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破壊の美、破調の美
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雨竜家の次期当主として、茶道を習得するのは当然の心得である。
それに狭い界隈なので、奇矯な振る舞いをすればすぐに噂は広まる。
だから必然、名のある茶人――古田織部のことは雷次郎の耳に入っていた。
加えて古田織部と長い付き合いの織田有楽斎からも彼の生い立ちを聞けた。
一応、戦うべき者の詳細を知っておいて損はない。
雷次郎はいつになく真剣に古田織部のことを考えた。
そもそも古田織部とは、今は亡き茶道の大家、千利休の弟子である。
だから雷次郎の祖父と有楽斎の弟弟子に当たる。
しかし同じ門下とはいえ、先の二人とは茶風が違う。
古田織部が創った茶はなんとも奇妙なものだった。
傾いていて、型に嵌らず、ひずんでいて、ゆがんでいた。
一言で表すのであれば――ひょうげている。
ひょうげとは、ふざけるとかおどけているとか、そういった意味の言葉だ。
その奇矯に満ちた茶風は、作法だけではなく茶器に顕著に表れている。
綺麗な円形ではなく、凹んで出っ張り、あるいは三角などの角を付けたりする。色も緑色を中心に異国情緒に仕立てている。
古田織部が前代未聞の茶器を作ることができたのは、茶道に関わった時期が遅かったことに起因する。元々、第六天魔王、織田信長の使番として戦場を駆け回った武将で、義理の兄に薦められて、四十過ぎから茶道にのめり込むことになるという、変わった経歴の持ち主だった。つまり、固定観念に囚われない自由な茶風や創意工夫ができたのはそれが理由だった。
古田織部の茶はひょうげたものだったが、同時に破壊の美、あるいは破調の美とも言えた。彼は大名物の茶器をわざと割って、それをつなぎ直すことで、できたひびや傷、繋ぎ目に美や面白さがあるとした。茶器だけでなく、書跡も同様に破いて歪んだ形に修復する。
雷次郎は茶人の端くれである。素直に面白いが、先人に対する敬意が無いとも思っていた。無論、子供や茶道の心得のない者がやる分には構わない。しかし日の本に名を轟かす茶人が行なうのは些か問題があると感じた。
雷次郎以外にもそう考えた者が大勢いた。
有楽斎もその一人で「てめえの美意識で美しいものを壊すな」と公に否定した。
もし雷次郎の祖父が生きていても、同様のことを言うだろう。
しかし古田織部の茶は世間に受け入れられていた。
破壊の美、破調の美に惹かれた者たちはこぞって古田織部が携わった茶器を買い集めた。
大名の中にも古田織部の弟子が大勢いる。
一時期、将軍の豊臣秀吉すら魅了していたと噂されていた。
賛否両論あったが、多くの人々の心を掴み、魅了していたことは事実である。
千利休や山上宗二の死後、侘び茶が徐々に衰退していたのと反比例するように、古田織部のひょうげの茶は勢いを増す。
人々は病床に伏している山上宗二の死後、将軍家の筆頭茶人になるのは、古田織部かもしれないと噂していた。それほどの茶道の傑物であり奇人なのだ――
◆◇◆◇
「古田織部の他に、金森重近というお前と同世代の男が参加する。つまり日の本の茶道の行く末は三人のうちの誰かに託されるわけだ」
御屋形様船を降りて日坂宿にある最上の宿の一室。
有楽斎は雷次郎を連れてきて――部屋に所狭しと並べられた茶器を見せた。これらを使って一座建立をせよとのことだった。旅の途中なので、茶道具を持っていない雷次郎には必要だと有楽斎は判断したのだ。
「まあ言ってしまえば、長岡が古田織部、千宗旦が金森重近、そして俺がお前を推薦した形になる」
「それでは決まらないでしょう。自分が推薦した者に票を入れるのに決まっています」
「それはない。それ以外に入れることになっているからな」
有楽斎は「俺は古田織部を筆頭茶頭にしたくない」ときっぱりと言う。
「だがもし、お前や金森が不甲斐ないものを披露したら、古田織部に入れる」
「…………」
「己の心に偽りを持たぬこと。茶人としての矜持であり、山宗への弔いでもある」
有楽斎は「隣の部屋で寝ている」と言い残して部屋から去った。
残されたのは雷次郎と――勝康だけだった。
雪秀たちは別の宿にいる。船に乗れなかった風魔衆の到着を待つのと、雷次郎の邪魔をしないためである。光や凜に事情を説明すると「急いでいるけど天下の一大事だから仕方ない」と不承不承に納得してくれた。
「それで、いかがなさる? 雷次郎殿」
「どうするって言われてもなあ」
雷次郎は困った顔で勝康に返した。
何故勝康がこの場にいるのかと言うと、雷次郎の傍を離れたがらなかったからだ。
憧れの人物の孫から、直に逸話を聞きたい。その気持ちが占められていた。
光と凜はどうして雷次郎に懐いているのかと驚いていた。雷次郎は誤魔化したが、雪秀は今頃問い詰められているだろう。
「これだけの名物があれば、皆が納得できるもてなしができると思います」
「駄目だ。納得できる程度のもてなしでは、古田織部には勝てない」
雷次郎は茶器を手に取って眺める。
それだけで城が一個買えるほどの価値を持つ。雷次郎は当然知っているが、何の緊張もしていない。勝康も平然としている。そこは大大名の後継ぎゆえだろう。
「いろいろ方法はある。千利休や山上宗二のように侘び茶でもてなす。古田織部より奇天烈なもてなしをする。そして俺なりの茶を見せる」
「三つの道があるというわけですか。一番効果的なのは、雷次郎殿の茶を見せることですが」
「俺の茶は有楽斎様が教えてくださったものだ。だから自然と似てしまった。それらに気づかない茶人たちではないだろう」
畳の上に茶器を下すと「かといって侘び茶や奇天烈な茶を振る舞うことはできない」と雷次郎は言う。
「しかも明日には披露しなければならない。一体どうしたものか」
「時間があれば、なんとかなりましたか?」
勝康の問いに雷次郎は答えられなかった。
もし時間があったとしても、己の価値観を確立させた古田織部に勝てるとは思えない。
「奇矯なる茶をいかにして打ち破るか、ですね……」
勝康のため息混じりの言葉を雷次郎は何度も反復した。
奇矯、ききょう、キキョウ……
「……思い浮かんだことがある」
「何がですか?」
勝康が期待を込めた目で雷次郎を見つめる。
雷次郎は「ちょっと賭けだけどな」と笑った。
「よくよく考えれば、俺は別に古田織部に勝つ必要はないんだ」
「はあ? それは……まあ、いきなり言われて勝てと言われても、そう思うのは確かですが」
「そうじゃない。古田織部のひょうげの茶が霞んでしまうようなもてなしをすればいいんだ」
それはすなわち、古田織部に勝つことではないかと勝康は思ったが、雷次郎は「気が楽になった」と笑う。
「有楽斎様に頼んで用意してもらう。この辺にもあるだろうし」
「何をなさるのか、説明してもらえませんか?」
「一目見れば分かる。ていうか手伝え」
一転して楽観的になった雷次郎。
勝康は「手伝うと言っても」と戸惑っている。
「茶の心得が無いわけではないですけど、天下のもてなしを手伝える技量なんてありません」
「そんな大層なことじゃない。まあ――」
雷次郎は笑っている。
まるで悪戯を計画している悪ガキのようだった。
「その天下のもてなしを壊してやろう。古田織部のような破壊の美、破調の美というわけではないが、面白さとふざけた感じだけは負けないと思うぜ」
◆◇◆◇
そして翌日。
豊臣家の筆頭茶頭が決まる。
今後の茶道の命運、あるいは明暗を分ける大事である。
茶室は各々分かれていて、審査をする三人がそれぞれに入る。
雷次郎の茶室に入った瞬間、千宗旦と長岡忠興は唖然とし、織田有楽斎は目を丸くした後――大笑いした。
「あっはっは! なんてことをしでかしやがって! 全部ぶち壊しだ!」
対して雷次郎は悪戯っぽい笑みを返した。
「茶の準備はできております。どうぞ、お三方」
それに狭い界隈なので、奇矯な振る舞いをすればすぐに噂は広まる。
だから必然、名のある茶人――古田織部のことは雷次郎の耳に入っていた。
加えて古田織部と長い付き合いの織田有楽斎からも彼の生い立ちを聞けた。
一応、戦うべき者の詳細を知っておいて損はない。
雷次郎はいつになく真剣に古田織部のことを考えた。
そもそも古田織部とは、今は亡き茶道の大家、千利休の弟子である。
だから雷次郎の祖父と有楽斎の弟弟子に当たる。
しかし同じ門下とはいえ、先の二人とは茶風が違う。
古田織部が創った茶はなんとも奇妙なものだった。
傾いていて、型に嵌らず、ひずんでいて、ゆがんでいた。
一言で表すのであれば――ひょうげている。
ひょうげとは、ふざけるとかおどけているとか、そういった意味の言葉だ。
その奇矯に満ちた茶風は、作法だけではなく茶器に顕著に表れている。
綺麗な円形ではなく、凹んで出っ張り、あるいは三角などの角を付けたりする。色も緑色を中心に異国情緒に仕立てている。
古田織部が前代未聞の茶器を作ることができたのは、茶道に関わった時期が遅かったことに起因する。元々、第六天魔王、織田信長の使番として戦場を駆け回った武将で、義理の兄に薦められて、四十過ぎから茶道にのめり込むことになるという、変わった経歴の持ち主だった。つまり、固定観念に囚われない自由な茶風や創意工夫ができたのはそれが理由だった。
古田織部の茶はひょうげたものだったが、同時に破壊の美、あるいは破調の美とも言えた。彼は大名物の茶器をわざと割って、それをつなぎ直すことで、できたひびや傷、繋ぎ目に美や面白さがあるとした。茶器だけでなく、書跡も同様に破いて歪んだ形に修復する。
雷次郎は茶人の端くれである。素直に面白いが、先人に対する敬意が無いとも思っていた。無論、子供や茶道の心得のない者がやる分には構わない。しかし日の本に名を轟かす茶人が行なうのは些か問題があると感じた。
雷次郎以外にもそう考えた者が大勢いた。
有楽斎もその一人で「てめえの美意識で美しいものを壊すな」と公に否定した。
もし雷次郎の祖父が生きていても、同様のことを言うだろう。
しかし古田織部の茶は世間に受け入れられていた。
破壊の美、破調の美に惹かれた者たちはこぞって古田織部が携わった茶器を買い集めた。
大名の中にも古田織部の弟子が大勢いる。
一時期、将軍の豊臣秀吉すら魅了していたと噂されていた。
賛否両論あったが、多くの人々の心を掴み、魅了していたことは事実である。
千利休や山上宗二の死後、侘び茶が徐々に衰退していたのと反比例するように、古田織部のひょうげの茶は勢いを増す。
人々は病床に伏している山上宗二の死後、将軍家の筆頭茶人になるのは、古田織部かもしれないと噂していた。それほどの茶道の傑物であり奇人なのだ――
◆◇◆◇
「古田織部の他に、金森重近というお前と同世代の男が参加する。つまり日の本の茶道の行く末は三人のうちの誰かに託されるわけだ」
御屋形様船を降りて日坂宿にある最上の宿の一室。
有楽斎は雷次郎を連れてきて――部屋に所狭しと並べられた茶器を見せた。これらを使って一座建立をせよとのことだった。旅の途中なので、茶道具を持っていない雷次郎には必要だと有楽斎は判断したのだ。
「まあ言ってしまえば、長岡が古田織部、千宗旦が金森重近、そして俺がお前を推薦した形になる」
「それでは決まらないでしょう。自分が推薦した者に票を入れるのに決まっています」
「それはない。それ以外に入れることになっているからな」
有楽斎は「俺は古田織部を筆頭茶頭にしたくない」ときっぱりと言う。
「だがもし、お前や金森が不甲斐ないものを披露したら、古田織部に入れる」
「…………」
「己の心に偽りを持たぬこと。茶人としての矜持であり、山宗への弔いでもある」
有楽斎は「隣の部屋で寝ている」と言い残して部屋から去った。
残されたのは雷次郎と――勝康だけだった。
雪秀たちは別の宿にいる。船に乗れなかった風魔衆の到着を待つのと、雷次郎の邪魔をしないためである。光や凜に事情を説明すると「急いでいるけど天下の一大事だから仕方ない」と不承不承に納得してくれた。
「それで、いかがなさる? 雷次郎殿」
「どうするって言われてもなあ」
雷次郎は困った顔で勝康に返した。
何故勝康がこの場にいるのかと言うと、雷次郎の傍を離れたがらなかったからだ。
憧れの人物の孫から、直に逸話を聞きたい。その気持ちが占められていた。
光と凜はどうして雷次郎に懐いているのかと驚いていた。雷次郎は誤魔化したが、雪秀は今頃問い詰められているだろう。
「これだけの名物があれば、皆が納得できるもてなしができると思います」
「駄目だ。納得できる程度のもてなしでは、古田織部には勝てない」
雷次郎は茶器を手に取って眺める。
それだけで城が一個買えるほどの価値を持つ。雷次郎は当然知っているが、何の緊張もしていない。勝康も平然としている。そこは大大名の後継ぎゆえだろう。
「いろいろ方法はある。千利休や山上宗二のように侘び茶でもてなす。古田織部より奇天烈なもてなしをする。そして俺なりの茶を見せる」
「三つの道があるというわけですか。一番効果的なのは、雷次郎殿の茶を見せることですが」
「俺の茶は有楽斎様が教えてくださったものだ。だから自然と似てしまった。それらに気づかない茶人たちではないだろう」
畳の上に茶器を下すと「かといって侘び茶や奇天烈な茶を振る舞うことはできない」と雷次郎は言う。
「しかも明日には披露しなければならない。一体どうしたものか」
「時間があれば、なんとかなりましたか?」
勝康の問いに雷次郎は答えられなかった。
もし時間があったとしても、己の価値観を確立させた古田織部に勝てるとは思えない。
「奇矯なる茶をいかにして打ち破るか、ですね……」
勝康のため息混じりの言葉を雷次郎は何度も反復した。
奇矯、ききょう、キキョウ……
「……思い浮かんだことがある」
「何がですか?」
勝康が期待を込めた目で雷次郎を見つめる。
雷次郎は「ちょっと賭けだけどな」と笑った。
「よくよく考えれば、俺は別に古田織部に勝つ必要はないんだ」
「はあ? それは……まあ、いきなり言われて勝てと言われても、そう思うのは確かですが」
「そうじゃない。古田織部のひょうげの茶が霞んでしまうようなもてなしをすればいいんだ」
それはすなわち、古田織部に勝つことではないかと勝康は思ったが、雷次郎は「気が楽になった」と笑う。
「有楽斎様に頼んで用意してもらう。この辺にもあるだろうし」
「何をなさるのか、説明してもらえませんか?」
「一目見れば分かる。ていうか手伝え」
一転して楽観的になった雷次郎。
勝康は「手伝うと言っても」と戸惑っている。
「茶の心得が無いわけではないですけど、天下のもてなしを手伝える技量なんてありません」
「そんな大層なことじゃない。まあ――」
雷次郎は笑っている。
まるで悪戯を計画している悪ガキのようだった。
「その天下のもてなしを壊してやろう。古田織部のような破壊の美、破調の美というわけではないが、面白さとふざけた感じだけは負けないと思うぜ」
◆◇◆◇
そして翌日。
豊臣家の筆頭茶頭が決まる。
今後の茶道の命運、あるいは明暗を分ける大事である。
茶室は各々分かれていて、審査をする三人がそれぞれに入る。
雷次郎の茶室に入った瞬間、千宗旦と長岡忠興は唖然とし、織田有楽斎は目を丸くした後――大笑いした。
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