けらけら笑う霧政。
 三人となった忍びはどうしたものかと考えている。

「さっさと逃げたらよろしいやん。見逃してやるでえ」

 霧政は手を振って促した。
 雷次郎は兄さんらしいなと笑った。

 三人の忍びたちはこの場から逃走した。
 霧政が現れたことを報告するほうが重要だと踏んだのだ。
 残された二人の忍びは既に服毒していた。

「ひゃあ。危なかったなあ。雷次郎くん」
「浅井の兄さんが来なかったら死んでたな」

 槍を肩に担ぎ直して、雷次郎に近づく霧政。
 勝康は「どうしてあなたがここに?」と問う。

「雷次郎殿とどのような関係なのですか?」
「うん? ああ、従兄弟なんや。俺と雷次郎くんは」
「い、従兄弟……」
「そんで君は誰?」

 勝康は心を落ち着かせて「徳川勝康と申します」と名乗った。
 霧政は「はあ? 徳川?」と不思議そうな顔をした。

「俺はてっきり、女の子を大坂城まで送り届けるって聞いたけど。雷次郎くん、どないなっとるんや!?」
「事情が変わったんだ。とにかく、会えて良かった。手紙も無事に届いたようだな」
「尾張国にちょうどいてな……てか知っとったか」

 勝康は改めて二人を見る。
 まるで兄弟のように似ている。顔立ちもそうだが、雰囲気がそっくりだ。

「浅井の兄さん。少し手伝ってくれ。事情も話すから」
「ええで。雷次郎くんとは付き合い長いし」

 勝康は慄いていた。
 浅井家の後継ぎが天下一の槍遣いで『浅井二槍流』という独自の流派を立ち上げたことは聞いていた。
 その伝説の男と行動するなんて……

「あの。従兄弟ということは、伝説の内政官の……」
「ああ。孫やで」

 興味なさそうな霧政。
 どことなくそれ以上訊かれるのは嫌なのだと、勝康は感じ取った。

「そんじゃ、行こか」
「ああ……って浅井の兄さん。そっちは逆方向だ」
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