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二章 スピード婚と結婚生活

仮面舞踏会と元婚約者2

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「失礼。お話してもよろしいかしら?」
 ふいに目の前に女性が現れて、声をかけられた。目元は仮面、口元は扇子で覆われていて、ほとんど顔は分からない。

(話しかけられた!ど、どうしよう)
 思いがけない状況に、私は動揺した。
 アンセル様がいるときなら微笑むだけでごまかすこともできるが、一対一で無視するなんてことは私には無理だ。
(女性なら……いいわよね?)
 多分偽りの妻とはいえ、他の男性に言い寄られるのは不快だということなのだろうから、女性ならかまわないだろう。
 私は小さく頷いた。二人掛けのソファーの開いているところを手で示す。

「はい。かまいません。よろしければどうぞ」
「失礼いたしますね」
 女性は優雅な仕草でソファーに腰かけた。それだけの動作だが、かなり洗練された仕草だったので、かなりの上級貴族の令嬢なのでは、と思わせた。
(な、何かしら)

 一般的に夜会だとか舞踏会は、異性のお相手を探す場であるので、女性に声をかけることはあまりないはず。同性との交流を深めるならお茶会だから。
 男性に声をかけられやすそうな感じがするから、疲れてしまったのかもしれない。
 桃色のドレスにはふんだんにリボンやレースがあしらわれていて、可愛らしい。かつ色とりどりの宝石も施されていて、高価なものだとすぐ分かる。

 ぼんやりドレスに見とれていると、
「私、面倒くさいことが嫌いなので、単刀直入に申し上げますね。
 あなたアンセル・ド・パリスター様の奥さまですよね?私、グエンドール・ド・ウェッダーバーンと申します」
(私のこと何で分かったのかしら。ううん。そんなことより)
「グ、グエンドール様!?」
 私は思わずはしたない大声を上げてしまい、慌てて扇子で口元を隠した。周りを見渡したが、幸い他の人には聞こえなかったようだ。
 グエンドール様は、アンセル様が私と結婚するために進んでいた縁談を破棄したお相手だ。

(ええと、謝るべき?でも神経逆撫でするかも……)
 私が次の言葉をどうしようか考えあぐねて口を開けないでいると、
「あ、もしあなたが気にしてるなら全く気にしなくていいのよ。私、アンセル様との結婚は乗り気でなかったから」
 グエンドール様は意外とさばさばした口調で言った。

「そ、そうなんですか?」
「そうよ。お父様が乗り気なだけだったから。だからあなたのおかげで助かったの」
 嫌味で言っているようには全然見えない。心底本心から言っている様子だ。
 でもアンセル様って、私が言うのもなんだけど、かなりいい条件の方だと思うのだけど。
「他にお慕いしている方がいらっしゃったのですか?」
 気になって聞いてみると、グエンドール様は首を振った。
「そうじゃないの。だって、アンセル様ってお若すぎるし、外見が…ねぇ?」
「ええ……」
 貴族で成人してすぐ結婚というのはよくあるので若すぎるって年齢ではないし、まさかアンセル様があの見た目をけなされる日がこようとは思わなかった。

(ど、どう言う方がお好みなのかしら?最近はやりのイケオジとか?騎士様みたいながっちりした方?)
 初めてお会いしたばかりなのに、失礼かもしれないけれど好奇心から私はついお聞きしてしまった。
「ここにいらっしゃる方なら、どのような方がお好みなんですか?」
 とは言っても仮面舞踏会ではあまりお顔は分からないけれど。
「うーん。そうね」
 グエンドール様は少し唇に人差し指を当てて考え込んだ。会場を見渡す。ややあって、
「ほら、あの青いドレスの女性の近くにいらっしゃる方。あの方なんか素敵だわ」
 グエンドール様の目線を追うと、少しばかり、いやかなり恰幅のいい男性がいた。顔は仮面のせいでよく見えない。
(ええと、まさかあの方じゃないわよね……?)
 一応グエンドール様に聞いてみる。
「もしかしてあの、ふくよかな方ですか……?」
 かなりオブラートに包んで聞いてみた。
 否定されるのを予想したのだけれど、グエンドール様は微笑んで頷く。
「素敵よね……!最近マッチ棒みたいな体形の方が多くて、がっかりしていたの。あとで話しかけてみようかしら」
 手を顔の前で組んで、仮面越しの目がきらきらしている。
(……うん……人の趣味はそれぞれだから)

「よかったら私のことはグエンと呼んで。あなたのお名前は?あまり社交の場に出ていないわよね?お会いした方なら、仮面越しでも大体分かるもの」
 アンセル様だけでなく、大抵の方は仮面越しでも分かるのが普通なのだろうか。グエンドール様はアンセル様のことも仮面をつけていても分かったから、一緒にいるのは必然的に妻だと判断したのだろう。
(ええと、いいわよね。グエンドール様女性だし)
 一瞬逡巡して、私は名乗った。
「プリシラと申します。グエン様」
「プリシラね!年も近いし、敬語じゃなくてもいいのよ。ぜひ仲良くしましょう」
「仲良くしていただけたら嬉しいです」
 友達はいないに等しいので、そう言ってくださるのは大変ありがたいけれど、公爵令嬢のグエン様に敬語をつかわないのはちょっと。
「もう、敬語はやめてと言っているのに」
 グエン様は頬をぷくっと膨らませた。可愛い方がこんな仕草すると、男性ならころっといきそうだ。

「今度屋敷に遊びに来てちょうだい」
(行きたい……!すごく行きたいけど、アンセル様がご一緒してくださらないと行けないのよね)
 私が返事に困っていると、
「グエンドール様。僕の妻が何か失礼を?」
「ア、アンセル様!」
 いつの間にかアンセル様が私の目の前に立っていた。冴え冴えとした表情でグエン様を見ている。
(え、何この表情)
 グエン様のような美しい方を見る表情ではとてもない。
 多分アンセル様はグエン様の名前を出すことで牽制しているのだ。グエン様は良い方だし、そんなことをする必要はないのに。
 それが分かっているのかいないのか、グエン様は優雅に微笑んで答える。

「いいえ。アンセル様。楽しくお話させていただいていただけですわ。よろしければ、私の屋敷に遊びに来てくださいねってお話していたところです」
(あ、きっとグエン様はアンセル様が牽制したこと、分かっていらっしゃるわね)
 笑顔なのに、ものすごく圧を感じる。
「妻と親しくしていただけるのは嬉しいです。僕は仕事ばかりで寂しくさせてしまっているので。ぜひ僕もご一緒させていただきたいですね」
「いやだわ。アンセル様ったらご冗談ばっかり。アンセル様は私との縁談をお断りになったから、父に嫌われているのは分かっていらっしゃるくせに。うふふ」
「はは。そうでしたね」
(こ、こわい……!)
 二人とも笑顔なのに、なんだろう、この恐怖の会話の応戦。
 美形同士の凄みあいは迫力が違うのだということを、初めて知った。知りたくもなかった。

(アンセル様が『はは』って笑うの初めて聞いたわ……!)
 この場から逃げ出したい気でいっぱいだったけれど、そんなわけにもいかないので、私はソファーで小さく縮こまって震えていた。
(仲が良くないのかしら、この二人)
 進んでいた縁談を破棄したのだから、仲良しというのは無理なのかもしれないけど。
「プリシラはぜひ来てちょうだい。まさかアンセル様お目付け役が一緒じゃないと外出できないなんて、プリシラには言っていらっしゃらないでしょうね?束縛しすぎる男は嫌われますものね」
 アンセル様は表情は笑顔のそのままで、眉毛だけがぴくっと一瞬ひきつった。
「僕は妻を束縛などしておりません。少々過保護だと自覚はしておりますが。
 彼女を招待してくださるときは、他のお客様はお呼びになりませんように。それだけお約束していただければ、僕は同伴しません」
「せっかく私の新しい友人を紹介しようと思ったのに。まあいいわ」
 グエン様は面白くなさそうな顔をしたが、すぐに笑顔に戻った。ソファーから立ち上がる。
「じゃあ、プリシラ。またお手紙でお誘いするわね。失礼します。アンセル様」
 優雅に淑女の礼をとって、離れてしまった。さっき「声をかける」と言っていた男性のところへ向かっているようだ。

「さて」
 アンセル様が私の隣に腰かける。
 表情はさっきの笑顔のままだ。多分この表情で令嬢に声をかけたら、顔を真っ赤にされるに違いない。でも。
(ものすごく怖い……)
「どうぞ?プリシラ」
「ありがとうございます。アンセル様……」
 アンセル様が差し出してくれたワインを、怯えながら受け取る。私はアルコールが苦手なので、普段ほとんど飲まないのだけど、これは甘口でかなり飲みやすい。美味しくて、一気に全部飲んでしまって、アンセル様が自分の分もくれた。それもほとんど一気に飲み干してしまう。

(ジュースみたい。これならもっと飲めそうなくらい)

「悪かったな。戻るのが遅くなった。君を離れたのを見計らっていたのか、他の女性に捕まってしまって。あんまり無下にもできなかった」
 アンセル様が神妙な顔で言って、さっきまで「怖い」と思っていたことを申し訳なく思う。と同時に、私にそんな権利はないのに、無性に腹が立った。
 普段ならそう思ったとしても、我慢しただろう。それなのに、なぜかこらえきれなかった。
「……いやです」

「何だ?」
 私の呟きに、怪訝な顔をしたアンセル様が聞き返した。
「私の夫のアンセル様に、他の女性が寄ってくるのは嫌だと言いました。さっきもアンセル様を他の女性が見ているのに嫉妬しました」
 自分でもそんなことを口に出してしまうのに驚いたけれど、口を開いてしまったら止まらなかった。一気に言い終えて、アンセル様が一緒に持ってきてくれていた水を一気に飲み干した。
 はぁ、とアンセル様が深くため息をつく。
(偽りの妻なのに、こんなこと言いだして嫌がられたかしら)
 一瞬不安に思っていると、
「それを言うなら僕だって、すぐにでも君を会場から連れ出してしまいたかったのに、君はまだ楽しみたいだろうと堪えたんだ。
 それを君は、そんなことを……」
 アンセル様が私を抱きかかえた。ただでさえアンセル様は人目をひくので、注目されてしまう。
「きゃ!」
 普段なら感じるだろう、羞恥心はなぜかなかった。落ちないようにしっかりとアンセル様の首元に手を回す。
「そんなに可愛いことを言った君が悪い。それに誰とも話すなと言った僕の言いつけを破ったな?グエンドール様だったからよかったものの……」
 私の耳元で、アンセル様が優しいテノールで囁いた。優しい声とは真逆の言葉を。

「お仕置きだよ。プリシラ」


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