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こん!
自室のベッドで休んでいたダニエルは、窓に何か当たる音に気づいて目を覚ました。窓を開けてみる。
鳥か何かがつついたのだろう、と思ったのだが。
「抜け出て来ちゃった」
「はぁ?」
いつものように顔を出した幼なじみに目を丸くする。夜抜け出してくるのは、初めてだった。
「ここ、二階だぞ? 入れ!」
ダニエルは慌ててエディを引っ張り上げた。器用に外壁に生えているツタを登ってきたらしい。
「子どもの時もやってたじゃない。たまにだけど」
焦っているダニエルを尻目に、何を今さら、とエディ本人は平然としている。確かにそうなのだが、当時のほうが断然体重が軽いし、エディはまだオメガの診断を受けていなかった。
彼がベッドに腰かけたので、ダニエルもその隣に座る。
「子どもの時とは違うだろ。今のお前はオメガ様だからな」
「……そうやってダニエルはいつも僕を特別にして、遠ざけようとするんだね」
小さくエディが呟く。
「何?」
エディのつぶやきが聞こえず、ダニエルは眉をひそめた。
「大したことじゃないよ」
聞き返すと、にこっと笑ってごまかされる。
エディはいつもいい匂いがしているが、今日は心なしかいつもよりも甘い香りが強い気がした。気を抜けば、間違いを起こしてしまいそうだった。
狭い部屋の中で二人きりでいることが耐えがたかったので、ダニエルは意識的に厳しい表情を作り、強い口調で言う。
「施設に連絡する。帰れ」
エディは口を尖らせて、
「僕もうすぐ発情くるよ?そしたら抑制剤飲んでる護衛の人たちでも、抑え効かなくて襲われちゃうかも……。僕フェロモン強くて、発情期のときはいつも部屋に閉じこもってるくらいだから」
甘い香りが強まっているのは、発情期が近いかららしい。ベータのダニエルにも感じ取れるくらいなので、フェロモンが強い、というのは本当なのだろう。
そういえば発情期中やその前に、エディがやってくるのは初めてだった。
もし、エディがフェロモンに惑わされた護衛に、襲われてしまったら……。考えたくもない。
ダニエルは髪をかき回した。
「~~! じゃあ、朝送るから」
「うん。分かった。あのね」
いい淀んだエディが、しばらくして口を開いた。
「僕がここにくるのは最後だよ。ごめんね、ダニーは嫌がってたのに迷惑かけて」
「最後? ……そっか」
さすがに抜け出す回数が多すぎて、咎められたのかもしれない。遅いくらいだが。
本当に、もう会えなくなるのだ。想像はしていたが、まだ実感がなくて、ダニエルはそれだけしか言えなかった。
「求婚されたんだ」
エディの見せてきた指には、確かに指輪が光っていた。その大きく輝く石は、ダニエルの一年の稼ぎでも買えるかどうか。
覚悟はしていた。エディが誰かのものになる。
器量がよくて性格もよいエディが選ばれるのは、時間の問題だと分かっていた。
だが、いざその時が来ると、悔しくて仕方がなかった。なぜ、自分はベータなのか。なぜ、エディはオメガなのか。
今まで幾度も繰り返してきた意味のない問いを、また自問自答してしまう。
「……相手は?」
「アンジブースト伯爵だよ」
「……そっか。立派な方だな」
気に入らない相手だったら、「やめろ」と言ってやろうと思っていたのだが、アンジブースト伯爵は文句のない相手だった。強面の黒狼の獣人で、一見気難しいが街の治安維持のために寄付をしたりと慈善家でもある。きっとエディのことも幸せにしてくれるだろう。
「おめでとう」
絞り出すような言葉を、笑顔で言えたのかも、分からない。
「本当に、そう思ってる?」
黒目がちのあの丸い目が、探るように見てくる。
「当然だろ」
気持ちを見透かされていそうで、ダニエルは目をそらした。
「僕、ダニエルのことが好きだよ」
そう言われた途端、心臓をつかまれたように締め付けられた。いつも求婚を迫ってくるエディの口調は軽かったが、今日は告解をするかのように絞り出すような声だった。その分、胸に迫った。思わずエディに目を向けると、うつむいて悲痛な表情をしていた。
「ずっと、好きだった。十歳の時から変わってない。ダニーのお嫁さんにしてほしかった。オメガだって診断されて嬉しかったよ。ダニーの子供が産みたかったから」
ずっと思い続けてくれていたことがいじらしく、抱きしめて受け入れたくなるのを必死で堪える。血を吐くような思いで、ひどいことを口にした。
「それは、恋じゃない。お前は恋だと勘違いしてんだよ。友情みたいな、兄弟への思慕の感情を」
エディの気持ちを否定する、ひどい言葉だ。けれど、エディは怒ることもなく、真っすぐにダニエルの目を見つめた。なぜか、そらすことができなかった。
さきほどと同じ口調で、
「この気持ちがもし恋じゃないって言うんなら、僕は死ぬまで本当の恋なんか、知りたくない」
エディはどこまでも真っすぐで、ダニエルは心臓を射貫かれたかと思った。
「一度だけでいいから。僕の初めてを、ダニーにもらってほしい。そしたら、ダニーのことはきっぱり諦める。僕はアンジブースト伯爵と結婚する。もうここには来ない。二度と」
(本当なら)
きちんと拒絶するべきなのだろう。体を重ねたところで、気持ちが消えるとは思えない。むしろ、募るだろう。
真実エディを大切に思っているのなら、ここで厳しい言葉を言って、嫌われたほうがいい。頭では分かっていたのに、できなかった。
ダニエルはエディの手を取った。そっと指輪を引き抜いて、サイドテーブルに置く。
「……後悔すんなよ」
自室のベッドで休んでいたダニエルは、窓に何か当たる音に気づいて目を覚ました。窓を開けてみる。
鳥か何かがつついたのだろう、と思ったのだが。
「抜け出て来ちゃった」
「はぁ?」
いつものように顔を出した幼なじみに目を丸くする。夜抜け出してくるのは、初めてだった。
「ここ、二階だぞ? 入れ!」
ダニエルは慌ててエディを引っ張り上げた。器用に外壁に生えているツタを登ってきたらしい。
「子どもの時もやってたじゃない。たまにだけど」
焦っているダニエルを尻目に、何を今さら、とエディ本人は平然としている。確かにそうなのだが、当時のほうが断然体重が軽いし、エディはまだオメガの診断を受けていなかった。
彼がベッドに腰かけたので、ダニエルもその隣に座る。
「子どもの時とは違うだろ。今のお前はオメガ様だからな」
「……そうやってダニエルはいつも僕を特別にして、遠ざけようとするんだね」
小さくエディが呟く。
「何?」
エディのつぶやきが聞こえず、ダニエルは眉をひそめた。
「大したことじゃないよ」
聞き返すと、にこっと笑ってごまかされる。
エディはいつもいい匂いがしているが、今日は心なしかいつもよりも甘い香りが強い気がした。気を抜けば、間違いを起こしてしまいそうだった。
狭い部屋の中で二人きりでいることが耐えがたかったので、ダニエルは意識的に厳しい表情を作り、強い口調で言う。
「施設に連絡する。帰れ」
エディは口を尖らせて、
「僕もうすぐ発情くるよ?そしたら抑制剤飲んでる護衛の人たちでも、抑え効かなくて襲われちゃうかも……。僕フェロモン強くて、発情期のときはいつも部屋に閉じこもってるくらいだから」
甘い香りが強まっているのは、発情期が近いかららしい。ベータのダニエルにも感じ取れるくらいなので、フェロモンが強い、というのは本当なのだろう。
そういえば発情期中やその前に、エディがやってくるのは初めてだった。
もし、エディがフェロモンに惑わされた護衛に、襲われてしまったら……。考えたくもない。
ダニエルは髪をかき回した。
「~~! じゃあ、朝送るから」
「うん。分かった。あのね」
いい淀んだエディが、しばらくして口を開いた。
「僕がここにくるのは最後だよ。ごめんね、ダニーは嫌がってたのに迷惑かけて」
「最後? ……そっか」
さすがに抜け出す回数が多すぎて、咎められたのかもしれない。遅いくらいだが。
本当に、もう会えなくなるのだ。想像はしていたが、まだ実感がなくて、ダニエルはそれだけしか言えなかった。
「求婚されたんだ」
エディの見せてきた指には、確かに指輪が光っていた。その大きく輝く石は、ダニエルの一年の稼ぎでも買えるかどうか。
覚悟はしていた。エディが誰かのものになる。
器量がよくて性格もよいエディが選ばれるのは、時間の問題だと分かっていた。
だが、いざその時が来ると、悔しくて仕方がなかった。なぜ、自分はベータなのか。なぜ、エディはオメガなのか。
今まで幾度も繰り返してきた意味のない問いを、また自問自答してしまう。
「……相手は?」
「アンジブースト伯爵だよ」
「……そっか。立派な方だな」
気に入らない相手だったら、「やめろ」と言ってやろうと思っていたのだが、アンジブースト伯爵は文句のない相手だった。強面の黒狼の獣人で、一見気難しいが街の治安維持のために寄付をしたりと慈善家でもある。きっとエディのことも幸せにしてくれるだろう。
「おめでとう」
絞り出すような言葉を、笑顔で言えたのかも、分からない。
「本当に、そう思ってる?」
黒目がちのあの丸い目が、探るように見てくる。
「当然だろ」
気持ちを見透かされていそうで、ダニエルは目をそらした。
「僕、ダニエルのことが好きだよ」
そう言われた途端、心臓をつかまれたように締め付けられた。いつも求婚を迫ってくるエディの口調は軽かったが、今日は告解をするかのように絞り出すような声だった。その分、胸に迫った。思わずエディに目を向けると、うつむいて悲痛な表情をしていた。
「ずっと、好きだった。十歳の時から変わってない。ダニーのお嫁さんにしてほしかった。オメガだって診断されて嬉しかったよ。ダニーの子供が産みたかったから」
ずっと思い続けてくれていたことがいじらしく、抱きしめて受け入れたくなるのを必死で堪える。血を吐くような思いで、ひどいことを口にした。
「それは、恋じゃない。お前は恋だと勘違いしてんだよ。友情みたいな、兄弟への思慕の感情を」
エディの気持ちを否定する、ひどい言葉だ。けれど、エディは怒ることもなく、真っすぐにダニエルの目を見つめた。なぜか、そらすことができなかった。
さきほどと同じ口調で、
「この気持ちがもし恋じゃないって言うんなら、僕は死ぬまで本当の恋なんか、知りたくない」
エディはどこまでも真っすぐで、ダニエルは心臓を射貫かれたかと思った。
「一度だけでいいから。僕の初めてを、ダニーにもらってほしい。そしたら、ダニーのことはきっぱり諦める。僕はアンジブースト伯爵と結婚する。もうここには来ない。二度と」
(本当なら)
きちんと拒絶するべきなのだろう。体を重ねたところで、気持ちが消えるとは思えない。むしろ、募るだろう。
真実エディを大切に思っているのなら、ここで厳しい言葉を言って、嫌われたほうがいい。頭では分かっていたのに、できなかった。
ダニエルはエディの手を取った。そっと指輪を引き抜いて、サイドテーブルに置く。
「……後悔すんなよ」
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