上 下
47 / 52
四章 蜜月編

終焉の足音

しおりを挟む
「美味しかったですね」
「そうだな。プリシラの口にあったのならよかった」

 食べ終えた朝食を、フェンリルたちが下げてくれる。

「あ」

 シャツの肩のあたりが、わずかに汚れていることに気づく。マナーの完璧なアンセル様が、食事で服を汚すのは珍しい。
 ……食堂のテーブルより私とアンセル様の距離が近いので、私が汚してしまったのだと思う。見たところチョコレートみたいなシミだけれど、デザートをアンセル様は召し上がっていないもの。
 
(チョコプリンの上のイチゴをフォークで刺し損ねて、お皿に落としてしまったからきっとあの時ね……)

 申し訳なく思いながら、

「シャツが汚れています。お召し替えを」

 アンセル様はシミのあたりに目線を落として、

「ん? ああ、気がつかなかった。ありがとう、プリシラ」
「いえ、多分汚したのは私です。チョコレートのシミのようですし、そもそもアンセル様が汚されるはずがありませんので。申し訳ありません」

 私はクローゼットから、新しいシャツを取り出す。
 アンセル様に目を向けると、もうシャツを脱いでいた。
 細身なのに筋肉質な上半身があらわになっている。
 
「もう、アンセル様! お脱ぎになるのは、私が部屋を出てからにしてください!」
(心臓に悪いー!)

 頬を膨らませる私に、アンセル様は悪びれなく微笑む。
 
「昨日明るいところで、僕の裸を見ただろう?」
「そんなにまじまじと見ていなかったですし!」

 私はアンセル様の背中側に回って、羽織らせようとシャツを構えた。

「早くシャツを着てくださ……。これ」

 アンセル様の背中にくぎ付けになってしまって、シャツを持ったまま私は動きを止めた。

「……!」

 アンセル様は慌てた様子で、私から奪ったシャツをさっと羽織った。

「見た……のか?」

 その時のアンセル様の表情を、私は見ていない。背中が目に焼き付いてしまっていたから。

 正確に言えば、背中にある大きな傷が。
 彫像のように整った体に、その傷だけが不自然だった。騎士のように、戦いを生業にしていればよくあるけど、彼のような仕事で、傷を負うことはほぼないはず。そして、その傷跡はかなり古い。
 思い返してみれば、彼の背中を私は見たことがない。きっとその理由は、これ。

「プリシラ?」
「あ…あ……」

 洪水みたいに、大量の映像と言葉が頭に流れ込んできた。
 それらから無意識に逃れようとしたのか、頭を抱えたけれど、なおも流れ込んでくる。
 逃げ惑う人々。飛び交う悲鳴。飛び散る血。
 切りつけられるアンセル様。うめいて倒れながらも、私を守ってくれたアンセル様。
 絞り出すように、

「私……私のせい、なの?私のせいで……」
「違う!プリシラ、君のせいなんかじゃない!プリシラ聞いてくれ!」

 私を引き止めるように、アンセル様が怒鳴ったけれど、意識は底なし沼に引きずられるように私の意思とは関係なく引っ張られていった。

(私が……私がいなければ、セルは)
「ごめんなさい。セル……」
「ダメだ! 絶対に許さない! プリシラ!」

 最後に見たのは、冬の空。
 私は意識を手放した。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~

ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。 2021/3/10 しおりを挟んでくださっている皆様へ。 こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。 しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗) 楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。 申しわけありません。 新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。 お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。 修正していないのと、若かりし頃の作品のため、 甘めに見てくださいm(__)m

ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる

Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。 でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。 彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

転生したら、6人の最強旦那様に溺愛されてます!?~6人の愛が重すぎて困ってます!~

恋愛
ある日、女子高生だった白川凛(しらかわりん) は学校の帰り道、バイトに遅刻しそうになったのでスピードを上げすぎ、そのまま階段から落ちて死亡した。 しかし、目が覚めるとそこは異世界だった!? (もしかして、私、転生してる!!?) そして、なんと凛が転生した世界は女性が少なく、一妻多夫制だった!!! そんな世界に転生した凛と、将来の旦那様は一体誰!?

旦那様は魔法使い

なかゆんきなこ
恋愛
クレス島でパン屋を営むアニエスの夫は島で唯一の魔法使い。褐色の肌に赤と青のオッドアイ。人付き合いの少し苦手な魔法使いとアニエスは、とても仲の良い夫婦。ファンタジーな世界で繰り広げる、魔法使いと美女のらぶらぶ夫婦物語。魔法使いの使い魔として、七匹の猫(人型にもなり、人語を解します)も同居中。(書籍掲載分は取り下げております。そのため、序盤の部分は抜けておりますのでご了承ください)

後宮の棘

香月みまり
キャラ文芸
蔑ろにされ婚期をのがした25歳皇女がついに輿入り!相手は敵国の禁軍将軍。冷めた姫vs堅物男のチグハグな夫婦は帝国内の騒乱に巻き込まれていく。 ☆完結しました☆ スピンオフ「孤児が皇后陛下と呼ばれるまで」の進捗と合わせて番外編を不定期に公開していきます。 第13回ファンタジー大賞特別賞受賞! ありがとうございました!!

処理中です...