31 / 52
三章 疑惑編
アンセル様とフェンリル
しおりを挟む
私が悪いの。
全部全部私が。
アンセル様はきっと、結婚したかった相手を私に重ねて私を抱いている。腕輪を見つけてから私はそのことに気づいた。私を見る優しい目が、時折懐かしむようになるからだ。
「アンセル様…明かりを……消してください。顔を見られると恥ずかしいので」
いつもアンセル様と体を重ねるときは、明かりを消してもらうようにしている。肌を見られるのが単純に恥ずかしいのと、もう一つ理由がある。
「君は、いつも明るいところでするのを嫌がるな。そのうち見せてもらうからな」
「そのうちも、いや、です」
私が首を振ると、アンセル様はふっと笑ってサイドテーブルの上のランプを吹き消した。
暗闇の中に、私は涙を隠す。優しいアンセル様に見つからないように。
「おやすみ、プリシラ」
「おやすみなさい。アンセル様」
アンセル様が優しく私にキスをして、軽く抱き寄せてくれる。
私は軽くアンセル様の胸元にすり寄った。小さく笑ったアンセル様が、私の髪を撫でてくれる。
幸せだった。
例えアンセル様の心の中に、私以外の誰かがいようと。アンセル様が、私を抱きながら他の誰かを思っていようと。
愛情はくれなくても、優しくしてくれて妻として何不自由なく接してくれる。
貴族の中には既婚者でも女遊びが激しい人が多い中、アンセル様はそんなことはなさらないし、結婚したかったお相手と会っている様子もない。
例え私に愛情がなかろうと、それだけで十分だと私は思うようになった。
あまり多くを望んでしまっては、私にはすぎた幸せだ。
廊下の隅でアンセル様とフェンリルが小声で話しているのが見えた。
「アン……」
声をかけようとして、慌てて身を隠して様子を窺う。
二人の表情が思いがけず険しい顔をしていたからだ。
(な、何?どうしたのかしら)
はしたない、と思いつつも好奇心に負けて、私は耳をすませた。
フェンリルが涙ぐんでいる。
(ただ事じゃないわ……!)
どうしたのだろう。
まさか退職するとか?
(せっかく親しくなったのに、残念だわ)
私はガッカリしながらも、決めつけるのは早いと、再び耳を澄ます。
フェンリルがすすり泣きながら、
「……プリシラ様を騙しているようで、お可哀想です……!私はもう、隠しておきたくありません。いつプリシラ様に言うんですか?」
(え?私?!)
私に関係のある話らしい。そして、
(騙す?可哀想?言う?)
気になる言葉がたくさんだ。
「僕は、プリシラに言うつもりはない」
アンセル様がきっぱりと言い放つ。
「プリシラには言わないということを君も了承したはずだ。僕は絶対に言わない。すべてを隠し通す。彼女が傷つくことを望んだとしても、だ」
「そんな……!私のような一使用人が言うのは、おこがましいとは思います。ですが……!」
なおもフェンリルが言い募るのを、私は聞けなかった。もうそれ以上聞きたくなくて、すぐその場を離れたかった。
ふらふらとした足取りで、どのように自室に戻ったのか分からなかったが、気づいたら私は自分の部屋のベッドに横になっていた。
ふと、私はアンセル様が一度だけ結婚したいお相手のことを、話してくれたのを思い出した。
……初めて会った時は、僕より背が高かった。今では、僕の方が高いが。髪はルビーのような赤色で、まっすぐだ。性格は活発な方だな
あの二人の表情と会話は、ただ事ではなかった。
フェンリルは女性にしては背が高い。今ではアンセル様のほうが高いが、長く働いているようだし、初めて会った時に、フェンリルの方が背が高くてもおかしくない。そして、フェンリルの瞳は私と同じ、紫。
はめたくないパズルのピースが、はまった気がした。
「嘘、でしょ……」
私の口から絞り出すようにかすれた声が出た。
アンセル様の想い人は、フェンリル?
(どうしたらいいの……)
私はフェンリルのことも大好きだった。私が身を引いたとしても、結局二人に何か障害があるのなら結婚できないのは同じだ。
けれどせめて、フェンリルを傷つけないように、夫婦の営みは避けたほうがいいかもしれない。
私はベッドに横になったまま悶々としていると、いつの間にか悩むことに疲れて眠ってしまっていた。
全部全部私が。
アンセル様はきっと、結婚したかった相手を私に重ねて私を抱いている。腕輪を見つけてから私はそのことに気づいた。私を見る優しい目が、時折懐かしむようになるからだ。
「アンセル様…明かりを……消してください。顔を見られると恥ずかしいので」
いつもアンセル様と体を重ねるときは、明かりを消してもらうようにしている。肌を見られるのが単純に恥ずかしいのと、もう一つ理由がある。
「君は、いつも明るいところでするのを嫌がるな。そのうち見せてもらうからな」
「そのうちも、いや、です」
私が首を振ると、アンセル様はふっと笑ってサイドテーブルの上のランプを吹き消した。
暗闇の中に、私は涙を隠す。優しいアンセル様に見つからないように。
「おやすみ、プリシラ」
「おやすみなさい。アンセル様」
アンセル様が優しく私にキスをして、軽く抱き寄せてくれる。
私は軽くアンセル様の胸元にすり寄った。小さく笑ったアンセル様が、私の髪を撫でてくれる。
幸せだった。
例えアンセル様の心の中に、私以外の誰かがいようと。アンセル様が、私を抱きながら他の誰かを思っていようと。
愛情はくれなくても、優しくしてくれて妻として何不自由なく接してくれる。
貴族の中には既婚者でも女遊びが激しい人が多い中、アンセル様はそんなことはなさらないし、結婚したかったお相手と会っている様子もない。
例え私に愛情がなかろうと、それだけで十分だと私は思うようになった。
あまり多くを望んでしまっては、私にはすぎた幸せだ。
廊下の隅でアンセル様とフェンリルが小声で話しているのが見えた。
「アン……」
声をかけようとして、慌てて身を隠して様子を窺う。
二人の表情が思いがけず険しい顔をしていたからだ。
(な、何?どうしたのかしら)
はしたない、と思いつつも好奇心に負けて、私は耳をすませた。
フェンリルが涙ぐんでいる。
(ただ事じゃないわ……!)
どうしたのだろう。
まさか退職するとか?
(せっかく親しくなったのに、残念だわ)
私はガッカリしながらも、決めつけるのは早いと、再び耳を澄ます。
フェンリルがすすり泣きながら、
「……プリシラ様を騙しているようで、お可哀想です……!私はもう、隠しておきたくありません。いつプリシラ様に言うんですか?」
(え?私?!)
私に関係のある話らしい。そして、
(騙す?可哀想?言う?)
気になる言葉がたくさんだ。
「僕は、プリシラに言うつもりはない」
アンセル様がきっぱりと言い放つ。
「プリシラには言わないということを君も了承したはずだ。僕は絶対に言わない。すべてを隠し通す。彼女が傷つくことを望んだとしても、だ」
「そんな……!私のような一使用人が言うのは、おこがましいとは思います。ですが……!」
なおもフェンリルが言い募るのを、私は聞けなかった。もうそれ以上聞きたくなくて、すぐその場を離れたかった。
ふらふらとした足取りで、どのように自室に戻ったのか分からなかったが、気づいたら私は自分の部屋のベッドに横になっていた。
ふと、私はアンセル様が一度だけ結婚したいお相手のことを、話してくれたのを思い出した。
……初めて会った時は、僕より背が高かった。今では、僕の方が高いが。髪はルビーのような赤色で、まっすぐだ。性格は活発な方だな
あの二人の表情と会話は、ただ事ではなかった。
フェンリルは女性にしては背が高い。今ではアンセル様のほうが高いが、長く働いているようだし、初めて会った時に、フェンリルの方が背が高くてもおかしくない。そして、フェンリルの瞳は私と同じ、紫。
はめたくないパズルのピースが、はまった気がした。
「嘘、でしょ……」
私の口から絞り出すようにかすれた声が出た。
アンセル様の想い人は、フェンリル?
(どうしたらいいの……)
私はフェンリルのことも大好きだった。私が身を引いたとしても、結局二人に何か障害があるのなら結婚できないのは同じだ。
けれどせめて、フェンリルを傷つけないように、夫婦の営みは避けたほうがいいかもしれない。
私はベッドに横になったまま悶々としていると、いつの間にか悩むことに疲れて眠ってしまっていた。
0
お気に入りに追加
1,380
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
【完結】365日後の花言葉
Ringo
恋愛
許せなかった。
幼い頃からの婚約者でもあり、誰よりも大好きで愛していたあなただからこそ。
あなたの裏切りを知った翌朝、私の元に届いたのはゼラニウムの花束。
“ごめんなさい”
言い訳もせず、拒絶し続ける私の元に通い続けるあなたの愛情を、私はもう一度信じてもいいの?
※勢いよく本編完結しまして、番外編ではイチャイチャするふたりのその後をお届けします。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?
おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました!
皆様ありがとうございます。
「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」
眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。
「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」
ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。
ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視
上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

はずれのわたしで、ごめんなさい。
ふまさ
恋愛
姉のベティは、学園でも有名になるほど綺麗で聡明な当たりのマイヤー伯爵令嬢。妹のアリシアは、ガリで陰気なはずれのマイヤー伯爵令嬢。そう学園のみなが陰であだ名していることは、アリシアも承知していた。傷付きはするが、もう慣れた。いちいち泣いてもいられない。
婚約者のマイクも、アリシアのことを幽霊のようだの暗いだのと陰口をたたいている。マイクは伯爵家の令息だが、家は没落の危機だと聞く。嫁の貰い手がないと家の名に傷がつくという理由で、アリシアの父親は持参金を多めに出すという条件でマイクとの婚約を成立させた。いわば政略結婚だ。
こんなわたしと結婚なんて、気の毒に。と、逆にマイクに同情するアリシア。
そんな諦めにも似たアリシアの日常を壊し、救ってくれたのは──。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる