契約溺愛婚~眠り姫と傲慢旦那様には秘密がある~

水無瀬雨音

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三章 疑惑編

迎え

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「お待ちください!」

 誰かを静止するような、慌てた声。

「騒がしいわね」
「そうですね」

 なんだか玄関ホールのあたりがざわざわしている。
 教育されたメイドや執事たちが、こんなに騒がしいのは珍しい。

「様子を見てまいりましょうか?」
「そうして」

 そばに控えていたメイドに、グエン様がうなづく。

「では少し様子を見てまいります」

 会釈をして、メイドが退室する。

「きゃっ」

 廊下に出たメイドの慌てた声が聞こえる。

ばん!

 グエン様の部屋の扉が、音を立てて開いた。驚いて私はそっちを見た。

「プリシラ!」

 そこにいたのは、ここにいるはずのないアンセル様だった。

「あ、あんせる、様?なぜ、ここに?」

 目は血走っていて、息を切らしている。走ってきたのか、髪は乱れていて額にはうっすら汗が。
 いつも平静なアンセル様しか見たことのない私は驚いた。
 口調も落ち着いているので、こんな風に声を荒げているところも初めて見た。

「プリシラ!僕の許可なく屋敷を出るなんて許さない!僕のことを……捨てる気だったのか?」

 って……。私はアンセル様を捨てたことなんてない。それに捨てるって言うのなら、それは私を裏切ったアンセル様の方で。

「僕から逃げられるだなんて、そんな絵空事本当に思ってたのか?僕が君をやすやすと逃がすはずないだろう」

(本当になんでここが分かったの?グエン様?)
 ちらっとグエン様を見ると、「私じゃない!」と必死にその目が言っていたし、ぶんぶん首を振って否定していた。

(グエン様じゃないならどうして)
「君のいるところなんて、僕には手を取るように分かる。帰るぞ」

 素早く私の側にやってきたアンセル様が、手首をつかむ。もう片方の手で持ったままだったティーカップが揺れて、お茶がこぼれそうになったので、私は慌ててカップをソーサーに置いた。
 手首を引っ張られて、慌てて私は椅子から立ち上がった。

「ま、待ってください!私は……怒って、るんですから!」

 そう。私は怒ってるんだから。
 連れていかれないように、その場で足を踏ん張った。

「屋敷に戻ってから、いくらでも怒らせてやる! 僕から離れてなんて……もう二度と許さない」

 振り返ったアンセル様の目が、なぜか傷ついたような色をした。
 私は一瞬怒りを忘れて、抵抗を止める。
 
(……どうしてアンセル様が、そんな目をするの?)

 そんな私を、アンセル様はやすやすと抱き上げた。

「どんなに君が僕を拒んでも、拒絶しても、嫌っても、もう離してやれない。やっと君をこの手につかんだんだ」

 私はもう、アンセル様の傍にいたくない。
 確かにそう思っていたけれど、アンセル様が迎えに来てくれて嬉しかった。それは私をアンセル様が裏切っていないという、証明のように思えたからだ。
 何か事情があるのかもしれなくても、他に好きな人がいるのだとしても、少しは私を、大切に思っていてくれているのかもしれない。
 今は、少しうぬぼれていたい。

(心の中だけは、本当の気持ちを言うのを許して欲しい。好きです。アンセル様。……好きです)

 私はそっとアンセル様の肩口に、額を押し当てた。

「グエンドール様。お邪魔いたしました。今日は帰ります。お詫びは後ほど。
 失礼いたします」
「は、はい。さよなら、アンセル様、プリシラ」

 早口でまくし立てるアンセル様に、グエン様はあっけにとられながら頷いた。
 茫然としている執事とメイドを尻目に、私を抱きかかえたまま、アンセル様は屋敷を出た。

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