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四章 蜜月編
終焉の足音
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「美味しかったですね」
「そうだな。プリシラの口にあったのならよかった」
食べ終えた朝食を、フェンリルたちが下げてくれる。
「あ」
シャツの肩のあたりが、わずかに汚れていることに気づく。マナーの完璧なアンセル様が、食事で服を汚すのは珍しい。
……食堂のテーブルより私とアンセル様の距離が近いので、私が汚してしまったのだと思う。見たところチョコレートみたいなシミだけれど、デザートをアンセル様は召し上がっていないもの。
(チョコプリンの上のイチゴをフォークで刺し損ねて、お皿に落としてしまったからきっとあの時ね……)
申し訳なく思いながら、
「シャツが汚れています。お召し替えを」
アンセル様はシミのあたりに目線を落として、
「ん? ああ、気がつかなかった。ありがとう、プリシラ」
「いえ、多分汚したのは私です。チョコレートのシミのようですし、そもそもアンセル様が汚されるはずがありませんので。申し訳ありません」
私はクローゼットから、新しいシャツを取り出す。
アンセル様に目を向けると、もうシャツを脱いでいた。
細身なのに筋肉質な上半身があらわになっている。
「もう、アンセル様! お脱ぎになるのは、私が部屋を出てからにしてください!」
(心臓に悪いー!)
頬を膨らませる私に、アンセル様は悪びれなく微笑む。
「昨日明るいところで、僕の裸を見ただろう?」
「そんなにまじまじと見ていなかったですし!」
私はアンセル様の背中側に回って、羽織らせようとシャツを構えた。
「早くシャツを着てくださ……。これ」
アンセル様の背中にくぎ付けになってしまって、シャツを持ったまま私は動きを止めた。
「……!」
アンセル様は慌てた様子で、私から奪ったシャツをさっと羽織った。
「見た……のか?」
その時のアンセル様の表情を、私は見ていない。背中が目に焼き付いてしまっていたから。
正確に言えば、背中にある大きな傷が。
彫像のように整った体に、その傷だけが不自然だった。騎士のように、戦いを生業にしていればよくあるけど、彼のような仕事で、傷を負うことはほぼないはず。そして、その傷跡はかなり古い。
思い返してみれば、彼の背中を私は見たことがない。きっとその理由は、これ。
「プリシラ?」
「あ…あ……」
洪水みたいに、大量の映像と言葉が頭に流れ込んできた。
それらから無意識に逃れようとしたのか、頭を抱えたけれど、なおも流れ込んでくる。
逃げ惑う人々。飛び交う悲鳴。飛び散る血。
切りつけられるアンセル様。うめいて倒れながらも、私を守ってくれたアンセル様。
絞り出すように、
「私……私のせい、なの?私のせいで……」
「違う!プリシラ、君のせいなんかじゃない!プリシラ聞いてくれ!」
私を引き止めるように、アンセル様が怒鳴ったけれど、意識は底なし沼に引きずられるように私の意思とは関係なく引っ張られていった。
(私が……私がいなければ、セルは)
「ごめんなさい。セル……」
「ダメだ! 絶対に許さない! プリシラ!」
最後に見たのは、冬の空。
私は意識を手放した。
「そうだな。プリシラの口にあったのならよかった」
食べ終えた朝食を、フェンリルたちが下げてくれる。
「あ」
シャツの肩のあたりが、わずかに汚れていることに気づく。マナーの完璧なアンセル様が、食事で服を汚すのは珍しい。
……食堂のテーブルより私とアンセル様の距離が近いので、私が汚してしまったのだと思う。見たところチョコレートみたいなシミだけれど、デザートをアンセル様は召し上がっていないもの。
(チョコプリンの上のイチゴをフォークで刺し損ねて、お皿に落としてしまったからきっとあの時ね……)
申し訳なく思いながら、
「シャツが汚れています。お召し替えを」
アンセル様はシミのあたりに目線を落として、
「ん? ああ、気がつかなかった。ありがとう、プリシラ」
「いえ、多分汚したのは私です。チョコレートのシミのようですし、そもそもアンセル様が汚されるはずがありませんので。申し訳ありません」
私はクローゼットから、新しいシャツを取り出す。
アンセル様に目を向けると、もうシャツを脱いでいた。
細身なのに筋肉質な上半身があらわになっている。
「もう、アンセル様! お脱ぎになるのは、私が部屋を出てからにしてください!」
(心臓に悪いー!)
頬を膨らませる私に、アンセル様は悪びれなく微笑む。
「昨日明るいところで、僕の裸を見ただろう?」
「そんなにまじまじと見ていなかったですし!」
私はアンセル様の背中側に回って、羽織らせようとシャツを構えた。
「早くシャツを着てくださ……。これ」
アンセル様の背中にくぎ付けになってしまって、シャツを持ったまま私は動きを止めた。
「……!」
アンセル様は慌てた様子で、私から奪ったシャツをさっと羽織った。
「見た……のか?」
その時のアンセル様の表情を、私は見ていない。背中が目に焼き付いてしまっていたから。
正確に言えば、背中にある大きな傷が。
彫像のように整った体に、その傷だけが不自然だった。騎士のように、戦いを生業にしていればよくあるけど、彼のような仕事で、傷を負うことはほぼないはず。そして、その傷跡はかなり古い。
思い返してみれば、彼の背中を私は見たことがない。きっとその理由は、これ。
「プリシラ?」
「あ…あ……」
洪水みたいに、大量の映像と言葉が頭に流れ込んできた。
それらから無意識に逃れようとしたのか、頭を抱えたけれど、なおも流れ込んでくる。
逃げ惑う人々。飛び交う悲鳴。飛び散る血。
切りつけられるアンセル様。うめいて倒れながらも、私を守ってくれたアンセル様。
絞り出すように、
「私……私のせい、なの?私のせいで……」
「違う!プリシラ、君のせいなんかじゃない!プリシラ聞いてくれ!」
私を引き止めるように、アンセル様が怒鳴ったけれど、意識は底なし沼に引きずられるように私の意思とは関係なく引っ張られていった。
(私が……私がいなければ、セルは)
「ごめんなさい。セル……」
「ダメだ! 絶対に許さない! プリシラ!」
最後に見たのは、冬の空。
私は意識を手放した。
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