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三章 疑惑編
アンセル様とフェンリル
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私が悪いの。
全部全部私が。
アンセル様はきっと、結婚したかった相手を私に重ねて私を抱いている。腕輪を見つけてから私はそのことに気づいた。私を見る優しい目が、時折懐かしむようになるからだ。
「アンセル様…明かりを……消してください。顔を見られると恥ずかしいので」
いつもアンセル様と体を重ねるときは、明かりを消してもらうようにしている。肌を見られるのが単純に恥ずかしいのと、もう一つ理由がある。
「君は、いつも明るいところでするのを嫌がるな。そのうち見せてもらうからな」
「そのうちも、いや、です」
私が首を振ると、アンセル様はふっと笑ってサイドテーブルの上のランプを吹き消した。
暗闇の中に、私は涙を隠す。優しいアンセル様に見つからないように。
「おやすみ、プリシラ」
「おやすみなさい。アンセル様」
アンセル様が優しく私にキスをして、軽く抱き寄せてくれる。
私は軽くアンセル様の胸元にすり寄った。小さく笑ったアンセル様が、私の髪を撫でてくれる。
幸せだった。
例えアンセル様の心の中に、私以外の誰かがいようと。アンセル様が、私を抱きながら他の誰かを思っていようと。
愛情はくれなくても、優しくしてくれて妻として何不自由なく接してくれる。
貴族の中には既婚者でも女遊びが激しい人が多い中、アンセル様はそんなことはなさらないし、結婚したかったお相手と会っている様子もない。
例え私に愛情がなかろうと、それだけで十分だと私は思うようになった。
あまり多くを望んでしまっては、私にはすぎた幸せだ。
廊下の隅でアンセル様とフェンリルが小声で話しているのが見えた。
「アン……」
声をかけようとして、慌てて身を隠して様子を窺う。
二人の表情が思いがけず険しい顔をしていたからだ。
(な、何?どうしたのかしら)
はしたない、と思いつつも好奇心に負けて、私は耳をすませた。
フェンリルが涙ぐんでいる。
(ただ事じゃないわ……!)
どうしたのだろう。
まさか退職するとか?
(せっかく親しくなったのに、残念だわ)
私はガッカリしながらも、決めつけるのは早いと、再び耳を澄ます。
フェンリルがすすり泣きながら、
「……プリシラ様を騙しているようで、お可哀想です……!私はもう、隠しておきたくありません。いつプリシラ様に言うんですか?」
(え?私?!)
私に関係のある話らしい。そして、
(騙す?可哀想?言う?)
気になる言葉がたくさんだ。
「僕は、プリシラに言うつもりはない」
アンセル様がきっぱりと言い放つ。
「プリシラには言わないということを君も了承したはずだ。僕は絶対に言わない。すべてを隠し通す。彼女が傷つくことを望んだとしても、だ」
「そんな……!私のような一使用人が言うのは、おこがましいとは思います。ですが……!」
なおもフェンリルが言い募るのを、私は聞けなかった。もうそれ以上聞きたくなくて、すぐその場を離れたかった。
ふらふらとした足取りで、どのように自室に戻ったのか分からなかったが、気づいたら私は自分の部屋のベッドに横になっていた。
ふと、私はアンセル様が一度だけ結婚したいお相手のことを、話してくれたのを思い出した。
……初めて会った時は、僕より背が高かった。今では、僕の方が高いが。髪はルビーのような赤色で、まっすぐだ。性格は活発な方だな
あの二人の表情と会話は、ただ事ではなかった。
フェンリルは女性にしては背が高い。今ではアンセル様のほうが高いが、長く働いているようだし、初めて会った時に、フェンリルの方が背が高くてもおかしくない。そして、フェンリルの瞳は私と同じ、紫。
はめたくないパズルのピースが、はまった気がした。
「嘘、でしょ……」
私の口から絞り出すようにかすれた声が出た。
アンセル様の想い人は、フェンリル?
(どうしたらいいの……)
私はフェンリルのことも大好きだった。私が身を引いたとしても、結局二人に何か障害があるのなら結婚できないのは同じだ。
けれどせめて、フェンリルを傷つけないように、夫婦の営みは避けたほうがいいかもしれない。
私はベッドに横になったまま悶々としていると、いつの間にか悩むことに疲れて眠ってしまっていた。
全部全部私が。
アンセル様はきっと、結婚したかった相手を私に重ねて私を抱いている。腕輪を見つけてから私はそのことに気づいた。私を見る優しい目が、時折懐かしむようになるからだ。
「アンセル様…明かりを……消してください。顔を見られると恥ずかしいので」
いつもアンセル様と体を重ねるときは、明かりを消してもらうようにしている。肌を見られるのが単純に恥ずかしいのと、もう一つ理由がある。
「君は、いつも明るいところでするのを嫌がるな。そのうち見せてもらうからな」
「そのうちも、いや、です」
私が首を振ると、アンセル様はふっと笑ってサイドテーブルの上のランプを吹き消した。
暗闇の中に、私は涙を隠す。優しいアンセル様に見つからないように。
「おやすみ、プリシラ」
「おやすみなさい。アンセル様」
アンセル様が優しく私にキスをして、軽く抱き寄せてくれる。
私は軽くアンセル様の胸元にすり寄った。小さく笑ったアンセル様が、私の髪を撫でてくれる。
幸せだった。
例えアンセル様の心の中に、私以外の誰かがいようと。アンセル様が、私を抱きながら他の誰かを思っていようと。
愛情はくれなくても、優しくしてくれて妻として何不自由なく接してくれる。
貴族の中には既婚者でも女遊びが激しい人が多い中、アンセル様はそんなことはなさらないし、結婚したかったお相手と会っている様子もない。
例え私に愛情がなかろうと、それだけで十分だと私は思うようになった。
あまり多くを望んでしまっては、私にはすぎた幸せだ。
廊下の隅でアンセル様とフェンリルが小声で話しているのが見えた。
「アン……」
声をかけようとして、慌てて身を隠して様子を窺う。
二人の表情が思いがけず険しい顔をしていたからだ。
(な、何?どうしたのかしら)
はしたない、と思いつつも好奇心に負けて、私は耳をすませた。
フェンリルが涙ぐんでいる。
(ただ事じゃないわ……!)
どうしたのだろう。
まさか退職するとか?
(せっかく親しくなったのに、残念だわ)
私はガッカリしながらも、決めつけるのは早いと、再び耳を澄ます。
フェンリルがすすり泣きながら、
「……プリシラ様を騙しているようで、お可哀想です……!私はもう、隠しておきたくありません。いつプリシラ様に言うんですか?」
(え?私?!)
私に関係のある話らしい。そして、
(騙す?可哀想?言う?)
気になる言葉がたくさんだ。
「僕は、プリシラに言うつもりはない」
アンセル様がきっぱりと言い放つ。
「プリシラには言わないということを君も了承したはずだ。僕は絶対に言わない。すべてを隠し通す。彼女が傷つくことを望んだとしても、だ」
「そんな……!私のような一使用人が言うのは、おこがましいとは思います。ですが……!」
なおもフェンリルが言い募るのを、私は聞けなかった。もうそれ以上聞きたくなくて、すぐその場を離れたかった。
ふらふらとした足取りで、どのように自室に戻ったのか分からなかったが、気づいたら私は自分の部屋のベッドに横になっていた。
ふと、私はアンセル様が一度だけ結婚したいお相手のことを、話してくれたのを思い出した。
……初めて会った時は、僕より背が高かった。今では、僕の方が高いが。髪はルビーのような赤色で、まっすぐだ。性格は活発な方だな
あの二人の表情と会話は、ただ事ではなかった。
フェンリルは女性にしては背が高い。今ではアンセル様のほうが高いが、長く働いているようだし、初めて会った時に、フェンリルの方が背が高くてもおかしくない。そして、フェンリルの瞳は私と同じ、紫。
はめたくないパズルのピースが、はまった気がした。
「嘘、でしょ……」
私の口から絞り出すようにかすれた声が出た。
アンセル様の想い人は、フェンリル?
(どうしたらいいの……)
私はフェンリルのことも大好きだった。私が身を引いたとしても、結局二人に何か障害があるのなら結婚できないのは同じだ。
けれどせめて、フェンリルを傷つけないように、夫婦の営みは避けたほうがいいかもしれない。
私はベッドに横になったまま悶々としていると、いつの間にか悩むことに疲れて眠ってしまっていた。
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