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苦手な相手2
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にこやかに手を振り、社員証をタッチした瀬奈が、ホールを抜けて出て行く。そのわずかな距離で、ホールに散らばっていた男性社員がわらわら近づいてくるのを、笑顔であしらいながら。
急いでいる中、話しかけられてうっとおしいだろうに、笑顔を崩さないのは見事だ。
見ている分には面白いので、瀬奈のことは嫌いではなかった。迫られるのは辟易してしまうが。
「千堂君お待たせ。行こうか」
感心しながら見ていると、いつの間にか後ろにやってきた課長に、声をかけられる。
会社を出たところでタクシーを拾い、AA産業との待ち合わせの料亭に向かった。徒歩でもさほど遠くない距離だったが、歩きたくないのだろう。
「ご予約承っております。こちらへどうぞ」
きっちり着物を着つけた店員が、礼儀正しく頭を下げ、先導してくれる。
待ち合わせ場所は樹個人で使うことがあっても、数年先であろう有名な料亭だった。さぞ、予約も取りづらかっただろう。
樹の考えていることが伝わったのか、「ここはちょっとつてがあってね。千堂君も必要なら予約とるよ」と課長が耳打ちしてきた。
「ほら、彼女とか」と付け加えてくるが、彼女はしばらくいない。
「なんかあればお願いします」と言っておいたが、予約をとってもらうことはしばらくないだろう。歴代の彼女を振り返ってもこういうところは喜びそうになかったし、不似合いだったと思われる。
「お先にご注文をお伺いいたしましょうか?」
座敷の個室に案内され、お品書きを渡される。
「連れが来てから、注文します」
「かしこまりました。何かございましたら、お呼びくださいませ」
恭しく一礼して、店員が出て行く。
窓の外には中庭が広がっていて、手入れの行き届いた日本庭園が広がっている。小さな池や鹿威しがあり、咲き誇った桜が目を楽しませる。
「本当いい店ですね。俺そうそう来れないです」
お品書きを眺めていた樹が、価格に驚いていると、
「大事な人できたら、ちょっと無理してでも、いい店に連れていきたいと思うものだよ。今日は経費だし、立て替えるのも私だから、好きなものを食べなさい。こういう店で食べるのも、いい経験だからね」
「はい。ありがとうございます」
「そんな相手が、自分にできるものだろうか」と思いながらも、樹は頷いた。もしそんな相手ができたとしたら、きっとものすごく大切にしたいと思うのだろう。
「お連れ様がいらっしゃいました」
店員の声とともにふすまが開けられ、佐々木が顔を出した。開けておいた上座に恐縮しながら座り、にこやかに口を開く。
「課長、千堂君も今日は食事に誘っていただき、ありがとうございます。お誘いいただかないと、一人さみしい食事になるところでした」
「私どもも佐々木社長とお食事できるのは楽しみですから」
「またまた。社長は人気者でいらっしゃるから、順番待ってやっとお食事ご一緒できましたよ」
佐々木は若いころ結婚に失敗したそうで、そのあとは長く独り身らしい。樹くらいの娘がいるが、なかなか会えないと愚痴を聞かされたことがある。
家族と食事はとれなくとも、佐々木であれば食事する相手には困らなそうだが。
手の込んだおいしい食事も手伝ってか樹がいるからか、佐々木は終始機嫌がよかった。他の競合先と悩んでいたという契約も、決めてくれるという。
このあと佐々木は別の用事があるそうで、20時すぎに食事が終わると、そのままお開きとなった。
「本日はありがとうございました」
「また会えるのを、楽しみにしているよ」
料亭の前で、佐々木をタクシーに乗せて見送る。
「千堂君急だったのにありがとう。無事契約できそうだよ」
「いえオレこそ自分ではそうそういけないところで、食事させていただいて」
急ではあったが、特に用事もなかったし、一食分浮いたのはありがたい。もちろん接待という名目上好きには食事できないが。
「このままタクシーで帰るけど、途中まで一緒に乗る?」
「忘れ物したので、会社に戻ります」
「そうか。じゃあまた明日」
「おつかれさまでした」
もう一台呼んでいたタクシーに乗り込んだ課長を見送り、樹は会社に向かった。
忘れたのは手帳だ。別段今日取りに行く必要はなかったが、酔い覚ましのついでだ。
急いでいる中、話しかけられてうっとおしいだろうに、笑顔を崩さないのは見事だ。
見ている分には面白いので、瀬奈のことは嫌いではなかった。迫られるのは辟易してしまうが。
「千堂君お待たせ。行こうか」
感心しながら見ていると、いつの間にか後ろにやってきた課長に、声をかけられる。
会社を出たところでタクシーを拾い、AA産業との待ち合わせの料亭に向かった。徒歩でもさほど遠くない距離だったが、歩きたくないのだろう。
「ご予約承っております。こちらへどうぞ」
きっちり着物を着つけた店員が、礼儀正しく頭を下げ、先導してくれる。
待ち合わせ場所は樹個人で使うことがあっても、数年先であろう有名な料亭だった。さぞ、予約も取りづらかっただろう。
樹の考えていることが伝わったのか、「ここはちょっとつてがあってね。千堂君も必要なら予約とるよ」と課長が耳打ちしてきた。
「ほら、彼女とか」と付け加えてくるが、彼女はしばらくいない。
「なんかあればお願いします」と言っておいたが、予約をとってもらうことはしばらくないだろう。歴代の彼女を振り返ってもこういうところは喜びそうになかったし、不似合いだったと思われる。
「お先にご注文をお伺いいたしましょうか?」
座敷の個室に案内され、お品書きを渡される。
「連れが来てから、注文します」
「かしこまりました。何かございましたら、お呼びくださいませ」
恭しく一礼して、店員が出て行く。
窓の外には中庭が広がっていて、手入れの行き届いた日本庭園が広がっている。小さな池や鹿威しがあり、咲き誇った桜が目を楽しませる。
「本当いい店ですね。俺そうそう来れないです」
お品書きを眺めていた樹が、価格に驚いていると、
「大事な人できたら、ちょっと無理してでも、いい店に連れていきたいと思うものだよ。今日は経費だし、立て替えるのも私だから、好きなものを食べなさい。こういう店で食べるのも、いい経験だからね」
「はい。ありがとうございます」
「そんな相手が、自分にできるものだろうか」と思いながらも、樹は頷いた。もしそんな相手ができたとしたら、きっとものすごく大切にしたいと思うのだろう。
「お連れ様がいらっしゃいました」
店員の声とともにふすまが開けられ、佐々木が顔を出した。開けておいた上座に恐縮しながら座り、にこやかに口を開く。
「課長、千堂君も今日は食事に誘っていただき、ありがとうございます。お誘いいただかないと、一人さみしい食事になるところでした」
「私どもも佐々木社長とお食事できるのは楽しみですから」
「またまた。社長は人気者でいらっしゃるから、順番待ってやっとお食事ご一緒できましたよ」
佐々木は若いころ結婚に失敗したそうで、そのあとは長く独り身らしい。樹くらいの娘がいるが、なかなか会えないと愚痴を聞かされたことがある。
家族と食事はとれなくとも、佐々木であれば食事する相手には困らなそうだが。
手の込んだおいしい食事も手伝ってか樹がいるからか、佐々木は終始機嫌がよかった。他の競合先と悩んでいたという契約も、決めてくれるという。
このあと佐々木は別の用事があるそうで、20時すぎに食事が終わると、そのままお開きとなった。
「本日はありがとうございました」
「また会えるのを、楽しみにしているよ」
料亭の前で、佐々木をタクシーに乗せて見送る。
「千堂君急だったのにありがとう。無事契約できそうだよ」
「いえオレこそ自分ではそうそういけないところで、食事させていただいて」
急ではあったが、特に用事もなかったし、一食分浮いたのはありがたい。もちろん接待という名目上好きには食事できないが。
「このままタクシーで帰るけど、途中まで一緒に乗る?」
「忘れ物したので、会社に戻ります」
「そうか。じゃあまた明日」
「おつかれさまでした」
もう一台呼んでいたタクシーに乗り込んだ課長を見送り、樹は会社に向かった。
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