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侘び寂び
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「納得いかん! 何故儂が筆頭茶人ではないのか!」
怒り心頭になっているのは、天下でも有数な茶人である古田織部だった。
長いナマズ髭に鋭い眼光。老境に達していていかにも頑固そうな爺さんという容貌。
柔軟な発想を持つ彼だったが、今回の決定を受け入れることはできなかった。
「金森重近などという、創意工夫もない若造に票が入るなど! お主らの目は濁っているのか!」
この場には審査をした三人――織田有楽斎、長岡忠興、千宗旦らが揃っている。
怒鳴っている古田織部の両隣には涼しい顔つきの金森重近と、神妙な顔をしている雷次郎がいた。
「古田織部。確かに貴様の茶は創意工夫の点では見事だ。しかし、今後の茶道を考えると金森のほうが相応しい」
「なんだと……?」
有楽斎がいつになく真面目な顔で言うものだから、古田は怪訝な顔になった。二人はこれでも付き合いが長い。有楽斎がどこか寂しそうであるのも気にかかった。
「雷次郎の茶室を見せてやる。そうすれば理由が分かるだろう」
「金森ではなく、雷次郎殿の?」
古田も序列三位の雨竜家の後継ぎには敬意を示すようだ。
有楽斎たちに連れられて、雷次郎の茶室に案内された古田は目を大きく開いて驚愕した。
「な、なんだこれは!? こんなものが茶室か!?」
それは屋外にあった――いや、茶室ですらない。
地面に真っ赤な敷物を置いただけの空間。
辺り一面には花が植えてある。
添えられているのではなく、植えてあるのだ。
それでいて茶道具はどれも一級品。城がいくつも買えてしまうほどの名品ばかりだ。
まさに極端な野点と呼ぶべき茶室であった。
「こ、こんなもの……茶の湯ではない! ただの行楽ではないか!」
古田の言ったのに同意する者はいた。
雷次郎以外の全員である。
「ああ。俺も思った。これは究極の野点であり――子供の遊びだ」
有楽斎は静かに言う。
それから雷次郎に「お前の真意を言え」と促した。
雷次郎は深呼吸して――皆に言う。
「茶道の大家、利休居士は人真似をするなと言った。古田織部殿は忠実に守っている。だけどな、お前さんの茶の本質はこれと変わらない」
「儂の茶が、児戯と大差ないと言うのか!」
「そうじゃない。お前さんの茶は――真似できないんだ」
雷次郎は淡々と古田織部のひょうげの茶の弱点を語る。
「歪んだ器に奇妙な色彩。そして形に囚われない自由で奇抜な茶。これができるのはお前さんだけだよ」
「そ、それは――」
「弟子の中にお前さんの創意工夫を受け継いだ者がいるかい? いねえだろ」
雷次郎は改めて自分の茶室を眺めた。
「これもまた、俺にしかできない茶だよ。全部ぶち壊してしまうような茶なんて、世間の人間ができる芸当じゃない」
「…………」
「古田織部の茶は、古田織部の死によって終わるんだ。そんな茶道が御茶湯御政道に使われたら、お前さんの茶の表面だけをなぞった模造品の茶道が広まるだけだ。それは本意ではないだろう?」
古田織部は自らの茶の本質を得々と説かれた。
反論しようと思ったができない。
むしろ納得してしまう自分がいた。
「俺は利休居士に会ったことはない。だけど、狭い茶室や黒茶碗こそが至高である侘茶は、やっぱりあの人しか会得できないし、体得すらできない。それが分かっていたからこそ、お前さんや弟子たちに言ったんじゃないか――人真似をするなと」
雷次郎の言葉が茶道にとりつかれた老人の心に突き刺さる。
「俺はこうも言いたかったんじゃないかと推察する。私の真似をしても、茶道の未来は明るくない。廃れていくだけだってな」
古田織部はがっくりとうなだれた。
自分の茶の限界を感じてしまったからだ。
「なあ。お前さんは今後、どんな風に茶道は変わると思う?」
雷次郎が水を向けたのは、筆頭茶人に指名された金森重近だった。
彼は少し黙って、それから声を発した。
「私が思いますに、戦国の世とともに茶が人々を熱狂させる時代は終わりました。しかし茶道自体は残るでしょう。人々に分かりやすく、教えも容易い、作法に則った、格式ある教養へ変わります」
雷次郎はその答えを聞いて、にやりと笑った。
「へえ。まるで『きれい』で『寂びた』茶になるのか」
「私は、筆頭茶人として、茶道をそのように作り上げたいと思います」
雷次郎は流石、千利休の子孫が選んだ男だと感心した。
茶道の未来は決して明るくはないけど。
実直に続いていくだろうと彼は予感した。
◆◇◆◇
競茶会において、古田織部が筆頭茶人にならないようにして、自身も筆頭茶人にならないという離れ業を雷次郎は成し遂げた。
彼が勝康と共に鼻歌交じりで雪秀たちがいる宿に向かっていると「……雷次郎様」と声をかけられた。
宿へ向かう道は人通りが少なく、周りには物乞いしかない。
空耳かと止めた歩みを再開しようとしたとき「こっちですよう」とまた声がした。
声の方向へ顔を向けると、一人の物乞いが雷次郎たちを見ている。
「な、なんだ貴様は!?」
勝康が雷次郎の後ろに隠れて怒鳴ると「徳川の坊ちゃん。怖がらなくてもいいのですよ」と不敵に笑った。
「風魔衆の『鈴虫』と言います。いわゆる、伝令ですよ」
「……そうか。用件はなんだ?」
雷次郎は震える勝康の頭に手を置いて落ち着かせた。
鈴虫は喉奥を鳴らして――虫の鳴き声のようだ――雷次郎たちに言う。
「若と頭領たちは黒脛巾組の襲撃のため、宿から脱出しました。ですので、合流先を浜松宿にしたいと」
「全員無事か?」
「若が傷を負いましたが、敵にやられたわけではありません。ご安心を」
鈴虫は立ち上がって「それでは。任務がありますので」と去っていく。
震える勝康は「く、黒脛巾組は、伊達家の忍びではないですか……」と雷次郎に訊ねる。
「一体何故……しかも徳川家の領内で……」
「説明は後だ。急いで後を追うぞ」
勝康はここで、雷次郎がとんでもないことに巻き込まれていることに気づく。
そして遅れて自分も巻き込まれつつあるのにも気づいた。
「説明はしてくれますか?」
「……光が狙いなんだ。黒脛巾組は」
「あの娘が? それほどの価値があるのですか?」
「百万石の価値がある。今はそれしか言えない」
雷次郎は日坂宿の目抜き通りに出た途端、足を止めた。
勝康に向かって「これ以上は危険だ」と告げる。
「お前とはここで別れる。安心しろ、有楽斎様に頼みに行く」
「えっ? ほ、本当ですか?」
「ああ。お前も巻き込まれたくないだろう?」
勝康は俯いた。
本音を言えば関わりたくない。
足も痛いし、これ以上歩きたくない。
でも、雷次郎たちの身に何が起きているのか知りたかった。
ほんの少しの間、一緒に過ごした結果、情も湧いている。
それになんだか、ここで逃げ出したら良くないとも考えた。
勝康にできることなどない。
むしろ足手まといになるだろう。
それでも、自分は――
「徳川家が序列五位になっている理由は、日の本の海路を牛耳っているからです。そのことはご存じですよね?」
「……ああ、知っている」
「元々、雑賀衆の頭領と九鬼水軍の頭領に親交があり、父上は雑賀衆で世話になっていた。その縁で海路に携わっています」
勝康が何を言いたいのか、雷次郎には見当もつかなかったが、黙って聞いていた。
「その雑賀衆と関わりを持たせてくれたのは、あなたの祖父です。伝説の内政官、雨竜雲之介秀昭。私が敬愛してならない英雄です」
「…………」
「父上を助けてくれた恩義があります。そして今、その孫が窮地に立たされている。そんなのを見過ごして、自分だけ駿府城に帰るわけにはいきません」
勝康は頭を下げた。
傲慢でわがままな若君である彼を知る者は驚くであろう態度。
「お願いします。連れて行ってください。役に立てるとは思いません。でも、ここで帰ったら、何か大切なものを失ってしまうような……」
雷次郎はぽんと勝康の頭を叩いた。
「いいだろう。連れて行く」
「ら、雷次郎殿……」
「お前がそこまで決意したんだ。断るのは野暮だよな」
勝康の心に熱いものが流れた。
初めて誰かに認められた――
「急ぐぞ。しっかりついて来いよ――勝康」
勝太ではなく、勝康と呼んだ雷次郎。
もはや身分を隠す必要はないと感じたらしい。
勝康は顔をきりりと引き締めた。
「はい! 雷次郎殿!」
怒り心頭になっているのは、天下でも有数な茶人である古田織部だった。
長いナマズ髭に鋭い眼光。老境に達していていかにも頑固そうな爺さんという容貌。
柔軟な発想を持つ彼だったが、今回の決定を受け入れることはできなかった。
「金森重近などという、創意工夫もない若造に票が入るなど! お主らの目は濁っているのか!」
この場には審査をした三人――織田有楽斎、長岡忠興、千宗旦らが揃っている。
怒鳴っている古田織部の両隣には涼しい顔つきの金森重近と、神妙な顔をしている雷次郎がいた。
「古田織部。確かに貴様の茶は創意工夫の点では見事だ。しかし、今後の茶道を考えると金森のほうが相応しい」
「なんだと……?」
有楽斎がいつになく真面目な顔で言うものだから、古田は怪訝な顔になった。二人はこれでも付き合いが長い。有楽斎がどこか寂しそうであるのも気にかかった。
「雷次郎の茶室を見せてやる。そうすれば理由が分かるだろう」
「金森ではなく、雷次郎殿の?」
古田も序列三位の雨竜家の後継ぎには敬意を示すようだ。
有楽斎たちに連れられて、雷次郎の茶室に案内された古田は目を大きく開いて驚愕した。
「な、なんだこれは!? こんなものが茶室か!?」
それは屋外にあった――いや、茶室ですらない。
地面に真っ赤な敷物を置いただけの空間。
辺り一面には花が植えてある。
添えられているのではなく、植えてあるのだ。
それでいて茶道具はどれも一級品。城がいくつも買えてしまうほどの名品ばかりだ。
まさに極端な野点と呼ぶべき茶室であった。
「こ、こんなもの……茶の湯ではない! ただの行楽ではないか!」
古田の言ったのに同意する者はいた。
雷次郎以外の全員である。
「ああ。俺も思った。これは究極の野点であり――子供の遊びだ」
有楽斎は静かに言う。
それから雷次郎に「お前の真意を言え」と促した。
雷次郎は深呼吸して――皆に言う。
「茶道の大家、利休居士は人真似をするなと言った。古田織部殿は忠実に守っている。だけどな、お前さんの茶の本質はこれと変わらない」
「儂の茶が、児戯と大差ないと言うのか!」
「そうじゃない。お前さんの茶は――真似できないんだ」
雷次郎は淡々と古田織部のひょうげの茶の弱点を語る。
「歪んだ器に奇妙な色彩。そして形に囚われない自由で奇抜な茶。これができるのはお前さんだけだよ」
「そ、それは――」
「弟子の中にお前さんの創意工夫を受け継いだ者がいるかい? いねえだろ」
雷次郎は改めて自分の茶室を眺めた。
「これもまた、俺にしかできない茶だよ。全部ぶち壊してしまうような茶なんて、世間の人間ができる芸当じゃない」
「…………」
「古田織部の茶は、古田織部の死によって終わるんだ。そんな茶道が御茶湯御政道に使われたら、お前さんの茶の表面だけをなぞった模造品の茶道が広まるだけだ。それは本意ではないだろう?」
古田織部は自らの茶の本質を得々と説かれた。
反論しようと思ったができない。
むしろ納得してしまう自分がいた。
「俺は利休居士に会ったことはない。だけど、狭い茶室や黒茶碗こそが至高である侘茶は、やっぱりあの人しか会得できないし、体得すらできない。それが分かっていたからこそ、お前さんや弟子たちに言ったんじゃないか――人真似をするなと」
雷次郎の言葉が茶道にとりつかれた老人の心に突き刺さる。
「俺はこうも言いたかったんじゃないかと推察する。私の真似をしても、茶道の未来は明るくない。廃れていくだけだってな」
古田織部はがっくりとうなだれた。
自分の茶の限界を感じてしまったからだ。
「なあ。お前さんは今後、どんな風に茶道は変わると思う?」
雷次郎が水を向けたのは、筆頭茶人に指名された金森重近だった。
彼は少し黙って、それから声を発した。
「私が思いますに、戦国の世とともに茶が人々を熱狂させる時代は終わりました。しかし茶道自体は残るでしょう。人々に分かりやすく、教えも容易い、作法に則った、格式ある教養へ変わります」
雷次郎はその答えを聞いて、にやりと笑った。
「へえ。まるで『きれい』で『寂びた』茶になるのか」
「私は、筆頭茶人として、茶道をそのように作り上げたいと思います」
雷次郎は流石、千利休の子孫が選んだ男だと感心した。
茶道の未来は決して明るくはないけど。
実直に続いていくだろうと彼は予感した。
◆◇◆◇
競茶会において、古田織部が筆頭茶人にならないようにして、自身も筆頭茶人にならないという離れ業を雷次郎は成し遂げた。
彼が勝康と共に鼻歌交じりで雪秀たちがいる宿に向かっていると「……雷次郎様」と声をかけられた。
宿へ向かう道は人通りが少なく、周りには物乞いしかない。
空耳かと止めた歩みを再開しようとしたとき「こっちですよう」とまた声がした。
声の方向へ顔を向けると、一人の物乞いが雷次郎たちを見ている。
「な、なんだ貴様は!?」
勝康が雷次郎の後ろに隠れて怒鳴ると「徳川の坊ちゃん。怖がらなくてもいいのですよ」と不敵に笑った。
「風魔衆の『鈴虫』と言います。いわゆる、伝令ですよ」
「……そうか。用件はなんだ?」
雷次郎は震える勝康の頭に手を置いて落ち着かせた。
鈴虫は喉奥を鳴らして――虫の鳴き声のようだ――雷次郎たちに言う。
「若と頭領たちは黒脛巾組の襲撃のため、宿から脱出しました。ですので、合流先を浜松宿にしたいと」
「全員無事か?」
「若が傷を負いましたが、敵にやられたわけではありません。ご安心を」
鈴虫は立ち上がって「それでは。任務がありますので」と去っていく。
震える勝康は「く、黒脛巾組は、伊達家の忍びではないですか……」と雷次郎に訊ねる。
「一体何故……しかも徳川家の領内で……」
「説明は後だ。急いで後を追うぞ」
勝康はここで、雷次郎がとんでもないことに巻き込まれていることに気づく。
そして遅れて自分も巻き込まれつつあるのにも気づいた。
「説明はしてくれますか?」
「……光が狙いなんだ。黒脛巾組は」
「あの娘が? それほどの価値があるのですか?」
「百万石の価値がある。今はそれしか言えない」
雷次郎は日坂宿の目抜き通りに出た途端、足を止めた。
勝康に向かって「これ以上は危険だ」と告げる。
「お前とはここで別れる。安心しろ、有楽斎様に頼みに行く」
「えっ? ほ、本当ですか?」
「ああ。お前も巻き込まれたくないだろう?」
勝康は俯いた。
本音を言えば関わりたくない。
足も痛いし、これ以上歩きたくない。
でも、雷次郎たちの身に何が起きているのか知りたかった。
ほんの少しの間、一緒に過ごした結果、情も湧いている。
それになんだか、ここで逃げ出したら良くないとも考えた。
勝康にできることなどない。
むしろ足手まといになるだろう。
それでも、自分は――
「徳川家が序列五位になっている理由は、日の本の海路を牛耳っているからです。そのことはご存じですよね?」
「……ああ、知っている」
「元々、雑賀衆の頭領と九鬼水軍の頭領に親交があり、父上は雑賀衆で世話になっていた。その縁で海路に携わっています」
勝康が何を言いたいのか、雷次郎には見当もつかなかったが、黙って聞いていた。
「その雑賀衆と関わりを持たせてくれたのは、あなたの祖父です。伝説の内政官、雨竜雲之介秀昭。私が敬愛してならない英雄です」
「…………」
「父上を助けてくれた恩義があります。そして今、その孫が窮地に立たされている。そんなのを見過ごして、自分だけ駿府城に帰るわけにはいきません」
勝康は頭を下げた。
傲慢でわがままな若君である彼を知る者は驚くであろう態度。
「お願いします。連れて行ってください。役に立てるとは思いません。でも、ここで帰ったら、何か大切なものを失ってしまうような……」
雷次郎はぽんと勝康の頭を叩いた。
「いいだろう。連れて行く」
「ら、雷次郎殿……」
「お前がそこまで決意したんだ。断るのは野暮だよな」
勝康の心に熱いものが流れた。
初めて誰かに認められた――
「急ぐぞ。しっかりついて来いよ――勝康」
勝太ではなく、勝康と呼んだ雷次郎。
もはや身分を隠す必要はないと感じたらしい。
勝康は顔をきりりと引き締めた。
「はい! 雷次郎殿!」
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