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痺れる再会
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大井川は東海道でも箱根に匹敵する難所だ。理由は幅の広い川であるのに、橋が架かっていないからだ。それは戦国乱世の名残で敵の進軍を阻止するためである。
いくら天下泰平でも軍備を怠らない大名はいない。兵権があるゆえに君主が成り立つのと同じで、軍があるからこそ平和は維持されるのだ。だからこそ、序列五位に君臨する徳川家は敢えて領地に橋を架けなかった。
だが先を急ぐ雷次郎たちには、そんな事情知ったことではない。幸いなことに渡し舟は禁じられていなかった。現当主の信康が直々に命じたのだ。庶民の移動を楽にせよと。無論、家中からは反対の意見が出たが、信康の「いざとなれば舟を焼き払えばいい」との鶴の一声で渡し舟の運航が決まった。
庶民でも利用できる渡し舟。料金を弾めば豪華なものや順番を早められる。急ぎの旅なので雷次郎は順番を早めるため、高い船賃を出そうと船乗り場に来た――のだが。
「舟が出せない? どういうことだ?」
「へえ。実は連日の雨で川が増水してしまいましてね。並みの舟だと転覆しちまうんですよ」
受付の男の説明を聞いて、だから船乗り場周辺で人がたむろっているのだと、雷次郎たちは遅れて気づいた。
大井川の近辺は、ここ四日ほど雨が降り続いていた。今もぽつぽつと降っている。空模様も悪く、天候が悪化する可能性もあった。だから徳川家で大井川を管理する武士は、船頭たちに小さな舟は出さぬようにと厳命していた。
「弱ったな……ここで足止め食らうとはな」
「いかがなさいますか、雷次郎様」
「うーん、そうだな……」
珍しく困った顔の雷次郎に、同じく曇った顔で問う雪秀。光も凜も困惑していた。しかし勝康だけは余裕で「進めないのなら帰るしかあるまい」と言う。
「貴様らともこれでお別れだな。はっはっは」
「勝太、お前はくたくたになってまで戻りたいのか? 浜松まで行けば馬で帰れるのに」
雷次郎の指摘に勝康はぐぬぬと黙り込む。昨日、雷次郎に按摩してもらったおかげで多少疲れは取れているものの、駿府城まで戻れるかは微妙だった。考えてみれば大井川を越える間は舟での移動だ。十分に休める。
「仕方ねえ。屋形船で行くしかねえな」
「路銀が心もとなくなりますが、よろしいですか?」
各々の財布を管理している雪秀が苦言を呈すが「後でなんとかなるだろ」と楽観的な考えをする雷次郎。
「金は天下の回り物だ。いざとなれば賭場で稼げばいい」
「あなたが強運なのは知ってるけど、その考え方だといつか破滅しそうだわ……」
光は凜から三島宿の賭場で起こったことを聞いていた。それでも甲斐性なしの男を見る目になってしまう。
「それがお客さん。屋形船は一艘しか無くて、それもたった今貸し切りになってしまいました」
申し訳なさそうに受付の男が言うと、流石の雷次郎も「そりゃあ困ったな……」と言葉を失くした。
屋形船と言うのは増水しても運航が可能な大きな船で、元々水軍の船だったものを徳川家が買い取り、改築して大井川の渡し舟に仕立て上げたのだ。屋根もあり揺れも少なく、食事もできるようになっている。
「川の増水が収まるのはいつぐらいになる?」
「雨が止めばなんとかなりますが、この天気だと……」
ここで足止めを食うことは彼らにしてみればたまったものではない。
一刻も早く大坂に行かねばならないのだ。
しかし舟がなければ――
「ふふふ。八方塞がりというやつだな」
渋くて典雅な声。
「――何者だ!」
いち早く反応したのは凜だった。風魔衆の頭領に相応しい実力の持ち主だが、彼女は愕然としてしまう。警戒している自分たちにまさかここまで接近を許すとは。
素早く光と声の主の間に入る――
「おっと。威勢のいい女だな。俺は怪しい者ではない」
声の主――男は両手を挙げて害のないことを示す。
しかし凜はこれほどまでに怪しい男を今まで見たことが無かった。
髪を剃っているが、僧には見えない。
青に近い紫の南蛮風の装い。明らかに着物でなく、宣教師が着ているような奇妙な服。
肩にはひらひらとした黒い布を羽織っている。右手には上物の煙管。紫煙が漂っていて、点けたばかりと分かった。
歳は五十代だと思われるが、不思議と若いと思える。もしかすると人によっては三十後半に見えるかもしれない。
口ひげを生やしている男前な老人。若い頃はさぞかし女性に人気があったのだと分かる。
「なっ……!? こいつは驚いた……!」
「な、何ゆえ……!?」
どうやら雷次郎と雪秀は知っているらしい。
特に雷次郎は呆然と口を開けていた。光と凜はこんな雷次郎を見るのは初めてだった。何事にも動じない男だと思っていたからだ。
「えっと……あなたは誰?」
雷次郎と雪秀が唖然として、口も利けなくなっているのを見かねて光が訊ねる。凜は警戒して、勝康は何が何だか分からず様子を窺っている。
「屋形船を貸し切った者だ。良ければ一緒に乗らないか――雷次」
雷次とは雷次郎のことだろう。
雪秀以外の三人は一斉に雷次郎に注目する。
「なんであなたがここにいるのか、全く分かりませんが――」
雷次郎が敬語を使ったことに光と凜は驚いた。城主の雪秀を弟分にする男が敬語を使うほどの相手ということになる。目の前の怪しげな男が。
そしてさらに二人は驚くことになる。
「――是非乗らせてください、織田有楽斎様」
雷次郎が頭を下げたのもそうだが、口から出た男の名は驚愕に値するものだった。
男――有楽斎はにやりと口元を歪ませる。
「代わりと言ってはなんだが、お前に少々協力してもらいたいことがあるんだ――俺の弟子よ」
愉快そうに笑う織田有楽斎。
隠居したとはいえ、序列一位の織田家で多大な影響力を持ち続ける傑物だった。
◆◇◆◇
豊臣幕府における大名家の序列。
序列一位の織田家。
序列二位の羽柴家。
序列三位の雨竜家。
序列四位の浅井家。
序列五位の徳川家。
序列六位の蜂須賀家。
序列七位の竹中家。
これらは豊臣秀吉が天下を統一するのに欠かせなかった大名家で構成されている。
天下の調整役と謳われた豊臣秀長を中心として、秀吉の血族で構成された序列二位の羽柴家。
秀吉の初めての家臣であり、猿の内政官と呼ばれ未だに尊敬を集めている雨竜雲之介秀昭が始祖の序列三位の雨竜家。
現将軍、豊臣秀勝の正室の実家であり、機内と中国に影響力を持つ序列四位の浅井家。
東海道の要所を治めて、日の本屈指の水軍と海路の交易を手中に収めている序列五位の徳川家。
墨俣一夜城の伝説と共に語られる、四国を差配する豊臣家の股肱の臣、序列六位の蜂須賀家。
そして最下位ながらも豊臣家や他の大名家から特別な待遇を受けている特権階級の大名、序列七位の竹中家。
しかしそれらを圧倒するほどの権力を持つのが序列一位の織田家だ。
元々、豊臣家は織田家の家臣だった。また他の大大名とも浅からぬ縁がある。
今の織田家は本家と分家に分かれているが、その分家の中で本家に次ぐ力を持っているのが、織田有楽斎の尾張織田家だ。隠居している当人にはその気はないが、単純な力なら本家の丹波織田家を上回るだろうと噂されている。
さて。かつて雷次郎の祖父、雨竜雲之介の友であり、今や日の本に名を轟かす茶人である有楽斎が、何故徳川家の領地である大井川の船乗り場にいるのか。
そして雷次郎に頼みたいこととはなんなのか。
そもそも有楽斎は光と『百万石の陰謀』を知っているのか。
雷次郎には全く見当がつかなかったが、一つだけ分かることがあった。
――この人と一緒にいると、すげえ痺れるぜ。
いくら天下泰平でも軍備を怠らない大名はいない。兵権があるゆえに君主が成り立つのと同じで、軍があるからこそ平和は維持されるのだ。だからこそ、序列五位に君臨する徳川家は敢えて領地に橋を架けなかった。
だが先を急ぐ雷次郎たちには、そんな事情知ったことではない。幸いなことに渡し舟は禁じられていなかった。現当主の信康が直々に命じたのだ。庶民の移動を楽にせよと。無論、家中からは反対の意見が出たが、信康の「いざとなれば舟を焼き払えばいい」との鶴の一声で渡し舟の運航が決まった。
庶民でも利用できる渡し舟。料金を弾めば豪華なものや順番を早められる。急ぎの旅なので雷次郎は順番を早めるため、高い船賃を出そうと船乗り場に来た――のだが。
「舟が出せない? どういうことだ?」
「へえ。実は連日の雨で川が増水してしまいましてね。並みの舟だと転覆しちまうんですよ」
受付の男の説明を聞いて、だから船乗り場周辺で人がたむろっているのだと、雷次郎たちは遅れて気づいた。
大井川の近辺は、ここ四日ほど雨が降り続いていた。今もぽつぽつと降っている。空模様も悪く、天候が悪化する可能性もあった。だから徳川家で大井川を管理する武士は、船頭たちに小さな舟は出さぬようにと厳命していた。
「弱ったな……ここで足止め食らうとはな」
「いかがなさいますか、雷次郎様」
「うーん、そうだな……」
珍しく困った顔の雷次郎に、同じく曇った顔で問う雪秀。光も凜も困惑していた。しかし勝康だけは余裕で「進めないのなら帰るしかあるまい」と言う。
「貴様らともこれでお別れだな。はっはっは」
「勝太、お前はくたくたになってまで戻りたいのか? 浜松まで行けば馬で帰れるのに」
雷次郎の指摘に勝康はぐぬぬと黙り込む。昨日、雷次郎に按摩してもらったおかげで多少疲れは取れているものの、駿府城まで戻れるかは微妙だった。考えてみれば大井川を越える間は舟での移動だ。十分に休める。
「仕方ねえ。屋形船で行くしかねえな」
「路銀が心もとなくなりますが、よろしいですか?」
各々の財布を管理している雪秀が苦言を呈すが「後でなんとかなるだろ」と楽観的な考えをする雷次郎。
「金は天下の回り物だ。いざとなれば賭場で稼げばいい」
「あなたが強運なのは知ってるけど、その考え方だといつか破滅しそうだわ……」
光は凜から三島宿の賭場で起こったことを聞いていた。それでも甲斐性なしの男を見る目になってしまう。
「それがお客さん。屋形船は一艘しか無くて、それもたった今貸し切りになってしまいました」
申し訳なさそうに受付の男が言うと、流石の雷次郎も「そりゃあ困ったな……」と言葉を失くした。
屋形船と言うのは増水しても運航が可能な大きな船で、元々水軍の船だったものを徳川家が買い取り、改築して大井川の渡し舟に仕立て上げたのだ。屋根もあり揺れも少なく、食事もできるようになっている。
「川の増水が収まるのはいつぐらいになる?」
「雨が止めばなんとかなりますが、この天気だと……」
ここで足止めを食うことは彼らにしてみればたまったものではない。
一刻も早く大坂に行かねばならないのだ。
しかし舟がなければ――
「ふふふ。八方塞がりというやつだな」
渋くて典雅な声。
「――何者だ!」
いち早く反応したのは凜だった。風魔衆の頭領に相応しい実力の持ち主だが、彼女は愕然としてしまう。警戒している自分たちにまさかここまで接近を許すとは。
素早く光と声の主の間に入る――
「おっと。威勢のいい女だな。俺は怪しい者ではない」
声の主――男は両手を挙げて害のないことを示す。
しかし凜はこれほどまでに怪しい男を今まで見たことが無かった。
髪を剃っているが、僧には見えない。
青に近い紫の南蛮風の装い。明らかに着物でなく、宣教師が着ているような奇妙な服。
肩にはひらひらとした黒い布を羽織っている。右手には上物の煙管。紫煙が漂っていて、点けたばかりと分かった。
歳は五十代だと思われるが、不思議と若いと思える。もしかすると人によっては三十後半に見えるかもしれない。
口ひげを生やしている男前な老人。若い頃はさぞかし女性に人気があったのだと分かる。
「なっ……!? こいつは驚いた……!」
「な、何ゆえ……!?」
どうやら雷次郎と雪秀は知っているらしい。
特に雷次郎は呆然と口を開けていた。光と凜はこんな雷次郎を見るのは初めてだった。何事にも動じない男だと思っていたからだ。
「えっと……あなたは誰?」
雷次郎と雪秀が唖然として、口も利けなくなっているのを見かねて光が訊ねる。凜は警戒して、勝康は何が何だか分からず様子を窺っている。
「屋形船を貸し切った者だ。良ければ一緒に乗らないか――雷次」
雷次とは雷次郎のことだろう。
雪秀以外の三人は一斉に雷次郎に注目する。
「なんであなたがここにいるのか、全く分かりませんが――」
雷次郎が敬語を使ったことに光と凜は驚いた。城主の雪秀を弟分にする男が敬語を使うほどの相手ということになる。目の前の怪しげな男が。
そしてさらに二人は驚くことになる。
「――是非乗らせてください、織田有楽斎様」
雷次郎が頭を下げたのもそうだが、口から出た男の名は驚愕に値するものだった。
男――有楽斎はにやりと口元を歪ませる。
「代わりと言ってはなんだが、お前に少々協力してもらいたいことがあるんだ――俺の弟子よ」
愉快そうに笑う織田有楽斎。
隠居したとはいえ、序列一位の織田家で多大な影響力を持ち続ける傑物だった。
◆◇◆◇
豊臣幕府における大名家の序列。
序列一位の織田家。
序列二位の羽柴家。
序列三位の雨竜家。
序列四位の浅井家。
序列五位の徳川家。
序列六位の蜂須賀家。
序列七位の竹中家。
これらは豊臣秀吉が天下を統一するのに欠かせなかった大名家で構成されている。
天下の調整役と謳われた豊臣秀長を中心として、秀吉の血族で構成された序列二位の羽柴家。
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東海道の要所を治めて、日の本屈指の水軍と海路の交易を手中に収めている序列五位の徳川家。
墨俣一夜城の伝説と共に語られる、四国を差配する豊臣家の股肱の臣、序列六位の蜂須賀家。
そして最下位ながらも豊臣家や他の大名家から特別な待遇を受けている特権階級の大名、序列七位の竹中家。
しかしそれらを圧倒するほどの権力を持つのが序列一位の織田家だ。
元々、豊臣家は織田家の家臣だった。また他の大大名とも浅からぬ縁がある。
今の織田家は本家と分家に分かれているが、その分家の中で本家に次ぐ力を持っているのが、織田有楽斎の尾張織田家だ。隠居している当人にはその気はないが、単純な力なら本家の丹波織田家を上回るだろうと噂されている。
さて。かつて雷次郎の祖父、雨竜雲之介の友であり、今や日の本に名を轟かす茶人である有楽斎が、何故徳川家の領地である大井川の船乗り場にいるのか。
そして雷次郎に頼みたいこととはなんなのか。
そもそも有楽斎は光と『百万石の陰謀』を知っているのか。
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