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第4章 君の残した口づけ

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 ねぐらへ向かう鳥たちの鳴き声がこだまする境内に、冷たい風が吹き抜けていく。
 小鳥たちの影が落ち葉のように地面を転がっていく。
 あたしは指で涙をぬぐいながら康輔にたずねた。
「コースケは今までどこにいたの?」
「ずっとここにいたぜ」
「でも、会えなかったじゃない」
 あたしは慎重に言葉を選んでいた。
「コースケはあの事故でケガしなかったの?」
 こんな質問に意味がないことは分かっていた。
 顔も変わって、寒さすら感じないのだ。
 死んでしまった人に、『怪我はなかった?』なんて、なんの意味もない。
 康輔は康輔だけど、もう康輔じゃない。
 胸の前で腕を組んで、叫び出しそうになる気持ちをおさえこみながら、あたしは康輔の返事を待った。
「あの時か」と康輔がぽつりとつぶやく。「車が突っ込んでくるのを見て、俺はとっさにおまえを助けようとしたんだよ」
 うん、それは覚えてる。
 でも、あたし、なんか勘違いして突き飛ばそうとしてたよね。
 ごめんね、康輔。
「ごめんね、コースケ」
 あたしは言葉を口にしていた。
 伝えたいことが自然と声になっていた。
「なんだよ、急に」
「あたし、抱きつかれるのかと思ってびっくりしちゃって、あの時、突き飛ばそうとしたでしょ」
「そうだっけか」と、康輔は頭をかきながら照れ笑いを浮かべた。「中学の時にも、同じようなことがあったよな」
 水たまりで立ち止まったときのことだ。
「あのとき、おまえにさ、『好きな女の子に抱きついてラッキーとか思ったでしょ』って言われたじゃん」
 あたしは小さくうなずいた。
「思ってたよ」
 え?
「言えなかったけどな」
 イケメン顔の康輔があたしを見つめている。
 あたしはまた何も言えなくなってしまった。
「ごめんな。本当はめちゃくちゃラッキーだと思ってたけど、こわくて言えなかったよ」
 そっか、『ラッキー』の方か。
 あの時さ、と康輔が言葉を継いだ。
「本当の気持ちを伝えたときに、おまえが笑顔じゃなかったらって、こわくなっちまったんだよ。だから、ごまかしちまったんだ」
 ごめんな、というつぶやきがあたしの耳をくすぐる。
 あたしも康輔を見つめ返した。
「おかしなもんだよな。おまえを守るためならとっさに自分を投げ出すことだってできたのに、自分の気持ちを伝えることをずっとこわがっててさ」
 そうだったんだ。
 お互い臆病だったんだよね。
 ぎゅっと目をつむったまま手探りで、そこにあるのは分かっているのに触れることのできない答えを確かめる勇気なんてなかったんだもんね。
「コースケはあたしの身代わりになって……」
 やっぱりその先は聞けなかった。
 死んだんだよね。
 あたしを助けて、康輔が犠牲になったんだよね。
 だからあたしは無傷だったんだよね。
 康輔のおかげであたしは助かったんだよね。
 言いたいこと、聞きたいことがあふれ出す。
 なのに、声にならない。
「俺さ、おまえが好きだったよ」
 うん。
 ありがとう。
 それは突然の告白だった。
 でも、それはもう三年前から分かっていたことだった。
 そして、真実を知ってしまったからこそ、聞きたくなかった言葉だ。
 おまえが好きだった。
 過去形なんだよね。
 康輔は死んでしまったんだもんね。
 コウスケハシンデシマッタンダモンネ。
「コースケ、死んじゃったんだよね」
 頭の中で何度も繰り返しているうちに、いつの間にかそれは言葉となって口に出ていた。
「違うぜ」
 え?
 違う?
 康輔はあらためてはっきりとした口調であたしに告げた。
「違うよ。そうじゃない」
 じゃあ、死んでないの?
 生きてるの?
 戻ってきてくれたの?
 ……そう、なの?
 考えないようにしていたことが間違いだと分かって、頬が引きつって声にならない。
 自分でも笑顔だか泣き顔だかも分からないけど、うれしさで全身が震え出す。
 今までどこにいたかとか、なんで消えていたのかとか、そんなことはもうどうでもいい。
 康輔が戻ってきてくれたんだから、それでいい。
 よかった。
 また一緒にいられるんだね。
「違うよ」
 康輔がため息をつく。
「違うよ。死んだのはおまえの方だよ」
 時が止まる。
 ざわめいていた木々も、飛び交っていた鳥たちも、傾いて姿が消えそうな夕日も、ハサミでチョキンと切り取って写真を貼り付けたみたいに、世界が固まってしまっていた。
 そんなはずないじゃん。
 あたし、生きてるよ。
 だから、苦しかったんだもん。
 だから、つらかったんだもん。
 だから、さびしかったんだもん。
 だから、うれしかったんだもん。
 康輔に会えて、うれしかったんだもん。
 ほらね、あたし、生きてるでしょ。
「あの事故の時、俺もおまえも両方巻きこまれて、おまえが死んだんだよ。かばってやれなくてごめんな」
 康輔の言葉は冷たいナイフのようにあたしを貫いた。
 まるで意味が分からない。
 アタシハイキテイル。
 シンダノハオマエダ。
 康輔の言葉が頭の中に大きく映し出され、その画像に針で刺したような穴が無数に空いていく。
 ブツブツボツボツザクザクグサグサと空いた穴から粉が舞い落ち、支えきれなくなってドサリと崩れ落ちる。
 その土煙の中で、あたしは康輔を見失いそうだった。
 そうか、そういうことだったのか。
 あたしが無傷だったのって……。
 死んだからだったの?
 まためまいにおそわれる。
 とっさにあたしは康輔の腕にすがりついた。
 康輔の手があたしの手に重なる。
 大丈夫だと、ぬくもりが語りかけてくる。
「あの時、あの瞬間、世界は二つに割れたんだ。俺の世界とおまえの世界。俺達は二人一緒にいることができなくなったのさ」
 あたしの世界から消えてしまった。
 だから、康輔はいなくなっちゃったんだ。
「そもそも、おまえだって、おかしいと思ってたんだろ。人が死ぬのはともかく、消えてしまうなんてこと、ありえないじゃんか」
 この二ヶ月のおかしな出来事は全て死後の世界のせいだったということなの?
 あたしが死んじゃってたから、まわりがどんどんゆがんでいっていたの?
 ミホの記憶から康輔が溶け出していったみたいに。
 鷹宮先輩が定期券をなくさなかったことになっているみたいに。
 少しずつ、少しずつ、あたしがたどろうとした分だけ、康輔の痕跡が消えていってしまったのは、そういうことだったのか。
 世界をゆがませていたのはあたし自身だったんだね。
 あたしはまた、その真実を素直に受け止めていた。
 苦い薬でもなく、引っかかる魚の骨でもなく、甘い蜜のようにあたしはそれを飲み込んでいた。
「あの瞬間、おまえは死んで、おれは生き残った。俺が残された世界では、死んだのはおまえだったんだよ。でも、俺はそんなの受け入れられなかった。だから、俺はお願いしたんだ。俺そっくりな狛犬にさ。おまえの死んだ世界を消して、おまえの生きている世界だけ残してほしいって」
 でも、それは、つまり、二つのうち、康輔の生きている世界が消えてしまうってことだよね。
「あたし、いやだよ。コースケがいなくなっちゃって、あたし一人だけ残されるなんて」
「しょうがねえよ。もう決まっちまったんだからさ」と、背中を丸めた康輔が足を抱えるように座り直して膝にあごを載せた。「さっき、ゲームで決めただろ」
「ゲームって?」
「ジャンケンでここまで来たじゃんか」
 あれがどうかしたの?
 まさか……。
 唇が張りついたように動かない。
「あれなら、絶対おまえが勝つだろ」
 そんな……。
 あれが、あたしたちの運命を決めるゲームだったなんて。
「ずるいよ、コースケ。あたし、そんなのいやだよ。そんなこと聞いてなかったし、知ってたらやらなかったし」
「だから、言わなかったんだよ」
 いつもそうだった。
 あたしたちは大事なことはいつも言わなかった。
 くだらないこと。
 どうでもいいこと。
 一番伝えるべきことを隠して、ふわふわとあいまいな言葉だけを相手に投げかけてお互いを傷つけないようにしてきたんだ。
 だったら……。
 ねえ、お願いだから。
 嘘だって言ってよ。
『ばかだなあ。んなわけないだろ』ってあたしのおでこをコツンってしてよ。
 全部嘘に決まってるだろ。
 でたらめだよ。
 だまされるなよ。
 おまえ、素直すぎるぜ。
 あたしはおでこを康輔に向けた。
 でも康輔は優しく微笑むだけで、あたしのおでこをなでていったのは北風だった。
 終わりの時が来る。
 その予感を告げながら、あたしたちの間を風が吹き抜けていく。
 日の落ちた境内にはもう鳥の鳴き声もしない。
 薄闇の中に康輔の姿がぼやけていく。
 やだよ。
 あたし、そんな素直な女の子じゃないよね。
 ずっとずっとひねくれてて、康輔の悪口ばかり言ってて、康輔にわがままばかり言ってるイヤな女の子だったよね。
 だから、こんなの全部認めないよ。
 あたしの世界はあたしが決める。
 康輔のいる世界があたしの世界なんだから。
 今までと同じことがこれからも続く。
 そんな時間を取り戻さなくちゃ。
 あたしはスマホを取り出した。
「ねえ、コースケ。パチンコ屋さんの看板の写真を送ってくれたことあったじゃん」
「ああ、中学の時だろ」
「なんで『コ』の方を隠してたの?」
 康輔が首をかしげる。
「なんか変か?」
「意味が分からないから」
 あたしは自分で撮っておいたパチンコ屋さんの看板の写真を表示させた。
 先に表示されたのは、試しに撮り直した『パ』を隠した方の写真だった。
 康輔が大笑いする。
「ちょ、おまえ、これ、引くわー」
「ち、ちがうの、だ・か・ら、これは……」
 静寂に覆われた境内にあたしたちの笑い声が響く。
 しどろもどろになりながらあたしは『コ』を隠した写真に切り替えた。
「ほら、これ、どういう意味よ?」
 なんでよ、と康輔がスマホの写真を指さす。
「指で『コ』を隠すと、『パチン』だろ」
 うん、だから?
「指で隠して『パチン』にしただろ。だから『指でパッチン』だよ」
 ああ、なるほど。
 あたしは思わず指をパチンと鳴らしてしまった。
 パチン、パチン、パチンと三回連続で鳴らす。
 いい音だ。
「それだよ、それ」と康輔が笑う。「ていうか、なんだと思ってたんだよ。『パ』なんか隠してさ」
 言えないよ、そんなこと。
 さっき見たくせに。
「で、『指でパッチン』がどうしたの?」
「それはべつに何も。ただ、『指でパッチン』だなって。ダジャレみたいなもんだよ」
 結局意味なんかないんじゃん。
 康輔の写真はこんなのばかりだった。
 それがあたしたちの日常の一コマだった。
 あたしたちの言葉にも意味なんかなかった。
 でも、その一つ一つがみんな大事な瞬間だったんだ。
 だから、今、涙が止まらないんだ。
 居心地のいい時間を失いたくなくて、もっと大切な瞬間の意味を確かめ合うことができなかったんだ。
 終わりの時が来る。
 始まってすらいなかったのに、終わりの時だけは来るんだ。
「どうした。泣くなよ」
 康輔があたしの涙を指で拭ってくれる。
 いつだって康輔の優しさはそこにあったのに、あたしはそれを素直に受け取ることができなかったんだ。
 あたしは涙で喉を詰まらせながら、言葉を絞り出した。
「コースケ、いつもわがままばっかり言っててごめんね」
「わがままなんて言ってたっけか」
「うん。いつも勝手なことばかり言っちゃってたじゃん」
「そうか? でもよ、その方がわかりやすくていいじゃん。おまえのしたいこと、ほしいもの、気分がいいこと、全部わかりやすくて、はっきりしてていいじゃん。それで良かったんじゃないのか」
 康輔はいつもあたしを受け入れてくれていた。
 あたしはいつでも康輔に飛び込んでいけたんだ。
 でも、臆病なあたしにはそれができなかった。
 あたしの手を取って、冷えた指を温めながら康輔がつぶやく。
「それで良かったんだよ」
 それで良かった。
 私たちの会話には過去形しかないんだよね。
 これからの話をしてくれないんだよね。
 やっぱり康輔は、いなくなってしまうんだね。
 薄闇に慣れた目に境内の鈍い風景が染み入ってくる。
 この景色も思い出に変わるのか。
 そしてこの思い出もまた記憶から消されてしまうのか。
 薄闇の中でケークェーと鳥が鳴く。
 ギッギッとどこかで呼応する。
「ねえ、コースケ、あの鳥はなんていう鳥?」
「あの世鳥だよ」
 アノヨドリ?
「この世の鳥じゃないんだ。死んだ人間をあの世へ連れていく鳥だよ」
 そうだったんだ。
 だから、ここに来るといつも鳴いていたのか。
 でも、まだ聞こえるよ。
 ケークエー、ギッギッ……。
「俺にも聞こえるんだ」
 康輔が立ち上がる。
 待って。
 あたしも立ち上がると、鳥の姿を探すように康輔があたりを見回していた。
「そのうちおまえには聞こえなくなるさ。鳥の鳴き声も、俺の声も。もうすぐこの世とあの世が入れ替わるんだ」
「それって、あたしのせいだよね」
 康輔が微笑みながら首を振る。
「違うよ。おまえのせいじゃないよ。俺たちの願いが同じだったから、こうしてまた会えたんだろ」
 階段を下りて、康輔が参道を歩いていく。
 ねえ、待ってよ。
 どこ行くのよ。
 やだよ。
 行かないでよ。
 ケークエーと鳥が鳴く。
 あたしはあわてて康輔の隣に並んだ。
「ねえ、コースケ、また会える?」
「さあな。たぶん会えるんじゃないかな」
「またいなくなったりしない?」
「いなくなったりしないさ。俺はここにいる」
 でも、それは、康輔のいない世界のここに、だよね。
「俺はいなくなったりしねえよ。おまえが笑ってるってことは、俺がいたってことだからな。おまえの笑顔が俺のいた証なんだよ」
 待ってるよ。
 あたし、ハチ公並みの忠犬になって、康輔のことずっと待ってるから。
 また、会えるよね。
 会えるんだよね。
 言わなくちゃ。
 狛犬のかたわらで立ち止まった康輔に、あたしは微笑みを向けた。
「いつも一緒にいてくれてありがとう」
「ありがとうな」と、康輔も微笑みを返してくれた。
「ありがとうって、何が?」
「一緒にいたことだよ」と、康輔が境内の木々に視線を流す。「俺がおまえのそばにいたってことは、おまえが俺のそばにいてくれたってことだろ」
 そうだね。
 いつも一緒だったよね。
 あたし、一人じゃなかったんだ。
 いつも二人一緒だったんだもんね。
 あたたかな気持ちがあたしの胸の奥からわき起こってきて、そっと勇気のかけらをわたしてくれる。
「好きだよ、コースケ。大好きだよ。あたし馬鹿だよね。わがままなくせして臆病で、ずっと好きって言えなくて、大事なときに黙ってばかりいて」
 ぽん、と康輔の手があたしの頭をなでる。
「素直だな、おまえ」
 うん。
 あたしはうつむいた。
「あたし、ひねくれてるけど、コースケの前だと素直になれるよ」
 だからね。
 あたしには康輔が必要なんだよ。
 ずっとそばにいてよ。
 康輔のことが大好きなんだから。
「おまえの思っていることが俺の思っていたことだよ」
 まっすぐにあたしを見つめる康輔の言葉が心の中に染みこんでくる。
 あたたかな気持ちがあたしを包み込む。
 その優しさに終わりが来るなんて、思ったことなんかなかったのに。
 康輔がイケメン狛犬の鼻をなでながらつぶやいた。
「ごめんな。俺、もう行かなくちゃ」
 やだよ。
 どこに?
 ここにいるっていったじゃん。
「ここにはいるけど、おまえのそばにはいられないんだ」
「え、じゃあ……」
「見えなくなったら、俺は消えるよ」
 やだよ。
 消えちゃだめだよ。
「やだよ、ずっと見てる。あたし、コースケを見てる。今までだってずっと見てたし、絶対に目を離さないから。まばたきだって片目ずつする。眠くなったらホッペつねって頑張るよ」
 ほら、片目ずつまばたきできるよ。
 ほらね。
 見てよ、康輔。
「おまえ、ウインク下手だよな」
 うん、下手だよ。
 悪い?
 涙があふれ出してくる。
 ぼやけて見えなくなっちゃうじゃん。
 康輔が見えなくなっちゃうじゃん。
 あたしは片目ずつ涙をぬぐった。
 でもどうしても康輔がぼやけていく。
「泣くなよ」
 康輔があたしを抱きしめてくれた。
 康輔しか見えない。
 なのに、康輔が見えない。
「やだよ。消えないでよ。あたし、ずっと見てた。コースケのことずっと見てたでしょ。いつも一緒だったし、ずっとそばにいたじゃん」
 あたしは康輔にしがみついた。
「あたし離さないから。ぎゅっと抱きしめていれば、コースケ、どこにも行けないでしょ」
 康輔の腕に力がこもる。
 なのに、康輔は見えない。
「あたし絶対忘れないからね。ずっとずっとコースケのこと恨んでやるんだから。あたしを一人にしたら、ずっとずっと恨んでやるんだから。だから、あたし、コースケのこと絶対忘れないんだからね。だから……、だから……」
「ごめんな」
 あたしも、ごめんね、康輔。
「笑ってくれよ」
 康輔の声が聞こえる。
「かさねの笑顔が俺の一番の宝物なんだからさ」
 うん。
 康輔、ありがとう。
 康輔、大好き。
 もっともっと伝えたいことがいっぱいあるのに、どうしてまたいなくなっちゃうのよ。
 うれしくもない。
 楽しくもない。
 だけど、あたしはとびっきりの笑顔を組み立てた。
 じっくりコトコト煮込んでる暇なんかないから強火で丸焦げだし、盛りつけなんか涙でグシャグシャだけど、あたしのとびきりの笑顔を見せなくちゃ。
「なあ、かさね」
 うん。
「最後に、一番大事なことを伝えさせてくれよ」
 うん。
 見上げると、つぶれた鼻の康輔があたしを見つめていた。
 康輔だ。
 あたしの知ってる康輔が微笑みを浮かべていた。
 やっと、本当に、戻ってきてくれたんだね。
 そっか……。
 だから、戻っていってしまうんだね。
「かさね」
「うん」
「俺の、気持ちだ」
 頬と頬がふれあう。
 涙より君の笑顔がせつない。
 康輔といた証を。
 康輔の優しさを受け止めるために。
 あたしはそっと目を閉じた。
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