契約溺愛婚~眠り姫と傲慢旦那様には秘密がある~

水無瀬雨音

文字の大きさ
上 下
50 / 52
五章 真実編

True end  やさしいうそ

しおりを挟む
 翌朝になっても、プリシラは目覚めなかった。また僕と過ごした記憶を失うのではないか。
 そう恐れながら、ベッドの脇の椅子に座って見守った。
 花の時期は短いというのに、鳥かごのようにプリシラを屋敷に閉じ込めて、誰とも関わらないようにして、果たして幸せだったのか。リスクがあっても、自由に出歩かせて、同年代の友人と関わらせる機会を奪ったのは、自分の傲慢じゃないか。
 やっとまた、プリシラの気持ちをもう一度取り戻したのに。二人の新しい時間を重ねてきたのに。

「もし同じ運命をたどるのだとしたら、僕は、今まで何のために……!」

 僕は唇をかみしめて、硬く握りしめたこぶしを膝に打ち付けた。
 ……否。
 もし幾度同じ運命を辿るのだと分かっていてもなお、僕はプリシラを求めただろう。どれだけの喜びと絶望を繰り返すのだとしても。
 進んだその先に、絶望しか残されていないのだとしても。一欠片の光さえ、味わうことがないのだとしても。
 諦められる想いなら、こんなに苦しんだりしなかった。僕はもう止まることなどできはしない。プリシラの心を探し続けるだけだ。何度だって。

「アンセル様。少し代わりますわ。少しでも休まれては? 気づかれたらすぐにお呼びしますから」

 いつの間にか隣に立っていたフェンリルが、珍しく気づかわしげに声をかけてきた。
 僕は緩慢に首を振る。

「大丈夫だ。疲れてない。プリシラが目覚めた時に、傍にいてやりたいんだ」

 フェンリルは小さくため息をついて、

「……分かりました。せめてお食事を取られてくださいな。軽食をお持ちしましたから」
「……分かった」

 食事など摂る気分ではなかったが、正直に言ってしまったら、フェンリルに部屋からつまみだされるのは分かっていた。

 フェンリルの用意してくれたサンドイッチと紅茶を、僕は無理やり胃に流し込んだ。食欲などなかったはずなのに、慣れたフェンリルの入れてくれた紅茶は、僕の体にじんわりと染み入って、温めてくれた。

「後悔されていますか?」

 静かにフェンリルが僕に問いかける。僕の顔は見ないままで。
 プリシラに真実を告げなかったことだろうか。そもそも、再び僕が彼女を望んだことだろうか。
 どちらにしても僕の答えは……。
 僕が答えようとしたとき。

「……ん」

 プリシラのまぶたがぴくりと動き、唇からかすれた声がもれた。

「プリシラ!」
「プリシラ様」

 僕とフェンリルは、プリシラの顔をのぞき込む。ゆっくりと彼女の目が開いた。
 瞬きしたプリシラがクスクス笑い出す。

「どうしたの? セル、フェンリル。変な顔して……あれ? 何だか大きくなった?」

 プリシラがゆっくりと上半身を起こす。ふらついたので、フェンリルがさっと支えて背中にクッションを挟み込む。

「セル…? 僕のことが分かるのか?」

 それは昔の僕の呼び名だ。今のプリシラは知りえない。
 プリシラは怪訝な顔で、

「おかしなセル。朝になったら太陽が登るのかって言ってるのと同じよ?
 あら? そういえば、さっきまで私、セルとレストランで食事してたんだけど……。このお部屋見おぼえないけれどどこなの? ……でも、私の好みのお部屋ね」

 きょろきょろと部屋の中を見渡す。

「教えてくれ。僕はもう、君にプロポーズはした?」
「え……、と」

 プリシラは頬を赤くして、ちらりとフェンリルを見やる。聞かれるのが恥ずかしいらしい。

「私のことは気にしないでください。プリシラ様。いずれ結婚されるだろうことは存じてますもの」
「大事なことなんだ。教えて」

 フェンリルも後押ししてくれる。僕の真剣な様子に、プリシラは頷いた。

「え、ええ。してくれたわ。原っぱで。この腕輪をはめてくれて……。まさか忘れちゃったの?」

 ちょうど、あの事件の直前までの記憶まであるらしい。僕とプリシラの最後の、幸福な時間。
 不満そうに頬を膨らませるプリシラがかわいらしくて。
 僕は決めた。
 君を守るためなら、どこまでも汚れてやると。
 そのためなら君を傷つける真実は、隠し通す。
 やっとの思いで掴んだはずの幸せが、粉々に砕けて、指の間からすり抜けていったあの日。
 失われた未来を、どうしたらもう一度取り戻すことができるのか。どうしようもないことなのに、僕はそればかりを考えていた。
 もう一度、プリシラをこの腕に抱くことができるのなら、僕はもう何も怖くない。どんな罪も背負ってやる。どんなにこの手が汚れたって構わない。
 代償に神の怒りに触れて、地獄の業火に焼かれたって構わない。
 失うくらいなら、君を……壊してやる。
 プリシラを欲しがったことを間違いだっただなんて、思いたくない。僕は小さく息を吐いた。励ましてくれるかのように、フェンリルは僕の背中にそっとふれた。


  ★★★

 見慣れない部屋。心なしかセルとフェンリルもいつもより大人びた印象だ。
 なぜだか体のあちこちが痛かった。

「不思議ね。私、とても長い夢を見ていたような気がしたの。とても不思議で、ものすごく悲しいことと、嬉しいことがあって……」

 夢にしては妙に現実味があった気がした。私の話を、珍しくセルが遮った。いつもなら、どんなに取り留めのない話でも黙って聞いてくれるのに。

「落ち着いて聞いてくれ」

 真剣なセルに、私は黙って頷いた。
 落ち着いた口調で淡々と、説明してくれる。

「君は事故に遭って少しの間眠っていた。そのせいで記憶が混濁しているようだ。ご両親は長期の仕事で外国に行かれている。いつ戻られるかはまだ分からない。
 君は今二十一歳。僕は十八歳。僕と君はもう結婚している。ここは君と僕、どちらの実家でもない。新しく建てた、君と僕の屋敷で君の部屋。
 信じる?」

 不安そうな、セルの瞳。
 私の最後の記憶から、三年も空いている。
 記憶喪失だなんて、そう簡単に起こることではないだろう。でも。
 私は迷いなく頷いた。
 むしろセルの外見が大人びていることに、それなら納得がいく。
 
「信じるわ。セルの言うことだもの。見覚えはないのに、この部屋は何もかも私の好みだし……。でもあなたと過ごした時間を忘れたのは寂しいわ」

 一分一秒でも大切な、セルとの時間。それが、三年も失われているなんて。
 セルは優しく私の手を握ってくれた。

「僕が、君との時間は全部覚えている。
 落ち着いたらゆっくり話すよ。
 それに大事なのは過去じゃなくて、これから過ごす君との時間だ。もし君が思い出さなくてもかまわない」

 確かにそうだ。大事なのは過ぎ去った時間より、これから積み重ねる時間。

「お父様と、お母様にも早く会いたいわ。お母様とケーキを作る約束をしていたのよ」

 セルが優しいまなざしで微笑んだ。

「……会えるよ。きっと。
 お願いだ、プリシラ。もう、僕の前からいなくなるのはやめてくれ」
「いやだ。おかしなセル。
 私があなたの傍から離れたことがあった?」

 心配そうにセルが言うから、私は思わず吹き出してしまった。
 記憶がなくったって分かる。私が、セルと離れて生きていけるはずがないってことを。

「……ない。君と僕は、再会してからずっと一緒だったからな。これからも一緒だよ。ずっと」
「ええ。私、セルと一緒なら、何も怖いことなんかないわ」

 セルは安心したような、悲しいような、複雑な顔をして、私にキスを落とした。
 フェンリルのすすり泣くような声も聞こえたけれど、なぜだろう。
 不思議には思ったけれど、私が目覚めたことが嬉しかったのかもしれない。
 




  ★★★

 私としてはメリバよりなラストだと思いますが、これがもともと考えていたラストです。暗いので、多少救済したバージョンも載せます。
 思ったより完結に時間がかかりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

お飾りの侯爵夫人

悠木矢彩
恋愛
今宵もあの方は帰ってきてくださらない… フリーアイコン あままつ様のを使用させて頂いています。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

【完結】365日後の花言葉

Ringo
恋愛
許せなかった。 幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。 あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。 “ごめんなさい” 言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの? ※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

処理中です...